航空騎士道法
救出隊が発艦したあと、俺は艦橋でハーゼンの発信位置を見つめていた。
前世の知識からすれば、脱出した搭乗員を攻撃しないことも、可能なら救助することも特別な美談ではない。
戦闘能力を失った者を保護する。
捕らえたなら治療し、身分を確認し、捕虜として扱う。
少なくとも建前では、それが現代の戦争に置かれた最低限の線だった。
この世界でも、その線は旧航空騎士道法から通常戦闘規定へ引き継がれている。
それなのに俺は、法的な保護と名乗りや決闘の慣習をひとまとめにして、時代遅れの儀礼だと読み飛ばしかけた。
『救難一番より本艦。
捜索区画へ到達。
発信機を断続受信』
戦術卓に捜索線が描かれ始める。
*
同じころ、救難飛行艇の上空では、ハーゼンの所属する本隊四機が円を描いていた。
『隊長。
北東、高高度に一機』
『識別は』
『ゼア軍、一番槍……すでに識別圏内です』
隊長は救難周波数へ切り替えた。
『エスティマ航空隊、救出隊指揮官。
海上の脱出搭乗員を捜索中。
一番槍、そちらの目的を告げろ』
返答はすぐに来た。
『ゼア軍航空隊、一番槍。
単なる野次馬だ』
一番槍が見届けたいものは二つあった。
好敵手と認めたハーゼンが海で終わるのか。
そしてエスティマが、落ちた搭乗員を連れ戻す艦なのか。
どちらも口に出すことではない。
一番槍はロケットポッドを外側へ向け、救難空域の上に留まった。
若い護衛機、カイ・ノルデン少尉の疑問が通信に入る。
『敵が見ている前で着水させるんですか』
『そのための護衛だ。
名乗りは安全の保証じゃない。
そこにいる者の所属と目的を、記録へ残すためのものだ』
『では、一番槍が襲ってきたら』
『ノルデン、お前は一番槍を見張れ。
救難機へ向かってきたら、ハーゼンの盾になるのは俺たちだ』
隊長は高空の機影を一度だけ見た。
『だが、あれでも空の世界では名の通ったエースだ。
自分から、その名の信頼を失墜させはしないだろう』
『信用しているように聞こえます』
『信用するから警戒をやめるんじゃない。
警戒した上で、相手にも規則を守る理由があると見込んでいる』
飛行士たちが今も航空騎士道法と呼ぶ慣習は、敵を立派だと思い込むための決まりではない。
もし破れば、声紋と所属と名が記録に残り、本人だけでなく部隊の救難信号まで次から疑われる。
法的な保護とは別に、互いの信号を速やかに信用するための実務だった。
海上に小さな橙色が見えた。
『救難一番、筏を視認!』
飛行艇が降下する。
波へ艇体を当て、二度跳ねてから白い航跡を引いた。
筏の上で、ハーゼンが信号布を振っている。
飛行艇は風上から寄せた。
救難員が側面扉を開き、索を投げる。
一投目は波に流された。
二投目をハーゼンがつかむ。
『接触。
収容します』
索が縮み、ハーゼンの身体が扉へ引き上げられた。
『収容完了。
ハーゼン少尉、負傷なし』
*
艦橋に押し込められていた息が、一斉にほどけた。
俺は椅子の背へ体重を預けた。
自分が特別に人道的な判断をしたとは思わない。
救出すべき者がいて、救出できる戦力があった。
だから出した。
それだけのはずだった。
*
飛行艇の機内で毛布を渡されたハーゼンは、機長に最初に尋ねた。
「救出を命じたのは誰です」
「本隊隊長が嘆願して、艦長が即決した。
上の四機も帰投直後だ」
ハーゼンは開いた側面窓から護衛隊を見上げた。
そのさらに上を、一番槍の専用機が旋回している。
新任艦長は、旧法が飛行士の職業倫理として残る重みを知らなかった。
だが、知らないまま命令を押し通す人物でもなかった。
ハーゼンの中で、ブリーフィング以来保留されていた評価が、一段だけ上がった。
高空で一番槍が翼を振った。
『エルド・ハーゼン。
良い艦長を持ったな』
ハーゼンは救難周波数の送信スイッチを押した。
「まだ、そうかもしれないと思い始めたところです」
一番槍は笑い、北東へ機首を向けた。
今度こそ、その識別信号は空から消えた。




