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妄想の歌姫を紹介しろと迫られても困る 【連載版】  作者: kawauso2017
第1部

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第4話 突然の案件発生

会社があるはずの場所で、俺は見覚えのない建物を見上げた。


『まずは会社のビルへ入りましょう』


「…………は?」


『遅刻寸前です』


「いやいやいや」


 思わず周囲を指さす。


「どう見ても、オフィス入ってなさそうなんだけど?」


『現状のすり合わせが必要です』


「会社ないだろ、これ」


『確認せずに判断するのは適切ではありません』


「…………」


『危機管理です』


「お前がそれ言う?」


『現在の行動は、本日のタスクには含まれていません』


「異世界転生も異能覚醒も予定表には入ってねえよ!」


『はい』


「真剣に返すなよ……」



 とはいえ。


 アオの言うことにも一理ある。



 少なくともここは、会社があるはずの場所だ。


 建物が違って見えるだけで、中に何か手掛かりがあるかもしれない。



「……行くだけ行くか」


 しぶしぶ入口へ向かった。


 そして。


「君、どこへ行くの?」


 警備員らしき男に止められた。


「え?」


「ここ、関係者以外は入れないよ」


「いや、会社が……」


「会社?」


 警備員が不思議そうな顔をする。


 俺は建物を見る。


 改めて見る。


 オフィスビルには見えない。


「…………」


 そこで、昔聞いた話を思い出した。


 そういえば。


 この会社がここへ移転してくる前。


 この場所には――。


「……美術館?」


 確か。


 個展や小規模展示をやるような施設があった。


 ずっと昔の話だ。


 俺が入社するより、もっと前。


「……マジかよ」


 頭の中で、ようやく何かが繋がり始める。


 一九九〇年。


 七月。


 古い街並み。


 古い車。


 カセット式のポータブルオーディオ。


 排ガス。


 タバコ。


 そして。


 会社がここへ移転してくる前の建物。



「……バブルか」


『可能性は高いと思われます』


「夢にしちゃ、設定細かすぎるだろ……」


 その瞬間。



 ぐぅぅぅぅ。


「…………」


 腹が鳴った。



 そういえば。


 朝飯を食っていない。



 寝坊して。


 シャワー浴びて。


 そのまま家を飛び出した。



「ちくしょう……急に腹減ってきた」


『空腹は現実逃避では解決しません』


「分かってるよ」


 俺は、さっき見たコンビニへ視線を戻した。



コンビニか、そういや、昨夜ろくにくってねぇな。ちょっと一回りしてもう一度確認するか



「……もう一回りしてみるか」


 会社があるはずだった場所を離れ、俺は周辺を歩いてみることにした。


 夢なら。


 そのうち覚めるだろう。


 そう思っていた。


     ◇


「…………」


 結局。


 かなり歩いた。


 そして。



 やはり、一九九〇年代で間違いなさそうだった。


 昔住んでいた街ではない。


 それでも、見覚えがある。



 学生の頃。


 テレビの中で見た世界。


 ゲームセンター。


 派手な看板。


 店先に並ぶブラウン管テレビ。


 やたらと大きな車。


 路上に止められた自転車。


 今よりずっと多いタバコの煙。



 繁華街へ近づけば。


 香水。


 ヘアスプレー。


 酒。


 タバコ。


 いろんな匂いが混ざって鼻につく。


 朝だというのに、夜の名残を引きずった若者もいる。


 化粧の崩れた女。


 疲れ切った顔で歩く男。


 酔いが抜けていないのか、ふらつきながら駅へ向かう奴。


 路上には、空き缶や吸い殻。


 昨日の夜から残っているらしい散乱物。


「……懐かしいっていうか」


 懐かしい。


 確かに懐かしい。


 けれど。


「見たかったわけじゃないんだよなぁ……」


『そうですか』


「そこは何か言えよ」


『何と申し上げればよろしいでしょうか』


「知らん」


 俺は立ち止まった。


 そして。


 愕然とした。



 あれだけ歩き回った。


 結構な時間も経った。


 なのに。


 夢から覚めない。


「……そろそろ覚めてくれない?」


『誰にお願いしているのでしょうか』


「夢を管理してる奴」


『存在を確認できません』


「神様でもいい」


『先ほど、選ばれていないと判断されていましたが』


「言うな」


 現実逃避まで潰してくる。


 最近のAIは本当に余計なところまで賢い。


 俺は近くの時計を見る。



「…………」



 会社。


 もう完全に遅刻だ。


 いや。


 会社自体がない。


「……もういいや」


 腹が鳴った。


 ぐぅぅぅぅ。


「…………」


 そうだ。


 飯。


 やっぱり飯だ。


「何か食おう」


『賛成します』


「そこは素直だな」


 最初に見つけたコンビニへ戻ることにした。


 見覚えのあるチェーンだった。


 看板も名前も知っている。


 ただし。


「……古っ」


 俺の記憶にある店舗とは、何もかもが違う。


 それでもコンビニはコンビニだ。


 入口のドアをくぐった。


「いらっしゃいませー」


「…………」


 日本語だ。


 いや。


 日本なのだから当然なのだが。


 何となく違和感があった。


 いつも使っていたこの辺りのコンビニは、外国人店員の方が多かった。


 目の前にいるのは、日本人の若い店員。


「……そこまで違うのか」


『何がでしょう』


「いや、なんでもない」


 店内を見回す。


 商品のパッケージが古い。


 値段も安い。


「安っ……」


 思わず声が出る。



 サンドイッチ。


 飲み物。


 とりあえず手頃なものを選ぶ。



 棚を見ていると、知っている商品もある。


 知らない商品もある。



 そして。


「うわ、これ懐かしい……」


 記憶の奥底にしか残っていなかった商品まで普通に並んでいる。


 少し楽しくなりかけた。


「……いや、楽しんでる場合じゃない」


『そうですね』


 サンドイッチと缶コーヒーを持ってレジへ並ぶ。


 俺の番になった。


「お願いします」


 店員が商品を通す。


 金額を告げる。


「はいはい」


 俺は何も考えず。


 いつもの癖で。


 スマートフォンを取り出した。


 レジ横へ差し出す。


「…………」


 店員が止まった。


「…………」


 俺も止まった。


 後ろに並んでいる客の視線を感じる。


「…………あ」


 そうだった。


 これ。


 通じるわけがない。


「すみません、間違えました」


 スマートフォンを引っ込める。


『電子決済設備は確認できません』


「今言うな」


『はい』


 財布を取り出す。


 現金。


 現金なら大丈夫だ。


 日本円だし。


 日本だし。



 財布から千円札を一枚取り出した。


「これで」


 店員へ渡す。


 店員が受け取った。


 そして。


「…………?」


 首を傾げた。


「ん?」


 店員が紙幣を見る。


 裏返す。


 また表を見る。


「……これ、何ですか?」


「何って、千円――」


 そこで。


 俺も見た。


 紙幣に描かれている人物。


 北里柴三郎。


「…………あ」


 背中を冷たい汗が流れた。


 店員がもう一度、紙幣を見る。


「これ……」


「すみません!」


「え?」


「間違えました!」


 俺は紙幣をひったくるように受け取った。


「ちょっと待ってください」


「すみません!」


 商品を置いたまま。


 逃げた。


「お客さん!」


 店員の声が背中から聞こえる。


 構わず走る。


 店を出る。


 角を曲がる。


 もう一つ曲がる。


『会計が完了していません』


「分かってる!」


『商品は店内に残されています』


「それも分かってる!」


『先ほど使用しようとした紙幣は、この時代には存在しないものと思われます』


「先に言えよ!!」


『紙幣を使用するとは伺っていませんでした』


「馬鹿にしてる!?」


『そのような意図はありません』


「そういうところだぞ、お前!」


 さらに走る。


 店が見えなくなるまで。


 走って。


 走って。


 ようやく足を止めた。

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