第三十一話 手を繋ぐ
# 第三十一話 手を繋ぐ
「手、とか繋ぎたいんだけど」
かずまの声が、耳に残る。
にちかはコンビニの冷蔵ケースの前で固まっていた。
無理だ。
急にそんなこと言われても。
心臓がうるさすぎて、まともに呼吸できない。
「……にちか?」
隣から覗き込まれる。
近い。
顔が近い。
恋人になってから、全部の距離が危険だった。
「……会社近いので」
やっと出た言葉がそれだった。
かずまが数秒黙る。
それから、小さく吹き出した。
「いや、別に今じゃないって」
「……っ」
完全に勘違いしていた。
恥ずかしくて死にそうになる。
かずまは笑いながら缶コーヒーを取った。
「そんな焦んなくても、逃げないから」
その言葉が、胸へじんわり落ちる。
逃げない。
今までは、ずっと失うのが怖かった。
でも。
もう、“好き”はちゃんと伝わっている。
それだけで、世界が少し違って見えた。
昼食を買ったあと、二人はいつもの外階段へ座った。
春の風が少し暖かい。
かずまは缶コーヒーを開けながら、ちらっとこちらを見る。
「で?」
「……何がですか」
「手」
またその話。
にちかは思わず顔を逸らした。
「……そんな普通に言うことですか」
「恋人だし?」
さらっと返される。
そうだ。
恋人。
その言葉だけで、まだ胸が熱くなる。
沈黙。
風の音だけが聞こえる。
すると。
「にちか」
かずまが小さく名前を呼んだ。
「嫌?」
その声は、思っていたより静かだった。
不安そうで。
少しだけ、傷つくのを怖がってる声。
その瞬間。
にちかの胸がきゅっと締め付けられる。
違う。
嫌じゃない。
むしろ。
触れたいと思ってるのは、自分も同じだ。
「……嫌じゃ、ないです」
小さく答える。
かずまが少しだけ目を細めた。
「じゃあ」
ゆっくり。
本当にゆっくり、かずまの手が近づく。
逃げないように。
怖がらせないように。
そんな優しい動きだった。
指先が、少し触れる。
その瞬間。
心臓が大きく跳ねた。
熱い。
びっくりするくらい。
かずまの手は、思っていたより大きかった。
「……やば」
かずまが小さく笑う。
「俺、今めちゃくちゃ嬉しい」
その声が少し震えていて。
にちかは胸がいっぱいになった。
こんなふうに、ちゃんと喜んでくれるんだ。
ちゃんと返したら。
ちゃんと伝えたら。
こんな顔をしてくれるんだ。
にちかは、少しだけ勇気を出して。
逃げないように、そっと指を絡めた。
その瞬間。
かずまが、驚いたみたいにこちらを見る。
「……にちか」
名前を呼ばれる。
優しい声。
好きな声。
にちかは顔が熱くなるのを感じながら、小さく呟いた。
「……恋人、なので」




