13. 管制室(後)
黒い画面を、私はしばらく見つめていた。
映像がない。音もない。位置も分からない。三人がどこにいるのか、生きているのかさえ、この四角の中には何も無い。
――いや。
無いことが、情報だ。
第七の坑内で中継ができるのは、公団が敷いた管路が生きているからである。管路の無いところ、壊れたところでは、電波は地上へ出ない。人はそれを「圏外区画」と呼ぶ。
彼らは、圏外に入った。つまり、管路の切れ目を跨いでいる。
「翔真。最後の三十秒を、繰り返し出してくれ。音も上げてくれ」
「わかった。……これ、なんか分かるの?」
「壁が映っている」
「壁?」
「壁は、喋る」
孫が変な顔をした。私は野帳を開き、鉛筆を握る。
画面の中で、三人が走っていた。ライトが揺れ、壁が流れる。私はその壁を見る。
支保工の型が、途中で変わっていた。
鋼の梁の間隔が、広い区間から狭い区間へ。狭いほうが古い。第七の十七層は、公団の初期に掘った区画だ。あとから広げた東側は間隔が広く、西側は初期のまま残っている。
「西だ」
「え?」
「彼らは西へ走った。管路の更新は、東側だけだったからな」
十五年前、その更新工事の検図をしたのは私である。予算が足りず、東側だけで打ち切りになった。西は旧いまま。あのとき私は「西も来年やりましょう」と書き添えている。来年は、来なかった。
OB会の一人が、それを裏書きしてくる。
「十七層の管路更新は東だけだ。俺が引いた。西は初代の線が生きてるはずだが、もう三十年触ってない」
「触っていないなら、切れています」
打ってから、胸の奥が鈍く痛んだ。
私が引いた線の、引かなかったほうで、いま三人が消えている。
「じいちゃん」
翔真の声が、少し震えていた。
「どうすんの、これ?」
「――道を、置いておく」
「置いておく?」
「届かないかもしれん。だが、圏内に戻った瞬間に読めるように、置いておくんだ」
孫が、唇を噛んだ。
「読めなかったら?」
「読めなかったら、それまでだ。……それでも、置く」
伝わらない相手に書く、というのは妙な作業である。
私は野帳の上に、十七層の平面を起こした。三年前の記憶。西側、旧連絡坑、その先の竪坑、東側の主坑。鉛筆の線が、三十年前の自分の線をなぞっていく。手は覚えていた。
書き込みは、短く、順番に。長い文は、電波の細い場所では読めない。
「【所見】〔七-一七〕いま居るのは西側です。管路の更新は東側だけで、西は三十年前のままです。根拠: 直前の映像の支保工の間隔。狭いほうが西、広いほうが東です」
「【勧告】東へ戻ってください。手順は三つです。確度は、いずれも三年前の現況までです」
「一、坑道の壁を見てください。支保工の間隔が狭ければ西、広がったら東です」
「二、分岐は上り勾配のほうを選んでください。西の坑道は全部、東へ向かって上っています」
「三、旧連絡坑〈七-一七-連二〉が塞がっていた場合、その手前の右に点検用の梯子が『ありました』。三年前の記録です。撤去されている可能性があります。無ければ、連二の手前で待ってください」
打ち終えて、私は湯呑みを持つ。持っただけで、飲まない。
雨の音が、雨戸の外で厚くなっている。総雨量は、もう三百ミリを超えていた。
ノギスが、同じ文面を五分おきに再投稿し始める。モグが、地上のゲート前から中継を出した。保安課の車が三台、雨の中に並んでいる。
『保安課、入坑準備してます。でも、十七層まで二時間かかるって』
二時間。
私は目を閉じる。二十二年前も、現場までは二時間だった。あのときは、その二時間が間に合わなかったのだ。
――今日は、どうだ。
十三時二十六分、画面が白く光った。
『――ってる!? 繋がった、繋がってます!』
三人のうちの一人の端末が、置いてあった三つの手順を一息に読み込んだ。
『来た、来ました! 烏口さんの書き込み、全部入りました!』
『えっと、一……壁を見る。壁、壁……間隔、狭いです。狭い。……俺ら、西にいる!』
『二、上り勾配! この分岐、どっちだ……こっち、上ってる!』
声が割れている。泣きながら走っているらしい。
三分ののち、三つ目が来る。
『連二、塞がってます! 手前の右……あった、梯子です! あります!』
「上る前に、脚元を蹴ってください。三年前の記録です。固定が生きているかを、確かめてから体重をかけてください」
『……蹴りました。動きません。行けます!』
十四時十分、三人は東側の主坑で保安課と合流する。全員、自分の足で地上へ出た。
コメント欄は、その日いちばんの祭りになる。『烏口が神』『圏外の人間を誘導するな』『管制室すぎる』。切り抜きの題は、もう決まっていた。「画面が真っ黒でも、道は分かる」。
私は、座卓の前で背中を丸めている。
「じいちゃん、すごいじゃん。全員帰ってきたよ」
翔真が肩を揺すってくる。
「……ああ」
「なんで嬉しくないの?」
「嬉しくないわけではない」
「じゃあ、なんでそんな顔してんの」
嬉しさで手が震えているのは、本当だ。だが、野帳の余白に、私はさっきから別のことを書いていた。
五層、壕二の扉――砂で三十センチしか開かず。溝の清掃、直近の記録なし。
十七層、旧連絡坑〈連二〉――閉塞。天端の落ちた形跡。点検、直近の記録なし。
十七層西側、管路――三十年更新なし、断線。
「今日は、間に合っただけだ」
私は鉛筆を置いた。
「扉が開かなかったのも、連絡坑が塞がっていたのも、電波が切れたのも、全部、点検があれば直っている。今日は人の足が速かったから、間に合った。……次は、施設のほうが保たん」
「……次って、あるの」
「ある。迷宮は、育つからな」
翔真は、それ以上何も言わなかった。ただ、私の隣に座り直して、同じ野帳を覗き込んでいる。
台風は、夜半に抜けていった。
◇
同じ夜。ディグリード保安管理課の詰所。
瀬川は、机の上に一冊の野帳の写しを置いていた。表紙に、癖のない字で「第七 主坑排水系 検図控」とある。
開かない。ただ、表紙を見ている。
窓の外では、風が引き上げていくところだ。今日、この会社の迷宮で、十四人が死ぬところだった。死ななかったのは、社の設備が正しく働いたからではない。
三年前に辞めた男が、縁側から道を教えたからである。
「……俺じゃ、なかったんだな」
誰にともなく言って、瀬川は表紙に手を置いた。




