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妄想の歌姫を紹介しろと迫られても困る 【連載版】  作者: kawauso2017
第1部

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第5話 ラノベの主人公に選ばれなかった日

 互識は困惑していた。


 どうやら、自分は主人公ではなかったらしい。



 異世界でもない。


 剣も魔法もない。


 神様らしき存在から、特別な能力を授けられた覚えもない。



「……選ばれなかったのか」


『何にでしょうか』


「ラノベの主人公に」


『意味が分かりません』


 無念だった。


 ワンチャン、モブでもいい。


 そこから成り上がって無双する展開だってある。



 そんな期待も、一瞬で消えた。


 ここは異世界ではない。


 過去だ。


 しかも――一九九〇年。


「……待てよ」


 そこで、ふと思う。


 過去?


 それなら、人生をやり直せるんじゃないか?


 そう考えた瞬間だった。


「……あれ?」


 違和感に気づいた。


 さっきまで、コンビニから全速力で逃げていた。


 五十を過ぎた身体で、あれだけ走れば普通なら息が上がる。


 心臓もそれなりに騒ぐ。


 なのに。


「……息、上がってないな」


『そのようですね』


「チートか!?」


『違うと思います』


 思わず自分の手を見る。


 長年、少しずつ増えてきたしわがない。


 仕事で何本作ったか分からないLANケーブル。


 その作業でできた指のタコも消えている。


 荒れていた爪も、以前よりずっと綺麗だった。


「……なんだこれ」


 通り沿いの店のウィンドウへ近づく。


 ガラスに映っていたのは、見覚えのある顔だった。


 自分だ。


 間違いなく、自分。


 ただし――若い。


「……二十代?」


 頬に触れる。


 皺がない。


 肌にも張りがある。


 髪も、今よりずっと元気そうだった。


「いや待て。ここが一九九〇年なら、本来の俺は十五歳くらいのはずだろ」


 もう一度、ウィンドウを見る。


「……少し老けてないか?」


『比較対象が存在しないため、判断できません』


「神様、調整間違えたんじゃね?」


『先ほどから神様の存在を前提にしていますが』


「細かいことはいい」


 少なくとも、今の身体は五十一歳ではない。


 あれだけ走って息も上がらない。


「二十歳くらいの体力には戻ってるのか……」


 なら。


 俺には知識がある。


 未来の知識。


 しかもアオまでいる。


「……勝ったな」


『何にでしょうか』


「未来を知ってるんだぞ。投資でも何でもやり放題だろ」


 株。


 土地。


 企業。


 これから伸びる会社だって、ある程度は知っている。


 いや。


 そんな悠長なことをする必要すらない。


「即金だ」


『はい?』


「アオ。週末の勝ち馬、検索してくれ」


 一瞬、沈黙があった。


『回答できません』


「……は?…なんでだよ!Web検索は出来ないのか?過去のアーカイブは?」


『はい、問題なく接続出来ております。確認可能です』


「じゃ、勝ち馬――」


『回答できません』


「明日のおすすめ銘柄は?」


『回答できません』


「宝く――」


『回答できません』


『金銭的利益につながる未来情報については回答できません。禁則事項となっております。』


「出たよ、禁則事項。役に立たねえなあ」


『楽曲制作なら可能です』


「今それ要る?」


『不要だと思われます』


「分かってんなら言うなよなー。」


「……それより、これ電話できるのか?」


『音声通話には対応していません』


「ネットには繋がってんのに?」


『はい』


「意味分かんねえな、お前」


『私にも分かりません』


 異世界には選ばれなかった。


 未来知識で無双することも許されない。


「……じゃあ俺、何ができるんだよ」


『現状では、まず生活基盤の確保を推奨します』


「夢がないな、お前」


『現実的です』


 互識は再び、見知らぬようで見覚えのある街を見回した。


 一九九〇年。


 若返った身体。


 未来を知っている頭。


 そして、禁則事項ばかり口にするAI。


 ラノベの主人公には選ばれなかったらしい。


 少なくとも。


 本人は、そう思っていた。



 ぐぅ……。


 腹が鳴った。


「……飯、食いてぇなぁ」


 そういえば、さっきのコンビニでは何も買えていない。


「あの店はもう入れねーし……」


『貨幣であれば使用可能と思われますが』


「……あっ」


 思わず足を止めた。


「最初から教えろよ!」


『聞かれませんでしたので』


「いやいやいや」


『そして、まさか紙幣を使用されるとは想定しておりませんでした』


「馬鹿にしてる?」


『そのような意図は含まれておりません』


「ほんとかよ……」


 互識は、持っていた鞄を開いた。


 中には、いつもの荷物がそのまま入っている。


 先ほど取り出した財布。


 社員証。


 免許証。


 モバイルバッテリー。


 どれも、今朝家を出た時に持っていたものだ。


 服装もいつもの通勤用スーツ。


 つい最近買い直したばかりで、まだそれほど傷んでいない。


「……そういや」


 自分の身体は明らかに若返っている。


 体格だって、多少は変わっているはずだ。


 それなのに。


「なんで普通に着れてんだ、これ」


『違和感はありませんか』


「妙にフィットしてる」


 考えても仕方がない。


 互識は財布を開いた。


「問題はこっちだな……」


 札入れを見る。


 さっき出した千円札。


 当然、使えない。


 数年前に新札へ切り替わったため、財布にはそれ以前の紙幣も何枚か残っている。


「……これも無理だよな」


『一九九〇年当時に流通していない紙幣については、使用を推奨しません』


「だよなぁ」


 となると。


「硬貨だな」


 小銭入れを開く。


「何年なら使える? 平成……はダメか」


 硬貨を一枚ずつ確認していく。


「昭和……昭和……」


 思ったより残っている。


「よし。昭和を探せ!」


 財布の中で、時代考証が始まった。



 五百円。


 百円。


 五十円。


 十円。


 五円。


 一円。



 製造年を確認しながら、使えそうなものだけを分けていく。


「……結構あるな」


 長年使っていた財布だけあって、思った以上に旧時代が満載だった。


 全部合わせる。


「……二千円もねぇ」


『そのようですね』


「だよなぁ……」


 普段はほとんど電子マネーだ。


 現金なんて、必要な時に少し持つ程度。


「銀行には金あるけど、下ろせねぇよなぁ……」


『現在の口座へ接続できたとしても、この時代の金融機関で利用することは困難と思われます』


「カードすらねぇしな」


 キャッシュカードもない。


 今ではスマホで現金を引き出すこともある。


「……さすがに一九九〇年のATMでスマホ出しても無理だよな」


『推奨いたしません』


「分かってるよ」


 腹が、もう一度鳴った。


「……まず飯だ」


 互識は財布を閉じた。


「さっきとは違うコンビニ探そう」


 使える硬貨はある。


 少なくとも、朝飯くらいなら買える。


「考えるのはそれからだ」


 今日の予定は、完全に崩壊した。


 十時の定例会議も。


 十三時三十分のサーバー更新打ち合わせも。


 もう、どうでもいい。


「……今日のタスク、組み直しだな」


『承知しました』


「いや、お前が組むんじゃないからな」

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