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瘴気抜きをした魔獣の素材に、こちらも瘴気を抜いた薬草から採った精油で香り付けするという試みは成功した。
クラリスは薬草の部位ごとに何度も蒸留し、蒸留液を分離し、精油を得た。それらを魔獣の素材に浸し乾かすということを繰り返した。
「ギュワ!」
「ええ、ほんのり良い香りがするわね」
「成功したな」
この試みを行うに当たり、カールの家族とウルフスタンの長に話して協力をもちかけた。試行錯誤するのに魔獣の素材はたくさん必要であり、解体といった作業もある。さらには、薬草の処方や香り付けの処置とやることは多くある。
カールとクラリスはまずスザンナに相談し、ライナスやルイスにも手伝ってもらうことにした。
「アスチアンの要請により、ウルフスタンにも協力してもらおうと思います」
「それが良いですわ。あの方たちほど魔獣の素材の扱いに長けた方はおられませんもの」
アスチアンが語った話を知らないスザンナは屈託なく笑った。
「商品化できましたら、ローラを通してクレイトン家に販売を任せても良いですわね」
ルイスの婚約者であるローラの実家は豪商である。王都との商取引も行っている。そのクレイトン家に依頼して、香料植物を取り寄せた。薬草を媒体にして、通常の香料植物で香りづけできないかというクラリスの案が取り入れられたのだ。
「失敗しても気にせずいろいろ試しましょう。なにがどう反応するかをひとつずつ確認していくのです」
アスチアンがそう言うので、クラリスは肩の力が自然と抜けた。そうなって初めて、自分が気負っていたことに気づいた。
カールと三男であるルイスが飛竜に乗って魔獣狩りをする間、次男のライナスとウルフスタンたちが魔獣の瘴気抜きと解体をする。そして、クラリスとアスチアンが作りだした精油を浸し、乾かすことを繰り返す。
ライナスは竜騎士でありながら飛竜を持たない。
カールになにかあった際、代わりにイーズテイルに乗ることになるからだ。飛竜たちを統率するためには、イーズテイルの存在は必要不可欠である。
そんな扱いに対して、辺境伯の家門として生まれたからには当然覚悟はあるという。
「訓練に明け暮れても、実戦経験はほとんどありません。でも、それでいいのです。怖いからではありませんよ。わたしが魔の森へ向かうときは、兄になにかあったときなのですから」
無事でいてくれる方が良いという。
「けれどそれでも、やりきれないときはあります」
そんなときには、配偶者が心に寄り添い、支え、あるいは発破をかけられるのだという。
「最後のは辺境ならではの荒っぽさですね」
そう言って笑う。さっぱりした表情だった。そうやっていろんなものを払い落とすために、どれだけの経験を積み、心を動かしてきたのだろう。自然と頭が下がる思いがした。
「旦那の尻を叩いてくれるうちは、奥方は味方ってことだ。心強いことですな」
いっしょになって解体をした魔獣の素材を運んできたウルフスタンの長が、ライナスの話に口を挟むことなく最後まで黙って聞いていたが、いっしょになって笑う。
ウルフスタンの長はクラリスを見て、「辺境伯夫人は学者さまから俺らの事情を聞かれたそうで、お耳汚しをしました」と言う。そこにはライナスもいたが、気にしない様子だった。
「大変なご苦労がおありだったとか」
気遣うクラリスに、ウルフスタンの長は肩をすくめて見せる。
「俺が子供のころのことです」
あるとき、農作物の茎が腐る病が流行ったのだという。気づいたときにはほとんどが病にかかって駄目になってしまった。
「朝から晩まで畑仕事をしても全部持っていかれちまう。国の者たちは飢えてばたばた倒れているってのに、自分たちが作った食料は船に乗せて運び出されてしまうんです」
それで大勢が飢えた。自分だけでなく、家族が瘦せ衰え、動かなくなるのを見ているほかなかった。
神殿の教えを逆手に取って、それでももっと励めと言った。逃げることは許されないとした。
「働くためには食べなくてはならない。いや、そんな風に思う前に、口になにか入れて咀嚼しているんです。気が付いたら口がずっと動いている。木の皮を剥いでとにかく噛み続けるんです。そりゃあ、まずいですよ」
気が付いたときにはまずさのあまり、吐き出している。でもとにかく口に入れて、噛み続けていたいのだという。
「できれば飲み込みたいんですがねえ。これが、できないんです」
身体が拒否する。
「そりゃあそうだよな。本来、食べられるものではないんだ。それで、飢餓から逃れるために国を出た後、俺たちは船に大勢詰め込まれました」
貨物同様の扱いだったという。ぎっしり詰め込まれた閉塞感。息苦しく圧迫する。いつの間にか気を失っている。空気が薄く、なのに、胸に腹に常になにかのしかかってくるような感覚。
あまりのことに、ライナスは顔色を変えたが、言葉を差し挟まずに作業を続けながら耳を傾ける。
「そんなだから、船酔いをする者がいりゃあ、病にかかる者もいる。いつも誰かが具合を悪くしていた。胸がむかつく悪臭がずっとしていました。着いた港で聞いたのですが、俺たちを運ぶ船を他所の国じゃあ「棺桶船」と呼んでいたんだそうですよ」
そのくらい、多数の死者を出したのだ。
さまよった後に行きついた新天地は荒れた大地で、ごくわずかなもの以外は、瘴気に侵された食物しか育たない。農耕も牧畜もできず、狩りをするだけだ。それでも食べられるだけまだましだ。ときに、奪うこともしたという。
「どうして俺たちはこんなに飢えているのに、お前たちはのうのうとたらふく食べられるんだっていう思いがどこかにあったんです」
だから、アスチアンが与えてくれた荒れ地でも育つ種芋は、とても有り難い存在なのだ。
「半分に割った種芋を土に埋めておくだけで、半年後には何倍にもなって収穫できるっていうんです」
面積当たりの収穫量が多いともいう。
「学者先生によれば、栄養価も高いってことで、良いことづくしです」
長は飢餓から逃げて生きた難民のひとりで記憶に焼き付いている。飢えながら働き、奪われることも、詰め込まれた船のことも、さすらったことも。
「どのときも、どんどん人が死んでいく。呆気ないものです」
どうしようもないことはどうしようもないのだ、という諦念の中で生きてきた。
「同じ国の人間に奪われ、追われた」
なによりも、心のよりどころである神殿から離脱することとなった。常に不安はつきまとった。神殿の庇護から離れるのは人ではなく野の獣であるようなものだ。飢えた人よりも、飢えない獣としての路を選び、自らをウルフスタンと名乗り、安住の地を求めてさまよった。
「でも、他人が手を差し伸べてくれることがある。先々代の辺境伯が共に魔獣退治をすることで報酬をくれました。奥方さまが薬草の扱い方を教えてくれ、学者先生が荒れ地でも育つ芋をくれました」
そうして、なんとか命を繋いだ。生き残った者たちで、この先もやって行かなくてはならない。その方策を、この地で得ることができそうである。
「エルドレッドの王室でどんな秘め事があるか分かりません。だが、俺たちにとっちゃあ、奥方さまは恩人だ。飛竜たちのお気に入りってだけでも尊敬するに値する。秘密は守ります」
「わ、わたくしも」
クラリスは薬草を両手で握りしめながら懸命に言葉を紡ぐ。
「わたくしは王女とはいえ、母の身分が低く、陛下の戯れでできた子供でした。ですから、わたくしはずっと忘れ去られておりました」
そこへカールが現れて、環境は一変した。
「おお、まさしく運命の出会いではないですか」
「不愛想だ武骨だなどと言われていますが、なかなかどうして、ここ一番ってところは外さない。それでこそ竜騎士ってものですな!」
兄のロマンスにライナスはおどけ、ウルフスタンの長は敬意と親しみを込める。
クラリスが名ばかりの王女だと知っても、彼らは変わりなかった。クラリスの性質やその行いこそが重要なのだと思っている節がある。
自分を認めてくれる者たちと、それぞれができることを協力し合ってすることはクラリスにとって初めてのことで、とても意欲を持って取り組んだ。各々が事情を抱えているから、自分だけではないという連帯感もあった。また、互いが認め合う雰囲気は心地よかった。




