第五話 休日の出会い
ネルの休日の過ごし方はだいたい決まっている。
起きて、体操をして、朝食を食べて、昼食を食べて、夕食を食べて、そして寝てしまう。そのどこかで散歩や買い物に出る。
休みを一緒に過ごすような友達はまだできていないが、趣味の合う人に出会えるといいなとは思っている。食べ歩き友達とか。
今日は食材が何もなかったので、ネルは夕飯の材料を調達しに外へ出た。
「こっちだよー!」
「待ってー!」
幼い子どもたちの声が聞こえた。
元気そうだと微笑ましく思って見ると、走り出した彼らの向かう先に荷物を持った年配の女性が歩いている。ネルの少し前をのんびり歩く彼女は、子どもたちに気がついていないようだ。
ネルは走った。
「おーい、君たち! 前を見なさーい!」
腹の底から響く声を聞いて、前を走っていた子は止まろうとした。が、急に止まれずそのまま女性の背中に――
「ぐっふ」
ではなく、ネルの腹に頭突きすることになった。
「ご、ごめんなさい……」
しょんぼりする子どもたち。ネルはひっくり返りそうな腹の中を押さえ込み、目線を合わせ、なるべく慈しみを込めた微笑みを浮かべた。
「たくさん人がいるところでは、走らないこと。ちゃんと前を見て歩くんだよ」
「……はーい」
彼らは怯えたように後ずさると、早歩きで去っていった。
その表情と態度に釈然としない気持ちになりながら、ネルが背中を丸めて腹を撫でていると。
「あなた、大丈夫?」
ふわふわの白い髪を耳にかけた先ほどの女性が、気遣わしげにこちらを見ていた。
「はい、全然。大丈夫ですよ!」
ネルはシャキッと背筋を伸ばして答えた。本当はまだ少し余韻が残っているけれど。
「……あら、そう? それならよかった」
彼女は穏やかな笑みを浮かべた。その耳には白い石のついた、銀色の耳飾りがついている。何かの植物を模したデザインで、とてもおしゃれだ。
「その耳飾り、素敵ですね」
「ああ、これ? そうでしょう。私、耳が遠くてね。孫が作ってくれたの。話してる相手の声が聞こえるのよ」
よくよく見るとその石には見覚えがあった。昨日も扱った、魔石というものだ。
半透明の魔石に魔力を込めると色が変わり、何やら難しい文字や記号を刻んだものと組み合わせることによって、魔術が発動する魔道具となる。今のネルにわかるのはここまでだ。
だがこんなに小さなものに加工できるとは、どれだけ器用な人物なのだろうか。しかもデザイン性も高い。尊敬に値する。なんならちょっと欲しい。
ネルは少しゆっくりと話しかけた。
「お孫さん、もしかして研究所の方ですか? 素晴らしい発明ですね」
「そうなの。自慢の孫なのよ。ゆっくり話してもらえたら唇も読めるのだけど、孫の声が聞こえるとやっぱり嬉しいのよね」
どうやらお孫さんは、おばあさん想いの優しい人のようだ。ネルは頭の中で、慈愛に満ちた微笑みを浮かべる美女を想像した。
先輩の偉大な発明を見てうれしくなったネルは、半ば強引に彼女の荷物持ちを買って出た。歩きながら、おばあさんは心配そうに話し出す。
「あの子、仕事のあと一旦帰って来るんだけど、食事が済むと仕事に戻っていくから、体が心配なのよ。熱心なのは良いけど、自分のことも大切にしてほしいわ」
「ああ、それは心配ですね」
ネルはうんうんと頷いた。
「だからね、せめて、きちんとごはんは食べるようにって、約束しているの。朝と夜は家で食べるからいいけれど、お昼はちゃんと食べているのかしらねえ」
「きっと食べてると思いますよ。ごはんは大事ですよね、本当に!」
素敵な関係に、故郷の家族を思い出す。それから肉屋である実家の特製肉団子の味も。そろそろ手紙を書いてみようか。
そして、この人とは気が合いそうだとネルは思った。
「ここでいいわ。ありがとう。あなたみたいに綺麗で親切なお嬢さんが、お嫁さんになってくれたらいいのにねえ。あの子ったらそういう話、全然しないのよ」
少しだけ眉尻を下げて、彼女は笑った。
およめ?
ネルの脳内に混乱が生じた。
「お礼と言ってはなんだけど、これ、あげるわね。薬草が入ってるんだけど、結構おいしいのよ。体の調子も整うし」
「あ、ありがとうございます」
柔らかく温かな手が、ネルの手をふわりと包み、離れていった。残された手のひらには、見覚えのある茶色の包み紙。
「じゃあね。本当にありがとう」
「あ、はい!」
心ここに在らずの状態で、手を振って歩き出す。ネルは包みを開けてみた。
それは、ころんと丸い薄緑色をしていた。
次の日。ネルは職場の食堂で、ちょっと固めのパンをかじりながら考えていた。あの女性のお孫さんがヒューゴかどうかについてだ。
彼女にもらったお菓子は、やはりヒューゴにもらったものと同じ味がした。
あれを食べた瞬間、頭の中で慈愛の微笑み美女が無愛想な黒髪眼鏡男子になってしまって、ネルの脳は再び大混乱となったのだ。
「あの」
もしそうだとしたら、昼はしっかり食べるのに夜はサラダしか食べなかった理由がわかる気がする。帰ってからお祖母さんと改めて食事をしていたんじゃないだろうか。とすると、栄養の心配は要らなかったようだ。どうりで髪もサラサラで肌つやも良いはずだ。
「あの、ちょっと!」
声にハッとして顔を上げると、目の前に人がいた。
「あ。ヒューゴさんに絡んでた人」
「……」
彼はがくっとよろけて椅子の背もたれを握りしめたが、気を取り直したように顔を上げた。シュッとした外見の割に反応が大きめな人だ。
「その……名前を聞いても?」
「私はネルといいますが、人の名前を聞くときはまず自分から名乗るのが良いと思いますよ」
「……ジュリアンだ」
少し疲れた表情で、ジュリアンは言った。
「ジュリアンさんでしたか」
「あの、ネル――」
「彼女に何か?」
聞き慣れた声が、ジュリアンの言葉を遮った。
「あ、ヒューゴさん」
ヒューゴは具材を挟んだパン一皿だけが載ったトレーを、ネルの隣に静かに置いた。スープもサラダもない。
ネルは手を止め、ヒューゴをまじまじと見た。いつもの顔のはずなのに、なんだかとても怖い気がする。
「お前に関係ないだろ」
その雰囲気に気圧されたのか、ジュリアンは目を泳がせた。ヒューゴは彼を見上げて言う。
「関係はあります」
「え?」
ネルはぐりんと隣を見た。
「彼女が抱える問題を解決する手伝いをしています。上からの指示で」
言うと、ヒューゴは視線をサンドイッチに移して席に座った。
上からの指示だったっけ、とネルは思ったが、懸命にも黙っていた。
「私的なことまでは詮索しませんが、余計なことは吹き込まないでくださいね」
淡々と続けたヒューゴに眉をひそめると、ジュリアンは肩をすくめた。そしてネルに向かって軽く手を上げる。
「ネルさん。じゃあ、また今度改めて」
「あ、はい」
ネルはその後ろ姿を見送って、ぽつりと言った。
「何の用だったんでしょうね」
「さあ」
その声がひどく冷たく聞こえて、ネルはヒューゴを見た。黙ってサンドイッチを食べているその顔は、無表情だ。
「ヒューゴさん……何かありました?」
「……」
「えっと、そういえば、ヒューゴさんがここに来るのってあんまりないですよね。あ! もしかして、私に何か用でした?」
おどけてかわいく言ってみるが、反応は薄い。
「いや、別に」
「ええー……」
ネルは衝動を抑えるのが苦手だ。思ったことはすぐに口や態度に出てしまう。言ってしまってから、相手の顔を見て失敗を悟ることもしばしばある。
食欲も理由の一つだろうが、この性質が縁を遠ざけているんじゃないかと、故郷にいる数少ない友人の指摘で気がついた。
でも、気がついたところでなかなか直せるものでもないし、なるべく気をつけるしかないじゃないかとすぐ開き直った。
こんなネルでも気持ちよく働けて、できれば収入のいい仕事を求めた結果、運良く最高の職場に出会えたと思っている。
基本的に一人で行動できて、わからないことは教えてくれる人がいて、たくさん食べられる食堂もあって。
それに、何と言ってもヒューゴがいる。
ヒューゴは冷たそうに見えて、ネルの言うことをいつも真面目に聞いてくれるし、答えてくれる。わかりやすいのもいい。呆れた時は呆れた顔、嫌な時は嫌な顔。指示も明確。笑いながら心にもないことを言ったりはしない。
ネルにとって、ヒューゴと過ごす時間は特別なものになっていた。
けれど今は少し、様子が違うようだ。わかりにくい。いや、ほぼ確実に機嫌が悪いのだろうけれども。
ネルは戸惑った。いつものように考えなしに話しかけることができない。
「……今日はいつにも増して、ごはん少なめじゃないですか?」
「そんなことない」
「ええー……」
結局おばあさんのことを聞き出すこともできず、ネルは残りの昼食を平らげるのに専念することにした。




