「17年目の種明かしと、契約結婚の終わり」
「蒼馬さんの出身中学って……もしかして、市立桜ヶ丘中学校、ですか……?」
真紀の震える声が、静かな寝室に響いた。
ほうじ茶の入ったマグカップを持ったまま、蒼馬は完全に動きを止めていた。
熱のせいだけではない、明らかな動揺がその瞳を揺らしている。
数十秒の、永遠にも似た沈黙。
やがて蒼馬は、観念したように小さく息を吐き、マグカップをサイドテーブルに置いた。
そして、真紀の記憶を呼び覚ました銀縁の眼鏡をゆっくりと外す。
「……気づかないままでいてほしかったのに。君は本当に、予想外のことばかりする」
「蒼馬さん……じゃあ、やっぱり」
「ああ。僕は桜ヶ丘中学出身だ。3年の時、君と同じクラスで一番後ろの隅の席にいた、分厚い眼鏡の九条だよ」
真紀は両手で口元を覆った。
地味で、いつも本ばかり読んでいて、誰とも群れなかった大人しい男の子。
あの子が、成長して親会社の御曹司となり、誰もが恐れる「氷の専務」になっていたなんて。
「どうして、言ってくれなかったんですか? 私、今まで全然気づかなくて……」
「言えるわけがないだろう。君はあの一夜の過ちの後、僕から必死に逃げようとしていた。ただでさえ怯えている君に、『実は中学時代からずっと君を想い続けていた男です』なんて言ったら、気味悪がって完全に僕の前から姿を消したはずだ」
自嘲気味に笑う蒼馬の言葉に、真紀の心臓がドクンと大きく跳ねた。
「中学時代から、ずっと……?」
「そうだ。あのワンナイトだって、ただの偶然じゃない。君がお見合いで疲れてあの喫茶店にいるのを見かけて、どうしても声が聞きたくて、偶然を装って隣に座ったんだ」
蒼馬は熱を帯びた瞳で、真っ直ぐに真紀を見つめた。
「保健室で、誰も見向きもしなかった僕に、君だけが温かいほうじ茶を淹れてくれた。あの日からずっと……17年間、僕は君のことが好きだった」
「っ……!」
真紀の目から、ポロポロと涙がこぼれ落ちた。
点と点が、すべて繋がった。
週末にたんぽぽコーヒーを淹れてくれた時、彼がひどく愛おしそうな顔で語った『昔、ほうじ茶を淹れてくれたお人好しな彼女』。
「私、ずっと……嫉妬してたんです」
真紀は涙を拭うことも忘れ、震える声で告白した。
「蒼馬さんの心の中には、忘れられない『昔の彼女』がいるんだって。私みたいな愛のない契約相手じゃなくて、その人のことをずっと愛してるんだって思って……すごく、苦しかった」
「バカだな。君は、君自身に嫉妬していたのか」
蒼馬は呆れたように、けれどひどく甘く、泣きじゃくる真紀の頬に手を伸ばした。大きな親指が、溢れる涙を優しく拭い去っていく。
「真紀。もう、契約や身代わりなんて言い訳は終わりにしよう」
「蒼馬さん……」
「僕は君を愛している。お腹の子供ごと、一生僕の傍で守らせてほしい」
熱のある蒼馬の身体を気遣い、真紀は彼の手を両手でそっと包み込み、自分の頬にすり寄せた。
「……はい。私も、蒼馬さんが好きです。冷徹な氷の専務も、過保護なところも、昔の大人しかった九条くんも、全部」
「……やっと、両思いになれたな。長かった」
蒼馬の口角が上がり、これまでに見たことがないほど無防備で、優しい笑顔がこぼれた。
その顔は、中学時代に保健室で「ありがとう」と笑ってくれた、あの少年の面影そのものだった。
愛のない契約結婚として始まった二人の関係は、17年の時を超えた再会の種明かしを経て、今日、本当の夫婦としての第一歩を踏み出した。




