9.船上の貴人
宿に戻ったビーノは主人とナルカに明日の朝出立する事を告げた。ナルカはとても寂しがったが、別れは世の常、旅を生業にするものなら尚更である。
「ビーノはいますかしら!」
部屋で旅支度をしようと背を向けると宿の入口から声が上がった。今一番会いたくないと思っていたその声に渋い顔になるが、無視をする訳にもいかない。
「クケェ、シルヴァリア。何の用だ」
「ビーノ。獲物を逃したそうではないですか」
シルヴァリアは優雅に右に流した長髪を揺らして近付いて来た。ズマの民の証である短い耳がその結い目から見える。
「ギィの奴らから聞いたのか?」
「さらに面白い事も聞きましたの。貴方、プラクマが使えるそうじゃない」
「クケェ、あいつら余計な事を喋りやがって」
ギィの集落から情報が回るのが早すぎる。となるとこの会話は不味い。逃げるに如かず、だ。しかし、行く手を阻まれる。
「姐さんの話の途中でしょうが」
「逃げるのは違うべ」
取り巻きのゴーディとブロジーだ。いつの間にか回り込まれている。ビーノは舌打ちした。
「逃げねぇよ。そもそもてめぇらがこのビーノ様を騙したのはどう落とし前つけるつもりだ」
「ワタクシの預かり知るところではありませんわ。マンダが勝手にやった事です」
「クケェ、そんな訳あるかよ」
レークスのガラスタイでの元締めとしてそれは有り得ないだろう。しかし、今それを言っても不毛だ。
「どうしてプラクマを使える事を教えてくれませんでしたの?」
「おめぇらの仲間になったつもりはねぇ」
「プラクマ使いなら、ルークの地位を提供出来ましたのに」
「話の通じねぇ奴だな。渡り鳥に組織は必要ねぇんだよ」
ビーノはシルヴァリアの狙いを分かり兼ねた。レークスの体面を保つ為ならば、闇討ちでも何でもして襲えばいい。正面から話をしに来る理由が無い。シルヴァリアは何かを考えるように斜め上を見つめ、微笑む。
「まあいいでしょう。今日はお別れを言いに来たのです」
「別れだと?」
「ええ、ワタクシこの度、中央に戻る事になりましたの」
「そりゃ良かったな」
「ええ、ええ。常からの仕事が評価されたのですわ」
「クケェ、皮肉の通じない奴はこれだから……」
シルヴァリアは自慢気に胸を張って嬉しそうだ。ビーノは早く部屋に帰りたくなって来た。
「誤解しないで欲しいのですけど、レークスは貴方が思っているような組織ではありませんわ」
「はん。人攫い共が何を言ってやがる」
「あれは人材の確保です。決して不幸せを与えている訳ではありませんの」
「物は言いようだな」
シルヴァリアが諦めずに続けようとしたところでゴーディが耳打ちする。
「姐さん。そろそろ時間であります」
「あら、もうそんな時間かしら」
その知らせにシルヴァリアは残念そうに眉を顰める。
「残念ですが、約束がありますの。ビーノ再会を願っていますわ。では御機嫌よう」
シルヴァリアはドレスの裾を翻して宿を出て行った。ビーノは息を吐く。彼女との会話はいつも疲れる。
「……寝るか」
明日の寝覚めはあまり良くなさそうだ。ビーノはそそくさと部屋に帰ることにした。
シャズは目を覚まして、暗い船室にいる事に戸惑う。しばらくして、船の船員室で寝たのを思い出した。縦に高い船室には三段ベッドが用意されており、大半の船員はまだ寝ていた。隣のベッドにはドーナが鼾を上げながら寝ている。シィリンのベッドは空だ。眠い目を擦りながら甲板に上がる。まだ誰もいない、微かな水音と朝の匂いに意識が覚醒してくる。
「おはよう」
声の方を向くと船首にシィリンがいた。胡座をかいて目を瞑っている。
「何してるんだ?」
「朝の日課だよ。これをやると心が落ち着くんだ」
「ふーん」
「おいで、一緒にやろう」
シィリンは片目を開けるとシャズを誘う。おずおずとシィリンの横に来ると足を折って座り込む。片目でそれを追いながらシィリンが微笑んで目を瞑った。
「どうすればいいんだ?」
「しぃ。口を開くと気持ちが逃げちゃうよ」
シャズは納得いかないながらも黙り込んで目を瞑る。視界からの情報が無くなると耳から聞こえるものが全てになった。海のような大きな波は無いが、ゆっくりとした横揺れを感じる。遠く鳥が鳴いている。近くにシィリンを感じた。
「これが入口だよ」
「何の?」
「それは内緒」
シィリンは教えてくれなかった。シャズは憮然としてシィリンを睨むが彼女はどこ吹く風である。仕方無いので付き合ってしばらくそうしていたが日が高くなると他の船員が起きてきて騒がしくなる。彼女が立ち上がるのを感じて、シャズも目を開けた。
「さてと今日はお客さんが乗る予定だから、客室の掃除をしなくちゃね」
「アイサー」
シャズはドーナを起こしに行く事にする。本職の水夫達はマストやヤードの点検だ。昼には港を出る予定である。
客室担当は四名。シィリン、シャズ、ドーナ、それと水夫見習いのアズと言う名のズマだ。
「今日は二組のお客様を迎えます。それぞれ側仕えの方がいらっしゃいますから基本的には要望を聞いてチーフに伝える役です。いいですか?くれぐれも失礼が無いように」
アズはかなり真面目なタイプらしい。細かな事まで確認される。チーフはどうやら彼を信頼しているようで、特に口を挟む事は無い。三人に服が支給された。前合わせのボタン付きの灰色を基調としたチョッキだ。下履きはサイズが無かったので、今着ている物をそのまま使用する。シィリンは女性仕様だった。チョッキの下にブラウスとスカートが用意されていた。腰帯が付いたトリアンでは見ないタイプの服だ。
「こういった服はあまり着ないんだけどね」
「似合ってるよシィリン」
「ありがとうドーナ。君も可愛いよ」
「そこは格好良いって言って欲しいなぁ」
シィリンは個人の持ち物を漁って一本の櫛を取り出す。上手に髪を梳いて纏め上げて櫛で留める。シャズとドーナが興味深そうにそれを見ているのに気付くと、よく見えるように首を傾げた。
「母から貰ったつげ櫛なんだ。簪にもなる優れものさ。どうかな?」
「綺麗だな」
「つやつやだー」
「ふふ、ありがとう」
いよいよお客様を迎える時間になった。船長やチーフ、船員が全員で出迎える。まずは一組目の客が馬車から降りてくる。
「ようこそバダロナ号へ。シルヴァリア様」
「よろしくねトーマス船長」
美しい女性だった。真っ赤なドレスに鍔広の帽子を斜めに被っている。切れ長の瞳が辺りを睥睨していた。
「担当のシィリンとドーナです。何なりとお申し付け下さい」
シィリンとドーナが頭を下げるとシルヴァリアは満足そうに返事をした。取り巻きの男達も合わせて客室に案内されて行く。もう一台はすぐ後にやって来た。先程の馬車よりもさらに豪奢な装飾がされている。
「シャズ、くれぐれも粗相の無いように頼むぞ」
「アイサー」
アズが緊張しているのが伝わってくる。それほどのお偉いさんが降りてくるという事なのだろう。まず、侍女が降りてくる、丸耳と茶色の毛に覆われているのが分かる。そしてもう一人。全身黒尽くめの顔の半分まで隠した男。そいつは周囲を観察して一つ頷いて馬車の扉を開ける。中から出てきたのは侍女と同じ種族と分かる男だ。馬車の扉を頭を下げて潜りその巨体を晒す。一目で贅沢品と分かるような服はしかし、ピチピチで窮屈にすら見える。
「ようこそ、バダロナ号へ。ラムダ王子。お迎え出来て光栄であります」
トーマス船長は先程のシルヴァリアよりもより丁寧に頭を下げる。事前にシャズが聞いた話ではグリーア族の国ダラグリーアの第三王子らしい。
「トーマス世話になる。私の身の回りはミラが行う。こちらは護衛のヤスマだ」
ヤスマと呼ばれた黒尽くめの男は微動だにしない。シャズには国や王子という物はよく分からなかったが、相当偉い人なのだろう。その彼の護衛をしているのだからかなり強いのだろうなと勝手に思った。
「ではこちらにどうぞ」
簡単に自己紹介をして、客室に案内する。場所は船長室の隣、三室ある客室の一つだ。部屋にはミラだけが入り、ヤスマは扉の前で腕組みをして立つ。
「用があれば呼ぶ。この扉には近付くな」
ヤスマはとりつく島もなくシャズとアズを遠ざけた。まぁ呼ばれない限り仕事は無いという事だ。ありがたいと思いながら第一デッキを後にする。
「王子の様子はどうだ?」
甲板にいたチーフが聞いてきたが、アズは両手を上げて首を横に振った。
「そうか、まあ下手な要求をしてこないだけマシだ」
「定刻だ。間もなく出港するぞ」
船長の声に船員が慌ただしく動き出す。係留ロープが外されサブマストが張られた。船は岸から離れ始める。港の出口になって始めてメインマストが張られる。風向きに合わせて調整が入った。
「凄い!風上に船が向かってる!?」
甲板上でその様子を眺めていたシャズは驚きの声を上げた。船とは風を受けて進む物なのは知っていた。だが、風上に船首を向けているのに前に進んでいるのには理解が追いつかない。
「不思議だよね?しかもこれから河を昇るんだよ。人の知恵には驚いてばかりさ」
「へぇー」
いつの間にか隣にいたシィリンがそう教えてくれた。世界はシャズの知らない事ばかりである。ふと、ドーナがいないことに気付いた。辺りにも見当たらない。
「シィリン、ドーナは?」
「あー、シルヴァリア様に気に入られちゃってねー」
「ええ?」
「今頃は膝に抱えられて撫で回されてるんじゃないかなぁ」
「うわぁ」
親友の不幸に可哀想だと思う反面、自分じゃなくて良かったと胸を撫で下ろした。ダパは撫でられるのには慣れていない。今頃は苦しそうな顔をして撫で回されていることだろう。すると、シィリンが両手をわきわきさせながら近付いて来る。
「シャズは私が撫でてあげようか」
「断固拒否する!」
近くにも敵はいたようだ、急いでシィリンから距離を取る。
こうしてシャズ達の初めての船旅が始まった。
「ほう、シルヴァリアさんは商売をしているのか」
「しがない商人であるワタクシがこうして王子とお食事を御一緒させて頂くのはとても光栄ですわ」
「私は小国の庶子さ。そんなに改まらなくていい」
「いえいえ。ダラグリーアといえば武門の有名な国。中立を貫き通すその姿勢は力あればこそ」
「その力を正しい方向に使えればいいのだかね」
夕食は二組が友好を深める為にと、共に取る事になった。今回使われなかった客室を食堂として使用している。船長も同席し、同行者やシャズ達は壁際に立っていた。ここでもヤスマは鋭い眼光でこちらを見ている。
「あら、何か憂いがおありで?」
「恥ずかしながらな。どの国にも腐った輩はいるものだ」
「……そうですわね」
シルヴァリアの返答まで間があった。ラムダ王子から視線を外している。
「時にトーマス。最近は境海に賊が出ると聞いたが、対策はしているのか?」
ラムダ王子の突然の質問にも、トーマス船長は余裕の表情を崩さない。
「王子良く御存知で。我々も手を焼いているのですが、今回はバリスタを二門用意致しました。これを見れば賊も手は出さないでしょう」
「ふむ。攻城兵器を船に載せたのか、それならば安心だな」
「ええ、この航海はこのトーマスにお任せ下さい」
船長は自信満々だ。シャズは頼もしいなと船長を尊敬の目で見る。よくよく見るとドーナが食卓の料理を見て指を咥えていた。シャズはジェスチャーでドーナに指を咥えるのを止めろと合図を送るがドーナは頭にハテナを浮かべている。案の定、アズに小声で注意されていた。そんなこんなで会食は和やかに終わり、シャズ達の初日の仕事が終わる。明日からは交代で見張りにも立たなければいけない。
船は緩やかに境海を滑って行く。その先に待ち受けるものを知る由も無く。
グリーア族はグリズリーです。
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