第三話 無愛想な彼
後半、ヒーロー視点です。
ネルは首をひねりながら歩いていた。昨日から何度もあの感覚を再現しようとしてみたが、うまくできないのだ。
つまり、ネルは今日もはらぺこである。
研究所内の食堂では、皿に盛られた料理を自由に取り、各々好きな席へ運んで食べられるようになっている。
隅の方に見知った黒髪を発見したネルは、パッと顔を輝かせた。
手当たり次第に皿をつかんで二枚のトレーに無理やり乗せると、ネルはいそいそと彼の座る席へ近づく。
「また断ったと聞いたぞ」
「……それが何か」
「何か、じゃないだろ」
よからぬ雰囲気を感じて、足を止めた。
テーブル越しにヒューゴに話しかけているのは金茶の髪の背の高い男だ。紫のローブを着た彼は小声ながら興奮気味だが、ヒューゴは平然として食事の手を休めない。
「チャンスがあるのに、みすみすそれを逃すなんてどういうつもりだ? もったいない」
ネルの手はぷるぷると震え始めたが、話の途中で入るのは少しためらわれた。
「魔術師になりたいやつがどれだけいると思ってる? 試験くらい受けるべきだ!」
「あのー」
話に夢中だった男は、イライラした表情のままこちらを向いた。よく見ると、怒った顔もさまになるほど整った容貌である。
「お話中すみません。この席、いいですか? もう限界で」
振り返ったヒューゴは、二枚のトレーを運ぶネルの腕の震えを認めて半眼になった。ネルはよいしょ、とその隣に料理を置いた。
「お話の邪魔をしてごめんなさい。でも、込み入った話なら別の場所でされてはどうでしょう」
ネルが男の目をじっと見ると、彼は頬をさっと赤らめた。
「……お騒がせしました」
そしてちらりとヒューゴを見やり、ふんと鼻を鳴らして去っていく。
隣に座ったネルに、ヒューゴは黙って目を向けた。
「何ですか? あと、あの人友達ですか?」
「いや。……同僚だ」
「へえ。あの、試験って、魔術師になるための――」
「今日は、時間がなくてここで済ませたんだ。また後で」
「あ、はい」
ネルの言葉を遮り、ヒューゴはトレーを持ってさっさと行ってしまう。そんなに急いでいたのだろうか。
おすすめメニューで大盛りだった揚げたての芋と肉を頬張りつつ、終業後までにもう少しイメージトレーニングをせねば、とネルは思った。
* * *
ネルの姿が窓から見えることに気がついたのは、出会った翌日のことだった。
ヒューゴは後悔した。窓の外など見るのではなかった。
その日の彼女は少し余裕がありそうだった。
おそらく食堂へ向かったのだろう。昼と終業の鐘が鳴り終わる頃、この研究室のすぐ下を通って行った。
あの時彼女に声をかけたのは、ちょうど目の前でうずくまった人を素通りできなかったからであって、人助けしようなどと高尚なことを考えたからではない。
顔を上げた彼女を見て、失敗したと思った。かなりの美人だったからだ。人付き合いは最低限、何者にも煩わされず研究をしていたいヒューゴにとって、目立つ人物と関わるのはできれば避けたいことだった。
論文が表彰されてから所内にいると絡まれることが増え、面倒を避けたいヒューゴは外で店を探した。
適度に離れていて適度に騒がしいあの店は、ちょうど良い加減だった。
彼女の蒼白な顔と、「ここで働き始めてからお腹が空く」という言葉が気になり放っておけず、仕方なくそこへ連れて行ったのだが。
事情を聞いてしまったのも間違いだったかもしれない。興味を持ったことは調べなければ気が済まないたちだ。仕事の合間に資料室へ足を運び、関連のありそうな本を探したが、魔力と腹具合の関係についてはわからなかった。
そうなれば本人を調べるしかないと提案を持ちかけると、ネルは意外なほどすぐに乗ってきた。相当参ったいたようだった。
そしてどうやら懐かれたらしく、こちらを見るうれしそうな顔を見ると落ち着かなくなる。子どもでもあるまいし、食べ物をもらったからといって安易に他人を信用するのはどうなのか。
いつか騙されやしないかと心配になるほどだ。
ネルの力加減がとんでもなくおかしいことが判明した数日後。
この体質は放置できないものだと判断したヒューゴは、報告書をまとめて所長室にやってきた。
「どうぞー」
「失礼します」
ノックをすると間伸びした返事が返ってきた。部屋は記憶にある状態と違って雑然としており、ヒューゴは眉をしかめる。
「珍しいね、どうした?」
大きな机に積み上げられた書類と格闘中の所長は、顔も上げない。
「ご報告がありまして。……副所長はお休みですか?」
「そうなんだよ、たった二日でこの有様さ。明日まで休みなんだけど、早く来てくれないかなあ」
弱りきった様子の彼はペンを机に放り投げると、だらりと背もたれに寄りかかった。かきむしったのか、長めの金髪もくしゃくしゃである。
長年務めた先代が引退し、優秀な研究員だった彼が若くして新所長に抜擢されてから、一年と少し。書類仕事には未だ慣れないようだ。
しかし彼の尽力により、随分と風通しの良い職場になったとヒューゴは感じていた。
頼れる副所長がいないと部屋がどんどん荒れていくのは、どうにかした方がいいだろうが。
「それで、何だっけ?」
「最近入った研究員見習いについてなのですが、かなり特殊な体質のようでして」
「へえ。聞いてないな。どんな?」
途端に前のめりになり、目をキラキラさせるその表情は、ヒューゴよりもずっと歳上のはずの彼をまるで少年のように見せる。
「まだ詳しくは。食事の量によって魔力が増減することはわかりました。満腹時の魔力に関しては、これまで僕が測った者の中で最も多いです」
「それは面白いね! ……何故報告が来なかったんだろう」
「体質のせいで見逃されてしまったのかもしれません。空腹時は魔力が減りますし。とはいえ、新人教育にもう少し力を入れてもいいかもしれませんね」
「面目ない。力不足で」
所長は顔を覆った。
「それからもうひとつ。魔力の扱いが……かなり不得手で無駄が多過ぎるので、まずはそれを改善するのが最優先かと」
例えるならば、爪の先ほどで済むところに、ネルは両腕で抱えきれないほどの魔力をぶつけていた。魔力がなくなるはずである。
自動的に必要な魔力だけを吸収する仕組みになっていなかったら、研究所内の装置は既にいくつか破壊されていただろう。想像するだけで恐ろしい。
「それは大変だな」
顔をしかめた所長は、ヒューゴから書類を受け取った。
「ありがとう、ヒューゴくん。そのまま君に任せるから、進捗があったら教えて」
「僕ですか?」
渋る様子を見せたヒューゴを見て、彼はおや、という顔をした。
「だって、気になるでしょ? 調べ始めちゃったら。君、文献読むのとか好きじゃない。……え、何? 何か嫌がる理由があるの? 気になるなあ」
所長は渡したばかりの書類をめくり始めた。これ以上何か言われる前にと、ヒューゴは踵を返す。
「承知しました。では失礼します」
「あ、ちょっと待ってヒューゴくん。試験のことなんだけど」
ヒューゴは所長を冷ややかに振り返った。
「ジュリアンをけしかけました?」
彼は微笑む。
「聞かれたことに答えただけ。だけど、本当に受けなくて良いのかと思ってね。なかなかないことだし、君のお祖父さんも……」
「祖父は好きにしていいと言ってますし、僕は研究ができればそれでいいんです。魔術師なんて柄じゃない。またご報告に参ります」
「わかった、がんばってね」という応援らしき言葉を背中に受けながら、ヒューゴは部屋を後にした。
ヒューゴの祖父は魔術師である。所長は祖父と親交があり、子どもの頃から面識があるためか気安く接してくる。
腹の内が見えない相手は面倒だ。ヒューゴは大きく息を吐いた。
終業後に行っていた訓練は、所長へ報告してからは出勤してすぐの時間になった。
その方が後の業務に活かせて効率的だし、ヒューゴにとっても都合がよかった。
ネルは意外にも努力家の面があるのか、単に空腹に耐えるのが苦痛だったのか、自主練習を欠かさなかった。
感覚がつかめてからは数日おきで様子を見ていたが、そろそろ次の段階に進めそうだ。
見習いかつ女性、しかも美人であるネルと一緒にいることで人目を集めることが増え、ヒューゴは少々げんなりしていた。
他人と過ごす時間は苦痛だ。わずかな表情や仕草、声などで色々なことを察してしまうヒューゴにとっては、とても疲れる。一人でいる方が楽でいい。
しかし、風変わりだが明るく裏表のない彼女といる時間は、思っていたほど嫌なものではなかった。




