8.境海を望む街
要塞都市ガラスタイはトリアン大陸最大の交易都市だ。歴史は古く、ズマの民の植民拠点として始まり、時には国と国との争いの場となることもあった。現在の街壁はその時に設置されたものだ。主に境海付近の主要都市との交易で成り立っているが、その特性上雑多な種族が入り混じり、治安はそこまで良くない。
「あれがガラスタイよ。立派な街壁が見えるだろ」
「高いねー!あれを登って入るの?僕には難しいかも」
「クケッケッケ。おもしれぇこと言うな。安心しろやい。ちゃんと入口がある」
「あんな大きな建物初めて見た」
「中央大陸に行きゃあ、これの倍はある城壁を見れるぜ」
「へぇー。世界は広いな」
三人は半日程でガラスタイに到着した。荷物は全てギィ族に奪われていた為、水も食料も無い。小川で喉を潤し、ひたすら歩いて日が暮れる前にガラスタイに辿り着いた。
「あの壁は今や飾りだ。周りには危険な種族もいねぇし、街門は空きっぱなし、検問もしちゃいねぇ」
ビーノの言う通り、門は開け放たれたまま動かした様子が無かった。その門を様々な種族の人が行き交っている。
「まずは大通りを抜けて港町まで行くぞ。そこにビーノ様が使ってる宿がある。一晩くらいなら奢ってやらぁ」
「助かるよビーノ」
「ありがとね」
「クケェ。いいってことよ。元はと言えばこちらのせいだしな」
ガラスタイはシャズとドーナにとって見たことが無いものばかりだった。石造りの家々や、透明な石のような物が嵌った窓。果物や魚を軒先に出している家まである。
「あれは何で外に食べ物を出してるんだ?」
「ありゃ屋台さ。なんだそんなもんも知らねぇのか?」
「屋台?」
「金と食い物を交換するんだ。クケェ!ドーナ!それは売り物だぞ!」
ビーノが説明している横でドーナが屋台の果物に手を伸ばしていた。幸い手に取る寸前でビーノに手を払われる。
「食べちゃ駄目なの?」
「おめぇは一文無しだろ。宿で飯奢ってやるから辛抱しろ」
「わあ!楽しみだよ!」
お腹を押さえたドーナが悲しそうな顔をするが、宿の料理と聞いて率先して歩き出した。港近くになると街の様子がガラッと変わった。建物は木製が増え、女、子供がそこいら中に溢れている。
「あれだ」
一軒の看板の掛かった家を指差してビーノがその建物に入っていった。シャズ達も続く。中はテーブルがいくつかあり、いい匂いが漂っている。田舎者のシャズでも分かる。ここは食べ物を出してくれる所だ。するとシャズとドーナの腹が同時に鳴った。思えば丸二日何も食べていない。流石に空腹が限界に来ていた。
「お前らはそこ座ってろ。おーい誰かいるかー」
ビーノが声を上げると中からズマの少女が顔を出した。ズマの年齢は分からないが、シャズ達とそんなに変わらない年頃だろう。彼女はビーノを認めるとぱあと花が咲いたように笑顔になる。
「ビーノさん良かった!荷物が無かったからもう出ちゃったのかと思いましたよ」
「すまねぇなナルカ。ちいとばかし急用でな。また同じ部屋を頼む。それとこいつらに食い物出してやってくれ」
ビーノがシャズ達を紹介すると、ナルカはぺこっとお辞儀をした。
「ナルカです。お父さんと宿をやってます」
「ドーナだよ!」
「シャズだ。よろしく」
「う、なんて可愛らしい……」
ナルカが何が小声で呟くがシャズ達の耳には届かない。
「ビーノさん、お二人のお部屋も?」
「ああ、頼む。宿賃はこっちで出すからよ」
「分かりました。ちょっとお待ち下さいね。お父さーん!」
その後、人型のビーノくらいはある筋骨隆々の男が現れて、宿屋の台帳を取ってくれた。彼がナルカの父でこの宿屋の主なのだろう。腹ペコだと言うと、厨房からコラッサとスープを持ってきてくれた。コラッサとは芋を蒸して潰し、それを平たく伸ばして焼いた食べ物だ。こんがりと焼き上げられたコラッサは非常に美味しかった。スープも肉が刻んで入れてあり、栄養満点だ。思わずおかわりをした二人をナルカが微笑ましそうに見ていた。
「あー食べた食べた」
「もう入らないよー」
結局おかわりもぺろりと平らげた二人は椅子で満足そうに伸びている。
「クケェ、腹を満たしたらゆっくり寝ろや。明日起きたら港に行くからな」
「港?」
「境海を渡るんだろ?客船なんて早々あるもんじゃねぇ。乗せてくれる船を探さにゃならんだろ」
「それはただで乗れるもんなのか?」
「クケェ!そんな訳ねぇだろ。交易船で下働きさせて貰うんだよ」
「えー働くの?」
「お前はちゃんと働いてもうちっと痩せろ」
ぶーたれるドーナの頭をビーノが叩く。そんな掛け合いをしているとナルカがお茶を持ってきてくれた。
「どうぞー」
「ありがとうー」
「頂きます」
薄めのリザ茶だ。だが、少し甘い。もしかしたら蜂蜜のような物が入っているかもしれない。中々の贅沢品だ。
「少し蜜を入れてあるんです。お父さんには内緒ですよ?」
ナルカは片目を閉じてウインクする。
「クケェ、ナルカ嬢。花をありがとうな。お陰で大切な事を思い出せた」
「そうですか、良かったです。買い物に行ったバザーで花売りさんが来てて、そう言えばビーノさんが言ってたなぁと思ったんです」
「お花を売ってる人がいるの?」
ドーナにとってそれは衝撃だった。花なんてそこら辺に沢山生えている。それがお金に代わるなんて、想像の埒外であった。
「そうですよ。えっとドーナさんでしたね」
「そうだよー」
「あの私……一つお願いがあって……」
突然、ナルカがもじもじとしだした。シャズとビーノは何だと顔を合わせる。しばらくそうしていたが、意を決したように顔を上げて、ドーナに向き合う。
「あの!頭を撫でていいですか!」
「え?」
「僕の頭を?んーいいよー。減るもんじゃないしー」
「やったっ」
ナルカは飛び上がって喜ぶと、手をエプロンで拭き、おずおずとドーナの頭に手を伸ばす。さわさわ、さわさわ、くりくり、ぐりぐり、さわさわ。
「わー、ナルカー、そこは頭じゃないよー」
ナルカはドーナの尻尾やお腹まで捏ねくり回している。ドーナはされるがままだ。しばらく撫で回し、満足したのかナルカは引き下がった。
「ありがとうごさいます!堪能しました。それにしてもドーナさん毛が汚れてます」
あんなに撫で回して第一声がそれかと、シャズとビーノが呆れるが、ナルカは厨房に引っ込むと、大きなたらいを持って来た。
「芋洗い用のたらいですけど、お二人の体なら丁度良いと思います。裏手に井戸がありますから、体を清めて下さい。虫だらけのベッドは私許しませんから」
きっぱりと言うとさっさと仕事に戻って行く。亭主を尻に敷く女ってのはこういう女なんだろうなとシャズは妙に納得してしまった。
ナルカの言う通りに裸になって二人で汚れを落とした。ビーノはさっさと部屋に引き上げている。
「気持ちいいねー」
「ああ、これはナルカに感謝だな」
「宿を教えてくれたビーノにもね」
二人の中にビーノに対する蟠りはもう無い。二人だけでガラスタイに着いていたとしても、何も分からず路頭に迷っていた可能性が高いからだ。ビーノという先輩に先導してもらうのは非常に有難かった。
「なぁ、ドーナ。プラクマって何だろうな」
「何だっけそれ」
「ビーノが使ってたろ、あの青く光るやつ」
「あーあれかー」
「忘れてたのかよ……」
「それより、なんでビーノは姿を変えてるのかな?」
「んー、分かんないけど、鳥が喋る謎は解決したよな」
「あー確かに!」
二人で笑い合う。何も持たず、何の力も無いかもしれないが、命があり旅を続けられる。それは嬉しい事だった。その日は宿のベッドに入るなり、あっという間に寝てしまった。微かな大河の流れる音が心地良い。その日シャズは大海を渡る船を夢見た。世界を巡る旅だ。満たされた心はするすると波を超えて行く。それはシャズが願った夢の体現。力が、欲しかった。
「クケェ、あれが堺海だ」
「え、これ海じゃないの?」
「クケェクケェ!匂いを嗅いでみろよ」
「あ!風がしょっぱくない!」
「そうだろうよ。こりゃあ想像もつかないような大きさの川だってことよ」
翌朝、ビーノに連れられてシャズとドーナは港にやって来た。様々な形の船が止まり、活気に溢れている。
「この中から中央に渡る船を探さにゃならねぇ。一先ず片っ端から声掛けるしかあるめぇ」
「よし、頑張ろう!」
「おう!」
船探しは難航した。見たこともないちんちくりんの小獣人達を雇ってくれる船は少ないようだ。七隻目にしてやっと雇ってもいいと言う船主が現れた。条件は二つ。見張りの交代シフトに入ること。これはダパならばマストに登るのが容易だから適役だろう。そしてもう一つはマスコットとして客の相手をする事。その船は客船だった。ガラスタイを出港し、中央大陸のショウドシティに向かう船だ。
「出港は明日の昼だ。見習い共は前日から船の掃除がある。出来るな?」
「「はい!」」
船主から船長を紹介される。彼もズマの民でトーマスと言う名らしい。シャズとドーナは直立して元気よく返事をする。早速見習いとして雇われる事になった。ビーノとはここで一旦お別れである。どうやら彼は先に飛んでいくらしい。
「ビーノ様に水夫の真似事は出来ねぇよ。先にショウドシティで待ってらぁ」
「絶対だよ?先に行ったらやだよ?」
「クケェ、安心しな。故郷までの道程の限りは一緒にいてやるよ」
「ビーノありがとう」
「いいってことよ」
ビーノはそう言って宿に引き上げていった。
「よし、お前らついてこい」
「「はい!」」
連れてこられたのは甲板だった。シャズもドーナも初めて船に乗ったが、地面が揺れるのは怖いものがある。
「すっごい揺れるねー」
「ちょっと気持ち悪くなってきた」
「あらーこれぐらいで酔ってたら船乗りは勤まらないよ」
声は斜上から降ってきた。シャズが見上げた先には上甲板から身を乗り出す女性がいた。ぱっと見た感じズマの民かと思ったが、額に稲妻のような角が生えている。背はそこまで高くないがすらっとした肢体に母性を主張するふくよかな胸元が眩しい。女性はその流れるような銀髪を一つに纏めてデッキブラシを肩に掛けていた。
「シィリン降りてこい。新入りを紹介する」
シィリンと呼ばれた女性はトーマス船長の呼びかけに答えて上甲板から飛び降りて来た。
「どうも、シィリンです。新入りのお二人さん」
「こいつはお前達より三日程早く雇ったんだ。分からない事は教えてもらえ」
「シャズ」
「ドーナです」
「よろしくシャズ、ドーナ。まあ私も新入りだから、お互い気軽に話そう」
「分かった」
「よろしくねー」
「シィリン後は頼む」
「任されましたよ。船長さん」
船長がいなくなるとシィリンはシャズとドーナに乾布を渡してきた。
「これで金具を拭いてね。少しでもくすんでるとチーフの雷が落ちるから、しっかりね」
「了解!」
「がってんしょうち!」
「ふふ」
手を掲げて了解のサインを二人が示すとシィリンが笑ってくれた。そうしてしばらく、甲板の金具を磨いたり、甲板上の残水を拭き取ったりと忙しく動き回る。シィリンは教え上手で、シャズとドーナにも理解しやすいように仕事を教えてくれた。
「おーい昼飯の時間だぞー」
掃除の要領が分かって来たあたりで、声が掛かった。
「お昼の時間だね。ほら、彼がチーフだよ」
チーフと呼ばれた男は巨大な口が特徴的な男だった。小さな耳と恰幅のある体は愛嬌さえある。
「おーう、新入り達。お前らも来いよー」
「アイサーチーフ」
「あ、あいさー?」
「返事はアイサーで返してね?」
「「アイサー!」」
昼飯は黒パンとシチューだった。シィリンの話では航海中はこんな贅沢は出来ないらしい。パンは固かったが、シチューに入れて食べると味が染み込んで美味しい。シャズとドーナは腕の良い料理人がいる事に感謝した。
「へぇ。二人は南から来たの。ガラスタイの南は未開の土地だと思っていたよ」
「ラパラは気候も安定してるから、過ごしやすいんだ」
「それは意外だなぁ。南は暑いばかりかと思っていたから」
「むしろ寒くなるよ。だからダパは皆毛足が長いんだ」
ドーナは自慢の毛並みをこれでもかと見せつける。
「ふむ。ちょっと触ってみてもいいかい?」
「いいよー」
ドーナが体を差し出すとシィリンは両手で掴まえ、わしゃわしと撫で回し始めた。
「うわわわ。そこまで触っていいとは言ってませんけどー!?」
ひとしきり撫で回してシィリンは手を離す。満足したのかと思いきや、その目はシャズをロックオンしていた。
「シィリンまてまて、俺は許可を出してないぞ?そもそも体を撫でるのは番にだけ許された……」
「問答無用」
シャズも餌食になった。執拗な撫で回しに辟易しながら、これはナルカ以上の猛者かもしれないと二人は思った。
チーフはカバの獣人です。シィリンは……。
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