「甘くないプロポーズと、ビジネスライクな指輪」
「……結城さん。何か、僕に隠していることはありませんか?」
秋風が吹き抜ける公園。
見透かすような九条蒼馬の鋭い視線から、真紀は逃げることができなかった。
背中に隠した封筒を強く握りしめる。
心臓が早鐘のように打ち、喉がカラカラに乾いていた。
「な、何もありません……。ただの貧血で、病院に行って薬をもらっただけですから」
「レディースクリニックで貧血の薬を?」
「……っ!」
蒼馬は静かに手を差し出した。
「見せてください」
「だ、ダメです! これは私のプライバシーで……っ」
一歩後ずさろうとした瞬間、貧血と精神的なプレッシャーからか、真紀の視界がぐらりと揺れた。
膝から崩れ落ちそうになった体を、力強い腕がしっかりと受け止める。
同時に、真紀の手からふわりと封筒が滑り落ち、中から一枚のエコー写真がこぼれ落ちた。
「あ……」
最悪だ。
蒼馬の視線が、地面に落ちた写真へと注がれる。
彼は真紀をベンチに座らせると、静かにその写真を拾い上げた。
数十秒の沈黙が、永遠のように感じられた。
やがて蒼馬は、一切の感情を読み取れない声で口を開いた。
「……僕の子ですね」
疑問形ではなかった。
確信を持った低い声。
真紀はもう誤魔化すことを諦め、小さく頷いた。
「……ご迷惑はおかけしません。この子のことは、私一人でなんとかします。会社にも言いませんし、九条専務のお仕事や経歴に傷をつけるようなことは絶対に――」
「結婚しましょう」
「…………はい?」
必死に言葉を紡ぐ真紀の言葉を遮り、蒼馬は淡々と、まるで明日の会議の予定でも決めるかのように言った。
「結婚と言いました。ちょうど良かった」
「ちょっと待ってください、意味がわかりません! 私たちはただの一夜の過ちで、それに上司と部下で、愛情なんてこれっぽっちも……」
「愛情は必要ありません」
蒼馬は真紀の隣に腰を下ろし、ビジネスの交渉でもするように真剣な眼差しを向けた。
「親会社の専務という立場上、僕はそろそろ身を固めるよう親族からうるさく急かされていました。政略結婚を押し付けられる前に、手頃な妻が必要だったんです」
「手頃な……妻……」
「ええ。結城さん、あなたにはこれから一人で子どもを育てる不安がある。僕には戸籍上の妻という『隠れ蓑』が必要。なら、互いの利害は一致しているはずです」
あまりにも合理的で冷たい提案に、真紀は言葉を失った。
「これは、期限付きの契約結婚です。愛情も干渉も求めない。その代わり、あなたと子どもの生活は僕が全力で保証します。世間体を保つため、すぐに僕のマンションで同居を始めましょう。寝室は別々で構いません」
「契約……同居……」
「僕の提案に、何か不満がありますか?」
有無を言わせぬ圧。けれど、一人で産み育てるという途方もない不安に押しつぶされそうになっていた真紀にとって、彼の提案が蜘蛛の糸のように見えたのも事実だった。
「……本当に、愛情を持たなくて、いいんですか?」
「ええ。あくまでビジネスパートナーとして、僕を利用すればいい」
真紀は俯き、自分のペタンコのお腹をそっと撫でた。
この小さな命を守れるなら。プライドも、恋愛への憧れも、全部捨てていい。
「……わかりました。よろしくお願いします」
真紀が覚悟を決めて顔を上げた瞬間、蒼馬の冷徹な仮面の下で、ほんの一瞬だけ、ホッとしたような、甘く切なげな色が瞳をよぎったことに、真紀は気づいていなかった。
二人の想いは、まったく違う方向を向いたまま。
愛のない契約と、一つ屋根の下での奇妙な生活が、こうして幕を開けた。




