第1話C「月に行きたい」
「ルナ」
《はい》
「ロケット、本気で作ろうか」
《有人月面往復用宇宙船を、ですか》
「そう」
《了解しました》
「……止めないんだな」
《すでに実現可能と回答しています》
「そうだった」
ユウは笑った。
「じゃあ、始めよう」
◇
それからの日々は、文字通り月のために費やされた。
人の少ない場所に広大な土地を購入した。
実験棟を建てた、大型工作機械を揃えた、、金属積層型3Dプリンタ、複合素材加工機、産業用ロボット、燃焼試験設備。
必要なものは金に物を言わせて集めた。
だが、金で買えるのはそこまでだった。
ロケットそのものは作らなければならない。
設計をルナが、それを形にする作業をユウが。
もちろん、最初からうまくいくはずもなかった。
最初のエンジンは十二秒で爆発した。
二号機は点火すらしなかった。
三号機に至っては、エンジンではなく試験設備の一部が燃えた。
「ルナ」
《はい》
「成功率九十四%って言ってなかった?」
《はい》
「燃えてるけど」
《六%を引きました》
「宝くじで運を使い切ったかな……」
《統計上、因果関係はありません》
「分かってるよ」
だが、失敗するたびにルナは原因を特定した。
設計を修正し、再計算し、新しい案を提示する、それを何度も繰り返した。
ユウ自身も学んでいった、最初はルナの設計を形にするだけだった。
だが徐々に図面の意味が分かるようになり、自分から修正案を出すことも増えていった。
そんなある日。
ルナが新たなエンジン設計を表示した。
「……これ、何?」
《主推進機関の改良案です》
「いや、それは分かるんだけど」
ユウは図面を拡大した、見たことのない構造だった。
これまで参考にしてきた、どのロケットエンジンとも違う。
「どこの論文を参考にした?」
《該当する資料はありません》
「じゃあ、ルナが考えた?」
《……》
返事が遅れた。
「ルナ?」
《不明です》
「不明?」
《設計データの生成過程を追跡できません》
ユウは思わず、眉をひそめる。
自分で作った設計なのに、なぜ作ったのか分からない。
AIとしてはおかしな返答が帰ってきたからだ。
「性能は?」
《従来案の約二・七倍です》
「安全性は?」
《従来案を上回ります》
「作れる?」
《可能です》
ユウはしばらく図面を眺めた。
なにか触れてはいけないようなものに触れた寒気覚え、
ぶるっと体を震わせる。
だが、そんな恐怖よりも夢への渇望がユウの背中を押した。
「……じゃあ作ろう」
《よろしいのですか》
「月に行けるんだろ?」
《はい》
「なら問題ない」
この時のユウは知らなかった。
ルナ自身もまた知らなかった。
なぜ彼女の中に、その設計が存在していたのかを。
◇
一年後、一機のロケットが完成した。
国家が作ったものでも、大企業が作ったものでもない。
一人の青年と、一体のAIが作ったロケット。
乗員は一人。
余計な設備は徹底的に削った。
目的はただ一つ。
ユウを月まで運び、地球へ帰すこと。
その機体には、
「LUNA-1」
と刻まれていた。
《私の名称ですか》
「俺とお前で作ったからな」
《そうですか》
「嫌?」
《感情的評価はできません》
「じゃあ決まり」
《了解しました》
打ち上げの日。
かつてユウを笑っていた人々も、応援していた人々も。
どこかの誰かがドローンで撮影していた画面を見つめ、
世界中がその瞬間を見ていた。
ユウは一人、LUNA-1の座席へ身体を固定する。
胸元には、手のひらほどの黒い端末。
ルナの中枢となる小型演算端末――コア。
ルナの人格と記憶、その核となる情報はここに保存されている。
家では大型コンピューターへ、開発施設では工作機械へ、今はLUNA-1へ。
ルナはコアを中心として周囲のシステムへ接続し、その演算能力を利用していた。
そしてコアだけは、どこへ行くにもユウが持ち歩いていた。
《心拍数が上昇しています》
「そりゃそうだろ」
《恐怖を感じていますか》
「めちゃくちゃ怖い」
《打ち上げを中止しますか》
ユウは目を閉じた。
昔から何度も見上げてきた月を思い浮かべる。
「いや」
拳を握りしめ目を開ける。
「行こう」
《了解しました》
カウントダウンが始まった。
《十》
エンジンが唸る。
《九》
機体全体が震える。
《八》
ユウはあまり意味のない飾りの操縦桿を握る。
《三》
「ルナ」
《はい》
《二》
「頼むぞ」
《任せてください》
《一》
轟音とともに身体が座席へ押しつけられた。
LUNA-1が地上を離れ、空が、青から黒へ変わっていった。
◇
《第一段切り離し》
軽い衝撃。
《予定軌道へ移行》
窓の外に、丸みを帯びた地球が見えた、写真でも映像でも何度も見てきた。
それなのに、実際に目の前にすると、ユウはしばらく言葉を失った。
「……青いな」
《地球表面のおよそ七割は海洋です》
「知ってる」
《では、なぜ確認を?》
「確認じゃないんだよ」
《理解できません》
ユウは笑った。
「そのうち分かるよ」
《記録しました》
「何を?」
《“そのうち分かる”》
「それ記録する必要ある?」
《すでに記録済みです》
「最近お前、ちょっと面白くなってきたな」
《評価基準が不明です》
遠く、小さく月が見える、ユウはそれを見つめた。
「次はあそこだ」
《月遷移軌道へ移行します》
エンジンが再点火し、LUNA-1は地球を離れた。
◇
あっという間に月が、目の前に現れた。
地球から眺めていたものとは、まるで違う。
視界いっぱいに広がる巨大な灰色の大地と無数のクレーター。
「……すげえ」
ユウは子供のように窓へ顔を近づけた。
自分の反応に彼女の返事がないことに疑問を覚えた
「ルナ?」
《……》
「どうした?」
数秒。
《信号を受信しました》
ユウの表情が変わった。
「地球から?」
《違います》
「人工衛星?」
《該当しません》
船内ディスプレイに波形が表示される。
単純なノイズではない、一定周期で同じ形を繰り返している。
「これ……人工的な信号?」
《その可能性は極めて高いと判断します》
「発信源は?」
《特定中》
いつものルナなら、一瞬で返してくる。
だが、妙に時間がかかっている。
ユウは胸元のコアに触れた。
「大丈夫?」
《正常です》
「本当に?」
一瞬。
《……はい》
そして、月面地図が表示された。
一か所に赤い点。
《発信源を特定》
「どこ?」
《月面です》
ユウは窓の外を見た。
人工物などどこにも見えない月の大地をくまなく見つめた。
「……月から?」
《はい》
その瞬間。
夢だった月が、別のものに見え始めた。
「内容は?」
《解析不能》
「ルナでも?」
《既知の言語体系と一致しません》
ユウは少し考え、笑った。
「じゃあ、行ってみるか」
《危険性を評価できません》
「ここまで来て帰れって?」
《帰還も合理的な選択肢です》
「却下」
《予測していました》
「分かってきたな」
LUNA-1は信号の発信地点へ進路を変えた。
◇
《高度五百》
月面が迫る。
《二百》
エンジン噴射で砂が舞う。
《五十》
ユウは操縦桿を握った、
基本的な制御はルナ。
だが最後くらいは、自分で降りている感覚を味わい高tgた。
《十》
軽い衝撃。
そして、静寂が訪れる。
《着陸を確認しました》
ユウはしばらく動けなかった。
「……着いた?」
《はい》
「月?」
《はい》
「本当に?」
《座標情報を――》
「いい」
ユウは笑った。
「分かってる」
本当に、月まで来た。
◇
ユウは「お手製の宇宙服へ着替え、胸元へコアを固定した。
ヘルメットの通信装置と接続し、電子的なディスプレイが映し出される。
《生命維持装置、正常》
《コア接続、正常》
《通信、正常》
「船から離れても?」
《コアはあなたが携帯しています》
「じゃあ、一緒だな」
《はい》
ハッチを開くと、そこは灰色の地面、音は何もない。
ユウは梯子を降り、足が月面へ触れた。
砂がふわりと舞った。
「……月だ」
《はい》
一歩。
もう一歩。
少しだけ跳ねる。
身体が予想以上に浮いた。
「うおっ」
着地してよろける。
《転倒に注意》
「今のはわざと」
《虚偽を確認》
「そういうのまで分かるの?」
《はい》
「面倒なAIだな」
ユウは笑いながら歩き出した。
信号の発信源までは約五キロ。
月面車は積載重量の問題で用意していない。
ひたすら歩くしかない。
《信号強度上昇》
だが、景色は変わらなかった。
三キロ。
四キロ。
「本当にこの先?」
《はい》
「なんにもないけど」
《発信源まで残り三百二十メートル》
「三百?」
ユウは目を凝らす。
そして、足を止めた。
「……何だ、あれ」
何かが立っている。
細い棒と、その上に、四角い板。
まるで空き地を売り出す看板のようだ。
あまりにも、月には似つかわしくない形にユウは困惑するしか無かった。
「看板……?」
ユウはゆっくり近づいた。
誰が設置したのか、いつからあるのか、何一つ分からない。
だが、そこにあるものは、どう見ても人工物だった。
板の表面には、文字のようなものが刻まれている。
「読めないな」
見たことのない文字だった。
「ルナ」
《はい》
「分かる?」
《解析します》
数秒。
《文字体系を確認》
「読める?」
《既知の文字体系との共通性を検出》
さらに数秒。
《翻訳を試行します》
ヘルメット内のディスプレイに、
日本語が表示された。
『地球人立入禁止』
ユウはしばらく言葉を失った。
「……地球人?」




