「遅れてきた初恋と、本当の婚約指輪」
熱を出して倒れた蒼馬との、涙と種明かしの夜から数日後。
蒼馬の風邪はすっかり良くなり、同時に真紀の辛かったつわりも、少しずつ落ち着きを見せ始めていた。
週末の土曜日の朝。
タワーマンションの広々としたリビングで、二人はソファに並んで座っていた。
「……あの、蒼馬さん。そんなに見つめられると、テレビの内容が全く頭に入ってこないんですけど」
「仕方ないだろう。17年間ずっと我慢してきたんだ。少しくらい独占させてほしい」
蒼馬は真紀の左手を自分の大きな手で包み込み、指先を優しく撫でながら、甘く熱を帯びた視線を向けてくる。
両思いになってからの「氷の専務」は、まるで別人のように甘かった。
隠す必要がなくなった愛情がダムの決壊のように押し寄せてきて、真紀は朝から顔が真っ赤になりっぱなしだ。
(私たち、もういい大人なのに。なんだか中学生の初恋みたい……)
まさに二度目の青春だった。
恋愛の仕方をすっかり忘れていたはずなのに、彼の手の温もり一つで、心臓が若葉のように瑞々しく跳ね回る。
「真紀。体調が良さそうなら、今日の午後、少しだけ出かけないか?」
「出かける? 買い出しですか?」
「いや。僕たちの、初めてのデートだ」
デート。その響きに、真紀の胸がまたトクンと鳴った。
午後になり、二人は少しだけおめかしをしてマンションを出た。
蒼馬が車を出して向かったのは、緑豊かな都内の大きな公園に隣接する、おしゃれなオープンカフェだった。
「ここは……」
「カフェインレスの美味しいコーヒーを出す店を調べておいた。君の好きな、グアテマラの豆も扱っているらしい」
「蒼馬さん……ありがとうございます!」
趣味であるコーヒーの香りに包まれながら、二人はテラス席で向かい合った。
契約結婚の「妻」としてではなく、愛し合う「恋人」として向かい合う初めての外出。
秋の心地よい風が吹き抜ける中、真紀は少し照れくさそうに笑った。
「なんだか、不思議ですね。数ヶ月前まで、お見合いに失敗して一人で落ち込んでいたのに。今は私のお腹の中に、ずっと私を好きでいてくれた蒼馬さんの赤ちゃんがいるなんて」
「……僕にとっては、奇跡みたいな毎日だよ」
蒼馬は真紀を見つめ、ふと真剣な表情になると、ポケットから小さなベルベットの箱を取り出した。
「蒼馬さん? それは……」
「手を出して」
蒼馬に促されるまま左手を差し出すと、彼は真紀の薬指にはまっていたシンプルなプラチナリングをそっと外し、代わりに、箱から取り出した美しいダイヤモンドの指輪をはめた。
太陽の光を反射して、七色のまばゆい光が指先で弾ける。
「っ……! これ、すごく高価な……」
「今まで君がつけていたのは、世間を誤魔化すために僕が適当に見繕った、ただの『契約の証』だ。だから、これは僕からのけじめ。本当の婚約指輪だ」
蒼馬は真紀の指先にそっと口付けると、真っ直ぐに彼女の目を見つめた。
「遠回りをして、たくさん不安にさせてすまなかった。真紀。僕と、本当の家族になってください」
誠実で、愛に溢れたプロポーズ。
もう「利害が一致したから」なんていう冷たい言い訳はない。
真紀の瞳から、嬉し涙がポロポロとこぼれ落ちた。
「はい……っ。私でよかったら、よろしくお願いします」
「ありがとう。……愛してる」
カフェのテラス席。周囲の目も気にせず、蒼馬はテーブル越しに身を乗り出し、真紀の涙を拭うように優しくキスを落とした。
長い片思いと、愛のない契約結婚を経て。不器用な大人二人の、遅れてきた青春と本当の恋が、今、確かな形となって結実したのだった。




