コンパクトはコンパクトでも、これはあんまりじゃ……②
悲鳴も虚しく大きな鷲に拐われてどれくらいの時間が経過したのだろうか。向かっている方角も分からないまま、体感的に一時間以上は飛び続けている。
鋭い鉤爪に掴まえられているものの、握り潰されることもない。絶妙な加減でそこから落ちることもなく、かといって脱出出来るような掴み具合でもなかった。
悪意がある感じでもないため、無作為に暴れることも出来ず、何故か粛々と鉤爪に囚われたまま大人しくしてみた。
もう、どうにでもなれ、的な心境になった。
落ち着ける期間が短い!
この一言に限る。
今のところ幸運なのは、最悪な状況下ではないこと。
いや、掴まれて飛行中というのは最悪と言えば最悪かも。
鳥の感覚なのか、結構な高度を飛んでいるのに恐怖をあまり感じない。初めは恐慌状態だったが、順応するのに時間はかからなかった。
「チー……『お腹減った…』」
それよりも切実なのは空腹だった。昼近くで一休みしてご飯でも食べようかと思っていたところに、この鷲の登場だった。
そのまま日が暮れ始めているので、もう夕飯近い筈。
そりゃお腹も空くわ。
多分もうそろそろどこかに着地するかなと、考えていた。鳥目だから、夜には飛行できないだろうから。
そう考えていると、少しずつ高度を落としているのを感じた。それに気づき周囲を見渡してみると森に囲まれた二階建ての建物が見えてきた。
今まで見た公爵家の城やルシア達が住んでいる建物とも違う。どこか懐かしさを感じる『家』だった。
その家の回りには広めの庭があり、裏手はどう見ても野菜園だ。妙に一般家庭じみた場所へ鷲は着地するようだった。
庭の一部である芝生の上に放されると、宙に浮いていたふわつく感覚が抜けずコロンと転がってしまう。
立ち上がろうと体を立てたが、坂でもないのにまたコロコロ転がってしまう。
えぇ……なんなのよ、このバランス感覚のなさは。
しっかり立とうよ、私の鳥足……。
転がって、青空から少しずつ茜色に姿を変える空を仰いだままスンとした表情が出てしまう。そのままあまりに動かないせいか、大鷲が上から私を見下ろした。
『大丈夫?』
鳥声が聞こえるのに、副声音は人の言葉として聞こえる。なんとも不思議すぎる。獣人あるあるなのだろうか。
ふとそちらへ視線を上げると鋭い濃紺の瞳が覗き込んでいた。
お腹が空きすぎて、気力が半減しているが、何とか要望を伝える。
『お腹減った……』
その声にピシッと固まった大鷲は、急に飛び立つと家の方へ向かったっぽい。
大鷲の唐突な行動理由が良く分からなかったが、彼が羽ばたいたため、力の抜けきった私はその風圧で綿埃のようにまたもや転がってしまったからだ。
ゴロゴロと転がされた私は、その先にある花壇の花達にに支えられ止まった。
もー、私ボールにでもなったようだわ……。
はぁ……。と溜め息をつくと、頼りない鳥足で何とか立ち上がれるまでになった。
よいせ、と立ち上がって周囲を見てみると、穏やかな雰囲気に包まれた木造の二階建ての家が見える。
一階は庭に出られるようなテラス付きの大きな窓が設置され、玄関は木製の温もりあるダッチドア式で、両端には木枠にオシャレな曇りガラスを嵌めた物が使用していた。
横幅のある一階に、二階は目視で三部屋ある感じだ。屋根は赤茶色の傾斜のある作りで、その中央に屋根裏部屋がありそうな出窓が設置されていた。
なんだか、ちょっとしたデザイナーズブランドのマイホームみたい。
木製で出来ているけど、なんだか強固な造りっぽく感じるのは気のせいかな……。
魔法のある世界だから、結界とかそんなものがはってあるのかも。のどかに見えるけど、森の中っぽいから、野生動物とか出てきそうな雰囲気でもあるしね。
でも、あの大鷲が一人で住むには広くないかな?
拐われて来たのをそっちのけで、悶々と考えに耽っていると正面のドアが開いた。
そこから現れたのは長身の男性で、艶のある濃藍色の長い髪を無造作に横に括っていた。均整の取れた筋肉質な身体はとてもバランスが良く、一見鋭く見える濃紺の瞳は柔らかく笑みを浮かべこちらに向かってきていた。
な、なに、この人。また美形が現れた!!
ほんと、この世界美形率が高い!
今まで不細工な部類の人を見かけたことがない。
それに私に親しげな笑いを向けてるけど、鳥類に知り合いなんていませんけど!?
獣人世界初心者の私は、交友範囲激セマなんですが!?
だが、この濃藍の青年が発した言葉に全身が硬直してしまった。
「茉白」
この世界の誰も知らない言葉。名だった。
衝撃のあまり言葉も失い唖然としていると、青年は私の目の前に膝をつく。そして壊れ物でも触るかのように両手で私の体を掬い上げると、大切に抱え込み玄関から室内へ入っていった。
あまりの衝撃に言葉を失っていると、テーブルの上には焼きたてのパンやスープなど温かな食事が準備されていた。私をのせる為であろう厚みのあるタオルにそっと置かれると、青年は向かい合うように椅子にかけた。
ハッとして青年を見つめると、優しく愛おしむような柔らかい眼差しをこちらに向けていた。
ドッドッと心臓が変に波打つと、絞り出すように声を出した。
『あなた……いったい、誰なの……?』
震える声で尋ねると、青年は面白そうに笑みを浮かべてテーブルに両肘を付く。そして組んだ手の上に顎を載せて軽く傾げてから口を開いた。
「…あれはいつだったかな?」
こちらに視線を向けてはいるが、私越しにどこか遠くを見つめるような目をして、低く通る声で話し始めた。
「旅行に行った出先で、いつものように俺達は煩い視線と誘いに巻き込まれているうちに、君はその集団に弾かれていて、知らない間に迷子になってしまったよね」
話しながら思わずといった感じに青年はクスリと笑う。
「そもそも近くにいたのに迷子になるなんて、ある意味才能だと思うけどね」
青年が話す内容にどこか身に覚えのある感じがして、まさか……と思うが、でもどこかであり得ない、とも考えてしまう。
「俺達が焦ってそんな君を探していたのに、見つけた君は一人アイスクリームを食べていた」
ククッと笑いを堪えるように組んだ指で口元を押さえる青年はどこか仄かに色気を纏っていた。微かな揺れに濃藍の髪がサラリと肩を流れる。
「呆れた俺達に君はこう言った」
「『もう終わったの?』と」
二人同時に全く同じ台詞を告げた。
驚愕に目を見開くと、前に座る青年はそれはそれは嬉しそうに微笑んだ。
あり得ない、と思っていたことが目の前で起きていた。
出そうとした声が掠れ、こちらを見つめる愉しげで悪戯好きな優しい瞳、その奥に隠れた私だけに向ける愛しくて愛しくて堪らないという揺らめく想い。
いつも【彼】は私をそういう瞳で見ていた。
そして誰よりも私を大切にしてくれたうちの一人。
『……か、海?……海なの?』
「うん」
正解、と言わんばかりの悪戯な微笑みで、組んだ手を解くとタオルの上にいる私を両手で掬って、自分の顔の前に近づけた。
前も容姿端麗だったが、今も負けず劣らずの容姿でよく見れば雰囲気は確かに名残があるように感じた。
次の言葉を言おうと口を開くが、空気が抜けるように鳴るだけで、声にならなかった。
次第にゆらゆらと視界が揺れ始め、彼を見ようと瞬きをするのに溢れる揺らめきが邪魔をしてよく見えない。
『……うっ……うーっ』
包み込む温かな手も相まって、涙腺が馬鹿になってしまったかのように涙が流れていく。
今は手がないからバサリと翼を前に持ってきて何とか涙を止めようとするが、なかなか止まらなかった。
今までどこか気が張っていたのだと気付く。
異世界に来てしまったが、自分の力ではどうしようもなく、抗えないと分かっていたから。
もう、戻れないのだと、どこかで分かっていたから。
周囲は優しかったけど、心のどこかにぽっかりと穴が空いていたのにそこから目を逸らしていた。
そうでもしないと泣き喚きそうだったから。
自分のいた世界をそれなりに大切にしていたからこそ、戻りたいと願ってしまいそうだったから。
平凡だったけど、あの生活が嫌ではなかった。寧ろかけがえのない日々だったのだと理解してしまったから。
気付かないふりをした。
獣人の世界は妄想していた世界で、それが現実になって叶ってしまった。
初めは物珍しさもあり、いろいろと興味を持った。
でも、アッシュの家族を見ていて、ふと思い出してしまった。日本にいた日々を。
実の両親とはそれなりだったけど、大切にはして貰っていた、とは思う。弟は体が弱く、両親がそちらに掛かりきりになっていたのもあり、どちらかと言うと放任されていた。かといって、冷遇されていたわけでもない。
ほど程に関わり、弟ともそれなりだったと思う。
就職を機に、両親からも弟からも離れた。
たまに、新年に会うくらいで、どちらかと言えば海と陸とばかりいた気がする。
海と陸の家族とは両親が仕事の付き合いで知り合い、それ以来ずっと仲良くしてもらった。御堂家の両親は、私を自分の娘と言わんばかりに可愛がってくれた。
海と陸の双子の他に上に二人の兄、姉、下に弟二人と言う大家族だった。
だからか私一人が増えたとしても全く気にせず、何なら家族旅行にまで連れられたくらいだ。
血の繋がりがある親より、親らしい人達だった。
もちろん、他の兄弟達も自分の家族として扱ってくれたくらいだ。まあ、海、陸の弟達からは何故か私は妹枠だったのが唯一解せんが。
まあ、御堂家は揃いも揃って美形家族の長身族だ。陸も立夏姉さんも女性だけど長身だった。
あ、弟の千尋と千影も私が見上げる身長だった。ん?と言うことは、身長低いから妹枠だったと言うことか?
なんてこった!あいつらめ。
今気付いたわ!
でも彼らは私を大切にしてくれたし、私の家の事情も知っていたから学生時代はよく御堂家にお世話になっていた。
私にとっても第二の家族だった。
賑やかなあの家族が大好きだった。
この獣人世界が元々の生まれの場所だったとしても、あの幸せだった日々は何にも変えがたい宝物だ。
今の私を形創る原点だ。
会えるものなら、今すぐ会いに行きたい。
彼らに何も言えず去ってしまったのが、唯一の後悔だ。
だから、海に今会えたのが嬉しくて悲しい。
忘れようとした日々を思い出してしまったから。
「嬉し泣き?茉白」
柔らかい声で彼はそう言う。
少し迷い首を縦に振るとクスクスと笑った海が頬擦りをしてきた。
涙の止まらない私に、海は大丈夫?とでも言うように優しい頬擦りと声掛けをする。
「前の茉白も可愛かったけど、今の茉白も可愛い」
大きな手の平に私を移動させると、指の背で涙を拭うように撫でてくれる。
「大丈夫、何も心配いらない、可愛い茉白。彼女も直にこちらに来るよ」
次から次へ溢れ出てくる涙目のまま「彼女」と言う言葉に首を傾げた。
『か……彼女?』
しかし自分で言ってもしや、と涙零れる目を大きく見開くと、当たり、とでも言うように海は私の頭を撫でる。
「陸も同じようにこちらの世界に転生しているんだ」
『り、陸も?』
こんな偶然が重なるものなのか?
冗談でこの二人なら追いかけて来そうだ、と思っていたが、本当に現実になっている。
還り人はこちらに戻ってくる確率が少ないと言われているのに、転生があるなんて!
「今の陸は俺の従姉妹に当たるかな?前世は兄妹だったけど、血の繋がりは少し遠くなってしまったね。でも、俺達は直ぐに会ってお互いが何者かが理解できたよ。双子で兄妹だったこともあってか親族の中でも一番仲がいいしね」
彼女を思い浮かべているのだろう、愉しそうに笑っていた。
驚きのあまりにとうとう涙が止まると、海はベタベタに濡れてしまった私の顔と、手の平に溜まった涙を近くにあったもう一つのタオルで拭き取る。
私用のタオルを近くに引き寄せるとそこに私を乗せる。
「情報過多だろうけど、まずは腹ごしらえしながら、続きを話そうか」
海はそう言うと、小さく千切ったパンにスープを軽く浸すと、それをスプーンに乗せて私の前に持ってきた。
いい匂いがしてそのスプーンに顔を突っ込みパンを頬張る。
味の染みたパンはスープで軟らかくなりとても食べやすかった。お腹が空きすぎているのもあり、これくらいがちょうど良かった。
固形物は逆に胃もたれしそうだ。
「二人とも鳥族で、まあまあな家柄の出だよ。茉白にいつ会えるのかは大体分かっていたから、それまでに準備をする余裕が出来て良かったよ」
次の食べ物を細かくして、またそれをスプーンに乗せて渡してくれる。食べ物をつつきながら海の話に耳を傾ける。
「茉白がいなくなってから、俺達は探し続けた。誘拐も視野に入れたけど、公園に遺された鞄の中身を見てなにか違うと思った」
甲斐甲斐しく私に給餌をする海はどこか遠くを見る。その視線の先に何かが見えているようにも感じた。
「十年近く探し続けたよ。でも、陸が原点に戻ってみよう、と言って、また茉白がいなくなった公園に行ってみた」
えっ!十年!?そんなに!!
口に挟んでいた少し大きめの野菜が嘴からポロリ、と落ちる。それに気付いた海がそれを指で摘まんで、躊躇いもなく自分の口に入れる。これはいつもの事だ。よく二人は私が食べきれないものや口に付いたものを平気で食べる。
たまに私は幼児か、と思うが、気にしていたらキリがない。
そして新しい食べ物を海が私の口元に持ってくる。遠慮なくそれを突っつくが、彼らが私を探し続けてくれた年数に胸が熱くなると同時に申し訳なさが溢れる。
「公園のあの大木の元に行って、きっとこの木が関係あるんじゃないかと陸が言い出したんだ」
あ、あの私の足が引っ掛かった大木ね。
「で、陸がいきなりその大木を殴り付けてね」
愉しそうに海がそう言った。
『ん?』
なんか不穏な言葉を言ったぞ。
「茉白を返せ!と陸が怒鳴り付けながら、大木を殴りつつ蹴り飛ばしていたよ。あ、でも、大丈夫。深夜に行ったから、周囲に誰もいなかったし、あの公園、大木のせいで不気味だからか夜は誰も近寄らないから」
何が大丈夫なのか?
聞き間違いではない、やらかしてる、この二人。
まともに見れば、気が触れた人間に見えたことだろう。
「まあしばらく陸の好きにさせてたら、どっかから声が聞こえてね」
好きにさせてたんだ。相変わらずだなぁ、海。
陸もストレス発散のためにやってない?
『声が聞こえた?』
ゾワッとして海に聞き返すと、彼は頷く。
「そう、始めは気のせいと思ったんだけど、そのうちハッキリ聞こえてきてね、あ、これこの大木が話してる?て感じになって陸を止めたんだ」
え?普通、誰もいない夜中の公園で声が聞こえてきたら、心霊現象疑わない?
幽霊、って考えず、大木が話しかけてるって思うなんて、冷静に判断しすぎる。
海らしいっていったら海らしいけど。
「話を聞くと、この公園の大木は異世界に通じる『道』になっているらしく、『還り人』と呼ばれる人を在るべき場所へと戻す役割をしているんだって。で、陸が問い質すと、少し前に一人還り人を送ったって言うじゃないか」
『と、問い質す??木に?』
話す大木すら怪しいのに、尋ねる……いや問い質すなんて、陸の事だから穏便そうじゃなさそう……。
「陸がちょうどライターを持っててね。燃やすぞ、って言ったら、出し渋り始めてた大木が素直になってね」
面白そうに笑う海が悪魔のように見える。
『それは問い質すんじゃなくて、脅すって言うんだよ』
相変わらず過ぎて呆れて言うと、海はふふふとまた笑う。
「人間じゃないから、ノーカウント」
『いやいやいや……』
人間だろうとなかろうと、やってることは脅しだ。
それに気にした風もなく海は話を続ける。
「陸が火をチラつかせながら聞くと、茉白の特徴に当てはまる人物像だったから確信してね。異世界に行ったって」
『え?特徴?そんなのあった?私』
平々凡々な容姿の私に特筆するものはないような。
服装も誰もが着そうな普通のニットにスカートだし。
「俺達が茉白のその日の服装と、茉白の可愛さを知らないわけないじゃないか」
その日の服装って……。まさかそんなの把握してるの!?
あまりの衝撃に、また嘴に挟んだ食べ物をポロリと落ちる。それもまた海に拾われて彼が食べる。
「ちゃんと身体的特徴も大木に聞いたら一致していたしね」
『そ、そうなんだ』
もう、これを聞き返すと危険な、これ以上踏み込んではいけない気配を感じ、口を噤んだ。
「で、俺達もそちらの世界に行かせてくれ、と交渉した」
何だか『交渉』の意味が違う様に聞こえるのは気のせいかなー。
暴行に加え、脅しときたから、脅迫じゃないかな、コレ。
「大木と陸と俺で小一時間位は話し合ったかな。まあ、なかなか向こう側の神が折れてくれなくて、最終的に俺達があっちの世界で存在しなくなるのを条件に、この世界に転生させて貰うことになったんだ」
『え?』
今、海は【存在しなくなる】と言った?
私の場合は行方不明扱いになって、そのうちフェイドアウトするかのように記憶が薄れていくらしいけど、海達は存在しなくなる……の?
還り人は、元々この世界の住人だったと言うことで、アフターフォローが施されるそうだ。私を知っている人達には深い哀しみが襲わないように、徐々に浸透してその気持ちが曖昧になっていくらしい。ミゲル神官長曰く。
でも、海達は存在すらしなくなるの?
『そ、そんなことって……』
胸の痛みと共に愕然と海を見上げると、彼は気にした風もなく、泰然と微笑んでいる。私を手の平に乗せると、嘴に唇を寄せた。ちょん、と軽くキスをされると何故か嬉しそうに笑う。
「大丈夫だよ。両親には直前に電話で話をして、ちゃんと茉白を見つけて守ってこいって言われたから。後悔はないよ、俺も陸も」
また唇を寄せられて何度もバードキスを贈られる。
「俺達のために心を痛めてくれてありがとう。茉白なら俺達以上に哀しんで親身になってくれるのも分かってた。でも、茉白のいない世界にいても俺達は存在している意味がないんだ。だからあちらで俺達の存在が消されても、茉白のいるこの世界で共に存在出来ることの方に意味がある」
その言葉にまた涙が溢れ出てくる。
泣いているのに、海はそんな私を見て幸せそうに微笑を浮かべるのだ。
「両親は俺達が茉白を探すことも分かっていたし、君の側にいることを誰よりも望んでいることも知っている。兄弟達も納得するさ、と父さんは言ってたしね。母さんも茉白が一人で寂しくしていないか心配していたよ。だからせめて俺達が側にいてあげなさい、って。こちらは大丈夫だから気に病むなと言ってたよ」
拓海おじさん、彩姫さん……。
親のように私を慈しんでくれた二人が、私が気にすることを分かって向けられた言葉に胸がいっぱいになる。
「辛くはない理由の一つは、この世界の神様の慈悲で前の世界で存在していた時の記憶を残してくれたんだ。茉白と共に過ごした想い出も、家族との記憶も残っている。だから寂しくないよ」
両手で私を包み頬に寄せると少しの間彼は沈黙する。
「だから茉白、これからは一緒にいよう」
まるでプロポーズをするかのように海は言う。
日本での全てを捨てて、私のためだけにこの世界に生まれ変わってきてくれた二人。
これ程の無償の愛があるだろうか。
二人の家族の事を思うと申し訳なさと、悲しみが胸を刺すが、それと同時に悦びが溢れ出る。
右も左も分からない世界で、たった一人という感覚はあった。誰も私の事を理解できない、と。
でも、この世界で生きていかなければならないなら、楽しく、悔いのないように生きていたかった。
苦しめられている訳でもない、生活面では恵まれていた。だから自分が少しでも楽しみを見出だせるように、前向きに日々を過ごしてきたつもりだ。
これまでいろいろあったけど、アッシュもキーファもカイルアも、知り合ったばかりのルシア姉さんもジルさんも。みんな、私を助け優しくしてくれたし、導いてくれた。
特にツガイとしてアッシュは私を愛おしく慈しみ、大切にしてくれていた。
だから物足りない、ということはなかったのに……。
でも……心からは?
そう問いかけてしまえば、次から次へと疑問が湧く。
ツガイの意味も深く理解できていない自分が、果たしてアッシュのツガイのままでいて良いのだろうか?
海達の無償の愛を知ってしまった自分は、その想いの深さとツガイとして感じる想いの強さとが、あまりに釣り合っていないように感じた。
どちらかと言えば海達を想う気持ちの方が、アッシュを想う気持ちよりも深く強い。
当然、付き合いの深さによるものも大きいが、それだけではないと思う。
ラノベにあるような、ツガイ達が出会い運命的に惹かれ、愛し合う強い気持ちが分からないのだ。
初めてアッシュに会った時、何か惹かれるものを一瞬感じたものの、それ以降の彼の行動に驚きはした。しかし恋愛的な意味での気持ちを強く感じることは出来なかった。
まだ幼女だからと、体に引っ張られて気持ちが追い付かないだけなのかと思っていた。
ましてやツガイと云う概念のない日本で、小説での絵空事のようなことが自分の身に起こっている。
感覚的に掴めないのも仕方がないことだと考えていた。
今、海と再開し、その想いを聞いて感じるのは、心からの安堵と悦び。
海にハグをされてもキスをされても不快とも思わない。今までもあったことだが、拒否感はないのだ。
初めてのキスも日本にいた時に海にサラッとされている。
恋愛の定義に性的な接触を不快と感じなければ、恋愛対象となり得る。と聞いたことがある。
海にはそれを一切感じなかった。懐に入れられ大切にされているようで寧ろ嬉しかった。だからと言って恋人という関係になりたいと思うこともなかった。日本では中々ないが、御堂家の両親は結婚するまで海外に住んでいたため、あちらの風習を家族間でもよく行っていたたのもありスキンシップ過多だった。それに巻き込まれた私も、初めは羞恥心で悶えていたが十年以上交流があれば馴れてしまった。
学生の頃、海は友達以上恋人未満な感じだった。それが不満ではなく、海がいると陸もいたために三人一緒にいることが当たり前だったし、そんな考えすら起きず、楽しく過ごすことの方が大切だった。
仕事を始めてからは、学生時代ほど四六時中、常に一緒にはいられなくなり、一人で過ごすことの方が多かった。
外資系に勤めていた二人は海外にいることの方が多く、それでも休みで日本に戻ってくると会いに来てくれた。
たまの休みに海と一緒にいると、知り合いから海が恋人だと思われたことも一度や二度ではない。
恋人かと海に直接尋ねていた強者もいたが、否定をしていなかった。
特に告白されたわけでもないので、あの時は驚きはしたが、どこか優越感があったように思う。
だからと言って恋人になって欲しい、とまでは思わなかった。三人でワンセット、のようで、その方が気楽だった。
客観的に恋愛事を眺めるのと、自分が体験するのとでは意味合いが大きく違ってくる。
弟重視の家庭を見ていたからか、感情移入するのを避けてきた。期待をするとそれが外れた時に酷く落胆するのを幼少期に経験して以降、感情の振り幅を抑制してきた。
それは恋愛についても同じようにしてきた。周囲の話を聞いて、これは私には向かない、と。
そんな中で御堂家に会った。
自由に生きる彼らは眩しく、そんな彼らを見るのが楽しかった。出会ってからは何故か海と陸には特に気に入られ、それから一緒にいるようになった。
どうしても恋愛事には一線を引いてしまう自分には、それらは縁の無いことのように感じさえしていた。
他人事として楽しむ分にはいいのだ。
それが自分に置き換えられると、どうしても無意識に身構えてしまう。
それを知ってか知らずか海はそのラインを守ってくれていたように思う。
だから、私に過度に踏み込んではこなかった。
その距離が心地いいと感じていたからだ。
ホント、海は良く見ている、私自身を。
許されるギリギリを見極めてくるのだ。
だから、安堵と悦びを感じてしまう。
しかし、この世界にやって来て、ツガイ認定されている。アッシュと。
そして、婚約しているのだ。
まさか、海と再び会えるとは想像すらしていなかった。
だが、私とアッシュが婚約したことは、他の公爵家を通じて知られている筈だ。
海と陸の身分が高そうだと先程の話からは伺える。
だから私が婚約しているのは知っている筈なのだ。
それでも一緒にいよう、と云う意味は?
問い質そうと海を見上げる。
『……海。あのね……』
なに?と微笑みながら、海は首を傾げる。
よし、言うぞ、声を出そうとしたら、突然荒々しく扉を開ける音がしてビクッとしてしまった。
「ルカ!いるの?」
女性の大きな声が響く。
次にこちらに向かってくる足音が聞こえ、私達のいるダイニングに続く扉が開いた。
中に入ってきた女性は、スラリとした長身で、女性的なメリハリのある羨ましいボディをしていた。
体にピッタリと沿うアイボリーに近い色味の詰め襟の上着に下は黒褐色のパンツに膝丈の黒ブーツを履いていた。
ブルーグレーの艶々の髪を後ろで高く結い上げ、二重のハッキリとした大きな琥珀色の瞳は、海の手の平に乗る私に定められていた。
その瞳が潤むと一目散にこちらに近寄ってきた。
「ルカ!この子!」
まさか、まさかと思うが、この迫力美人は彼女なのか?
海は【ルカ】と呼ばれていた。こちらでの名前らしい。
面白そうに海は彼女に向かい頷くと、その手から奪うようにガシリと掴まれ拐われる。
『チーーー!』
驚きのあまり鳥声で叫んでしまう。
グリグリと痛いくらいに頬擦りされて羽根がもげそうだ。
これは確定だ。こんな強引さは彼女しかいない。
『り、りく!!い、痛いから!!』
離して欲しくて翼をバタバタさせると、漸く顔を離してくれた。だが、ガッチリと掴まれたままだ。
「茉白?茉白なのね」
嬉し泣き状態の陸にやや呆れながら頷くと、また頬擦りされそうになり翼で拒否を示す。
それにガーン、とした様子が表れた陸の顔に笑いそうになりながら、何とか体を捻りその手から逃れてテーブルの上に戻った。
『久しぶり、陸』
少し照れながら片方の翼を上げて挨拶をしてみる。
それに感激した陸にまた突進されそうになって、海の肩へ避難する。
その様子を笑いながら見ていた海に、横から嘴で頬をつついて抗議する。
『笑い事じゃないわよ、海。あまりの摩擦に羽根がもげるかと思ったんだから』
つつかれて擽ったそうに片目を閉じて笑うと、海は肩に乗った私を手の平へと移動させる。
その間に陸に椅子に座るように促してもいた。
「まあ、陸、座って落ち着きなよ。茉白は消えないから」
それに頷くと陸は向かいの椅子に座った。
そして改めてこちらに視線を向けた。
「ああ……。本当に茉白なんだね……」
深い安堵のような溜め息と共に、陸は両手で顔を覆った。
「見るまで信じなれなかったわ。これでやっとあのボケ大木と腹黒神を信じられた……」
またもや不穏な言葉で罵る陸に、海は苦笑する。
「今まで信じてなかったの?陸」
そう言われて陸はバッと顔を覆っていた手を外すと苛つきも顕に片肘をついて罵り始めた。
「当然よ!あのボケ大木のやつ、のらりくらりと言葉を濁して、知らないと言っていたのに、いざ弱点となる火を見るとベラベラ話し出すから、まずそこで信用度は落ちたわね。それにあの神!転生したら直ぐ会えるようなこと言っときながら、十年以上もタイムラグあるじゃん!」
はぁぁぁー!と大きな息を吐くと、近くにあった飲み物の入っているであろうグラスを持ち上げ、一気に飲み干す。
「こちらに転生してもう十八年よ!十八年!どれだけ待たせれば気が済むの!?あの腹黒神め!」
持ったままのグラスをグッと海に差し出すと、苦笑しつつグラスに追加の飲み物を注いだ。
それもまた一気に飲み干すと陸はダンッとグラスをテーブルに叩き下ろす。
それに驚いてピョン!と体が浮いてしまい、海の手の平に転がってしまう。
それを見た二人は可愛い!!という顔で私を覗き込んだ。
『もう!陸!物の扱いが荒い!びっくりするじゃないの!』
チーチーと怒りの声と共に翼が思わずバタバタしてしまうと、それに対してもこちらを蕩けるような微笑みを浮かべて眺めている。
『聞いてるの?陸!』
それにうんうんと陸は嬉しそうに頷いているが、反省している様子はない。
プリプリしてても、この姿では迫力もなく、陸はそんな私の頭を人差し指でゆっくり撫でる。
「聞いてるわ。茉白」
「陸、あまり撫ですぎると茉白にもげると怒られるぞ」
少しずつ撫でる速度が早くなってきたな、と思っていたら、そこはすかさず海が忠告を入れる。
ハッとした陸は撫でる手を名残惜しそうに離すと乗り出していた体を戻す。
「可愛すぎるわ、獣人の茉白バージョン。これ、シマエナガよね、海」
「そうだね。野生のシマエナガと色味が違うのは人型の色彩を受け継いでいるからだろうね。きっと髪はプラチナブロンドで、瞳は薄紅色かな?」
「わあ、きっと茉白だから可愛いわよね」
想像に想いを馳せている陸はニマニマと笑っている。
美女を台無しにする笑い方だ。
さっきの怒りは何処へやら、陸は機嫌が良さそうにしている。
先程から気になるワードが出てきていたので、二人に聞いてみた。
『腹黒神って、海も言っていた神様のこと?』
二人の注目をこちらに集めると、尋ねたワードのせいか、陸は機嫌が下降しだしていた。
「そうだね、同一の神を指しているよ」
『この世界に神様がいるんだ』
神殿があるのだから、当然神が存在していることに今更ながら気付かされた。
「あの腹黒神は、私達がちょうど転生する周期を狙って、これから現れ始める魔障と異世界から現れる巫女と戦士をサポートしろって言ってたわ」
ん?異世界から現れる巫女?
戦士??
オマケに魔障??
なんだ、この聞き覚えのあるワードは。
ラノベのあるあるに近いフラグが立ってきたぞ。
この世界、まさか何かラノベの異世界転移ものか、乙女ゲームの原作世界っていうのじゃないよね……。
ただでさえ自分の異世界の事情も希少ものなのに、そこに更にややこしくしそうな、お話ぶっ混んでくるの?
か、勘弁してよ。
ただでさえ、獣人になりたてで、まだ人型にも戻れず、そして魔力の扱いが分からない始末。
「一応、サラッと神様にあらすじを聞いたけど、何だか納得いかないところが多々あったね。まあ、茉白に会うための些末な事だから、程ほどにこなすよ」
「同じく。私も適当にあしらうことにするわ」
何だか二人が不穏な空気を醸し出しているし、【あらすじ】なんてワード、確実にラノベフラグ(もしくは乙女ゲーフラグ)立ってるじゃない!!
海と陸がその話の登場人物のようなニュアンスで話しているけど、さっぱり原作が分からない!
あれだけ異世界転生、転移もののラノベ読み漁っていたのに、全く予想がつかない!
自分の状況的にはシリアスなのに、シリアス展開に持っていけない!この荒波はなんなのよー!
海と陸のキャラのせい?
いやいや、そもそもその原作がそんなノリなの??
こんなコンパクトサイズな私では、話の登場人物にすらなれない気がする。
もはやモブのような気すらしてきた……。
だから思い当たらないのかな??
うーんと唸りながら海の手の平でゴロゴロしていると、擽ったそうに笑った海が私の動きを止めさせた。
「楽しそうに転がっているところ申し訳ないけど、茉白、ご飯をちゃんと食べてゆっくり休もう。もう夜が更けてきたから続きは明日にしようか」
「そうね。私もお腹透いたから一緒に食べていい?」
「たくさん作ったから、どうぞ。陸もどうせ泊まっていくでしょ?」
「もちろん。今日は三人で寝ようね」
どんどんと二人で話を進めていくのを傍目にみながら、夜、という言葉に回りが暗くなっているのを知った。
知らぬ間に海が部屋の明かりを灯していたようで、全く気付かなかった。
その後、三人で食卓を囲むと昔に戻ったかのようで楽しかった。
いろいろ起き過ぎた一日はとても濃い日だった。
ルシア姉さんが心配しているのは分かっていたが、連絡をするのを忘れるくらい疲れていたようで、ご飯を食べたら眠気が強くなり、うつらうつらと船を漕ぐ。
そうしたらお風呂は陸がお世話をしてくれて、あっという間にベッドの住人となり、そのまま深く眠りについてしまったのだった。




