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蒸留器とは、管で接続されたふたつの容器のことだ。
加熱する方の容器を蒸留瓶、その上にかぶせる管のついた蓋をアランビックと言うのだが、それら一式を蒸留器と称する。
蓋の形が様々なもの、管が長いもの、短いものなど、形状にはバリエーションがある。
香料植物を混ぜた液体がククルビット内部で加熱され沸騰する。そこから発生した蒸気が蒸留器へ上昇して管の部分で冷却され、もう一方の容器の中に下降する。
これを熱水蒸留法という。
対して、水蒸気蒸留法は、植物に下から蒸気を吹きかける。精油の製造で主に利用されるのはこの方法である。
熱水蒸留法や水蒸気蒸留法では、精油成分を含む蒸気は蒸留器上部から伸びる水冷管で冷却し、精油と水蒸気は別の容器に集められる。
精油は疎水性であるため、水と分離している。
クラリスはみんなでいっしょにいろいろ試行錯誤をするのが楽しくて、つい自身の体力を鑑みず励んだ。
「あ、」
めまいを感じ、たたらを踏み、気が遠くなる。
「クラリス!」
「誰か、医師を!」
楽しそうにくるくると動き回っているものだから、周囲もうっかり彼女の疲労度を見誤った。
倒れたクラリスをカールをはじめとするみなが心配した。そして、クラリスの「大丈夫」は信用されなかった。
「体調がよくなったら再開しましょう」
「それまではほかの者でできることをしておきます」
「クラリスさまは本を読んだり刺繡をしたりしましょう」
「ギュワ」
イーズテイルまでもが窓から顔を出してお見舞いにやって来るものだから、クラリスはおとなしくベッドにいることにした。
なお、クィンもやって来て口に咥えた薬草をくれた。
「良い香りね。クィンの好きな薬草ですわね」
「ギュワ」
そんな風にほのぼのした会話をする裏で、クィンの竜騎士マーティンが大慌てで彼女を探していた。母が不在の隙をついてクィルターがいたずらし放題で、ほかの竜騎士たちもてんやわんやだ。顛末を知ったオズワルドが腹を抱えて笑ったというのはカールから聞いた話だ。
その後、ようやっと許可が出たクラリスはこまめに休憩を取り、ほかの者の手を借りながら、実験を重ねた。
そうして、魔獣の素材に香り付けする試みは成功した。
「うん、いいんじゃないか?」
「頑丈で良い香りがする。こりゃあ、売れるぜ」
「ですが、長期間経てばまた悪臭を放つかもしれません。日向日陰、風が強い場所などいろんな環境で一定期間香りが保てるかの確認を行いましょう」
慎重なアスチアンの言葉に反発の声も上がったが、ローラの「貴族のみなさま方を対象にするのなら、品質の良いものを目指すべきですわ」という意見が取り入れられた。
「せっかくだから、いろんな香りをつけてみよう」
「ああ。選べた方が良いか」
「どの香りがどの程度香りがもつかも試してみましょう」
こうして、実に製品化にこぎつけるまでに六年の年月を要したのである。それまでには様々な困難があり、同時に喜びもあった。
クラリスが辺境伯領へ持ち込んだ土ごとの薬草たちのとなりに、香料植物も育てるようになっていた。
王宮から運び入れた薬草たちは当初は青々と育ったが、徐々に精彩を欠いていった。
「どうして、」
ウィングフィールドが取り組む事業は王宮から持ち込んだこの薬草が要だ。王宮にいたころは面倒だと思うときもたまにあったが、ほかにやることがなかったということと、なにかを育てるということは案外楽しいものでせっせと取り組んでいた。それが辺境へやって来て一変した。
この薬草こそが必要とされている。重要な役割を担うというのに、年が変わるごとに徐々に葉の大きさや張り、根の伸び具合が弱くなっている気がする。
蒼ざめるクラリスに、カールはアスチアンのほか、植物学者や農民を呼んで相談した。
「大丈夫ですよ。あなたひとりで背負う必要はない」
そう言って肩を抱いて微笑むカールに、クラリスはぎこちないながらもようやっと笑みを作ることができた。
アドバイスに従って他の土地の土を運び入れたり栄養剤を増やしたりしたところ、改善の兆しを見せている。
「みなさまのお陰ですわ」
涙ぐみながら、植物学者や農民の手を握って礼を言う辺境伯夫人に、大いに照れ、元王女であったというのにとても気さくな方だと周囲へ語った。
さらには、カールは近くの川から地下に水路を引き、階段式のテラスを作らせた。一番上に地下水を貯める池があり、陽光で温める。そしてその下に香料植物、一番下に薬草園を造り、上から水が下りて来て潤す。
「イーズテイル、水の代わりに肥料を撒いてくれ」
「ギュワ」
自動的に水撒きをする仕組みを作り、飛竜にはほかの仕事を任せ、クラリスの重労働を減らした。
「ありがとうございます」
「いいえ。わたしの妻は頑張りすぎるのだから、もっと早くに思いつくべきでした」
香料植物園からは甘い香りが漂ってくる。
バラ、ローズマリー、ジャスミン、セージ、ラベンダー、チューベローズ、ユリ、フリージア、アネモネといった様々な香料植物を取り寄せ植えている。
クラリスは夜中に目を覚まし、ふと思いついて香料植物園に向かった。
「これが、月下香」
夜になると白い花がいっそう強い香りを放つと聞き、せっかくだから嗅いでみようと思った。みなの心配する目があるものだから、クラリスは早寝を心掛けている。そのときは少しだけ、とこっそり抜け出した。
「クラリス?」
ランプの明かりの下、白い花に屈みこんでいたクラリスは背筋を伸ばした。この声だけは、夜の闇の中でも聞き間違えない。
「カールさま」
ずいぶん向こうの方から聞こえてきた気がしたが、いつの間にかすぐ傍にやって来たカールに、クラリスは白い花を指し示した。
「このチューベローズは別名「月下香」と言うのです。夜に強く香ると聞きましたので」
「それでベッドを抜け出したのですね」
そう言う声音はいたずらっぽく、咎める気配はない。
さあ、と風が吹いた。身を寄せ合う白い花々が揺れ、濃く甘い香りがまとわりつくように感じられた。
「ああ、確かに甘い香りがする」
言って、カールはクラリスを抱き寄せる。温かく厚みのある身体に触れ、クラリスはほっと安堵のため息をつく。いつからか、カールの腕の中で緊張することなく安心するようになっていた。
頭の上からカールの笑い交じりの声が降って来る。
「どんな花よりも、あなたこそが香しい」
かぐわしいとは好ましい香りがおだやかに匂うことのほかにも意味がある。心を引き付けられ魅力的だということだ。
カールがその思いを込めて言うも、クラリスは自分の匂いをかぎ取ろうとする。
「いろんな花の抽出をしておりますもの。日ごとに違いましてよ」
クラリスは自身の魅力を分かっていない。カールは苦笑してそっと細い顎に手を添え上向きにさせる。
「どんな香りも、あなたがまとえばこそですよ」
クラリスの様子をうかがいながらやさしく触れる。
顔を傾けて唇で唇に触れる。頬に手を添え、顔の角度を変えて、柔らかく挟む。息を吐きながら、どんどん深くなる。触れる速度が速くなる。そうするうちに感情が昇りつめ、官能が高まっていく。
たまらなく甘美な快感に突き動かされたカールはクラリスを抱き上げた。
唇を重ね合った後、カールに横抱きに抱き上げられたクラリスにはある予感があった。角度を変えて情熱的に求められ、いつもとは少し違う感じがしたのだ。そして、カールはクラリスといっしょに寝室へ向かった。クラリスのではなく、カールの部屋だ。
それ以降、ふたりの寝室はひとつになった。
「ギュワ、ギュワギュワ。ギュワァ。(クラリス、倒れちゃったんだって。大丈夫かなあ)」
「ギュワ、ギュワギュワ?(クラリス、具合はどう?)」
「ギュワ、ギュワ。ギュギュワ!(ママ、いない。チャーンス!)」
「ギュギュワギュワァ。(おー、うちの子は元気だなあ)」
「ギュワギュワギュワ。ギュワギュワ?(竜騎士たちがクィルターに振り回されている。まあ、良い訓練になるんじゃない?)」




