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妄想の歌姫を紹介しろと迫られても困る 【連載版】  作者: kawauso2017
第1部

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8/9

第8話  リトライ

檜山さんの店の前に立つ。


よし!今度こそ問題は無し。


料金は、さっき確認した。


大丈夫だよな?忘れたらアオに聞くか……


「どうです? 一杯」


「いらない」


「そうですか」


 次。


「まだ店決めてません?」


「若い子いる?」


「……そういう店ではないですね」


「じゃあいいや」


 次。


「一杯どうです?」


「うるせえ!」


「失礼しました」


 三人。


 四人。


 五人。


 しばらくやっていると、なんとなく傾向が見えてきた。


 最初から別ジャンルを求めている客。


 当てもなく歩いている酔っ払い。


 とにかく騒がしい連中。


 そして。


 商談相手を接待していそうな人々。


「……なるほどな」


 客引きという仕事にも、当然だが向き不向きがある。


 相手を見ずに声を掛ければいいわけではない。


 俺は少し離れた場所から、道を歩く人間を見ることにした。


 服装。


 人数。


 歩く速度。


 誰が誰に気を使っているか。


 誰が店を探しているか。


 この中なら。


 なるべく、接待中らしい連中に狙いを絞る。


 リスク管理である。


 そもそも別ジャンルを探している人間に声を掛けても、門前払い。


 あるいは、


「いい子いる?」


 などと鼻の下を伸ばされる。


 うちには、そういう若い子はいない。


 酔っ払い。


 これはない。


 さらに飲むかどうかも分からない。


 下手をすれば、店内でトラブルを起こす。


 騒がしいグループ。


 これもない。


 店の雰囲気に合っていない。


 まあ、これは俺の思い込みではあるが。


 店内は、少し古風なカウンター。


 小さなステージ。


 落ち着いて飲んでいる常連。


 ならば。


 落ち着いて話のできる場所を探している客の方がいい。


 商談。


 接待。


 そういう客に、積極的に声を掛けていく。


「二軒目、まだ決めてません?」


「静かな店?」


「比較的。話するにはいいですよ」


「若い子いる?」


「それ目的なら他の店の方がいいですね」


「正直だな、お前」


「後から文句言われる方が面倒なんで」


 何故か笑われた。


「じゃあ行ってみるか」


「ありがとうございます」


 一組。


 しばらくして、また一組。


 当然、断られることも多い。


 それでも、接待や商談を優先したい者は一定数いた。


 そこに網を張る。


 声の掛け方も少しずつ変えていく。


 相手が急いでいれば声を掛けない。


 酔いすぎていれば避ける。


 店を探している視線をしていれば一言だけ。


 無理に引っ張らない。


 断られたらすぐ引く。


 揉め事は避ける。


 危機管理である。


 気がつけば。


 店は盛況だった。


 また一組、店へ案内する。


「どうぞ。こちらです」


 扉を開ける。


 檜山が飛んできた。


「香坂!」


「はい?」


「もう呼び込むな!」


「え?」


「満席だ!」


「……あ」


 店内を見る。


 本当に座るところがない。


「確認しろ!」


「すみません」


 初仕事。


 いきなり店長に叱られた。


◇


 かくして、閉店後。


 客が帰り。


 グラスが片づけられ。


 椅子が元の位置へ戻される。


 急に静かになった店内で、俺はようやく息を吐いた。


「疲れた……」


 身体は若い。


 体力もある。


 それでも、知らない時代で知らない仕事を一日やれば、さすがに疲れる。


 半世紀分の人生経験と危機管理さんは、無事仕事を果たしたようだ。


 二十代に見える外見も功を奏したらしい。


「香坂」


 檜山が呼んだ。


「はい」


 封筒を差し出される。


「今日の分」


「え?」


「給料だよ。日払い」


 受け取る。


 軽い。


 中を見る。


 紙幣が入っていた。


 俺はしばらく、それを眺めた。


「……旧札だ」


「何言ってんだ?」


「いえ。何でもないです」


『一九九〇年に現存する紙幣です。間違いありません』


 危うく拝みそうになった。


 使える。


 これは使える金だ。


 今日一日で初めて、自分がこの時代で手に入れた金。


「……ありがてぇ」


「そんなに金なかったのか?」


「まあ……かなり」


「明日も来るか?」


「いいんですか?」


「今日くらい働けるならな」


 それは助かる。


 明日の飯が確保できる。


 その先も何とかなるかもしれない。


「ありがとうございます」


「で」


 檜山が俺を見る。


「お前、どこに帰るんだ?」


「…………」


「おい」


「まあ、その辺で」


「その辺ってどこだよ」


「公園とか」


「は?」


 大丈夫だ。


 酔っ払って公園で寝た経験なら山ほどある。


 今は身体も若い。


 一晩くらいなら何とかなる。


 檜山は露骨に嫌な顔をした。


「やっぱ家出じゃねえか。それとも女に追い出されたか?」


「そうなんですかねえ……」


『結婚されていませんが……』


「お前は黙ってろ」


「誰と喋ってんだ?」


「独り言です」


「変な奴だな」


 否定できない。


 檜山はため息をついた。


「しばらく店で寝とけ」


「え?」


「邪魔になったら追い出す」


「……いいんですか?」


「外で寝られて、明日来ませんでしたとか言われる方が面倒だ」


 なるほど。


 合理的だ。


「……ありがとうございます」


 こうして。


 仕事。


 現金。


 そして寝床。


 一九九〇年に来て初日。


 最低限の生活基盤らしきものを手に入れた。


◇


 その夜。


 店の隅で横になりながら、スマートフォンを開いた。


 照明は落ちている。


 誰もいない店内。


 さっきまで人の声と酒の匂いで満ちていた場所が、別の店のように静かだった。


「なあ、アオ」


『はい』


「香坂翠って名前、念のため調べてくれ」


『香坂翠、ですか』


「そう。同姓同名で変なのがいたら面倒だ」


 少し考えてから付け加える。


「金儲けじゃねえぞ」


『馬鹿にしているのですか? 分かっています。検索します』


「……この野郎」


 数秒。


 画面に検索結果らしきものが表示される。


『該当する人物があります』


「いるのかよ」


 思わず身体を起こしかける。


「名前変えた方がいいか?」


 店も出た方がいいか。


 まずい。


 そう思った直後だった。


『香坂翠。読みはミドリ。当時十八歳』


「……は?」


 読みが違う。


 翠(みどり)。


 ミドリ。


『前年、一九八九年に失踪。現在も所在不明かと思われます』


「…………」


『その後の続報は確認できません』


 俺は完全に起き上がった。


「ちょっと待て」


『はい』


「俺、適当に今思いついた名前だけど?」


 やはり、何かある。


 なんで俺は。


 なんで、こんな名前を咄嗟に思いついた?


『そのように認識しています』


「なんで実在するんだよ。しかも同年代」


 いや。


 落ち着け。


「お前、戸籍にアクセスできんのか?」


『いいえ。地域ニュースのアーカイブで確認しました』


「……だよな」


 なら。


 ただの偶然だ。


「まあ……よくある名前か」


 香坂。


 翠。


 珍しい組み合わせではあるかもしれない。


 それでも、あり得ない名前というわけではない。


 読みも違う。


 俺はスイ。


 向こうはミドリ。


「そうだ。よくある名前だ」


『そうでしょうか』


「黙ってろ」


 問題ない。


 危機管理さんも何も言わない。


 ……いや。


 さっきから少しだけ、嫌な感じはしている。


 暗い店内で、スマートフォンの画面だけが妙に明るかった。


 俺はそこに表示された名前を、もう一度見た。


 香坂翠――ミドリ。


 十八歳。


 失踪中。


 一九八九年。


 そして今。


 その名前を名乗っている俺もまた――。


 少なくとも昨日まで。


 この時代には存在しなかった。

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