敵エース「一番槍」の強襲
26.08.09 2200 ハーゼンがこの時点で持っているべき情報を整理・確認
そのとき、視界の端で何かが光った。ハーゼンは視線を戻した。北東。水平線から少し上。青空の中に、小さな黒点がある。
風防の汚れか。頭を少し動かす。黒点は風防の同じ位置に残らなかった。汚れではない。鳥か。黒点は羽ばたかない。
そのまま見続ける。一つ。いや、その右後方にもう一つ。さらに下方にも、小さな点がある。三機。まだ断定できない。距離は二十キロ以上。
ハーゼンは作動中の索敵レーダーへ目を落とした。走査線が回る。反応なし。まだ十五キロより外にいる。
もう一度、目視する。黒点の一つが短く光り、金属面が太陽を反射した。航空機だ。
ハーゼンは無線機の送信スイッチを押した。
「偵察一番より本隊」
返答を待つ間にも、黒点は少しずつ大きくなっている。
『本隊、受信している』
「北東方向、未確認機影を視認。三機以上。距離推定二十二から二十五キロ」
『索敵レーダー反応は』
「なし。目視のみ」
『進路は確認できるか』
ハーゼンは機体をわずかに傾け、黒点の横方向の移動量を見る。ほとんど動かない。同じ方位のまま大きくなっている。こちらへ向かっている。
「相対方位変化なし」
一度、息を吸う。
「正面から接近中の可能性が高い」
無線が短く沈黙した。
『偵察一番、接近するな。現在位置を維持し、継続監視』
ブリーフィングで聞いた、新任艦長の命令と同じだった。位置と進路を報告し、本隊の到着を待て。ハーゼンは操縦桿を握り直した。
「了解。接近せず監視を続ける」
黒点の数をもう一度数える。三機――いや、四機。一番高い位置にいる一機だけ、ほかより前へ出ている。
索敵レーダーの画面に弱い反応が現れた。一つ、二つと反応が増える。距離十五キロ。
機影は正面から近づき続ける。距離十二キロ。
敵機の識別情報パルスビーコンが、索敵波に所属軍、部隊名、コードネームの信号を重ねて返した。受信専用の署名レーダーが信号を検知し、簡易IFF――簡易敵味方識別装置――が機内の登録情報と照合する。画面上で照合中の表示が点滅した。
やがて、敵機の識別情報が表示される。
所属軍。
部隊名。
コードネーム。
簡易IFFは照合結果から反応を「敵機」と判断している。しかし、問題はそこではない。ハーゼンの視線は、表示されたコードネームに釘付けとなった。
『識別結果を報告せよ』
本隊から声が飛ぶ。ハーゼンは表示をもう一度確認した。間違いない。
「偵察一番より本隊」
一拍置く。
「先頭機の識別情報を照合」
格納庫で交わされた会話が、脳裏をよぎった。
一番槍が相手でもですか。
ハーゼンは黒点から目を離さず、報告した。
「ゼア軍所属。コードネーム――一番槍」
『もう識別したのか!? 近すぎる、離脱しろ』
本隊の声から余裕が消えた。
「偵察一番、離脱する」
ハーゼンは機首を南西へ向けた。敵編隊へ背を向けることになる。追いつかれれば、一対四だ。だからといって正面から突っ切れば、四機すべてとすれ違うことになる。
背後で、先頭の黒点が白い炎を噴いた。
急激に大きくなる。翼内の補助ロケットを使ったのだ。僚機を待つ様子もなく、一機だけが編隊を飛び出してくる。
逆V字に並んでいた敵編隊は、先頭を失って一瞬だけ崩れた。だが、左右の機が間を詰め、残った三機で小さな逆V字を作り直す。置き去りにされたのではない。一番槍が飛び出すことに慣れている。
ハーゼンは出力を上げた。速度計の針が動く。それでも、レーダー上の距離は縮まり続けた。一番槍に追いつかれ、残る三機まで来れば逃げ道はなくなる。
後方を振り返る。敵機の中翼上面に、角張った筒の束が四つ見えた。
一番槍の専用機。後方を振り返る。敵機の中翼上面に、角張った筒の束が四つ見えた。
翼の上に四つのロケットポッドを積んだ機体。
見間違えるはずがなかった。
――一番槍は、外してから殺す。
いつから言われ始めたのかも分からない、航空隊の噂だった。あの機体のロケットは、敵機を狙って撃つとは限らない。逃げる先へばら撒き、避けたところでまとめて炸裂させる。近くを飛んだだけで墜とされた、直撃していないのに翼を失った、そんな話にはいくつも尾ひれがついていた。
四基のポッドが瞬いた。
早すぎる。
まだ当てられる距離ではない。
そう判断しながら、ハーゼンは操縦桿を押し込んだ。機首が下がり、身体が座席から浮き上がる。直前まで機体がいた高度を、白煙を引くロケット弾の群れが通り抜けた。
数拍遅れて、後方の空間に無数の火球が咲いた。
爆発が連なり、衝撃が尾翼を叩く。
噂の意味を、そこで初めて理解した。
『今のを見てから避けたか』
雑音の向こうで、声が笑った。
『ゼア軍航空隊、一番槍。見事だ、エスティマの偵察機』
識別装置が示した名を、本人の声で聞かされる。ハーゼンは返答せず、降下を続けた。
『名を聞こう。私と一騎討ちをしろ。受けるなら、後ろの三機には手を出させない』
一対一。それなら、少なくとも四機に囲まれることはない。
その考えが浮かんだこと自体に、ハーゼンは焦りを覚えた。決闘は拒否できる。何より、いま受けている命令は敵の位置と進路を持ち帰ることだ。一番槍の申し入れは、命令より上にはならない。
ハーゼンは本隊の周波数へ切り替えた。
「偵察一番より本隊。一番槍の追撃を受けている。残る三機も接近中。援護を要請する」
『本隊、了解。現在位置を送れ。迎撃隊を向かわせる』
位置情報を送信する。その間にも距離は縮まり、敵機の輪郭が風防越しにはっきり見えるほどになった。
一番槍の機首がわずかに持ち上がった。四基のロケットポッドが、再び火を噴く。
今度は近い。
ハーゼンは反射的に操縦桿を引きかけた。だが、ロケットの飛翔音が一度で終わらない。短い間隔を刻みながら、音の位置が上から下へ移っている。
一斉射ではない。一番槍は機首を下げながら撃ち、ロケット弾で縦の壁を作っている。上昇しても、さらに降下しても、そのどちらかへ飛び込む。
ハーゼンは操縦桿を横へ倒し、右のペダルを踏み込んだ。
機体が横倒しになり、右へ鋭く折れる。縦に連なった白煙が左の風防いっぱいに広がった。近接信管が次々と作動し、火球の列が上から下へ走る。破片が主翼のすぐ外を抜け、機体を震わせた。
抜けた。
息をつく暇もない。一番槍はロケット弾の壁を突き抜けるように接近し、そのままハーゼンの左上を通過した。
すれ違った敵機の翼内で、六つの補助ロケットが点火する。白炎を噴いた機体が、速度を失うはずの急旋回で強引に機首を返した。
ハーゼンも旋回へ入る。まっすぐ逃げれば、背後を取られる。離脱するために、まず一番槍の攻撃をかわし続けなければならない。
決闘を受けた覚えもないまま、空戦は一対一の格闘戦へ変わっていた。
旋回半径では勝てない。
一番槍は、補助ロケットの推力で機体を無理やり旋回へ押し込んでいる。ハーゼンが機首を一周させるより早く、敵機は内側へ入り込んでくる。
ハーゼンは旋回を途中で解き、機首を南西へ戻した。敵の機首がこちらへ向けば横へ逃げ、通り過ぎれば南西へ進む。円を描いて戦えば、その場に釘づけにされる。必要なのは勝つことではない。本隊との距離を縮めることだ。
風防の左端が白く瞬いた。
ハーゼンは敵機を探さなかった。操縦桿を左へ倒し、機体を滑らせる。直後、右側をロケット弾が抜け、前方で炸裂した。爆炎が一瞬遅れて風防を赤く染める。
いま見えたのは敵機ではない。風防へ映った補助ロケットの炎だった。
背後から発射音が追いつく。一番槍はもう次の攻撃位置へ移っている。
ハーゼンは視線を巡らせた。正面。左右。計器。風防への反射。主翼に落ちる影。後方を確かめる時間があるときだけ、首を回す。
敵機を見つけるたび、一番槍はすでに別の位置へ動き始めていた。だが、攻撃へ入る前には必ず機首を安定させる。その瞬間だけ、補助ロケットの炎が消え、敵機の動きが直線に近づく。
一度目は右へ。
二度目は降下。
三度目はロールしながら左へ。
回避するたびに高度を失い、海面が近づいてくる。波頭が一つずつ見分けられる高さになった。低空では、もう下へ逃げられない。
『逃げながら、こちらを見ているな』
一番槍の声には、先ほどまでの笑いがなかった。
『いや――見ているだけではないか』
ハーゼンは答えない。
見えていない攻撃もあった。風防を横切る光、翼に落ちた影、風切り音に混じる別のプロペラ音。それらを拾い、次に来る方向を推測しているだけだ。
確信など一度もない。外せば撃墜される予測を、続けて当てているにすぎない。
『偵察一番、本隊まで五キロ。そのまま南西へ進め』
「了解」
あと五キロ。
敵の残る三機も、レーダー上では一番槍の後方数キロまで迫っていた。本隊が来るのが先か。三機に囲まれるのが先か。
一番槍が風防から消えた。
右にも、左にも、上にもいない。後ろを振り返っても見つからない。
ハーゼンは探すのをやめた。
これまで、一番槍は接近してから攻撃するまでに、ほぼ同じ間を置いていた。補助ロケットで位置を変え、機首を安定させ、ロケットポッドを発射する。その間隔を身体が覚えている。
一つ。
二つ。
三つ。
来ない。
数え直そうとしたとき、発動機の唸りに別の低音が重なった。すぐ後ろだ。白炎も白煙も見せず、通常動力だけで接近している。
これまでの攻撃間隔を、逆に利用された。
ハーゼンは動かなかった。ここで慌てて旋回すれば、その先へ撃たれる。
主翼の付け根を、細長い影が走った。
いま。
出力を絞ると同時に機首を上げ、左へロールする。速度を失った機体が空中で横滑りした。
背後から放たれたロケット弾が、右翼の上をかすめる。信管を無効にしていたのか、弾体は炸裂せず、白煙を引いて前方へ消えた。
一番槍の機体が、ハーゼンの真下から前へ飛び出した。
ハーゼンは機首を下げた。照準器の中を敵機が横切る。親指が機銃の発射ボタンを押した。
四門の十二・七ミリ機銃が短く吠える。曳光弾の列は一番槍の鼻先を横切った。敵機が反転し、射線から逃れる。
命中はしていない。
それでも、初めて一番槍に回避を強いた。
『そこまで見えているのか』
一番槍が息を吐く音が、無線に混じった。
『面白い。ますます名を聞きたくなった』
ハーゼンは機首を南西へ戻した。いまの反撃で速度を失った。逃げ切るには、もう一度加速しなければならない。
だが、一番槍は追ってこなかった。
前方に、四つの機影が見えた。本隊だ。左右へ広がり、ハーゼンを通すための間を開けている。その向こうで、対空ロケットの発射炎が瞬いた。
『偵察一番、頭を下げろ!』
ハーゼンは機体を沈めた。友軍のロケット弾が頭上を通過し、一番槍との間に火球の帯を作る。
炎の向こうで、一番槍が急上昇した。敵の残る三機も追いつき、その後方へ逆V字を作る。
本隊の四機がハーゼンの前へ出た。五対四。敵編隊は旋回を始めたが、こちらへは向かってこない。北東へ針路を戻している。
『一番槍、合流せよ。これ以上の追撃は認められていない』
敵編隊から別の声が飛んだ。
一番槍は答えず、高度を上げながらハーゼンの左上を横切った。もうロケットポッドはこちらを向いていない。
『最後に聞く。名は』
ハーゼンは迷った。決闘は受けていない。だが、戦闘は終わった。所属もすでに識別されている。隠す理由はなかった。
「エルド・ハーゼン少尉」
短い沈黙の後、一番槍がその名を繰り返した。
『エルド・ハーゼン。覚えた』
敵機は旋回し、三機の先頭へ戻った。
『後ろにも目があるのかと思ったぞ。まるで蜻蛉だ』
一番槍を先頭にした逆V字が、北東の空へ遠ざかっていく。友軍機は追わなかった。単独で追跡するな。可能な限り隊形を崩すな。出撃前の命令は、まだ生きている。
『偵察一番、損傷を報告』
ハーゼンは計器を確認した。油圧は正常。回転数も落ちていない。しかし燃料計の針だけが、目を離した短い間に一目盛り下がっていた。
右翼の付け根に濡れた筋がある。先ほどロケット弾の壁を抜けたとき、破片が外板と燃料槽を貫いたのだ。
「右翼燃料槽から漏洩。残量、急速に低下」
『母艦まで持つか』
減り方を見れば、計算するまでもなかった。燃料を使い切れば発動機は止まる。漏れた燃料へ火が回れば、それより早い。
「持ちません。海面へ降ります」
『こちらで囲む。可能な限り近くへ降りろ』
本隊の四機がハーゼンの周囲へ広がった。戦闘のためではない。着水位置を見失わず、敵機を近づけないための隊形だった。
ハーゼンは機首を風上へ向け、燃料の供給を止めた。回転音が弱まり、プロペラが風に回されるだけになる。脚は出さない。風防を少し開き、拘束帯を締め直す。
海面が近づく。
波頭を一つ越え、次の波の背へ胴体を沿わせる。尾部が水を叩き、続いて機首が沈んだ。身体が拘束帯へ投げ出され、風防の外が白い飛沫で埋まる。
機体は一度大きく傾いたが、裏返らなかった。
ハーゼンは風防を押し開け、翼上へ這い出した。救命筏を展開して乗り移る。傷ついた戦闘機は、右翼から燃料を虹色に広げながら沈み始めた。
『偵察一番、応答しろ』
「偵察一番。着水成功。負傷なし」
本隊隊長が長く息を吐く音が聞こえた。
四機も燃料に余裕はなかった。救難機を呼ばなければ、ハーゼンを収容する手段もない。
『発信機を切るな。位置を記録した。必ず迎えを出す』
「了解」
本隊が旋回し、南西へ針路を取った。最後まで残った隊長機も翼を二度振ると、仲間を追った。
北東の高空では、一番槍の識別信号だけがまだ消えていなかった。
ハーゼンは小さな筏から、それを見上げた。
任務は果たした。だが、帰投はまだ終わっていなかった。




