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現国王はオリアーナの甥であり、クラリスの父でもある。
クラリスがいないもの扱いされていたと聞き、オリアーナは眉をひそめた。彼女がまだ王宮にいたころ、甥とは言葉をかわしている。宮廷の花と称され妍を競っていたオリアーナに少しばかり気後れする風を見せる少年であった。
そして、香調を手伝ううちに、不快どころか嫌悪に近い感情に育っていた。良い母であり、麗しい妻であり、飛竜たちの癒しであるクラリスは、オリアーナの可愛い孫嫁ともなったのである。飛竜に愛される子供をウィングフィールドが得たのは、飛竜に子を持ちたいと思わせたのは、クラリスのお陰である。
オリアーナは宮廷で過ごした手法を操って、こらしめてやることにした。
伝手を駆使して、王妃に連絡を取ったのだ。
国王は歳の離れた王妃をこよなく愛している。
オリアーナが事情を調べたところ、王妃を愛しすぎるがあまり、国王は妻が懐妊する期間、彼女に負担をかけぬように別で欲を吐き出した。その際、手を付けた侍女がクラリスの母親だ。国王は王妃には知られないように徹底的に緘口令を敷いた。徹底するがあまり、クラリスは隠され、いないもの扱いされるに至る。
オリアーナはそれを盾に、王妃にウィングフィールドへの来駕を願った。友人たちが口添えしてくれたことも手伝って、王妃からは快諾の返事が届いた。同時に、王宮からも国王夫妻がウィングフィールドに御幸する連絡が入った。カールたちは仰天して事の次第を聞きにオリアーナの離宮を再訪した。オリアーナのひそやかな企みによって驚かせることに成功したのだ。
オリアーナが予想した通り、王妃ひとりで魔の森近くの辺境へ向かわせる筈もなく、国王が同行する。
オリアーナのアドバイスを受けながら、ウィングフィールドは歓迎のための準備を整えた。
カントリーハウスはもちろん、街も隅々まで磨き抜かれる。街道の警備が強化され、点在する水場の補修が行われた。
居室を整え、宝物庫から高価な装飾品を引っ張り出して飾り、料理のメニューに頭を悩ませる。ここでも当然のようにオリアーナは意見を求められ、今や使用人にも頼りにされている。
貴族たちもそわそわとし、なにかにつけてカントリーハウスに顔を出そうとし、入城を断られた。
仕立ては良いがそう華美ではない馬車に、凛々しい騎馬隊が護衛について、国王夫妻一行はウィングフィールドへやって来た。辺境では野を掛ける獣ですら手ごわいと警戒を高めていた様子だが、拍子抜けした様子を見せた。
まさか、自分の代で国王の来駕を受けるとは思いもよらなかったカールはだが、立派に立ち振る舞った。ふだんから瘴気渦巻く魔の森へ挑む胆力の持ち主である。クラリスの出産時の方がよほど恐ろしかった。
六十歳を迎えた国王は恰幅の良く穏やかそうで、育ちの良さが如実に表れていた。娘のクラリスは二十四歳、カールは三十歳になろうとしている。
国王が愛してやまない王妃はとてもうつくしく、スザンナよりもいくつか年上だ。そのせいか、晩餐の席では話が弾んだ。
スザンナが男の子ばかり、しかも辺境伯家門の男子はみな竜騎士となるのだから、武骨で仕方がないと言えば、オリアーナは自分の夫に比べればまだまだだと言うのを、王妃は楽し気に聞いた。
「ウィングフィールド辺境伯は武力の要と称される所以ですわね」
「今代の辺境伯も若いながら見事に防衛を務めている」
王妃がにこやかに言えば、国王も頷く。
「ありがとうございます」
カールは目線を下げ、栄誉に預かる。
「オリアーナさまはエルドレッドの花と称されておられるのが分かりますわ」
今でも時折オリアーナの名は宮廷でも挙がるのだと王妃が言う。
「一度お会いして見たかったのです。今回はご連絡をいただけてとてもうれしゅうございました」
「まさしく、叔母上はエルドレッドの永久花であらせられる」
嬉しげに微笑む王妃に、国王も機嫌が良さそうに言う。しかし、オリアーナは手厳しかった。
「永久花は乾燥させますものね。しなびたわたくしに似つかわしいものですわ」
永久花は色や花姿をそのままで維持するため、乾燥させる。つまりは姿は変わりないものの、水分を失わさせるのだ。称賛を逆手に、嫌味として受け取って見せた。
国王は青ざめ、慌てて言いつくろうが、対するオリアーナは冷淡なものだ。
聡明な王妃はオリアーナの意図を正確に読み取った。
晩餐を終え、サロンに移って食後の茶を喫する。
王妃はクラリスが辺境伯に輿入れするときにようやく隠された王女の存在を知ったのだと話した。
「わたくし、陛下とそのとき初めて夫婦喧嘩をしましたの」
「「まあ」」
クラリスとスザンナの声が揃う。カールたち三兄弟は言葉が見つからず、ひたすらかしこまっていた。ヘレナとローラは礼儀正しく沈黙を守る。
国王は慌てて、愛するからこそ、秘密にしたのだと王妃に言い訳する。
「あなたを傷つけたくなかったのだ」
「わたくしにはそうでしょうけれど、あまりにも情のない仕打ちですわ」
いくら愛しているからと言って、知らないうちに、他者の不幸の上に成り立つ幸せを甘受させられていたのだ。
「初婚というのに晩婚だったから、こじらせてしまったのですわね」
オリアーナのきつい一撃をくらって国王は詰まる。
前国王の妹である叔母と現国王は八歳差であるが、いまでもその差は縮まっていないということが露呈する。
カールは複雑な心境だった。聞けば、クラリスは今日が初めての父との対面だという。
クラリスを妻にと奏上した際、なかなか許可が下りなかったのは、王妃に秘密にしたいがためだったのだと合点がいく。しかし、辺境伯に降嫁が義務付けられているのと同じく、辺境伯の妻の選定はおいそれと断ることができない。
国王の伏せておきたい事実が、自分の申し出によって露見してしまったと聞いて、カールは微妙な心持ちになる。
クラリスが不遇にあったことは許し難い。けれど、そのお陰で王女でありながら手ずから薬草を育て、飛竜たちに多大な影響を与え、新事業を立ち上げるきっかけとなったのだ。
「ですから、わたくしが娘に謝る機会を作りましょうと陛下と殿下それぞれに手紙を差し上げましたの」
国王にのみ送れば握りつぶされるから、王妃にも送ったのだという。あまりな言い様に、国王が渋面となる。
「叔母上」
「あら、違って? こうして直面すればしおらしいけれど、遠く離れた王宮にあれば、知らぬ顔をしたでしょう」
国王はようやっとなぜオリアーナの当たりがきついのかを悟った。そして、彼は愚鈍ではなかった。事態を打開するにはどうすれば良いか分かっていた。なにより、愛する王妃に愛想を尽かされないためにどうすべきか、熟知していた。
国王は立ちあがってクラリスの前に進み出た。クラリスも席を立つ。
「すまなかった」
簡潔な言葉が、クラリスの胸に染み入る。カールと出会ってから、ひっそりと沈殿していたものたちが動き出した。徐々に大きなうねりとなって、どんどんいろんなものが加わって、予想もしない境地に至った。
「はい。陛下の謝罪、しかと受け取りました」
クラリスは声が震えるのをなんとかこらえた。
初めて会う国王は、当然のことながら、クラリスにとっては父には思えなかった。カールはそれで良いと言った。
「我がウィングフィールド家でも父か祖父がいれば良かったのでしょうが」
「いいえ、お義母さまやお義祖母さまがおられますもの」
カールの気遣う言葉だけで十分だった。
クラリスがウィングフィールドへやって来た後、母は王宮を出て、十分な恩賞を得てのどかな場所でのんびり暮らしているのだという。
王宮の侍女だった母はなまじ、子供ができてしまったから、そしてその子が王女だったから、王宮に留まらざるを得なかったのだ。王女はすべからく薬草を育てるべきとされていたから。
母は控えめな人で、国王の寵愛を得ようなど最初から最後まで思わなかったに違いない。今、穏やかに過ごせているのなら、それで良かったと思う。
「義母上もそのうち招待しよう。サイラスと会っていただこう」
「はい」
カールがそう言うのに有り難く思いながらクラリスは頷いた。忙しさにかまけて出産したことを手紙に書いた切りである。
「まあ、ぜひそうしていただきましょう」
「歓迎しますわ」
スザンナが顔を輝かせ、オリアーナが言う。それが自身への当てこすりなのだと知り、国王だけが苦い顔をしながら茶を飲むのだった。




