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宗教的に瘴気は穢れであり、魔獣は邪悪とされている。
なので、人が瘴気を発するという考えは受け入れられない。それらは現在ある常識を覆し、神殿の教えの根幹に真っ向から対立すると受け取られかねない。邪悪であると認定されかねなかった。
だから、仮定ではあっても、瘴気を取り込む薬草を育てているということは口外しなかった。
同時に、魔獣への対抗策として飛竜が必要不可欠であったため、彼らが「特別な薬草」を欲しがるということも伏せられた。
飛竜はある程度の瘴気を摂取する。必要だからだ。その考え方は、宗教的に不都合だった。
ウィングフィールドに、神殿の長である大聖教司が訪ねて来た。エルドレッドの王妃の要請に応じ、即座に遣わされた遣外使節団の中に混じっていたのだ。
「わたしはほら吹きで大口叩きとも言われていましてね」
迅速に動いた大聖教司は、そんな風にうそぶいたものだ。
「久しぶりですね」
「本当に。叔父上さまもご壮健でなによりですわ」
単に愛する姪に会いたかったのではないかと思うほど、抱き締める時間は長かった。
しかし、王妃の方がそろそろ時間切れである。到着した翌日に大聖教司に連絡を取ったとはいえ、玉座を空にし続けることはよろしくない。王妃を伴わなければ国王は梃子でも動かないのだから。
王妃という伝手を得て、神殿へ働きかけることができるとあって、カールを始めとするウィングフィールドの面々は腹を括った。
新事業を手掛けるに当たり、魔獣の素材を使用したというのはいずれ明るみに出る。芋づる式に薬草についても秘密が暴かれる。クラリスもオリアーナも、薬草について秘せよとは言われていない。ならばいっそ、初めからすべてを明らかにしてしまえば良い。広く知らしめればもはやそれは秘密でもなんでもないのだから。
瘴気は狂気であり、凶器ですらあると言われるほど忌まれている。
だからそんな瘴気を人が発するというのはにわかに信じられないだろう。そしてそんなものを薬草が吸収することは禁忌とされたのだろう。それを王宮において、王室に連なる者たちがする。
瘴気をまとう魔獣を邪悪だとして敵対してきた神殿の長に、打ち立てた推論を述べたのはアスチアンだ。説明役に挙手し、それをみなが最も論理的に話すことができるのは彼をおいてほかにないと認めた。
「魔獣の住処、特に群れをつくる場所では瘴気が凝りやすいのだと聞きます。それと同じことが、王宮でも起こっているのではないかと愚考します」
アスチアンがそう結ぶと、大聖教司は考え込む風を見せた。頭ごなしにそんなことはあるはずがないと切って捨てられなかっただけましである。
「人でありながら、その醜い行いから、瘴気を生んでしまっているのだと?」
「はい。そして、いいえでもあります。そもそも、瘴気にはさまざまな種類があるのではないでしょうか」
大聖教司の問いにアスチアンが答える。
「なるほど。魔獣が纏う瘴気は邪悪であるものの、人が病を得るものは必ずしもそうではないということですね」
話がすんなり通ったことに、カールとクラリス、オリアーナ、アスチアンは驚く。王妃は瘴気を人が発すると聞いたときから目を白黒させたが、ともかく口をつぐんで聞くことに徹していた。なお、この場には国王は同席していない。王妃と離れがたそうにしていたのを、オリアーナの言によって、クレイトン商会から接待を受けている。
「わたしも以前からそう考えていたのです。瘴気を得た人はもっと凶暴にならなければおかしいでしょう?」
「ああ、そうかもしれません」
「瘴気にも軽重があるのかもしれないと思っていましたが、そもそもまったく別物なのかもしれません」
そして、飛竜が欲するのは人が発する方の霊的な気体だ。
「そうなると、王宮で薬草を育てていたのも、瘴気を吸い取らせることで浄化を求めたのかもしれませんね」
そうやって王宮に集まる凝ったものを清浄化するために、王族として生まれてきた王女たちに薬草を育てることを義務付けた。
高貴な人物たちだからこそ、防衛に必要不可欠なことを担ったのだ。だが、それも時代とともに形骸化する。
大聖教司は素晴らしく聡明で、長年瘴気について研究をしてきたアスチアンでさえ、目からうろこが落ちる思いだった。
「それで、辺境伯夫人が王女殿下であらせられる時分には薬草を育てておられたのですね」
「はい」
クラリスは他にすることがなかった。
それだけが王女としての役目であり、その場にいる資格であり、意味であった。けれど、それこそが王室に連なるものとして必要とされていることだった。
人が集う王都では瘴気が集まるというのは好ましくないことなので、秘密にするほかない。
話をしているうちに、クラリスは、だんだん、自分の心の中を突き詰めていく。
会ったこともない父に謝罪され、受け入れた。みなで力を合わせて大きなことを成し遂げた。
なのに今、まだ時折、胸の奥から沸き起こることがある。
クラリスが言葉を詰まらせると、大聖教司がやさしくその手を取って、逆の手でそっと叩いた。
「無理に許さなくて良いのですよ」
神殿は宗教であるからこそ、他者の罪を許せというものだと思っていた。なのに、大聖教司は真っ向から反することを言う。
「ですが、謝罪を受け入れました。ウィングフィールドの新事業に関して協力してくださるとのことですから、本当に感謝していますのよ」
その言葉は嘘ではない。心からそう思っている。
「そうですね。それでも、許さなくていいのです。その時のあなたが感じていたことを否定しなくてもいいのです。そしてその上で、気持ちが変化するのもまた、否定しなくてもいいのですよ」
温かい言葉が心に染み入り、クラリスは目を潤ませる。
謝罪を受け取っても、クラリスが強いられたことはなかったことにはならない。過去に戻って行いを正すことはできないのだから。
謝ったら終わり、ではないのだ。
とうとうしゃくりあげ始めたクラリスに、カールが寄り添う。もう添い遂げて六年も経つが、子供のような様子に、初対面のころを思い出す。ひっそりとして誰もいない薬草園でひとりせっせと働いていた痩せっぽっちの王女だ。
スザンナを始めとする者たちは、クラリスの深い悲しみと心に刻みつけられた傷を思う。それでも、カールがいれば大丈夫だと思えた。そして、自分たちもまた、彼女を折に触れて支えようと考えるのだった。
クラリスが落ち着いた後、王妃は言った。
「要は、神殿の教理に抵触しなければ良いのです」
みなが一斉に彼女を見た。
人も魔獣と同じ瘴気を持つという考えは、社会秩序を破壊するものだった。
「人も質は違えど瘴気を持ち得る。ですから、魔獣を寄せ付けないために、「瘴気」から遠ざかるよう、清く正しく生きることを教えるのです」
そうして、「瘴気」を持たないように、「善をなす」善人として生きる、という教義を生み出すのだ。まさしく、神殿の教理に抵触しない。
「なるほど」
大聖教司が唸るように声を絞り出す。
それは人が群れで生きる上で、有用な考えであった。
「そういうものであれば、神殿も採択しやすい」
そして、為政者も取り入れやすい。つまりは管理者側に受け入れやすい考えだ。
この卓越した政治的思考を持つ王妃がこの時代、この国に在ったことは類まれなる僥倖であったと言えよう。
大聖教司はこの考えを持ち帰り、神殿の各重鎮たちに意見を求め、諄々と説いて聞かせた。
しばらく後に、エルドレッドだけでなくほかの地域にも広まる。
「人は瘴気を発することがある。悪心に負けず、善をなせ」と。その瘴気は魔物が纏うものとは一線を画すのだと。
人はひとりでは生きてはいけない。群れをなすにはルールが必要だ。それに反さず、調和を求める教理は人々に受け入れられた。




