第3話
全3話短編連作/完結
普段座らない、奥のテーブル席に腰掛けてぼんやりと肘をつく。
ぐるりと店の中を見回してみてもお客さんの姿はない。
珍しいことではないけど、なんだか手持ち無沙汰に感じてしまうのは少し不思議な感覚だった。
今日は仕事なしってお達しだっていうのに、仕事ジャンキーっぽいセンパイの悪影響かな、なんて小さく笑ってしまう。
「おまちどうさん」
「……あ、ども」
センパイの手で店長さんからの差し入れだってコーヒーとケーキが目の前に置かれて、あたしはようやく姿勢を正した。
目の前の席に腰を下ろしたセンパイは若干疲れ顔。
「まーた、だいぶお疲れなんじゃない? センパイ」
「あー、まぁね。この一休みが終わったらもう一仕事だしなぁ」
「うぇ」
時刻はすでに18時を回っているんですが。
会社には定時というものがあると聞いていたんだけど都市伝説だったのかしら?
……この前冗談交じりにそう聞いたら「そうだよ」なんて真顔が返ってきたからな……ちなみにその話を聞いた店長さんはお腹を抱えて爆笑していた。鬼か。
これぞ仕事ジャンキー。仮にどこぞに就職しても絶対にこの人みたいにはなりたくないと心に決めている。
「いや、その反応……分かるけどさ」
はぁ、と軽く息をついて苦笑したセンパイは、いただきますもなしにコーヒーに口をつけて、あっつと喚いていた。
この人毎回これやってる気がするんだけど、これでホントにできる人なの? とちょっとばかり懐疑的なのは内緒だ。
あたしは心の中でいただきますと呟いて、ゆっくりと一口。
……うん。今日もしっかり苦い。だがそれがいい。
満足げに頷いて、それからちらりとカウンターへと目を向ける。
このコーヒーを淹れてくれた店長さんはさっきからカウンターのところでお話し中。
お相手はご近所のパティシエさん。何でも、お客さんもいないしここぞとばかりに次の季節に向けたスイーツセットキャンペーンの大激論らしい。
「……ふーん」
目の前のケーキがその試供品のお裾分けだそうで、パンプキンパイと洋梨のタルト。
洋梨のタルトにフォークを入れて、一口分をパクリと口の中へ。
うん。甘くてシャクシャク、洋梨の感じも面白い。
けど、季節感とかなんとかかんとか、やっぱりあたしには分かんない。
や、美味しいとはもちろん、思ってるんだけどさ。
「なんか、違和感があるんだよなぁ……」
ぽそりと口にしたのは自分自身でもよくわからないひと言。
視線の先の店長さんを、ちょっと不可解に思うのは何でだろうか。
「んー? 違和感?」
むしゃむしゃとパンプキンパイを美味しそうに口に放り込んでいたセンパイがあたしの視線の先、店長さんを見て首を傾げる。
あたし自身、うまく言葉にできない話なんだけど……あぁ、この違和感を感じ始めたのは、そう。
「この間、大学に行く前の話なんですけどね――」
◇◆◇
「さすがにやってないよなぁ……」
ぽそりと呟いて、レンガ作り風の店舗を見てため息ひとつ。
出勤ラッシュの時間こそ終わって、人の流れは落ち着いたけど、隅で立ち止まっているあたしを行き交う人が不思議そうに避けていく。
普通に考えれば、まだまよひががオープンしていない時間。
こんな時間にここまで足を運んだのは深い理由が――あるはずもなく。
まさか前回の講義で休講の案内があったとは……アイツラも教えてくれたらよかったのにと、今ここにいない友人たちに思わず悪態をついてしまう。
……寝ぼけて聞き損ねてたあたしが悪いのはよく存じ上げております。はい。
次の講義まではまだ時間もあるし、いったん帰るのも悔しいからついついここまで足を伸ばしたんだけど。
シャッターこそないけれど、扉にはクローズの札がかかっているし、扉のすりガラスの向こうは薄暗くて、とてもやっているようには見えない。
そもそもお昼前からの営業だし。
「店長さん、モーニングでもしてくれればいいのに」
八つ当たりとは思いつつ、そんなことをボヤキながら、無駄と知りつつノブに手をかけて――ガチャリと小さな音を立てて、ノブが回った。
「えぇ……?」
困惑だ。
悪いことなんてしてないのに、なんだかこそ泥になってしまったような気分で思わずキョロキョロと辺りを見回してしまう。
あ、訝しげな眼差しのオジサマ、オバサマが……
その視線に耐え切れず、あたしはへへへと我ながらこの上なく怪しい作り笑いで扉をくぐった。
当たり前だけど人気のない、薄暗い店内。
普段はうっすらと聞こえる曲さえ流れていないからだろう。カランカランと響くベルの音と、ガチャリと扉の閉まる音がひどく大きく聞こえる。
「お、おじゃましまーす……」
あたしの間抜けなセリフが間抜けに響いて――カタン、と。どこからか小さな音がした。
ビクリと自分の肩が跳ねる。
多分、奥。カウンターの隅。入口からじゃ死角になって見えないところ。
ゴクリと自分自身の喉が鳴る。
どうしてあたしはゆっくりとカウンターに近づこうとしているんだ……こんなの、外に出て誰か呼んだほうがいいに決まってる。
頭では分かっているのに、何かに誘われるように一歩、二歩……カウンターの奥が見える位置まで移動して。
「ひっ……!?」
思わず悲鳴が漏れてしまったのはそこに何かがいたから。
初めは見間違いだと。柳の下の幽霊みたいに、居もしないものを人だと思ったのだと考えたけれど、違う。違った。
ゆらゆらと揺れるのは間違いなく直立した人の影。
それが、ゆらりと、こちらに目を向けて――
「――――あれ? お姉さん? どうしたの、こんな時間に」
どこか眠そうな目をぱちぱちと瞬きしながら、暗がりの中ぼんやりと突っ立っていた店長さんは、いつものとぼけた様子で小首を傾げて。
影の正体に気の抜けたあたしのお腹は、くぅと油断なく自己主張したのだった。
◇◆◇
「――で、結局店長さんがホットケーキを作ってくれたってわけ」
「いや、どうしてそうなった……」
「や、なんかね。店長さんがモーニングやってみようか考えてるって言うんで、お試しで作ってくれたの」
「あぁ、なるほど?」
よかった、店長に朝食をたかっていたハラペコ女子がいたわけじゃなかったんだ。……いなかったのかな? 本当に大丈夫そう?
ええと、で、この話ってなんだったっけ? ……あぁそう、違和感。違和感の話だった。
俺はコクリと重々しく向かいの彼女に向けてひとつ頷いた。
「たしかにその流れで美味しくモーニングをいただこうなんて違和感だな」
「いや違和感それじゃないし! 朝食べてなかったからお腹空いてただけだし!」
お腹空いてたイコールその流れでモーニングは成り立たない気もするけども。
「あと店長さんにも言ったけど、普通にホットケーキミックス焼いただけだったからイマイチ……まぁ、メープルとかバターとかホイップクリームまで試させてくれたから美味しかったけどね」
「満喫してるじゃねぇか……」
マジかよ、なぜかドヤ顔で批評まで……あ、いや、試作品なら良し悪しははっきり伝えた方がいいのか。
はぁ、とため息ひとつ吐き出してコーヒーを口にした。
恐ろしく脱線してしまった……俺のせいかもしれないけど。
「まぁ、冗談はさておき、たしかに不思議な感じだな」
「あ、やっぱセンパイもそう思う? なんか変だった気がするんだよねぇ」
どこがどうとは言えないんだけどさー、なんてボヤいて彼女はビシリと俺にフォークを突きつけた。
やめなさい、お行儀の悪い。
「そうだな……考え事するのに暗い店の隅でぼんやり立ってたんだろ? その方が集中できるって可能性もあるけど……」
だからって突っ立ってるもんだろうか? 席に座ればいいし、なんなら奥の部屋だってある。
「そういえば考えてるって割には何にも動かしてなかったような……火は付けないにしてもコーヒー入れる準備とか何かありそうじゃない?」
「あぁ、たしかに」
飲食店の企画作りなんて想像もつかないけど、実際に何かしら作ってみた方がイメージも湧くもんじゃないだろうか?
パティシエのマダムも店長と次の季節の企画を――となったら、勇み足でご自分の店からケーキ持ってきたし。
手元のパンプキンパイを一口分、フォークで持ち上げる。
ずっしりとした重みの割にパイ生地はサクサクと軽く、カボチャのクリームは濃厚でありながらなめらかで、コーヒーにもしっかりと合う。
やっぱりあのマダム、ただものではない……甘党ではなかったはずの自分が休憩と称してはちょくちょく頼んでしまうくらいには魅力的だ。
おかげでお財布と体型には優しくない。
――閑話休題。
店の電気もついていなかったくらいだ。機械も何も動かしてはいなかったんだろう。
単にイメージを練っていただけと言われりゃそうかもしれないけれど。
「……結局、店長は傍から見れば何もしてなかったってことだよな? まだ店を開ける前に、電気も何もつけずに、ぼんやりと」
そりゃあ違和感だ。アンタ何してんだと聞きたくもなる。
それに今の話で自分の方でもどうにも据わりの悪い感じがした。いや、気にしすぎだとは思うんだが。
「そうそう。なんかそれ!」
我が意を得たりとばかりに、自称後輩はぴこぴこと手にしたフォークを振って同意する。
だからやめなさい。本当に。
「……今の話聞いててふっと思い出したんだけどさ。そういや俺の方でも違和感、っていうか、なんか不思議なことがあってさ――」
◇◆◇
店にふらりと足を延ばしたのは少しばかり早めに仕事が落ち着いたからだった。
余裕がある時は定時後の仕事前に一服しにお邪魔するくらいだから、この時間に足を運ぶのは初めてだった。
とはいえもう閉店時間30分前、ラストオーダーもギリギリか終わってしまっているだろうとは思っていたから冷やかしついでだ。
……我ながら嫌な客じゃないだろうか?
「はーい。いらっしゃいませー……ありゃ、お兄さんじゃん。こんな時間に珍しい」
カランカランといつも通りの軽い音を立てて入店すると、いつも通りの店長がにこにことへらへらの中間みたいな笑顔で出迎えてくれた。
ぐるりと店内を見渡すとお客の姿はないようで、店長はテーブルの拭き掃除をしている最中。
この時間、いつもこうなのかは分からないけど、まぁ夕飯時だしな。喫茶店に来る時間ではあまりないんだろう。
こちらにどうぞといつものカウンター席を指し示して、さっさとお冷の準備を始めようとする店長にちょっと待ったと声をかけた。
「あー、仕事が早めに片付いたんで立ち寄っただけだからいいって。その様子だともう閉店準備してたんでしょう?」
「いやいや、別にいいよぅ。ラストオーダーは終わっちゃったけど、ちょっと残りもあるからさ。残り物の片付けの手伝いだと思って軽く食べてってくれない?」
夕飯には足りないだろうけどさ、なんて勧められたら断るのもなんだか申し訳ない気がしたもんだから、促されるままに席に着いた。
「いやぁ、逆に助かったよ。今日は閑古鳥が盛大に鳴いてたからさぁ、どうしたもんかと思ってたんだよぉ」
言いながら出してくれたのはサラダとサンドイッチ、後はわざわざコーヒーまで。
「……あれ? 店長は食べないんですか?」
「実はあんまりにもお客さんが来ないもんだから、ついさっき食べちゃったんだよねぇ」
いや、てへぺろじゃないが。
食べてる最中に客が来たらどうすんだ……なんか普通に笑ってごまかしそうだなこの人……
まぁ、そんなことを俺が気にしたって仕方ないか。
はぁ、と呆れのため息を吐き出して、ありがたく目の前の料理をいただくことにした。
――
――――
――――――
「……聞いていいか悩ましいんですけど」
食後、閉店作業をするという店長の手伝いを申し出た。
とは言ったところで素人には機械の手入れやら出来るわけもなく、せいぜいが店内の床掃除くらいのものだけど。
「んー? なんだい?」
カウンターの中で、手慣れた様子で手入れを進める店長は気のない様子で首を傾げる。
「…………お客、あんまりいないみたいですけど、大丈夫なんです? その、経営とか」
「うわ。答えづらいことを聞くねぇ、お兄さん」
ちらりと顔を上げた店長は、にやにやと人の悪い笑みを深くする。
う……いやまぁ、さすがにちょっとあれかなとは思ったんだけど、やっぱり気になるじゃないか。
こう入り浸っているとおいそれと無くなってもらっても困るというか。
そんな俺を見て、店長はあははと笑う。いや笑い事じゃないんだが。
「ごめん、ごめん。冗談だよ。これでもありがたいことに常連さんだっているんだぜ? しかもキミたち二人がバイトしてくれるようになったからね、これまで一人で手が回らなくって怒らせちゃってたようなお客さんの対応もばっちりさ!」
「俺はバイトじゃなくて気が向いた時の手伝いですけど。……そんな頻度で来てるわけでもないし」
自称後輩の方は知らないけど、アイツだってスポットバイトだったはずだし大学生だ。そんなに暇なわけじゃないだろう。多分。
「いやいや、今でも二人にはもう十分すぎるほどお世話になっちゃって……特にお兄さんには申し訳ないくらいだよ?」
今からでもバイトにしない? なんて懲りもしないお誘いに俺はすげなく首を横に振る。
副業だなんだは手続きが面倒くさいのだ。本当に。
ちぇーだなんて口を尖らせているけど無視だ無視。
「ま、だから安心していいよ。夜逃げするようなことはないから――――っと、よし、終わったぁ。……いやぁ、手伝ってもらっちゃってごめんねぇ。後は僕の方でやっておくから、遅くならないうちに帰った方がいいよぉ」
言われて時計を見てみれば、ここに顔を出してからなんだかんだで一時間程度は過ごしていたらしい。
ふぅ、と吐息。普段デスクワークばっかりで体なんて動かさないもんだから、こんなちょっとした掃除でも疲れるらしい。運動不足だな、こりゃ。
「じゃあまぁ、気が向いたらまた顔を出すことにしますよ。その時手伝えることでもあれば、ってね」
「うん。ありがとうねぇ。あ、そうだ。最後に扉にプレートだけかけといてもらえると助かるなぁ」
ほうきとちりとりを仕舞って、帰り支度をしながらの俺の言葉に店長はにこにこと満足げに頷いたのだった。
「あ、しまった」
店を後にして、少し歩いてから俺はぴたりと足を止めた。
今度昼間に職場の連中を連れてきてもいいか、聞き忘れていたのだ。
どうしようかと一瞬だけ迷って、引き返すことにした。
こういうのは後に回すとずるずると聞きそびれるからな。まぁ、さっきの今じゃ少しばかり顔を合わせづらい気もするけども。
「……あれ?」
けれど、店の前まで戻ってみると俺が出た時にかけたクローズのプレートのその向こう、すりガラス越しの店内はもう真っ暗になっているようだった。
もう少し仕事があるようなことを言ってた気がするんだが……あー、奥の部屋で作業かな?
「だとすると、さすがに邪魔するのも悪いか」
なんとも間抜けだけれど仕方ない。こうとなったらここでダラダラしていても仕方ないし、可及的速やかに帰るとしよう。
そうして俺は、はぁとため息を吐き出して、もう一度踵を返したのだった。
◇◆◇
「とまぁ、そんなことがあってだな」
「えぇ!? 夕飯食べさせてもらってたなんてズルいんだけど!」
オーケー、落ち着こう。話し終えた俺が想像してない反応が返ってきたな。
「……そういう感想? キミ、ハラペコ女子で売ってこうとしてるわけ?」
「ハァ? ハラペコ……なに? 何言ってんの? ちょっとヒくんだけど……」
思わず半笑いで聞いてしまった俺に返ってきたのは真顔だった。なんか目が冷たい。
「あ、そういうマジな返しやめて。心が痛い」
「……やだなぁ、じょーだん。冗談ですって。――で、不思議ですけど」
何がどう冗談なのかも分からないけれど、ゴホンと咳払いをした彼女は居住まいを正してコーヒーを一口。
俺の方もため息ひとつで気分を入れ替えて、残り少ないコーヒーを飲み干した。
「ええと、センパイが戻ったらもう真っ暗になってた、っていうのはちょっと不思議ですよね? 話聞いた限り締め作業が全部終わったーって感じでもなさそうだったし」
「そうだな。てっきりまだ店の方で作業すると思ってたし、あの時はあまり不思議に思わなかったんだけど、あそこ」
ぴ、とカウンターの奥の部屋への入口を指差して。
「休憩スペースとは言っているけど、ちょっとした荷物置き場だし、あんまり作業するような場所でもないと思わないか?」
「あー……まぁ、ですかね? あたし、ホントに物置く時しか使ってないんであんま印象ないですけど」
言いながら考えてみるとやっぱり少し不思議というか。
小さなロッカーがふたつと、小さめの事務机と安っぽい椅子一脚。
あの部屋にあるのはパッと思い出せる限りだとそんなもので、あの場所が作業に向いているとはちょっと考えづらかった。
「ってことは逆に、開店前に店長さんがお店の方にいたのは当たり前だったってことですよね? 奥で作業するのがイマイチなら」
言われてみれば、そうか。
俺はこくりと頷きかけて、だけどその首を右に傾けてしまった。
「あぁ……でも、そうすると逆に閉店後に店長はどこ行ったんだ、って話にもなるけど」
「んー、いや、いったんお手洗いとか? ほら、お手洗い外にしかないし。センパイだって、お店が閉まってるみたいだったからすぐ帰ったんでしょ?」
なるほど、それならつじつまはあう……か? 俺が外に出てからすぐに店長もトイレに向かったっていうなら、店がいったん消灯されていてもおかしくない。
「――――あ」
「うん? なんかおかしかったです?」
「……いや、夜の件はそうかなと思ったんだけどさ。また別件でちょっと不思議に思っちゃって」
別件? とオウム返ししてくる相手に頷いて、頭の中で記憶を辿る。
カップを口元に持ってくるけど……あぁ、しまった。飲み干してしまっていたんだった。
結局、口は付けずにソーサーに戻して、慎重に思い返してみても――といったところで、俺が彼について知っている事なんてまだほんの少しの期間の事だけれど――やっぱりそうだ。
「そういえば俺、これまで店長が食事しているところって見たことないんだなって。……食事っつーか、休憩っつーか」
見たことある? と、俺よりは長時間、バイトとして過ごしているはずの自称後輩に聞いてみると、彼女はぼんやりと視線を上げて思い返しているようだった。
顎に手を当てて、うーんと呻くところを見るとたぶん彼女も見ていないんだろう。
そんなことあるか? だってワンオペで昼前から夜までだぞ? お客がいたらトイレだって気軽には……『あ、ちょっとトイレ行ってくるから、店番お願いしていいかなぁ?』なんて気軽にお客に頼む店長の様子が易々と想像できてしまったけれど、うん、なかなか、難しいような気が……難しいかなぁ?
「でも」
うん、とひとつ頷いて、この店のバイト店員は苦笑を浮かべる。どうやら何か思い出したらしい。
「その、初日に色々説明してもらったときに、お客さん来てない間は休憩みたいなもんだから、とか店長さん言ってましたよ?」
「あのダメ店長は……」
思いっきりため息を吐き出した。
言いそう。ものすごく言いそう。しかもやっぱりお客がいても想像通りお客に店番頼むわ多分あの人。
「……違和感というか、不思議というか、やっぱ変な人ですよねぇ」
「あー。そりゃ、間違いない」
ストン、と。
笑みを含んだ彼女の言葉が腑に落ちる。
違和感も不思議もありはするけれど、それ以上に変な人で……だもんだから。
「えーなになに? 僕の悪口? 混ぜておくれよー」
「なんで自分の悪口だと思いながら混ざりたがってるんですかアンタ」
いつの間にかトレイを持った店長が俺らの横からひょっこり顔を出しても、驚きよりもなんだか受け入れてしまっている自分がいたのだった。
◇◆◇
「はい。これ、お冷と、よければコーヒーのお代わりね」
言って、いつものにこにことにやにや笑いの中間で店長は手際よく俺たちの前にコーヒーを並べていく。
いつの間にか企画の方は落としどころが決まっていたらしい。
店長はいつも以上にご機嫌なご様子。
ちらりとカウンターの方を見遣ればマダムはほぅとコーヒーブレイクと洒落こんでいるようだった。
「で、何か楽しそうな話してたけど、どんな悪口?」
「だからなんで悪口だと思いながら興味津々なんですかアンタ」
「っていうか、悪口なんて言ってませんからね、あたしたち」
ね!? と念を押してくる自称後輩に俺は深く頷き返す。
間違いなく悪口ではない。
ただし、なんか変な人だなぁという結論だった以上、悪口と同じくらい本人に伝えづらいけど。
「あたしたちが話してたのは、ちょっとなんかアレですよアレ!」
彼女も同じ思いだったのか、誤魔化すように勢いで口を開く……が、もうちょっと何とかならなかったのかとお兄さんは思わずにはいられないよキミ。
「そうか、アレかぁ……」
そして勢いでごまかされたんだか面白がってるんだかコクコク頷く店長。
そうそうとコクコク頷き返すバイト店員。
何なの、この絵面。
二人は気づいていないが、マダムがこっちをちらりと見て、微笑ましそうにくすりと笑っているのが非常に居心地が悪い。
「店長、何だかご機嫌そうですね」
「お。お兄さん、分かる?」
はぁ、と息を吐き出して、テンション高めの店長に水を向ければ案の定次の季節の一品が決まったらしい。
「二人にも改めて試食してもらうからねぇ。美味しいよぉ」
こうも自信ありげならこちらも楽しみになるというものだ。
そんな俺たちの様子にか、店長は満足げににんまりと笑って見せて――ふわぁとこれでかと大きなあくびをひとつ。目尻には涙まで浮かんでいる。
「店長?」
「あー、ごめん、ごめん。このところ遅くまで季節のキャンペーンで悩んでたから寝不足なんだよねぇ。モーニングもさ、考えてるんだけどどうにも僕、朝が弱くって」
目尻を拭いながら照れくさそうに笑う姿に、俺たちは思わず顔を見合わせる。
何となく、ここまで並べていた不思議にある程度の説明がつくような、つかないような。そんなもどかしい感じ。
「――ま、いっか。ね、店長さん! 今度さ、みんなでどっかに食べに行こうよ。親睦を深めるっていうの? そんな感じで!」
なんかもう考えるのがめんどくさくなったという感じで、自称後輩はそんなことを口にする。
なるほど。不思議の元の変な人を直接観察しようとそういうわけだな。
力技にもほどがあるけど、まぁ、別にそれはそれとして親睦を深めるのも吝かじゃない。
「あぁ、いいな。よし、詳しいヤツ知ってるし、良さそうな店探しておくよ」
「おぉ……つまりオゴリだね、センパイ!」
「そんなことは一言も言っていないからな」
耳が詰まってるんだか幻聴でも聞こえたんだかトンチキなことを言い出すコイツもだいぶ変な人ではないだろうか。
やだな、俺もこのグループの中だと変な人扱いになってしまうんではなかろうか……
「えぇ……なんか唐突だねぇ。でも、うん。楽しそうだねぇ」
そんな俺たちを店長はいつものにこにことにやにやの間みたいな笑顔で見つめていたのだった。
◆余談◆
「――はい。今日もお疲れさまでしたぁ」
騒がしくも楽しい二人が帰ってから数時間後、人のいない閉店後の店内。
片付けを終えた僕は誰にともなくそう呟いて、ほぅと息を吐き出した。
今日はお客さんこそ少なかったけれど、だいぶ充実した一日だった。
次の季節のキャンペーンも決まったし、それに。
「親睦会、ねぇ」
くすりと、知らず笑いが零れる。
あの二人からまさかそんな提案をしてもらえるなんて思わなくてびっくりしてしまった。
「いやぁ、本当、ありがたいねぇ」
言いながら、パチン、パチンとお店の照明を落としていく。
薄暗いとはいえ照明は照明。
電気を消せば真っ暗になっていく。
次第に真っ暗になっていく店内に、ただ僕の呟きだけが響いている。
「…………どうしたものかなぁ」
そうして、パチンと。
すべての照明を落として、最後に残った僕の呟きにはきっと、笑みは含まれていなかった。




