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25. 工事(一)

 工事現場というものを、四十二万人が見物する日が来るとは思わなかった。


 定点配信は、朝六時から夜十時まで流れている。カメラは坑口、資材置き場、そして四つある切羽のうち、いちばん奥の一つ。音声は無い。作業の指示が誤って伝わると危ないからだ。


 代わりに、コメント欄が進捗板になった。


『夜の組が入坑した』


『資材、いま八便目』


『四つの切羽、今日は合わせて五十四メートルだって(保安設計室の掲示より)』


「進捗を掲示する。午前と午後の二回。数字は現場の日報から取る。推測は書かない。以上」


 ノギスが仕切ると、噂は流れない。数字だけが流れる。


       ◇


 現場は、地味である。


 三十六層の斜坑側には、重機が入らない。大きな機械を運び込む道が無いのだ。だから掘るのは、坑内用の小型機械と、人の手になる。


 一つの切羽で、一日に進むのは十二メートルから十四メートル。それが四箇所ある。合わせて、一日およそ五十三メートル。五百八十メートルを十一日で貫き、覆工はその後ろを追いかけて巻いていく。


 掘って、ずり――掘った岩くずのことだ――を出して、支保工を建てて、また掘る。それの繰り返しである。派手なところは、どこにもない。


 切羽が四つ取れたのは、二十二年前の作業坑が残っていたからだ。あれを掘れと言ったのは、私である。導坑を掘るためだけの穴が、二十二年経って、時間をひと月ぶん貸してくれた。


「じいちゃん、これ、あと何日?」


「今日で四日目だ。十六日で終わる」


「終わるって、断言していいの?」


「断言はしない。断言できるのは、終わった後だけだ」


「じいちゃん、そういうとこあるよね」


 孫は呆れた顔をするが、口の端は上がっている。


「そういうところで、いままで外したのは一件だけだ」


       ◇


 人の集まり方が、私には少し可笑しかった。


 資材の運搬は、黎明の隊員が引き受けている。坑道を歩く体力だけなら、彼らは作業員より上だ。一便で四十キロの資材を背負い、狭い連絡坑を早足で抜けていく。


『黎明、いま何やってんの?』


『運搬。荷運びだよ』


『トップクランが荷運びしてる……』


『いや、あれが一番速いんだって』


『大峰さん、一日十八便って言ってた』


 OB会の爺たちは、現場には出ない。出ないが、仮設事務所の隅に椅子を並べて、一日中、図面を睨んでいる。


「この岩、割れ方が縦だ。支保工の建て込み、半メートル詰めろ」


「軌道の勾配がきついぞ。空車が戻らん」


「三十四層の分岐、昔は水が出た。念のため見ておけ」


 どれも、図面には書いていないことである。人の頭の中にしかない記憶が、公団の四十年ぶん、そこに座っている。


 私は、その横で検図をした。若手が引いた清書の線を、一本ずつ確かめる仕事である。三十七年やってきたことを、いま、いちばん役に立つ場所でやっている。


 夕方になると、爺のひとりが必ず言う。


「今日は、何も起きんかったな」


「何も起きないのが、いちばんです」


 私が答えると、爺は満足そうに茶をすする。この会話を、私は三十七年やってきた。


       ◇


 入坑から六日目、取水口予定部の除塵スクリーンの仮設が終わる。


 鋼の枠に、目の粗い格子が入っている。これが土砂や木片を止め、その奥の点検桁に人が立って、詰まりを掻き出す。


 モグが、記録のカメラを回しながら訊いた。


「烏口さん。これ、詰まるんですか?」


「詰まります」


「詰まるのに、作るんですか?」


「詰まるから、作るんです」


 私は、桁の板を靴の先で叩く。


「詰まらない構造は、ありません。詰まったときに、人が立てるかどうかで決まる。二十二年前、私は人の立てない構造を作りました。その結果が、いま上で塞がりかけています」


 その夜、その一言が切り抜かれて回る。題は『詰まるから、作る』である。私の言葉は、どうも、切り抜きに向いた形をしているらしい。


       ◇


 入坑から八日目。


 バイパス管の弁の分解整備が終わった。


 鋼扉の左下に取り付いたその弁を、整備班が二日かけてばらし、錆を落とし、弁棒(べんぼう)――ハンドルの回転を弁に伝える軸のことだ――の曲がりを見ている。


 私は、報告を仮設事務所で聞く。


「弁棒、生きてます」


 整備班の主任は、油で真っ黒の手をしている。


座面(ざめん)――弁が当たって水を止める面ですが、あれの当たりも残ってます。全開までは怖いですが、半開なら確実に回ります」


「半開で、どれくらい出ますか?」


「設計の半分でしょうね。毎分十二、三かと」


「足りません」


 私は、図面の吐きの欄を指した。


「あの管の設計は、毎分二十五立米です。放流先の排水溝が、それ以上は保ちません。逃がすなら、ちょうど二十五が要ります」


「……全開まで仕上げろ、ということですか?」


「お願いします。開けるときに、実測もします」


「二日、時間をもらいます」


「差し上げます。……開けるのは、その先です」


 私は、目を閉じる。


 二十二年前、この弁を閉めたのは私である。閉めたときは、まさか二十二年後に自分で開けに来るとは思っていない。


「芯は、生きていましたね」


「生きてます」


「……ありがとうございます」


 礼を言うと、主任は困った顔をした。この人たちも、礼を言われる作法を習っていないのだ。


       ◇


 水位は、毎日測っている。


 入坑から八日、水位は敷高から六・六メートル。一日〇・六メートルずつ、律儀に上がってくる。計算通りというのは、こういうとき、少しも嬉しくない。


 残り九・六メートル。


 私は毎晩、野帳に数字を書き、翌朝、同じ数字を確かめる。数えるのが、仕事である。


 千夏は、毎日、仮設事務所まで弁当を届けにきた。


「お父さん。ちゃんと寝てる?」


「寝ている」


「嘘。目の下、すごいよ」


「工期が十六日なんだ。十六日で終わる」


「終わったら、寝てね」


 娘は、それだけ言って帰っていく。弁当の中身は、毎回、味噌汁の椀が付いていた。現場に汁物を持ってくる人間は、あの母娘くらいのものである。


       ◇


 入坑から十二日目の夕方、モグから連絡が来た。


 資材の通り道になっている旧作業坑を、彼が記録のために歩いていたときのことである。


「烏口さん。……あの、これ、白いです」


 画面が、壁の根方を映していた。


 白い粉が、薄く、しかし確かに積もっている。


 モグの手が、伸びかけて、止まった。


『触りたいですけど、触りません。……近づかない、触らない、真下で立ち止まらない』


 十六話の三行を、この男は暗記している。


「そのまま、二歩下がること。ライトを当てて、寄って撮ってもらえますか?」


 カメラが、離れたところから、ゆっくりと上を向く。


 天端に、細い割れが一本、走っていた。


 縁が、角張っている。


「【勧告】その坑道の下を、いますぐ通行止めにしてください。運搬の便は、迂回路へ回してください。位置と写真を、保安設計室と保安管理課へ通報。専門の点検が入るまで、誰も真下に入らないこと」


 打ちながら、指が冷たくなっていく。


 あの粉が白いということは、いま、上で何かが動いているということだ。

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