第1話B「月に行きたい」
当選番号を確認したのは、それから一週間後のことだった。
ユウ自身、宝くじを買ったことをほとんど忘れていた。
机の端に放置されていたそれを思い出したのは、ネットニュースに当選番号の記事が流れてきたからだ。
「そういえば買ったな」
財布から券を取り出す。
一つ目、合っている。
二つ目、これも。
三つ目、ユウの指が止まった。
「……ルナ」
《はい》
「ちょっとこれ確認して」
3つ目の数字が全て合っている段階で、ユウは自分の目を信じるのを辞め、
端末のカメラへ券を向けた。
《照合します》
数秒。
《全番号の一致を確認》
「……全部?」
《はい》
「一等?」
《一等です》
「いくら?」
《今回の一等当選額は――》
表示された数字を見て、ユウは黙った。
五千億円。
桁を数える、もう一度数える。
何度も何度も表示された数字を指でなぞりながら確認する。
「……五千億?」
《はい》
「円?」
《はい》
「俺が?」
《宝くじの所有者があなたであるならば》
「いや、俺以外いないけど」
しばらく何も考えられなかった、人生が変わった、そんな言葉では足りなかった。
五千億円。
一生働かなくていい。
世界中を旅行できる。
何代先まで遊んで暮らせるのかも分からない。
普通なら、そんなことを考えるのだろう。
だがユウが最初に見たのは、窓の外だった。
昼間の空に、薄く月が浮かんでいる。
「……ルナ」
《はい》
「五千億あったら…… 」
一度、息を吸う。
「月に行ける?」
今までなら即答していたルナが、わずかに沈黙した。
《条件次第では可能です》
夢でしか無かった月が現実になる。
ユウの口元がゆっくりと上がった。
「本当に?」
《有人月面往復のみを目的とし、安全率、長期運用性を最低限まで削減するのであれば》
「作れる?」
《可能です》
「じゃあ」
ユウは立ち上がった。
窓の外に浮かぶ月に思わず拳を突きつけ、決意を固める。
「作ろう」
《何をでしょうか》
「ロケット」
《……》
「俺、月に行くよ」
数秒間。
ルナは何も答えなかった。
その沈黙が再び破られる。
《了解しました》
それが、人類史上もっとも個人的な月面計画の始まりだった。
五千億円が当たったからといって、すぐに自由に使えるわけではなかった。今回の宝くじには、超高額当選者に対する特殊な受取条件が設けられていた。
本人確認、資金管理契約、
そして――
公開会見。
史上最高額となる賞金を宣伝に利用するため、当選者は名前と顔を公表し、公式の記者会見に出席しなければならない。
ユウはその条件を知った瞬間、露骨に顔をしかめた。
「匿名じゃ駄目なの?」
《規約上、不可能です》
「面倒だな……」
《受取を辞退しますか》
「五千億を?」
《はい》
「それはもっと嫌だ」
ユウは自らの平凡すぎる顔を鏡で見つめながら、ため息をつきつつも眼の前にぶら下げられた五千億円と月を考えると笑みをとめることができなかった。
「我ながら平凡な顔だな」
「肯定します」
「お世辞くらい言えるようになれたらどうだ?」
《 非効率です》
「月に行くために五千億使う男のほうがよっぽど非効率だよ」
ルナは困惑したのか、それとも人類の非効率さを考慮するためか沈黙した。
数日後。
ユウは、人生で初めて大量のカメラを向けられていた。
会見場には報道陣が詰めかけていた。
当然、注目されないはずがない。
大量のフラッシュにさらされながら、似合わないスーツに身を包みつつも、ユウはまっすぐに取材に答えた。
「天城さん、まず当選を知った時のお気持ちは?」
「まだあまり実感がないです」
「ご家族には?」
「話しました」
「何か欲しいものはありますか?」
「特には」
「投資のご予定は?」
「今のところは」
質問は次々飛んできた。
ユウは早く終わらないかなと思いながら、無難に答えていく。
そして最後に、一人の記者が聞いた。
「五千億円という途方もない金額ですが、何か夢はありますか?」
それまでどこにでも居る平凡な二〇歳の青年の顔をしていたユウ、明日にはユウの顔など誰も覚えていないはずだった。
しかし、この会見で浮かべたユウの笑みは子どものような純粋さと、ゲスい大人の汚さを混ぜ合わせたような顔だった。
「月に行きます」
ユウの声は少し震えていた。ユウの笑みのせいか、ユウの発言のせいか、会場が静かになった。記者が聞き返す。
「……月、ですか?」
「はい」
「宇宙旅行という意味でしょうか?」
「いや」
ユウは首を振る。
自分が今からとんでもないことを言うことを分かっているからこそ、
まっすぐに前を向き、宣言した。
「ロケットを作ります」
今度こそ、会場がざわめいた。
「ご自身でですか?」
「そのつもりです」
「宇宙開発企業を設立されるということでしょうか?」
「そこまではまだ考えてないですけど」
「なぜ月へ?」
ユウは少し笑った。自分の人生が一瞬走馬灯のようにかけまわり、
人生をかけた言葉を世の中にぶつける。
「昔から行ってみたかったので」
大層な使命感もない、科学のためでもない、誰かのためでもない。
ネット上に広まる陰謀論を紐解こうとしているわけでもない。
ただ、行ってみたい、ただ、それだけ。
その日の夜にはユウの発言だけが世界中を駆け巡っていた。
『宝くじ五千億円当選の青年、賞金で月へ』
『二十歳の個人月面計画』
『五千億円あれば本当に月へ行けるのか?』
『専門家「極めて非現実的」』
『史上最大の浪費になる可能性も』
そして翌朝。
「……なんだ、これ」
カーテンを開けたユウは固まった。
自宅の前に、人がいる。
一人や二人ではない。
報道車両が大量に並び、記者も家の前に集まっている。
ざっと見ただけでも数十人。
《敷地周辺に五十三名を確認》
ルナのシステムが搭載されているキューブ型のデバイスからの
ルナの声で現実を受け入れざるを得なかった。
「帰らないかな......」
《現時点では、その兆候はありません》
最初の数日はまだよかった。
インターホンが鳴る、玄関前で待たれる、遠くから撮影される。
その程度だった。
だが、徐々に行動が過激になっていった。
塀を乗り越えようとする者、ドローンを飛ばして窓から室内を撮影しようとする者。
夜中に敷地へ入り込もうとする者まで現れた。
さすがのユウも辟易した。
ある夜、買ったばかりの監視カメラに映った人影を見ながら、ユウはため息をつく。
「ルナ」
《はい》
「なんとかできる?」
《不法侵入対策でしょうか》
「そう」
《予算は》
ユウは一瞬黙った。
「……今の俺にそれ聞く?」
《では、必要なだけ使用します》
翌日から、ユウの家と周辺の様子が変わり始めた。
警備員ロボット、高性能監視カメラ、赤外線センサー、振動検知装置、
敷地周辺を常時監視する小型無人機の数々。
さらには、侵入経路を事前に予測し、警備装置そのものを自動配置するシステムまで構築された。
すべてを設計し、統合したのはルナだった。
ユウはその間、知っている知人や知らない知人、マスメディアの対応に追われていた。
三日後。
《不法侵入防止システムの構築を完了しました》
「完成?」
《はい》
「なんかすごいことになってるな..」
窓の外に広がる光景に思わずギョッとした。
《侵入成功率を推定しますか》
「いや、なんか怖いからいい」
《了解しました》
それ以降。
ユウの敷地内へ無断で入り込めた者は、一人もいなかった。
ドローンに敷地に侵入する前に警告され。塀を越えようとすれば警備システムが即座に検知。
不審な行動は、実行される前から予測された。
やがてマスコミも野次馬も、少しずつ距離を取るようになった。
ユウはルナの優秀さと、それを作り上げた自分自身の技術に感嘆したが、
だが後から振り返れば、これが、ルナが現実世界へ直接干渉し、独自に構築した最初のシステムだった。
そしてその性能は、すでに2069年の一般的な技術水準を大きく超えていた。




