21
定期魔獣討伐は、常になく早々と終了したため、凱旋の出迎えは残った竜騎士たちだけだった。
飛竜騎士団は実際に飛竜の背に乗って魔の森へも赴く飛竜隊、補給隊、衛生隊のほか、後方支援隊で構成される。今回の討伐において、死者は出なかった。衛生隊も竜舎に戻ってから、負傷者を見つけて治療した。
忙しく働く衛生隊と後方支援隊を他所に、竜騎士たちはどこかのんびりした様子で飛竜たちのケアをした。
「ほら、水だぞ。なんで飲まないんだ?」
「ギュワ! ギュワワ!」
「辺境伯夫人の薬草は入れたか?」
「おっと、そうだった」
「ギュワ!」
「ギュワギュワ」
賑やかというよりも、騒がしい最中に、ひときわかん高い鳴き声がする。
「ギューワー」
それにいち早く反応したのは先陣を切ったクィンだ。
「ギュワ!」
クィンは我が子が駆け寄って来るのに、いそいそとそちらへ向かおうとする。
「クィン、待て。出産後の初討伐なんだから、おとなしく休んでいろ。おい、ウォルター、お前がクィルターの面倒をみろ」
戦闘に出る前から心配し通しだったマーティンが、クィンの番を見やる。
「ギュワワァ」
「あ、この、すっかり寛ぎやがって!」
魔の森に突っ込んで行った勇猛さはどこへやら、オズワルドに水を汲ませて好みの薬草を浮かべさせ、だらしなく寝そべりながら鼻先を突っ込んでいる。
「ギュギュワ?」
「ギュワ!」
クィンはしきりに母の身体から発する匂いを気にするクィルターに寄り添う。
カールはイーズテイルの世話をひと通り済ませた後、騒々しい竜舎を後にする。
クラリスを探して城内に足を踏み入れる。薬草園へ続く通路へ向かうと、目当ての妻の姿が見えた。
しかし、カールが呼び止める前にほかの者が声を掛けた。
「辺境伯夫人」
「ごきげんよう、ブレナン子爵令嬢」
カールは足を止めた。ふたりの話が終わるまで、離れた場所で待っていようときびすを返そうとしたとき、「カールさまを解放してくださいませ」というロレッタの言葉が耳に飛び込んできたので足を止めた。
「王宮から押し付けられた貴人と本当に愛が育めるとお思いなのですか?」
ロレッタの傲慢さに、カールは思わず顔をしかめた。だが、一介の令嬢が王宮と辺境伯との間柄を分かっていないのは当然だ。クラリスも分かっていない様子なのは、教えられなかったからだろう。
ウィングフィールド辺境伯がいつ結婚できるかは王宮次第なのだ。降嫁するしないの一報を受けてからようやく動くことができる。そして。
「クラリスにはそれを決定することはできない。わたしと同じにね」
話す内容が聞き捨てならず、カールは割り込むことにした。
「カールさま!」
「お帰りなさいませ。ご無事のお戻り、祝着にございます」
カールの方を向いたふたりはどちらも嬉しそうではあったが、ロレッタは駆け寄って来、クラリスはその場で腰を落として辞儀をし、生還を寿ぐ。気品ある振る舞いにカールは思わず大股で歩数少なく近寄り、クラリスをやんわりと抱き締めた。肉が付いたとはいえ、まだまだ華奢である。
「こ、今回の討伐は随分短時間で終了しましたのね」
つい先ほどまでカールがいた場所から戻って来ながらロレッタが言う。
「イーズテイルも無事でしょうか?」
「元気いっぱいですよ。落ち着いて休むように言ってはきましたが」
まだまだ意気盛んであったから、竜舎へ押し込んだものの、出て来るかもしれないと眉尻を下げるカールに、クラリスは思わず笑いを漏らす。
「わたくしも後から竜舎へ伺ってもよろしいでしょうか?」
「それはどうでしょうか。竜舎では戦闘後の興奮冷めやらぬ飛竜たちばかりなので、争奪戦が始まりそうですね」
「争奪戦? ああ、薬草ですか?」
「いえ、あなたを巡って。そうなったら、イーズテイルもクィンも引かないでしょう」
むしろ、その二頭が最も主張しそうである。人の身であるカールには参加できない争奪戦で歯がゆいばかりである。
一方、クラリスはなんだかよく分からないものの、カールのちょっと虚ろな目つきを見て今日は竜舎へ顔を出すのはやめておくことにした。
そう言うと、それが良いとカールは頷く。
「定期討伐の後は功労者たちを労う祝賀会があります。ぜひ、クラリスも参加してください」
言いながら、クラリスの手を引いて部屋へ向かおうとした際、ロレッタが声を上げた。
「お待ちください」
正直なところ、カールはすっかりロレッタのことを忘れていた。アスチアンとふたたび面談する前にクラリスと色々話し合いたい。飛竜たちのこともある。初めて半日ほども母竜と離れたクィルターの様子も聞いておきたい。だから、ロレッタが折り入って相談があるというのに、多忙につき、側近か家政を取り仕切るスザンナに話すように言った。
「カールさまでないといけないのです」
「では、今ここで伺おう」
ロレッタの視線がちらりとクラリスに向く。クラリスがわずかに身をこわばらせるのが分かった。
「クラリスは我が妻だ。彼女に言えないようなことならば、わたしは聞かない」
ロレッタはぐっと詰まった。そして、決然と顎を上げ、真っすぐにカールを見て言う。
「わたくしを側室にしてくださいませ。必ずや、後継を生んでみせます」
ロレッタが婉然と微笑んでみせるが、カールは息を呑むクラリスの方が気にかかる。辺境伯夫人として後継者を儲けることへのプレッシャーを感じていることは想像に難くない。
「それは無理だ」
「なぜでございますの?」
断られることを承知で、しかし一歩も引かないとばかりにロレッタが両手を胸の前で組み合わせて懇願するように上目遣いになる。そこに甘えが滲む。
「王女を賜った辺境伯は側室を持たない」
「まっ!」
辺境伯個人の意見でどうこうできるものではないと言うカールに、ロレッタは絶句する。
「そうなんですか?」
やはり、クラリスは知らなかったようでカールを見上げる。そんな彼女を、ロレッタが忌々し気ににらむ。
「ですが、降嫁された夫人がご懐妊されないのであれば、」
後継者を儲けるのではないかとロレッタは諦めきれないように言い募る。
「いや、その場合は直系から養子を取る」
徹底している。それは王宮との決め事だ。代々の辺境伯とその配偶者が知る事実だ。ウィングフィールドでは、決して遣わされた元王族をないがしろにするなという意味合いに捉えていた。
カールはきっぱりとロレッタに引導を渡す。
「わたしと婚約の話があったが、王命を拝し、辺境伯として王家の女性を夫人に迎え入れた。これは何人たりとも覆されぬものだ。あなたはあなたの良き相手と添い遂げてほしい」
カールはイーズテイルからクラリスの様子がおかしいと聞いていた。もちろん、飛竜は人語を話さない。けれど、今ではジェスチャーや声音によって随分意思疎通を図れるようになっているのだ。それもみな、クラリスがウィングフィールドへやって来てからのことだ。彼女がもたらしたことはとても大きい。
ロレッタが主張したようなことを、クラリスはほかの貴族たちから言われたのかもしれない。だからこそ、クラリスに隠し立てすることなく、面前で明確にしておく必要があった。
今度こそ、ロレッタは追いすがることはなかった。
「ギュワワァ(はあ、疲れたぁ)」
「ギュギュワ? ギュワギュワ?(パパ、お疲れ? 僕と遊ぶ?)」
「ギュワァ。ギュワギュワギュワ。……グューグュー。(いいぞー。じゃあ、いっしょに昼寝ごっこしような。……ぐーぐー)」
「ギュワ、ギュワギュワ?(クィルター、良い子にしていた?)」
「ギュワ、ギュワギュワ(ママ、不思議な匂いがする)」
「ギュギュワ? ギュギュワワ!(これ、言うの? ええと、オウエン(応援)よろしくね!)」
「ギュワギュワ。ギュワ。(良く言えたわね。偉いわ)」
「ギュワワァ!(えへへぇ!)」