第七話 予想外の出来事
鐘が鳴った。仕事の終わりの合図だ。
ネルは備品倉庫にいた。
もうすぐ仕事が終わるのだということを腹時計で察していたネルに、上司が本日最後の仕事を言いつけたのだ。備品を倉庫に戻すという、簡単で面倒な仕事だ。
「終わったらそのまま帰っていいから」とのんびり言った上司に対し、ネルはにこやかに了承の返事をした。不満そうにしていたのはネルの腹だけである。
さまざまな道具の入った大きめの木箱を台車に乗せて運びこみ、一つ一つ棚に戻しているうちに鐘が鳴ってしまった。
全てを棚に戻し終え、さてようやく夕飯にありつけるぞと、ネルは扉を開けようとした。
開かない。体重をかけて思いっきり押しても、引いてみても駄目である。
ネルは一旦手を離して考え、開け方を工夫してみた。
ゆっくりと押す。急にぐっと引っぱる。試しに横に引いてみる。やはり開かない。おや、と首を傾げる。
「すみませーん!誰かいませんかー!?」
だんだんだん、と扉を叩くも返事はなかった。
そういえば、とネルは記憶を探る。お腹が空いてあまりちゃんと聞いていなかったが、勢いよく閉めるなと注意されたような気がしてきた。あれはこういうことだったのかもしれない。だが、今更思い出しても意味がない。
よく使う道具や貴重なものは、研究棟内部やその近くの保管庫にある。必要であれば魔術を使って厳重に保管されている。
敷地の端にあるこの旧式な倉庫に保管されているのは、あまり出番のないものばかりだ。何に使うのか、木製の枠だったり、石でできた大きな鉢だったり、壊れたけど別のものに再利用出来そうなものだったり。
そのためこの倉庫は人通りの少ない場所にあり、終業後の現在、叫び声に誰かが気づく可能性は低い。
焦り始めたネルは、倉庫内を走り回って片っ端から脱出経路を探した。天井近くの窓は小さい上に格子がはまっている。別の出入り口や、秘密の地下通路なんかも見つからない。
さすがのネルも動悸が激しくなってきた。ポケットを探ると、飴が一つ。最近はそれほどお菓子をたくさん持ち歩かなくなったのだ。
「すみませーん! 誰かー! 閉じ込められてまーす!」
もう一度扉を叩いてみたが、耳をすませても人の気配はない。
倉庫内は薄暗くなってきた。夜が近づいていた。
ひとまず、落ち着くことだ。ネルは何度か深呼吸すると、注意深く明かりをつけた。この装置があったのがせめてもの救いだ。光が漏れるのに気がついて、誰か来るかもしれない。
持ってきた木の箱を裏返し、緩衝材として入れてあった布を敷いて座る。壁に背を預け、膝を抱えてローブに包まるようにした。こうなれば、少しでも体力は温存した方がいい。
心臓がどくどくと存在を主張する。ネルは胸を抑えた。
訓練のおかげで魔力は安定している。大丈夫、倒れることはない。お腹が空くだけだ。それも辛いけれど。限界が来るまでは取っておこうと、握っていた飴をポケットに入れ直す。
朝が来れば、きっと誰かが来てくれるはず。そこでのほほんとした上司の丸い顔を思い浮かべてしまい、その姿をくしゃくしゃに丸めて放り投げた。
静かに体を巡る魔力を感じながら、ネルは自分を抱きしめるようにして目を閉じた。
カタン
ネルは物音で目を覚ました。いつのまにか寝てしまったらしい。どこでも寝られるのはネルの密かな自慢である。
暗い。明かりが消えている。魔道具の明かりは一定時間経つと消える仕組みなので、ある程度の時間は経ったようだった。そしてとにかくお腹が空いていた。
突然、激しく扉が叩かれ、ネルはびくりとした。
ガタガタと音がしたかと思うと、蹴破られたかのように勢いよく扉が開き、光の筋が差し込んだ。ネルは眩しくて目を瞑る。
その人物はかけ寄って来ると、ネルの肩を揺らした。
「大丈夫か!?」
「あ……ヒューゴさん?」
ヒューゴは持っていた明かりの魔道具を床に置くと、ガサゴソと何か取り出し、ネルの手に握らせた。
「これを……ん?」
握った手をじっと見ているヒューゴ。手を離すと、ほっとしたように言った。
「思ったより、大丈夫そうだな」
会いたかった人が目の前にいる。しかも、助けてくれるなんて。ネルは胸がいっぱいになって、少しの間空腹を忘れた。
「はい、ヒューゴさんのおかげで……」
目が合って、ネルは口をつぐんだ。
いつも冷静で、慌てた様子など見たことがなかったヒューゴが、額に汗をかき、息を切らして。
「ヒューゴさん、探してくれたんですか」
ヒューゴは不自然なほどの勢いで体を離し、立ち上がった。
ぎこちない歩き方で扉の方へ向かったかと思うと、装置に手をかざして部屋の明かりをつける。
急に明るくなって、ネルは目を細めた。
振り向いて近づいてくるヒューゴの、それは些細な変化だった。視力の良いネルがじっと見つめていないとわからないほどの。
怒ったように寄せられた眉。引き結ばれた口元。明かりが付いていなかったら見逃していた、耳の赤み。
ネルは胸に激しく渦巻く感情のままに、口を開いた。
「あの、ヒューゴさん、ごはん食べませんか、一緒に」
ヒューゴはうつむいたまま答える。
「……今日は、もう遅い」
「そうですか……」
ネルはがっかりした。明かりの魔道具を拾ったヒューゴはボソリと言った。
「僕なんかじゃなくて、ジュリアンでも誘うといい」
「ジュリアンさん?」
何故ここでジュリアンの名前が出てくるのかわからず、聞き返す。ヒューゴは扉に向かいながら続けた。
「……君は、こんな非常事態でも魔力の制御ができるようになったわけだし、訓練は終わった。もう僕なんかといる必要もない」
ネルは無性に腹が立った。
本当に怒った時は体が熱くなるんだと、初めて知った。
「何ですかそれ!? なんでそんな、ひどいこと言うんですか!?」
突然の大声に、ヒューゴは驚き振り返る。
――なんかってなんだ。必要ないってなんなんだ!
「私は! ヒューゴさんといたいのに! もっともっと、会いたいのに!」
「は……?」
ネルはすっくと立ち上がり、のっしのっしとヒューゴに近づいた。
わけがわからない、と書いてあるその顔の、眼鏡の奥を睨み付けて。
「ヒューゴさんが好きです!」
「っ!」
「なんだかんだ優しくて面倒見いいところも、気になる事があると考え込んじゃうところも、それから、ちゃんと三食ごはんを食べるところも! 髪が結構サラサラなところも!」
のけぞったヒューゴの胸ぐらをぐっと掴み、離さない。
「大・好き・です!」
言い切った。
とてもとてもすっきりして、笑みが浮かぶ。
すると明かりをつけたときのように、ヒューゴの顔がパッと色づいた。
こんな表情は初めて見た。瞳の色がよく見える。陽の光に透ける若葉のような、緑色。
そこで、ネルは我に返った。返ってしまった。
ヒューゴを捕まえていた手をそろそろと離し、自身の口を塞ぐ。遅れて、じわじわと体温が上がってくる。鼓動の大きさに、地面が揺れる。
つい、言葉が勝手に出てきてしまっただけなのだ。こんな風にけんか腰に言ってしまうとは。どうせ言うならもっと可愛らしく言いたかった。
汗が止まらない。今、冷たい視線を寄越されたら立ち直れない。すぐに返事をされたらどうしよう。全くもって女性として見られている自信がないというのに。興味ないなんて言わずに、もっと女っぽい仕草を学んでおくべきだったかもしれない。
「あー……」
視線を忙しく彷徨わせ、どこかに落ちていないかと言葉を探す。当然何もない。
ネルは一歩ずつ、後ろに下がった。
「とにかく、そういうわけです!」
ヒューゴは無言だ。今しかない。
「あなたのことを素敵、好きって思う人がここに一人いるってこと、覚えておいてくださいね! じゃあ! さよなら!」
そしてそのまま、走って逃げた。
備品倉庫の扉も、運び入れた台車も放置して高速で走り去るネルを追いかけることもできず、ヒューゴはしばらくそこに立ち尽くしていた。




