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第六話 不機嫌な彼

後半、ヒーロー視点になります。



 前回は散々だったので、その後の訓練ではヒューゴの手を何か別のもの――フォークとか、棒付き飴とか――だと思い込むことにして、ネルは集中した。


 思い込みは成功し、魔力を小さく絞り出す精度は徐々に上がっていった。



 今日は「今のは完璧だった」と褒められて、ネルは有頂天だ。一方で、ヒューゴは相変わらずの仏頂面ではあったが、いつもより元気が無さそうに見えた。


「ヒューゴさん、お疲れですか?」

「いや」


 ネルはうーんと唸り、そして明るく言う。


「少し早いけど、お昼にするのはどうですか?」

「早過ぎないか?」

「十分許容範囲ですよ!」

「君はな。……わかったよ」


 優秀な研究員になると、自分の裁量で休憩にできるらしい。非常に羨ましいことだ。今日は渋々了承してくれたヒューゴに便乗できて、ネルはうれしい限りである。



 ネルの主観では控えめな食事を終えて、店を出た。普段にも増して口数の少ないヒューゴのことは気になったものの、ただ隣を歩くだけで胸が弾んだ。


 公園を歩くと日差しがぽかぽかと暖かく、ネルはふかふかした緑の絨毯(じゅうたん)の上で転がりたい気持ちをぐっと抑えた。実行したら最後、きっとそのまま起き上がれない。


 休日だったらよかったのに、とネルは思った。一緒に寝転べたら最高なのに。


「ヒューゴさんは、どうして研究所に?」


 また、頭の中を通過しなかったらしい言葉がぽろりと転がり出る。


「祖父が……関係者で。僕は祖父母と住んでるから、自然に興味が湧いた」

「だからですか……」


 ヒューゴが怪訝な顔をしたので、ネルは慌てて手を振る。


「いえ、なんでも!」


 だからお祖母さんと仲良しなのだ、と納得した。


「あと、あのお菓子って、手作りだったりしません?」

「……そうだけど……?」

「やっぱり!」


 ますます訝しむヒューゴに対し、ネルは咳払いでごまかした。なんとなく、お祖母さんと知り合ったことを話し辛かった。「お嫁に来てくれたら」なんて言われたことまで思い出してしまい、ネルは手で顔を煽ぐ。


 恋愛なんかいらない、結婚なんてしないと言って家を出てきたというのに、今は決意がぐらぐらと揺らいでいる。それどころか、もう傾いている。

 ネルはしかし、この単純な自分をなかなか気に入っていた。


 ヒューゴはぼうっとしているように見えた。ネルと違ってお腹がいっぱいで、というわけではないだろう。仕事の悩みだろうか。

 ネルはその顔をひょっこりのぞき込んだ。


「ヒューゴさん、疲れたときはお日様に当たるのがいいんですよ。不思議と元気が出ます」


 ヒューゴは虚をつかれた顔をした。


「ほんとですよ。天気のいい日は散歩するといいと思います」


 ネルは笑った。ヒューゴの表情もほんの少し、和らいだ。

 そして。


「君は……魔力の制御が上手くなったな」

「え?」

「よく頑張った」


 ネルはヒューゴに飛び付きたい衝動を抑えるのに苦労した。体中に、喜びが広がる。


「おめでとう。もう訓練は必要ない。あとは、慣れれば身につくと思う」


 体が突然、ずしりと重くなった。

 うれしさは一瞬でどこかへ飛んで行ってしまった。ものの数秒でこんなに人の気持ちを乱れさせるとは、恐ろしい男である。


 ヒューゴは大先輩だ。しかも優秀な。忙しい中ネルに付き合ってくれたことはわかっている。訓練が終わるのは良いことだ。上手になったということなのだから。そうに決まっている。


 ネルはみるみるうちに萎んでしまった元気を、身体中からかき集めた。


「あの、今まで色々と、ありがとうございました。ほんとに助かりました」


 あと、少しだけ。


「また一緒にご飯食べに行きましょうね!」


 なけなしの元気で笑ったネルから、ヒューゴはすっと目を逸らした。


「……これから忙しくなるから、どうだろうな」


 ネルは目の前が真っ暗になる感覚、というものを学んだ。学びたくはなかったけれど。

 息苦しさすら感じて、頭の中から次の言葉と呼吸の仕方を探す。呼吸をするのは、こんなに難しくなかったはずなのに。


「そう、ですか……すごく残念です。あの、体に気をつけてくださいね」


 ようやく絞り出せたのは、カスカスの変な声だった。


「ありがとう」


 ヒューゴの声は無表情だ。こんなにうれしくないありがとうは、初めてだった。




 前より仕事ができるようになったというのに、ネルの心は今日の空と同じ、どんよりとした曇り空だ。


 訓練がなくなってからヒューゴとは会わなくなってしまった。ネルの体質の研究はいつの間に終わったのだろうか。知らなかった。聞こうにも、無関係の見習いが第一研究棟の研究室に押しかけるわけにもいかない気がする。


 そう、無関係なのだ。


 自分の考えに打ちのめされたネルは、ヒューゴに会える可能性にかけてあの店に向かおうとしていた。


「ネルさん!」


 後ろから声をかけられた。ジュリアンだ。


「あ、ジュリアンさんこんにちは。私、急いでますので」

「あ、ちょっと待って」

「何ですか?」

「もし昼がまだだったら、一緒に……」

「今日はちょっと、ごめんなさい」


 瞬時に断ると、ジュリアンは苦笑いで言った。


「やっぱりそうか。じゃあ手短に。君はヒューゴと仲がいいみたいだから、説得してもらえないかと思って」

「説得?」

「次こそ魔術師の試験を受けるように」

「……」

「あいつは魔術師になれるだけの力があって、何度か試験を受けないかと言われてる。あの魔術師だぞ? なりたくてもなれない奴だっているっていうのに、どういうつもりなんだか」


 心底信じられない、という表情のジュリアンに、ネルは困った顔で返す。


「魔術師は大人気ですし、私も憧れますけど……やりたいことは人それぞれですし。それに……」


 ネルはうつむき、暗い声で続けた。


「私、最近会ってないんで。説得するのは無理ですね。ジュリアンさんの方が多分会ってるんじゃないですかね。直接言ってみたらいいですよ……」


 どんどん落ち込んで声も低くなっていくネルに、ジュリアンは戸惑い顔だ。


「なんか……大丈夫?」

「はい。大丈夫です。では、私はそろそろ厳しいので、お先に」


 複雑な表情のジュリアンを置いて、ネルは店へ急いだ。

 ヒューゴには会えなかった。




* * * 




 仕事の終わりを告げる鐘が鳴った。ヒューゴは窓の外をちらりと見た。



 昼の鐘の時には、彼女の後ろからジュリアンが現れた。華やかな容姿のジュリアンと、黙っていれば美人のネル。二人の姿は絵になった。ヒューゴはすぐに目を逸らした。


 ヒューゴは物静かな子どもだった。

 やんちゃな兄が二人いて、大人しい三番目があまり構われなかったのは自然な流れだった。すぐ下の弟が生まれると、ますます一人でいることが多くなった。


 おまけに、兄弟で一番地味な見た目だった。

 兄たちは中身はともかく、見た目は爽やかと言えた。末っ子は天使のようだったため、大いに可愛がられているのを横目で見ていた。


 家族仲は普通だ。わだかまりがあるわけではない。あるわけではないが、少々複雑な思いではあった。


 転機は十歳のとき。魔術師として忙しく飛び回っていた祖父と初めて会った。ヒューゴに魔力があることがわかると、祖父は自分と同じ緑の目を合わせ、一緒に来るかと聞いた。ヒューゴは控えめに頷いた。


 祖父母との暮らしは静かだった。というのも、祖父は多忙で家にいないことが多かったのだ。


 だんだんと耳が聞こえづらくなった祖母と、薬草を育てて簡単な薬を作る手伝いをしたり、一緒に料理をしたり、それぞれに本を読んだりして穏やかに過ごした。

 祖父が帰ると会話が増えた。魔法の話や魔術師の仕事について。魔力の扱い方。ヒューゴの知識欲を存分に満たしてくれる、わくわくした時間だった。


 本ばかり読んでほとんど外に出ない小柄な少年に友達はいなかったし、たまに出ると揶揄われることもあったが、構わなかった。早く魔法に触れて、研究がしたくてたまらなかった。


 十五になってようやく念願の研究所入りを果たしたヒューゴは、夢中になって研究に取り組んだ。

 やりたいことが次々に出てきてそれが実行できるここの環境は、楽園のようだった。


 それから七年。概ね快適な環境だが、成果を上げるたびに何かと突っかかってくる者もいる。生意気だとか、何を考えているかわからないとか、色々だ。

 地味で暗いと言われても、事実そうだと思っているし、実害はない。特に気にしてこなかった。


 これまでは。


 彼女には驚かされることばかりだった。

 食べる量が尋常でない。言いたいことははっきり言う。意外に頭の回転が速そうなのにどこか抜けている。そして魔力量がとてつもなく多いのに、その扱いがとんでもなく下手だった。改善されて何よりだ。


 ヒューゴは自分のペースが乱されるのを好まない。だがネルと知り合ってから、だんだんと今までの自分が崩されていくのを感じていた。

 ここまでだと思った。




 まだ、彼女は通らない。食堂に行くにも寮に帰るにも、この下を通るはずだった。


 見逃した可能性もある。それにこんな風に窓から見張るような真似、どうかしている。あれから会っていないが、魔力の制御は十分身についたはずで、何も心配することはないのだから。


 ヒューゴは暗くなり始めた空を見上げ、大きく息を吐いた。






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