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妄想の歌姫を紹介しろと迫られても困る  作者: kawauso2017
第1部

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9/12

幕間-1 香坂 翠

 その日も、いつもと変わらない一日だった。


 いつもの時間に起きて。


 いつもの電車に乗り。


 いつもの会社へ出勤する。



 比較的小さな事務所。


 人数もそれほど多くない。


 みんな和気藹々(わきあいあい)としていて、効率のためと言いながら適度に休憩を挟み、適度に雑談をしながら仕事を進めている。


 忙しい時期でもなければ、残業もほとんどない。


 翠(みどり)は、そんな職場を気に入っていた。



 終業間際。


 隣から声が掛かった。



「翠~、この後の予定は? 夕食いかない? 何人か一緒に行くって誘ってるんだけど」


「あー、大丈夫だよ。今からすぐ?」


「そうね。A社の人にも声かけてるみたいだから、駅前に十九時頃かな」


「えっ……A社って、あの人も?」


「そう。おそらくねー。あっちからのお誘いだったし」


「やめようかなぁ……ぐいぐい来るし、苦手なのよ」


「翠、もてるもんねぇ」



 にやにやと笑われる。



「そこらのタレントなんて目じゃないくらいなのに、その癖、恋人もいないし。そろそろ落ち着けば?」


「う。る。さ。い。わたしも一応端くれでしたので!!」


「なにそれ。でももう、三十五でしょ? そろそろラストチャンスじゃん。A社なんて有望よ?」


「誰も好きで独り身でいるわけじゃないのよ! この歳になると、もう独身の方が楽なの!」


「翠、趣味も変わってるしさ。お札マニアじゃない。お金は気兼ねなく使うものよ? そんなニッチな趣味に付き合ってくれる人なんて、この先なかなか現れないと思うけど」


「そういうあなたなんて別居中じゃないっ。結婚なんて墓場だわ」


「あー。やぶ蛇……」



 友人が視線を逸らした。



「じゃ、駅前でね。待ってるよ!」


「え、ちょっと。まだ行くって――」



 もういない。



「……人の話を聞け」



 結局。


 嫌々ながら待ち合わせ場所へ向かった。



 食事会。


 というか。


 コンパ?


 いや。


 三十五にもなってコンパというのもどうなのだろう。



 適当に飲み。


 適当に話を合わせ。


 A社の例の男から相変わらずぐいぐい来られ。


 適当にかわす。



 特に何事もなく。


 つつがなく。


 食事会は終了した。



「疲れた……」



 終電までには十分余裕がある。


 翠は一人、帰路についた。



◇



 自宅マンション。



「なんか、ひどい目にあったなぁ……」



 鞄を置き。


 上着を脱ぐ。



「最近は親までうるさいし……人をなんだと思ってるのよ」



 三十五歳。


 独身。



「私はミレニアム問題で世界が滅ぶ方に賭けてたんだけどなぁ……」



 大きくため息をつく。



「ノストラダムス、どこ行ったのよ!」



 もちろん。


 どちらも何事もなく終わった。



 シャワーを浴び。


 髪を乾かし。


 就寝の準備を済ませる。



 ベッドへ腰掛けたところで、ふとaPodを手に取った。



 最近、気に入っている曲がある。



 歌手名は、ao。デビュー以来一度もメディアに露出していない、珍しい歌手



 最初にCDを手に取ったときは、変わった名前の歌手だと思った。そして衝撃を受けた。



 けれど。


 何度か聞いているうちに、忘れられない曲なっていった。



「今日も一日ご苦労様。よく働いたよ、私」



 自分で自分を労う。



 いつものようにお気に入りの曲を流す。



 そのまま。


 翠は、いつの間にか眠りについた。



◇



 翌朝。



 少し早めに目が覚めた。



 いつものように準備をする。



 いつものように家を出る。



 いつもの電車。



 いつもの乗り換え。



 会社の最寄り駅で降りる。



 改札を出る。



 駅舎を出る。



「……あれ?」



 足が止まった。



 いつも見ていたビルがない。



「え?」



 雑貨店がない。



 他にも。


 見慣れていた建物が、いくつも消えている。



 道そのものは知っている。



 駅も。


 交差点も。


 道路の形も。



 なのに。



 景色が違う。



「なにこれ……?」



 翠は少しパニックになった。



 周囲を見回す。



 走っている車が古い。


 看板も違う。


 歩いている人間の服装まで、どこか妙だった。



「えっ……どこ? ここは……」



 慌てて駅へ戻る。



 改札を見る。



「……違う」



 さっき通った改札とは違う。



 いや。



 場所は同じだ。



 ただ。



 古めかしい。



「何なのよ、これ……」



 落ち着け。



 そう自分に言い聞かせながら、駅構内を見回した。



 その時。



「……ん?」



 ゴミ箱。



 乱雑に放り込まれている紙幣が目に入った。



「誰よ……」



 思わず近寄る。



「こんな勿体ないことを……」



 手に取った。



「……何、これ」



 見たことのないお札。



 妙に精巧だった。



 玩具には見えない。



 ホログラムまで入っている。



「偽札……?」



 他にもある。



 その中には。



 見覚えのある千円札も何枚か混じっていた。



「あれ?」



 これは知っている。



 今使っているのと同じ千円札。



 ……のはずだった。



 ふと。



 記番号に目が行った。



「……茶色?」



 もう一度見る。



「黒じゃなかった?」



 少なくとも。


 自分が普段見ているものとは違う。



「偽造かなぁ……」



 だが。



 わざわざこんな細かな部分を変える意味が分からない。



 そして。


 もう一度、見たことのない紙幣を見る。



 こちらは肖像まで違う。



 ホログラムも精巧。



「……未来?」



 口にしてから。



「まさかぁ……」



 自分で否定した。



 未来のお札と。


 妙に古い千円札。



 そして。


 明らかに昔のような駅。



「……いやいやいや」



 新聞。



 新聞を見れば日付が分かる。



 売店を探す。



 すぐに見つかった。



 新聞を手に取る。



 日付。



「…………」



 一九九〇年七月。



 何度見る。



 一九九〇年七月。



「……嘘でしょ」



 その横。



 本日の占い。



 十二位。



「…………最悪」



 凹んだ。



◇



 しばらく。



 翠は駅のベンチに座っていた。



「一九九〇年……」



 十五年以上前。



 どう考えても意味が分からない。



 鞄を開く。



 財布。



 携帯電話。



 aPod。



 昨夜まで使っていた物が、普通に入っている。



 携帯電話を見る。



 当然。



 圏外。



「まあ……そうなるよね」



 そこで。



 ふと気がついた。



「……あれ?」



 自分の手。



 何かが違う。



 手の甲。



 肌。



 指。



 明らかに若い。



「ちょっと待って」



 立ち上がる。



 駅のガラスへ近づく。



 そこに映った自分を見る。



「…………」



 若い。



 どう見ても。



 三十五歳ではない。



「何これ……」



 頬に触れる。



 髪を見る。



 顔を見る。



「……二十歳くらい?」



 いや。



 その前後。



 少なくとも。


 自分が東京へ出てきた頃と、そう変わらない。



「時間だけじゃなくて……私まで?」



 しばらく。


 ガラスに映った自分を見つめていた。



「……若返ってる」



 意味が分からない。



 でも。



 さっきより少しだけ。



 やるべきことが見えてきた。

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