第2話
全3話短編連作/次回9月22日22時更新予定
カツカツと進めていた足がぴたりと止まる。
地下街の端っこ。
足早に行き交う人たちが、あたしを邪魔くさそうに避けていく。
手にしたスマホを見てみれば、目的地まではあとちょっと……なんだけど。
「はぁ……さいっあく……」
思わず漏れるボヤキ。
ちらりと視線を落とせば、下ろしたばっかのヒールの高いパンプス。
……これ、絶対靴擦れしてるし。
確信して、ため息ついて――でも、今日気づけてまだよかったって胸をなでおろした。
明日の本番でこうなっちゃ楽しめるものも楽しめない。そんなのは嫌だった。
心配、かけたくないし。………………心配、してくれる、よね?
フルフルとちっちゃく首を横に振る。
浮かびかけた変な想像は丸めてポイして、何はともあれ痛む足を動かすことにした。
閉店まではまだ時間があるはずだけど、すごく混むって噂だから急がないと。
目的地は、「まよひが」。
なんか変な名前の、だけどよく当たるって噂の占い屋だ――
◇◆◇
カランカランと音を立てて、あんまり占い屋っぽくない扉を開いたら、その先からは談笑する人たちのさざめきとコーヒーとかトーストとかのいい匂い。
「――へ?」
一歩足を踏み入れて、そんな予想外の光景に思わず足を止めてしまった。
あんまりにも予想外すぎて、いい匂いにきゅうとお腹が小さく鳴っちゃったのだって気にならない。
だって、おかしいじゃん。ここで間違いないはずなのに。
「いらっしゃいませ。お一人様ですか?」
「え? ぁ……あぁ、はい、そう……ですけど」
思わずぽかんと周りを見回しそうになったあたしに声をかけてきたのは眼鏡をかけた男の人。
エプロンつけてるし、お店の人……なんだろうか?
「あの、ここって『まよひが』ってお店、なんですよね……?」
「はい。そうですよ」
「その…………ここ、占いのお店ですよね?」
「占い……? ええと……いや、ここは喫茶店だけど?」
何となく予想はできてしまっていたけれど、眼鏡の店員さんは困惑した様子でぐるりと店内を見回して、それからどこか申し訳なさそうにそんな言葉を口にする。
慌ててスマホを見直してみる。
名前もあってるし、場所だって間違いない。なのに、喫茶店?
「えぇ、そんな……どうしよ……困るんだけど……」
「や、そう言われても……」
店員さんこそ困ったようにあたしを見ている。
それは分かってるんだけど、ごめん。ごめんなさい。ちょっと今、頭の中ぐるぐるで。
やば、なんかちょっと、気持ち悪くなってきた。足元が崩れていくような――
「あぁ、うん。占い屋さんねー。いやぁ、懐かしいなぁ」
そんな遠退きかけたあたしの意識を引き止めたのは、そんな気楽そうな声。
「あ、店長」
ホッとした様子の店員さんの見る先には、なんだかへらへらって感じのゆるい笑顔を浮かべた男の人。
「うん。対応してもらっちゃってごめんねぇ。……ごめんついででなんだけどさ、レジの方もお願いしちゃってもいいかなぁ?」
あ。店員さんの顔が引きつった。
店員さんはちらりと、心配そうにあたしに目を向けて、店長って人に目を向けて、それからはぁって大きなため息を吐き出して踵を返した。
「……レアチーズな」
「オッケー。助かるよ」
彼が向かう先にはレジとお客さん、なんだけど……え、これ、あたしはどうすればいいわけ?
そんな変なやり取りにあっけにとられちゃって、気持ち悪かったのはどっかに飛んで行っちゃった感じ。
あぁでも、そうだ。この店長さん、今、占い屋が懐かしいって。
「あの……」
「まぁまぁ、ここで立ち話は邪魔になっちゃうからさ。お姉さん、とりあえずお席にどうぞ?」
いやそんなことより、とあたしが詰め寄るよりも先に。
店長と呼ばれた男の人は、ああ、そうだ、なんて呟いてあたしを見た。
そうして――ぞわりと、背筋が震えてしまったのは、どうして?
別に気持ち悪い視線だったわけでも、変なとこを凝視してきたわけでもないのに。
むしろ、ひどく透明で。
なんだか、見透かされているみたいな。
……でも、それも幻みたいなほんの一瞬。
その人はやっぱりどこか気の抜けたような、頼りなさそうな笑顔のままで。
「足元、気を付けてねぇ?」
「え?」
「なんだかすごく歩きづらそうだからさ。……まぁ、でっかいお世話だとは思うんだけどねぇ」
気遣うようなことを言ったかと思えば、よく分からないことをぶつぶつ言って、こっちの反応も待たずに踵を返してカウンターへと歩いていく。
なんだか毒気を抜かれたような心持ちで、あたしは素直にその背中を追うことにした。
何か知ってそうだったし……それに、煙に巻くような言葉って、なんだか占い師っぽいじゃない?
実を言うと占い師って、よく知らないんだけどさ。
◇◆◇
「――ここ、前は占い屋だったんだよ」
あたしがカウンター席に座るのを待って、店長さんはお冷とおしぼりを置きながらそんなことを口にした。
「まえ? えっと、今、占いは?」
「やってないよ」
あんまりにもあっさりとした言葉。
いや、まぁ、やってたら店員さんが知らないなんてことはないと思うけど。
「あ。なら、実は店長さんが占い出来る、とか!?」
「……店長? ……あ、僕? あはは、やだなぁ。できないけど?」
あたしの一縷の望みも笑顔と共に一刀両断。
「騙された!」
「えぇ……? 騙してないよぅ。人聞き悪いなぁ」
「そんなに胡散臭いのに!!」
「ええぇ、重ねてひどいなぁ。……というか、キミ、占い師さんを何だと思ってるの……?」
「え……? なんか胡散臭い感じで、回りくどくて、難しそうなことを言う人……?」
「お姉さん、そんな人に占ってもらいたいの?」
「…………イヤかも」
「だよねぇ」
思わず零れた暴言に、それでも店長さんはへらへらと全然気にした風もなく笑うものだから、なんだかムキになっちゃって占ってもらえないって事実に落ち込んでる余裕もない。
はぁとため息を吐き出して、それでようやく喉がからっからに乾いていたことに気が付いた。
恐る恐るお冷を口にしてみると、ほのかに柑橘の香り。
え、何これちょっとオシャレじゃん。
ほぅ、とちょっと息を吐いた。
状況はなんにもよくなってないけど、何だか肩から力が抜けてしまったのだ。
カウンター席は背の高いスツールだったから、床まで足は届かなかったけど、それが良かったのか靴擦れした足の痛みも今はない。
力のついでに気も抜けちゃったんだろう。思いっきりあくびが出た。このところしっかり寝れてないからか、すごく眠い。
ありがとうございました、ってさっきの店員さんがお客さんを見送ってる。
「んー……もしかして、なんだけど。お姉さんさ、ウチのサイト見て、来てくれたのかな?」
何となくそんな風景を寝ぼけた目で見ていたら、店長さんがそんなことを聞いてきた。
ぼんやりとお冷に口を付けていたあたしがコクコクと頷くと、店長さんもなるほどなるほどと頷き返す。
「ごめんねぇ、実は伯母さん。パスワードなくしちゃったみたいでさぁ」
「はい?」
いや、おばさん? パスワード? いったい何の話?
「あぁ、いや。ごめんごめん。ウチのサイトの話。何年か前までは僕の伯母さんがここで占い屋、やってたんだけどね。結構まぁ、その……うん。おおらかな人でね? サイトのパスワードとか色々、どこやったか分からなくなったってそのままになっちゃってるんだよねぇ」
伯母さんの占い人気あったし、たまーにその頃のサイト見て来てくれる人もいるから申し訳ないんだけどねぇ、なんて言うけれど、その笑い顔はあんまり困っているように見えやしない。
「えぇ……?」
「いやぁ、本当に、ごめんねぇ」
代わりにあたしときたら本当に嫌そうな顔をしたと思う。
人様にはちょっとお見せしちゃいけないような感じかもって自覚するくらいには自然と表情筋が不機嫌に動く。
だというのにカウンター越しに向かいに立つ店長さんは全然まったく動じもせずに頭を軽く下げるばかり。その表情は相変わらず、あんまり申し訳なさそうじゃないけど。
やっぱりなんだか毒気が抜かれちゃって、放送禁止な表情と一緒にストンと肩が落ちてしまった。
すっぽりと表情の抜け落ちた瞳で、カウンターの天板をじっと見る。
グラスについた水滴が、コースターの上にシミを作っていく。
使ってなかったおしぼりに手を伸ばしたら気持ちいいくらいに冷たくって、もうやけっぱちで明日の練習を兼ねてばっちりメイクを決めてみた自分の顔を思いっきり拭いてやりたくなるくらい。
ここにはお冷とかおしぼりとかそういったものはある。
あるけど、あたしの求めるものはなんにもない。
占い師の人も、占いの結果も、望んでる答えも、アイツが今何をしてるのかも、アイツが何を考えてるのかも、あたしがどうしたいのかも……なぁんにも。
「……どうしよ」
自問自答。
ここ二、三日で何度繰り返したかも分からないそれは、やっぱり今日も空回り。
ずっとすれ違ってたアイツと久々に会えるから付け焼刃でもできるだけの準備して、それでも不安で。
だから調べて、探して、見つけて、きっとこれなら――ここでなら、欲しいものがもらえると、思ってたのに。
『まよひがの占い、すごい当たる』『アドバイスが的確』『相性見てもらって勇気出た』とか、そんな感じのキラキラした口コミを思い出す。
ただ、大丈夫なんだって、あたしとアイツの相性だって悪くないんだって、そう言ってもらいたかっただけなのに。
なんだか、今の状況と比較して泣きたくなって。
「はい、どうぞ」
突然かけられた声と、ことりと目の前に置かれたカップ。
漂うコーヒーの香り。
自然と顔を上げると、相変わらず何考えてるんだかよく分からないようなへらへら笑い。
「え……と?」
「そちらの方からです。…………いやぁ、一回言ってみたかったんだよねぇ」
やったねぇ、なんてニコニコとよく分からないことを言う変な人を無視して指し示された方を見ると、いつの間にいたのか自分の座るカウンターの端っこで、申し訳なさそうに眉を下げたメガネの人がぺこりと頭を下げてきた。
……エプロン取ってるけど、さっきの店員さんだ。
なんでこの人カウンター席に座ってるんだろ? しかも彼の目の前にはいつの間にか食べかけのケーキとコーヒー。
あ、黙ってケーキ食べ始めた。……おいしそう……
ゴクリと喉が鳴ってしまって、慌てて逃げるように視線を逸らした。
そんな動きのせいなのかジクジクと靴擦れした足が痛い。
なんでもない風を装ってぐるりと見渡すと、お店にはまだお客さんが居るみたいなんだけど……? 休憩時間?
「いやぁ、お兄さんいつもありがとうねぇ。ホント、もうウチで働いちゃわない? ほら、だぶるわーく? とかいうの。流行りなんでしょ?」
「だからやらないって。なんで仕事終わってからまた仕事しなくちゃいけないんだ」
どうやら、店員さんではなかったらしい。えぇ? ウソでしょ?
「ふっつーに働いてたじゃん。エプロンしてたし」
思わずボソリと呟いちゃったら、店員じゃなかったらしいお兄さんは思いっきりむせた。店長さんはニヤニヤ笑ってる。
「だよねぇ。僕よりよっぽど板についてるよねぇ? 常連さんからも評判いいんだよぅ」
「あー」
すごい手際良かったっぽいもんなぁ。背高くてスラッとしてるからサマになってるし。なんか納得しちゃう。
「うるさい」
偽店員のお兄さんはぷいと顔を逸らすと、ずずずとこれ見よがしに音を立ててカップに口をつける。――って、そうだ。
「あの、これ……」
自分の前に置かれたカップを恐る恐る手に取れば、黒々とした熱いくらいのコーヒーがゆらゆらと湯気を立てている。
「うん。よければどーぞ。そっちのお兄さんからのおごり。あ、気にしなくていいよ。この人、そういうの好きだからさ」
老若男女お構いなしだもんねぇ、って笑う店長さんに、ずずずっ! と抗議の音が大きくなった。
そういうの、っていうのはおごること……じゃないんだろう。きっと、あのお兄さんはイイヒトなんだろうなと思った。
何となく困ってる人を見かけたら物怖じとか遠慮とかせずに声とかかけそうというか。
そんな人に心配されるくらい、自分は変な顔してるんだろう、とも。
ありがとうございます、とはなんとなく言葉にできなくて、こっちを見てもいない人にペコリと一つ頭を下げて。
コーヒーなら、いいよね?
えいやと、普段飲みもしないコーヒーに、思い切って口をつけた。
「…………にが」
思わずこぼれた本音に店長さんは、気を悪くした様子もなく、だよねぇと笑った。
◇◆◇
苦くて顔をしかめていると砂糖とかミルクとかケーキとかおすすめされたけど、丁重にお断りさせてもらった。
砂糖とミルクならタダだよ? じゃないの! 別にお財布の中身は……まぁ、その、少し寂しいけど、そうじゃなくて! 女の子には事情があるの! とかそんなバカバカしいやりとりがあったりなかったり。
「あの……図々しいんですけど、その、おばさん? に会うことってできませんか?」
むしろ眠気覚ましにちょうどいいと、苦いまんまのコーヒーをすすってから、あたしは恐る恐るそんな言葉を口にした。
本当に図々しいったらないとは思うんだけど、もう恥も外聞もあったもんじゃない。
占ってもらうなんて昨日の今日思いついたようなことだし、別にどうしても占ってもらわないといけない、なんてことはない。
ない、けど……それでも占ってもらえたら、きっと。
根拠なんて全然ないけど、最近すれ違ってばっかりのアイツと過ごす明日だって、良いものになるはずだと思ったから。
だけど、もちろん。世の中そんなに都合よくはできてなくって、店長さんは困ったような笑みを深くする。
「んー、ちょっと難しいかなぁ」
「…………ですよね。こんな身勝手なこと」
「まぁ、そうだけど。……それ以前に伯母さん、たぶん今海外なんだよね。浪漫が呼んでいるとか言ってたから」
「……ろまん?」
「そう、浪漫。多分イタリア辺り行ってる気がするよ? だから今から呼び出すのは難しいかなぁ」
なんでロマンでイタリアなのか分からないけど、そもそも日本にいないんじゃしょうがない。
っていうか、店長さん。普通にあたしのこと身勝手って言わなかった? いやそうなんだけどさぁ……
む、と不満げに睨んで見せても、さすがはついさっきの人様にお見せできない表情だって気にも留めなかった人だ。
へらへらした笑いは何にも変わらずに洗い終えた食器を布で拭いている。
「あのさ……そもそも、その占いってここじゃなきゃダメなのかい? もし必要ならこの辺で評判の良いところを職場の子に聞いてみるけど」
そんなあたしに声をかけてきてくれたのは眼鏡の店員さん。いい人だ……
だけど、あたしは首を横に振る。
もちろんそれは考えたんだけど、それでも調べて探して見つけ出したのがこのお店だったわけで、それ以外のところで占ってもらっても結果が思うようなものじゃなかったら、ホントならこんなはずじゃなかったって考えずにはいられないと思う。
我ながらめんどくさいヤツだと思うけど、こればっかりはどうしようもない。
だから、困って、迷って――
「そもそもお姉さんはさ。別に占ってもらいたいってわけじゃないんでしょ?」
いきなり降ってきたその声に、あたしははじかれたように顔を上げた。
変わらない、憎たらしい笑い顔。
その視線はただ、手元で拭いているカップに向いていて、あたしなんて見ていない。
「なに、言って。あたし、ホントに……」
言葉がカタチにならない。
カタコトみたいに単語をつなげようとしても、自分が何を言いたいのか分からない。
はくはくと、水槽の金魚みたいに口ばっかりが開いて、閉じて、だけど続く言葉が出てこない。
そんなあたしの様子にか、向かいに立ったその人がついと視線を向けて来て。
また、ぞくりと、背筋が震えた。
「足元に『そんなモノ』を色々仕掛けているのに? それ、用意してるの、お姉さん自身でしょ?」
何を言ってるか分からなかった。さっぱり分からなかった。
さっぱり分からなかったっていうのに……あたしは言われるままに足元に視線を向けた。向けてしまった。
「……ひっ」
小さくこぼれてしまった悲鳴は、きっと店内に流れる音楽に紛れてしまっただろうけど。
足元には――――罠。
現実にはこんな場所に存在するはずのないモノ。
草を編んで作られた足を引っかけるような簡素なモノから、蔦で作られた網、金属製のくくり罠、底の見えない落とし穴、果ては一度かかってしまったら足が千切れてしまいそうなトラバサミ。
それが、それらが、物も言わずに隠れもせずに、ただただ鎮座している。
「なに、よ…………これ」
用意した? あたしが? 知らない。こんなの知らない。
助けを求めるように顔を上げれば、眼鏡の店員さんは真っ青になってるだろうあたしとその視線の先を見て……だけど何も見当たらなかったんだろう。
難しい顔で眉根を寄せて首を振って見せてから、厳しい眼差しをカウンターの向こうのその人に向けた。
「……店長、アンタまさか」
声音は厳しく、その表情は険しい……けど、どこかその人を咎めるのを迷っているようでもあった。
まるで、思い当たることがあるみたいに。
「別に、脅かしたいわけでも怖がらせたいわけでもないんだよ? ……お兄さんの時とおんなじでね?」
鋭い目を向けられてもやっぱりその人は気にした様子もなく、軽く肩をすくめるばかり。
「ただ、やっぱり伝えておいた方がいいかなぁって。なんか危なっかしいし。お兄さんもそう思わなかった? ……見えなくたってさ?」
「……危なっかしい?」
そんな言葉に店員さんがあたしを見て――あぁ、とちょっと困ったように眉を下げた。
え? なに? あの奇妙な光景が見えなくても、そんな危うく見えたんだろうか?
恐る恐るともう一度下げた視線のその先には、まるで夢か幻だったみたいにいくつもあったはずの罠は姿を消していた。
でも、多分、まだそこにある。
危なっかしいと、その人は言った。
罠が危ないものなのは、分かる。じゃあ、その危ないものをあたしは何のために?
頭をよぎる変な想像に、ぶるりと、さっきとは違う理由で背筋が震えた。
そんなあたしにちょっと声をかけづらそうに、それでも店員さんは口を開いた。
「あぁ、と――その……この人さ、胡散臭いわ言葉は足らないわ煙に巻くわ」
「えぇ……なんかいきなり酷いこと言われてる?」
「うっさい。自業自得だバカタレ。黙ってろ」
えー、と不満そうにしながらも素直に口を噤むその人に対して、呆れを隠さないで大きく深くため息をつく店員さんのその様子は不思議なくらい馴染んでいて、なんとなくおんなじようなことがあったんだろうなと、思う。
「脅しじゃないなんて言いながら実質脅してるし、注意喚起するくせにアドバイスはないし、その上別にいいんじゃないなんて放り出すようなことを言い出しやがるけど」
店員さんは怒涛のように文句と不満を口にして。
けれど、彼はそっと、あたしの目からは何もないように見える彼自身の左の肩に視線をやって、ふっと小さく笑ったみたいだった。
「……でもまぁ、嘘はつかないし、キミが見せられたソレとの付き合い方もきっと気づかせてはくれるから」
それはほんの一瞬だけ。
店員さんは改めてあたしを見て、だから話くらい聞いてやってもいいと思うよって、そんなことを口にした。
「店員さん」
あたしの声に、本当は店員じゃない店員さんがこちらを促すように首を傾げた。
「……レジ、入った方がいいんじゃない? 帰る準備してるお客さん、いるよ」
多分まだひきつっているんだろう言葉で、だけどできるだけ何でもないことのようにあたしはそう言って。
店員さんは困ったように小さく笑う。
「だから、俺、店員じゃないんだけどな」
そうボヤキながらも椅子にかけてあったお店のエプロンを手に颯爽と立ち上がるその姿を、不覚にもちょっとだけカッコいいと思ってしまったのだった。
◇◆◇
「…………ね、店長さん。『罠』を仕掛けたのはあたし自身だって言ってたよね?」
睨みつけるように向けた眼差しにやっぱり動じることもなく、あたしと店員さんのやり取りをにやにや見ていた店長さんは「多分ねぇ」なんて曖昧な返事をくれる。
「なら、それってさ。あたしがアイツを捕まえたいってことなのかな? それとも――」
視線が、下がる。
そうでなければいいと思うのに、自信がなくて。
それでも聞きたいと思った。店員さんが教えてくれたように答えがないとしても煙に巻かれるんだとしても。聞かなくちゃならないって。
「それとも、アイツを…………傷つけたいって、めちゃくちゃにしてやりたいってことなのかな?」
捕まえたいなら、分かる。すれちがってばっかりだけど、それでもあたしはアイツに離れて行ってほしくないって思ってるから。でも。
でも、もしそうじゃなかったら? 離れて行くっていうならめちゃくちゃにしてやりたいって思ってたら?
ほんの一瞬だけ見えた底の見えない落とし穴、足を千切ってしまいそうなトラバサミ、そのイメージが頭から離れない。
「んー?」
回答は、不思議そうな音。
見れば、店長さんはわざとらしいくらいに首を傾げて不思議そうにあたしを見てた。
「え、と……?」
「お姉さんはさ、目の前に落とし穴が見えてるのに構わずまっすぐ進む人?」
「は? え、いや、そりゃ、避けようとするとは思うけど……」
「だよねぇ。何にも隠れてない『罠』にわざわざかかる人、少ないと思うんだよねぇ。キミの言うアイツさんって、そういう人?」
「……そんなことはないと、思うけど」
「じゃ、そういう目的じゃないんじゃない?」
あっけらかんと店長さんはそんなことを言う。
いや、そりゃ、そうかもしれないけど。でも、だったらどうして、あんなもの。
ちらりともう一度、足元を見たって『あんなもの』はもう見えない。
「そ、そうだ! だってアレ、さっきちょっと見えただけで、今はもう見えないし」
罠としては隠れているはずだ。
だから――だから?
「だから、お姉さんはアイツさんをめちゃくちゃにしてやりたいんだーって、自己紹介?」
指摘されて、自分の顔が青くなって赤くなってワケ分かんなくなって。
違う違うと駄々っ子みたいに首を振る。
自分がどうしたいのか分かんない。
「何か勘違いしてるけどさ、見えないんならそんなモノ、ないんだよ? キミが見たものはキミ自身に向けられたナニカだよ。ほら、僕もお兄さんも、キミの近くを通ってた人だって何ともないでしょ?」
店長さんはパッと両手を、まるで手品師がタネがないことを示すみたいに広げてみせる。
「何よ、それ……じゃあ、何なのよ、アレ。もう、ワケ分かんない…………」
「さぁ? 本当のところは知らないよ。僕はキミじゃないからねぇ」
もう顔を上げていられなくって、泣きたくもないのに涙だって溢れてきそうになって、だっていうのに頭上から聞こえてくる声はなんにも変わらず気楽な様子。
それがすごく腹立たしくて、それがすごく悔しくて。
「でもさ。お兄さんもキミを危なっかしいって思ってたでしょ? お化粧で隠したって、そのくらいお姉さんの顔色悪いよ。気づいてた?」
……知らない。
鏡はいつも以上に見てたけど、必死で……何に必死なのかももう分かんないくらいで、自分の顔色なんて気にもしてなかった。
「何か大事なことがあるんだと思うけどさぁ、それって自分を『罠』で囲んで、ガチガチに身動き取れないようにしなくちゃいけないこと? ……ま、それならそれでいいと思うけどねー」
でもま、とやっぱり緊張感のない声で、言葉で。
「そんな状態だっていうのに、伯母さんの占いを聞きにわざわざ来てくれた子だから、一応ね。きっと、伯母さんなら言うだろうことを教えてあげるよ」
キミの望んでいるモノじゃあないだろうけど。
そう言ってくすくすと、楽しそうに。
なんだかこんなに追い詰められているような気分になってる自分がバカみたいに思えるくらい軽い調子で。
きっとへらへら笑ってるんだろうって、憎らしい気持ちでちらりと見上げた顔が少し優しい笑顔に見えたのは、多分視界がにじんでたからだけど。
「――占いなんていいから、とっとと帰っておいしいもの食べて、あったかくしてお休みなさい。そしたらちょっとはマシな明日が来るわよ……なんてね?」
「…………占い師が、それでいいの……?」
「ねー? ホントそう思うんだけどさぁ。たぶん、解像度高いと思うんだよねぇ」
甥っ子ですから、なんて自信ありげに言われても、あたし、そのおばさん知らないんだけど。
別になんにも解決してない。
今だって何が何だかいっぱいいっぱいで、どれだけ準備したつもりになっても不安で、心配で、せめて良いことでも言ってもらえればってここまで来たのに占いなんてやってないし、変な人に胡散臭いこと言われていっぱいいっぱい。
挙句の果てには自分で自分をガッチガチに身動きできなくしてるんだって。
本当に――本当に、さぁ。
「……バッカみたい」
吐き出した言葉は小っちゃくて、自分自身にだって微かにしか響かなくって。
だけど、えいやと。
冷めてすごくすごく苦くなった残りのコーヒーを一気に口に流し込む。
「おー、いい飲みっぷり」
ぱちぱちとバカにするみたいに小さく手を叩く変な人をキッと睨みつけて、空になったカップを突き出した。
「お代わり! すっごい苦いヤツ。それと……ケーキ! なんか美味しそうなの」
思い出したようにお腹がきゅうっと切なく鳴いてしまったんだからしょうがない。美味しいもの食べろって言われたし、うん、しょうがないんだ。
「あれ? いいの?」
にやり、と意味ありげに笑うムカつく顔に「いいの!」と吐き捨てれば、なんだか少し気持ちがすっとした気がした。
「よろしい。お兄さん用にとっといたヤツだけど、とっておきのレアチーズケーキごちそうするよ。なぁに、心配しないで。お兄さんのおごりさ」
そしたらなんか勝手にそんなことになった。
なんでアンタがそんなに自慢げなのよ。
レジに張り付いてくれている店員さんには聞こえてないんだろうけど……なんかごめんねと心の中で謝っておいた。
でも別に止めない。怒られるの、あたしじゃないし。
――
――――
――――――
そうしてゆっくりと、苦いコーヒーと美味しいケーキをたっぷり食べた。
コーヒーはそりゃもう苦くて泣いちゃいそうで、久々に食べたケーキは幸せになるくらい甘くて泣いちゃいそうで。
だから、後は早く帰って眠っちゃおう。
眠れるかどうか知らないし、マシな明日なんて来ないかもしれないけど、それでも。
それでもちょっとはマシになるんじゃない? って、あたしもそう思えたから。
高いスツールから降りて、かつんと床を叩いた足はもう痛くない。
「――ごちそうさま」
「お粗末様でした。足元に、気を付けてねぇ?」
「ええ。……また来るわ」
「おや? じゃあ――うん。またのお越しをお待ちしております」
そうしてあたしは、ここに来て初めてくすりと笑えたのだった。
◆余談◆
ある日の仕事終わりの時間帯、夕ご飯前ということもあって、喫茶店に人気はない。
とはいっても、この前みたいに一人じゃ回せないくらいいっぱいになることもあるんだから不思議だなぁとは思うんだけど。
カラン、カランと勢い良く扉が開かれて、僕はパッと視線を上げた。
同時に、今日も休憩だと顔を覗かせてくれたお兄さんも扉の方に顔を向けていて、僕が見ていると気づいたらバツが悪そうに目の前のコーヒーに視線を下ろした。
もうバッチリ、僕以上に店員さんなのに認めてくれないんだもんなぁ。
くすくすとつい笑ってしまいながら、視線をお客さんへ。
「いらっしゃいませぇ」
「こんにちは」
いつものように声をかけて、カウンターから足を踏み出せば、声をかけてくれたのはどこか緊張した面持ちのお姉さん。
あれ、この人は……
その人には見覚えがあって、僕はつい彼女の足元に視線を向けてしまった。
そこにはいつぞやのように背の高い靴はなくて、歩きやすそうな背の低いサンダル。
「……あの?」
おっと、いけないいけない。いきなり人様の足元を眺めていたら怪しい人だよね?
「あぁ、すいません。ぼぅっとしちゃって、お席にどうぞー」
僕が席を進めると勝手知ったると言わんばかりにカウンターに向けて歩き出す。
その足元に危なげはなくて、何となくホッとした。
「苦いコーヒーと……あ、レアチーズケーキはもうないんだ」
「うん。あれは期間限定だったからねぇ。ベイクドチーズケーキの方も美味しいよぉ」
じゃあそれで、と注文をくれたお姉さんはやっぱりどこか落ち着かなさげ。
同じカウンターの奥の方に座ったお兄さんは我関せずとコーヒーを優雅に飲んでいる。
でも、レアチーズケーキの一言にピクリと反応したのを僕は見逃さなかった。なんで勝手におごりになってるんだと怒られちゃったからね。
くすくす笑う僕に、奇妙なモノでも見るような目を向けてくる彼女を気にせずに、まずはコーヒーの準備を始めることにした。
ええと、苦いのがいいってことだから……この前出した時はどの豆を使ったんだったかなぁ?
「…………あの、店長さん。それに、店員のお兄さんも」
「うん?」
かけられた声に首を傾げて振り返ると、我関せずを貫いていたお兄さんも驚いた様子でその子を見ていた。
いや店員じゃないんだけど、とか思っていそうだけど彼は何も言わなかった。
僕らの視線にちょっと気圧されるように彼女は身を引いて、それからスツールから二本の足でしっかりと立ち上がった。
なんか目つきが鋭くて怖いんだけど?
ごそごそと、彼女は身に着けていた小さなバッグから綺麗に折りたたまれた紙を僕に差し出してきた。
「え? なに? 受け取れって?」
こくり、とお姉さんが鋭い眼差しのままで、ん! と紙を押し付けてくる。
えぇ、なんだろう……? ついこの間月末で、請求書とか当面見たくないんだけど?
恐る恐ると受け取って、ゆっくりとその紙を開いてみれば――
「………………りれきしょ?」
どこかで見たことのある用紙に、思いのほかとか言うと怒られちゃいそうだけど几帳面な字が踊っている。
何となく信じられないような気分で彼女を見て、ついでにその並びの彼を見て、もう一度彼女を見た。
「本気?」
「何よ、店員……募集してるんじゃないの?」
僕を見て、お兄さんを見て、それからぐるりとお客さんが一人もいない店内を見て、自信なさげに聞いてくる。
店員さんの募集の張り紙はしてない、けど。
「や、まぁ、いてくれるといいなぁって思うことはあるんだけど」
と、現在僕以上に店員らしいけど店員じゃないお兄さんに目をやれば、俺に聞いてくれるなとばかりに勢いよく顔を逸らされた。ひどい。
「御覧の通り、お客さんいないことも結構多くてね。……その、もちろん、前に来てくれた時みたいに一人じゃ回せないこともあるから、店員さんがいてくれるのはすごく助かるんだけどさ」
そんなところでバイトしてもいいの? と言外に聞いてみれば、彼女は無言でこくりと頷き返す。
「……そっかー」
ちょっとあんまりにも予想外で想像もしていなかった。
閑古鳥がよく鳴くウチに本当に店員さんかぁ。
「ええと、恥ずかしながらお給金、多くないよ」
「…………」
多分、出せてこれくらいと手元の電卓で打ち込んで見せると、ちょっとだけの迷いの後でもう一度、首肯。
何がお姉さんの琴線に触れてくれたんだか、どうやら本当にこのまよひがで店員をしてみたいと思ってくれているらしい。
なんだか、ちょっと……実感が湧いたら楽しくなってきたぞぅ。
にやぁと口元が緩んじゃうのが自分で分かる。
あ、お姉さんが一歩後退った。
「ごめん、ごめんって。とりあえず座って座って! まずは今、美味しいコーヒー淹れるからさ。コーヒー飲みながら具体的な話をしようよ」
ふんふーんと思わず鼻歌をコーヒー豆に向き直る僕、恐る恐る席に着くお姉さん、マジかと言わんばかりの眼差しで彼女を見るお兄さん。
もしも働いてもらうなら、やっぱりお客さんが多い時間がいいよねぇ。お客さんいないと働く方だって退屈だろうし。
でも、割と波があるからなぁ……お兄さんには前に断られちゃったけど、やっぱりスポットバイトみたいな形がいいかもしれない。
基本的にはお姉さんの都合でいいとして……
なんてこれからの展望を脳裏に描きながら、僕はにやにやときっと傍から見たら不気味な笑いを浮かべながらコーヒーを淹れていたことだろう。
カウンターからはなんだか、あの人大丈夫なの的な会話が聞こえてくるし。
でも大丈夫。今なら何でも許せちゃいそう。
それは、まよひがに新しい仲間が増えた日の話。
僕は満面の笑みと共にコーヒーとケーキを二人にサービスしたのだった。




