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最近、ウィングフィールドの社交でまことしやかに噂されていることがある。
「お聞きになりまして?」
「もちろんよ」
「先々代辺境伯と言えば、歴代の辺境伯の中でももっとも武功高き武将」
「それだけに少々武骨なきらいがある方と、」
「高貴な貴婦人との恋!」
要は熊のようないかつい大男とたおやかな美女との燃えるような恋愛話に沸きあがったのだ。
王都から離れたウィングフィールドの貴族たちは雅なことに目がない。その憧れの的が王都の華やかさなのだ。
その象徴とも言えるのが王族である。その王女たちが何代かに一度、辺境伯に降嫁する。当然のことながら、ウィングフィールドの貴族たちの尊崇の的となった。
ところが、まさしく雅やかな貴婦人である先々代の辺境伯夫人は離宮に籠って姿を現さなくなった。すぐ傍にいるのに欲してもなかなか満たされない状態だった。そこへ、麗しい恋物語の噂が流れる。貴族たちはこぞって飛びついた。元王女がウィングフィールドの貴族の頂点とも言える者に恋心を抱いたというのも自尊心を満足させる。
そんな社交界で、先代辺境伯夫人がこう発言した。
「みなさま、実は我が辺境伯家では今度、新事業を手掛けますの。王都へ向けて大々的な販路を得ようと思いますのよ。その準備のために、先々代辺境伯夫人オリアーナさまのご協力を得ておりますの」
それは落雷にも似た衝撃を貴族たちに与えた。
「ス、スザンナさま、それは一体どういうことですか?!」
「詳しくお聞かせくださいませ!」
スザンナの思惑通り、ウィングフィールドの貴族たちは新事業に興味を持ち、出資者として続々と名乗りを挙げた。
「オリアーナさまがクラリスさまと手を取り合って!」
「クラリスさまと言えば、イーズテイルさまを初めとする飛竜たちに愛される辺境伯夫人だ」
「御子さまのサイラスさまもまた飛竜たちに愛されるという」
「辺境伯夫妻の御子さまを見て、飛竜たちは番を作り、卵を孕んだそうではないか」
オリアーナという隠れた憧憬の的が現れたことから、ウィングフィールドの貴族たちは一気に辺境伯側についた。
「魔獣の素材を改良化するなどとは! 我らが辺境の地に住む者にふさわしい事業だ!」
そう、辺境に住む貴族たちが身に付けないものを、ほかの地で売りに出しても説得力に欠けるのである。
オリアーナと言えば、事前に聞いていたものの、やはり間近で飛竜を見て度肝を抜かれた。しかし、クラリスやサイラスに非常に丁寧に接するのを見て安堵した。
「だあ、だあ」
「ギュワ、ギュワ」
「本当に会話をしているみたいですわね」
「不思議なものですわ」
赤ん坊のサイラスがゆりかごをやさしく揺らされてきゃっきゃとはしゃいだり、怖ろしい牙を隠している口元をてちてちと叩いたら飛竜がぶふんと漏らした鼻息に、きょとんとした後、けらけら笑い出したりするのを見て、オリアーナもみなと同じように口元を緩めた。
離宮とカントリーハウスを往復する時間がもったいなく思い始めたオリアーナに、スザンナとカールが部屋を用意した。
面白いことに、オリアーナの侍女たちまでもが活性化し、活き活きと動き出した。オリアーナの指示に従ってきびきび働く。
花によっては繊細な扱いを要し、朝の限られた開花時間のうちに摘み取る作業をしなければならないものもある。
「わたくし、朝に強いのですわ。この収穫の作業を終えたら本日の仕事は終わったことにしましょうと奥さまがおっしゃってくださいましたの」
祖母の侍女はそう言って張り切って仕事に勤しんだ。
クラリスとオリアーナを中心とし、香りの選定は進んだ。スザンナは貴族たちの間に入って絶妙な緩衝術を見せる。三代にわたる辺境伯夫人らが力を合わせて行った。
水蒸気を利用した蒸留は古くから用いられた方法だ。精油のほとんどが水蒸気で分離できる。
熱水蒸留法では材料となる植物を水と混ぜてよくかき混ぜる。これを蒸留器に入れて沸騰させる。
水蒸気蒸留法では、植物に下から蒸気を吹きかける。
冷浸法は、油脂に花の芳香成分を溶解させる。
臭いを取り除いた固形の動物性油脂に香料植物の素材を置いて香気成分を溶解させ、エタノールで精油のみを油脂から抽出し、分離する。ここからエタノールを蒸発させて除去する。これが香料である。
熱による変質のない非常に高品質な精油が得られる冷浸法は、ジャスミンや月下香など、摘み取った後も香りを失わない花に用いられる。
「干し草の香りね」
「少し甘すぎるかしら」
「フレッシュね!」
思わず、といった態でオリアーナが破顔する。
クラリスを初めとする居合わせた者たちは悟った。
ついに。
「この香りでしたら、エルドレッドだけでなく、ほかの国でも好まれるでしょう」
歓声が上がった。
「ありがとうございます、ありがとうございます」
クラリスはオリアーナの手を握りしめて礼を繰り返す。
その後、新鮮でさわやかな香気や果実を思わせる香気、清涼感を与える香気、刺激的な香気、甘く華やかな香気といった様々なバリエーションを生み出した。
調香はひと段落ついたとばかりに、オリアーナは離宮へ戻った。
貴婦人の中の貴婦人と称されただけはある上品なオリアーナを慕いつつも、身が引き締まる思いでいたカールを初めとする家族、特にスザンナは彼女を引き留めた。カールの弟たちやその配偶者たちも今ではすっかり打ち解けている。
「あの方がわたくしのために建ててくださった宮がわたくしの居場所ですもの」
そう言われれば言い募ることはできない。躱しようもなんとも鮮やかなものである。
ところが、そう時間を経ずに、カールとクラリス、スザンナはオリアーナを訪ねて再び離宮へ訪れることになった。
「どういうことでしょうか?」
当惑する一行を代表してカールが言うと、オリアーナは悪戯が上手くいったとばかりに笑った。そんな表情も魅力的なのだから、本当に侮れない婦人である。
「それはね、わたくしが方々へ出した手紙のことですの」
子供を見せる際、クラリスが腹を割って話し、かきくどいたことで、オリアーナの心情も知ったし、協力してもらうことができた。そして、オリアーナが手紙を書き送ったことで、王都の貴族たちの好みの傾向を掴むことができたのだ。
「それは存じていますが、」
オリアーナの名はまだ覚えられているようで、久々の便りを懐かしみ、多くの者が協力してくれたという。
そして、オリアーナは実に様々な者に連絡を取ったのだ。
「まさか、そんな御方までもが、」
「しかも、こちらへいらっしゃるなどとは」
相手が相手だ。
オリアーナが王都の知り合いたちに手紙を書いたのは、流向傾向を掴むためだとばかり思っていた。
「初めはそうでしたわ」
しかし、カールとクラリスの熱意に打たれ、スザンナに発破をかけられ、俄然やる気になったのだという。ウィングフィールドのためにというのもあった。先々代辺境伯である夫もきっとそれを望んだことだろう。今までずっと遠ざかっていたけれど、孫や嫁たちと手を携えてなにかをしてみるのも良いかもしれないと考え直したのだ。
「久しぶりの文のやり取りは、それはそれは楽しいものでしたわ」
旧友たちは久しぶりの便りを喜び、すぐに返事が届いた。ウィングフィールドという僻地で案外楽しく過ごしていると知って安堵した風である。そして、文のやり取りは続いた。
「クラリスといっしょにあれこれしたのが楽しくてね」
オリアーナの旧友たちは彼女がなにをしているのか知りたがった。
「ですから、思わせぶりにあれこれ書いてみましたのよ」
そうしたところ、ウィングフィールドの新事業の商品をぜひとも手に入れたいという返事があったのだという。
「クレイトン商会ともよく話し合うと良いですわ」
オリアーナは高位貴族が仲立ちしてくれるという王都での販路を持つ商会をいくつも挙げた。オリアーナはカールたちが悩んでいた流行りの傾向だけでなく、販路の確保まで手を回してくれたのだ。
そして、ウィングフィールドに嫁してなお、それほどの影響力を持つことに舌を巻く。
「ありがとうございます」
「これで、足がかりができましたわね」
喜ぶカールとクラリスを他所に、スザンナがきらりと目を輝かせる。
「けれど、それらはみな、この国で最も高貴なお方に召してもらうことでお披露目をしてからにしましょう」
オリアーナが我が意を得たりとばかりに満足げに頷いた。
「お義母さまがせっかく王妃殿下にお取次ぎしてくださったのですもの。我らがウィングフィールド一同、誠心誠意、国王陛下と王妃殿下をお迎えしますわ」
まさか、国王夫妻がウィングフィールドを訪ねてくるなどとは想像だにしなかった。だが、不測の事態に対する心構えを持つのは辺境に住む者の常だ。腹を据えてこの絶好の機会をものにしようと頷き合った。
「ギュギュワ? ギュワギュワ?(サイラス、大きくなった? もうすぐ僕の背に乗れる?)」
「ギュワギュワ!(僕の背中に乗るんだよ!)」
「ギュワギュワ(わたしでもいいわよ)」




