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妄想の歌姫を紹介しろと迫られても困る  作者: kawauso2017
第1部

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10/12

幕間-2 香坂 翠

 一九九〇年。


 十五年以上も前の世界。


 そんな場所に、突然放り出されてしまった。


 それでも、何もかも失ったわけではない。


 この時代にも、自分を知っている人間がいるはずだ。

 

まず。



 誰かに連絡する。



 携帯電話そのものは使えない。



 だが。



「電話帳は使える」



 開く。



 会社。



 同僚。



 最近の友人。



 取引先。



 当然。


 この時代には存在しない関係ばかりだった。



「誰なら……」



 スクロールしていく。



 そして。



 指が止まった。



「……いた」



 昔からの友人。



 東京へ出てきた頃。



 最初のオーディションで知り合った。



 その後。


 オーディションに落ちた時期にも、一緒に愚痴を言ったり、食事をしたり。



 なんだかんだで付き合いが続いた。



 未来でも。


 たまに連絡を取っていた。



「この頃なら……」



 実家暮らし。



 電話番号も。



 携帯ではない。



 実家の固定電話。



「これなら繋がるかも」



 番号を確認する。



 財布も確認した。



「……あった」



 古い紙幣。



 そして硬貨。



 少しだけ。



 この時代でも使える金が残っていた。



「全部駄目じゃなくて助かった……」



 ただ。



 鳥取まで帰れるほどではない。



「まずは電話だね」



 近くの公衆電話へ向かった。



 硬貨を入れる。



 一つずつ番号を押す。



 呼び出し音。



 一回。



 二回。



 三回。



『はい、松田です』



「…………」



 声が出なかった。



『もしもし?』



「あ……ちなつ?」



 若い。



 知っている声。



 でも。



 記憶より、ずっと若い。



「あの……翠です」


『翠?』



 一瞬。



 間があった。



『何、どうしたの?』



 胸の奥から力が抜けた。



「……いた」


『は?』


「あ、いや。何でもない」


『何よ急に。今日は?』


「ちょっと色々あって……」



 少し考える。



「今日、会えない?」


『今日?』


「うん。話したいことがある」


『いいけど……何?昨日も一緒だったし今日折角のオフで喜んでたじゃん。ちょっと怖いんだけど』


「大丈夫、大丈夫」


『全然大丈夫そうに聞こえないけど』


「会ってから話す」



 電話を切った。



 少なくとも。



 一人。



 この時代に。



 自分を知っている人間がいた。



 それだけで。


 随分安心した。



◇



 数時間後。



 待ち合わせ場所。



「翠!」



 友人が手を振りながらやって来た。



「…………若い」


「は?」



 思わず口から出た。



「いや。何でもない」


「何なのよ」



 その顔も。



 服装も。



 声も。



 記憶の奥にある友人、そのものだった。



 近くの喫茶店へ入る。



「で?」



 座るなり聞かれた。



「何があったの?」


「いや……ちょっと確認したいことがあって」


「何を?」


「私、今って……どんな感じだったっけ」


「は?」



 当然。



 変な顔をされた。



「だから。仕事とか」


「仕事って……事務所のこと?」


「そう。それ」


「何言ってるのよ。二回目のオーディション受かったじゃない」


「……うん」


「やっと受かったって喜んでたでしょ」


「事務所、入ったばっかりだよね」


「そうだけど」


「まだデビューはしてない」


「してないわよ。入ったばっかりじゃない」



 そうだった。



「……この頃か」



「何が?」


「こっちの話」



 翠は少しずつ話を聞いた。



 事務所。



 住んでいる場所。



 仕事の予定。



 最近会った人。



 両親。



 自分が覚えている一九九〇年と、大きく違うところはない。



「ああ……うん。分かった」



「何が分かったのよ」


「色々」


「翠、本当に大丈夫?」



 大丈夫。



 多分。



 少なくとも。



 芸能界については、何も悩むことはなかった。



 未来で。



 とっくに答えを出している。



「私、辞める」


「……何を?」


「事務所」


「はぁ!?」



 予想通り。



 大声を出された。



「ちょっと待ってよ。せっかく受かったのに!」


「うん」


「まだ入ったばっかりじゃない!」


「そうだね」


「じゃあ、何で?」


「実家帰る」


「はぁ!?」



 二回目。



「急すぎない!?」


「自分でもそう思う」


「何かあったの?」


「何もないよ」



 少し考える。



「ただ、帰ろうかなって思っただけ」


「そんな理由で……」


「いいの」


「翠がいいなら……まあ、いいけど」



 友人は納得していない顔をしていた。



 当然だろう。



 でも。



 翠にとっては。



 それで十分だった。



「あ、それと……」


「まだあるの?」


「お願いがあるんだけど」


「何?」


「お金、少し貸して」



 友人が固まった。



「……はい?」


「いや、本当に少しでいいから」


「財布落とした?」


「まあ……似たようなもの」


「幾ら?」


「実家まで帰る分が、ちょっと足りなくて」


「本気で今日帰るつもりなの?」


「うん」


「…………」



 友人が財布を開く。



「これくらい?」


「そんなにいらない」


「じゃあ、このくらい?」


「……それで足りると思う」



 受け取る。



「ごめん」


「いいけど。餞別!ちゃんと戻ったら連絡してよね!事務所へは伝えているの?」


「ううん、急だったから・・・」


「いいわ、私から伝えておいてあげる、でも絶対連絡来るとおもうよ??」


「ありがとう、」



 翠は少し申し訳なくなった。



 未来では。



 何度も食事をした。



 くだらない話もした。



 でも。



 こんな形で分かれた記憶はない。



「ありがとう」


「何よ急に」


「いや……助かったから」


「ほんと変なの」



 友人が笑った。



 翠も笑った。



◇



 実家へ向かう列車の中。



 翠は窓の外を眺めていた。



 一九九〇年。



 まだ。



 何もかもが途中だった頃。



 二回目のオーディションに合格して。



 事務所に入ったばかり。



 篠原 碧(あおい)。



 そんな芸名まで貰っていた。



 まだ。



 デビューもしていない。



「……懐かしいなぁ」



 それだけだった。



 未来では。



 とうに終わった話だ。



 才能の差を思い知らされ。



 諦めて。



 別の仕事をして。



 それなりに楽しく生きてきた。



 今さら。



 やり直そうとは思わなかった。



「まあ……いいか」



 むしろ。



 実家へ帰れる。



 その方が。



 今は大事だった。



 膝の上の鞄。



 中には。



 未来から持ってきた携帯電話。



 aPod。



 財布。



 そして。



 駅で拾った紙幣。



 見たことのない未来の札。



 自分が知っているものと、微妙に違う千円札。



「これ……誰が捨てたんだろ」



 捨てようかとも思った。



 でも。



 何となく。



 捨てられなかった。



 自分以外にも。



 この時代に来た人間がいる。



 そんな気がしたから。



 おもむろにイヤホンを付ける。


 aPodを操作して、曲を流す。



 昨日も聴いた曲。



「この曲で、全部諦めたんだよねぇ……」



 でも。



 まだ発売してないよね。



「……あれ?」



 ふと、音漏れしていないか気になった。



 慌ててボリュームを下げる。




◇



 実家にて



 実家の前。



「…………」



 しばらく。



 立ち尽くした。



 見慣れた家。



 なのに。



 記憶よりずっと新しい。



 塀も。



 玄関も。



 庭も。



「……若いなぁ」



 家に向かって言うことではない。



 でも。



 本当にそう思った。



 深く息を吸う。



 玄関へ。



 インターホンを押す。



 足音。



 扉が開いた。



「翠?」



「…………」



 母だった。



 若い。



 記憶より。



 ずっと。



 若い。



「どうしたの、急に」



 後ろから声がする。



「誰だ?」


「翠よ」


「翠?」



 父も顔を出した。



「…………」



 二人とも。



 若い。



 ちゃんと。



 そこにいる。



「どうした?」



 父が聞く。



 翠は。



 ようやく。



 口を開いた。



「……ただいま」



「何よ、急に」



 母が首を傾げる。



「東京は?」


「辞めてきた」


「は?」


「仕事も」


「ちょっと待ちなさい。何があったの?」


「色々」



「色々って何よ」



 いつもの調子。



 昔の。



 両親。



 翠は少しだけ笑った。



「まあ……しばらく、ここにいていい?」


「何言ってるの」



 母が呆れたように言う。



「自分の家でしょ」



「…………」



 その言葉に。



 胸の奥が少しだけ熱くなった。



「そっか」



「何が?」



「なんでもない」



 翠は笑った。



「じゃあ、しばらく厄介になります」


「だから何よ、その言い方」



 母も笑った。



 父は。



 よく分からないという顔をしていた。



 それでいい。



 こうして。



 香坂翠は。



 十五年以上前の自分の家へ。



 帰ってきた。

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