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ウィングフィールドに課せられた使命のうち重要なものに、瘴気渦巻く魔の森から魔獣が出てこないように間引きすることが挙げられる。
定期魔獣討伐を間近に迎え、竜騎士たちの意欲は盛んだった。死と隣り合わせの危険な任務だ。恐怖はもちろんあるが、それ以上に守りたいという気持ちとそうすることができる誇りがある。
ふだんから飛竜の背に乗って狩りをする飛竜隊は平然としているが、一方で貴族たちはそわそわと落ち着かない様子だった。
特に令嬢たちは所有物の交換をしようと目当ての竜騎士の周りをうろついた。
「ご無事をお祈りしております」
「必ず帰ってきます」
そんな風にうつくしい騎士物語のごとくまとまれば良い。実情としては、忙しく立ち働く竜騎士の邪魔になることも多く、立ち入り禁止とされている竜舎の付近をうろつく令嬢まで出る始末だ。
そんな中、ブレナン子爵令嬢ロレッタはようやくカールを捉まえ、髪の毛の交換をしようと持ち掛けた。
ウィングフィールドの花とも称されたうつくしい令嬢が緊張を押し殺して要求しているというのに、カールは淡々と答える。
「わたしは妻帯した。君とはそういうことはもう行わない」
「あ、そ、そうでしたわね。いやね、わたくしったら」
恥ずかしそうにうつむくその可憐さ、いじらしさに、カールの隣に立つ同じ女性であるクラリスでさえ思わずきゅんとした。そして、男性のカールはもっとそうだろうと不安になった。
カールの言葉から、今までそうやってやり取りしてきたのだと分かる。
苦く重い気持ちが胸の底にたまる。
だから、自分にできることをしようと思った。落ち込むくらいならば、なにかやれることをすべきだと考えたのだ。
クラリスは飛竜たちが好む薬草でそれぞれ精油を抽出した。
「飛竜の鱗は強靭ですから、守る必要はないかもしれませんが、」
「いや、比較的弱い腹の部分などに重点的に塗りましょう」
そう言ってカールはクラリスに礼を言った。
「これで飛竜たちは魔の森へ入っても落ち着くことができるでしょう」
「毒液を浴びてもこの精油を塗っていれば、保護されますな」
マーティンが言うのに、頼り切るのではなく適切に処置をしてほしいとクラリスは伝えた。
「毒液を浴びたらすぐに拭き取って下さい」
薬草から抽出した精油を竜舎に運んできたクラリスはせっせと飛竜たちの腹や首、尾に塗る。
魔獣討伐前の所有物交換の噂に花を咲かせる竜騎士たちが、ロレッタ嬢はカールの婚約者候補だったのだと言う。
「あんな巨乳な美人に一途に思われて、辺境伯が羨ましい限りです」
「おい」
「あ」
しまったという顔をするから、クラリスは気になさらないでと微笑んだ。うまく笑顔を作れたか分からない。
王宮の奥宮にいたときはこんな気持ちになることはなかった。クラリスは自身の気持ちを持て余した。
竜騎士たちは自身の飛竜の世話を自分たちで行う。クラリスはそれを手伝いながら、「どうかしら、精油にした香りは」などと語り掛けながら飛竜たちの反応を観察した。
「ギュワ」
「ギュワワ」
「大丈夫そうですな」
「はは、リラックスしてら」
「ここか?」
「ギュワッ!」
「こっちか?」
「ギュギュワッ!」
そうじゃないとばかりに、首をひねって牙を剥きだしにする飛竜に困り果てる竜騎士の手助けにクラリスは駆け寄る。
イーズテイルやクィンのお陰で、大きな飛竜が首をたわめたり、機嫌が良さそうに尾を振ったり、無意識に身じろぎするように翼を広げてはためかせる姿に、ずいぶん慣れていた。だから、怒りに我を忘れているのと、ちょっとばかり腹を立てているのとの違いが分かるようになっていた。
そうやってせっせと働きながらも、クラリスは貴族の女性たちの噂を思い出さずにはいられなかった。今まで気にならなかったのに、あのブレナン子爵令嬢ロレッタの名前が出てきて物陰で聞き耳をたてるというはしたない行為をしてしまった。自分自身が情けない。けれど、どうにも気になるのだ。
ロレッタ令嬢はカールの側室候補だという。
「あんなみすぼらしい子供のような夫人よりもよほどお世継ぎを儲けられるでしょう」
みじめだった。自分がどうしようもない存在に思えた。
彼女たちの言う通り、クラリスには女性らしさがかけらもない。だから、未だカールとは寝所が別なのだ。
飛竜たちの身体に精油を塗り終えたクラリスはそっと竜舎を抜け出て、薬草園にやって来た。
風にそよぐ薬草たちが出迎えてくれるような気持ちになる。
ここだけが自分の居場所なのだ。生まれ育った奥宮でも、輿入れしたウィングフィールドにおいても。
丈の高い薬草の狭間に座り込んでクラリスはこっそり泣いた。
「ギュワ」
「イーズテイル」
聞きなれた鳴き声がするからクラリスが顔を上げると、いつ舞い降りたのか、カールの飛竜がやって来ていた。
「ギュワ?」
なにかの遊びかと思って面白そうにしていたイーズテイルは、クラリスの顔を見たとたんに心配そうに小首を傾げる。
「いいえ、ちょっとかくれんぼをしていただけなのですわ。ふふ、見つかってしまいましたわね。さすがはイーズテイル」
「ギュワ!」
「こちらにおいででしたか」
イーズテイルが鳴く声を聞きつけたカールがやって来る。いつもなら、クラリスの方からも近づくのに、今ばかりは足が動かない。ただただカールの顔を見上げていた。
「魔獣との戦闘に出る前に、竜騎士は家族と所有物のやり取りをするのです。その物に心を籠めて、必ず帰ると誓うのです」
言って、カールは短剣を取り出して躊躇なく髪をひと房切り取った。
「受け取ってくださいますか?」
ロレッタ嬢には断ったのに、クラリスにはくれるのだ。クラリスの元に、帰って来ると誓うという。
クラリスは受け取ろうとする自分の手指が震えているのに気づいて、ぎゅっと握りしめる。
「ありがとうございます」
クラリスは両手でそっと受け取った髪を胸に抱きしめる。カールの気持ちがこの上なく嬉しかった。
そして、はたと思い出し、懐から香袋を取り出す。
「これは?」
「あの、エルシーさまから教わってわたくしが刺しましたの」
エルシーとオズワルドと共に刺繍用品を買うために街に行ったときに巾着袋を取り扱う店を見つけて購入した。それに刺繍をしたのだ。イーズテイルが好きな薬草の花をモチーフにした。もちろん、中身はその薬草だ。
「ギュワ」
イーズテイルが早速反応して、鼻先を近づける。
「こら、これはわたしがいただいたものだ」
「ギュワ!」
カールとイーズテイルの攻防といういつも通りの光景に、クラリスは微笑ましい気持ちになる。重苦しい感情はいつの間にか霧散していた。
「イーズテイルにも差し上げましょうね」
言って、その薬草が植わっているところへ歩み寄ると、イーズテイルもひょこひょこついて来て、クラリスが渡してくれるのを今か今かと待ち構えている。
「はい、どうぞ」
「ギュワ!」
クラリスが差し出した薬草にぱくりと食いつく。するすると口の中に吸い込まれ、もっしゃもっしゃと顎が動く。
クラリスはイーズテイルの耳に口を寄せてささやいた。
「イーズテイル、どうか無事で帰って来てね。そして、カールさまを守ってちょうだいね」
「ギュワ」
クラリスに合わせて、イーズテイルも音量を下げる。
「ふたりで内緒話ですか?」
「ギュワ!」
クラリスがなにか言う前にイーズテイルがそうだとばかりに鳴く。
「やれやれ、見ず知らずの街の男どもよりも、よほど強力なライバルだな」
カールは片眉を跳ね上げながらひとりごちた。その視線の先には自身の騎竜と顔を寄せ合って笑い合う愛しい存在があった。
「ギュワ、ギュギュワ?(クラリス、なんだか元気がない?)」
「ギュワ、ギュワギュワ?(どうしたの、お腹空いたの?)」
「ギギュュワ。ギュワ、ギュワ、ギュワワ。(それ、良い匂い。カールってば、イジワルしないで、ちょっと嗅がせてよ)」
「ギュワ、ギュワギュワギュワ。(いいもん、クラリスが薬草自体をくれるって)」
「ギュワギュワ、ギュワギュワ、ギュワ。(イジワルされたけれど、クラリスが守ってって言うから、守ってあげる)」
「ギュワギュワギュワギュワ。(またクラリスが元気がなくなったら悲しいもんね)」




