猫はもぐもぐする 1
「はぁ……」
もう何度目かも解らない溜め息をついた時だった。
「あら、可愛いわねぇ」
清正はアルバイト先に向かうために乗った路面電車の中で、ふいに声を掛けられたような気がして反射的に顔を上げると、老婆がニコニコしながらあきらかにこちらを見ていた。
しかし、自分がそう形容されるようなタイプではないことは重々承知している。誰かと間違えているのだろうかとサッと周りを見回してみたが、ぽつりぽつりと座っている他の乗客の中に子どもの姿は見当たらなかった。彼女からしたら自分も孫くらいの世代なのかもしれないけれど……。
見ず知らずのお年寄りから、突然話しかけられた清正は戸惑うばかりだった。
そこで清正は、いま自分が乗っている車両がネコ電車だということに気が付ついた。
この街には駅前の電停から東に路面電車が走っており、途中で南に曲がる路線が2本ある。そこを走る車両のひとつにネコ電車があった。
車体には可愛い猫のイラストがいくつも描かれており、車両の両端にはちゃんと猫の耳の形をした飾りも付いている。内装も猫をモチーフにした模様となっており、肉球のマークが描かれた降車ボタンを押すと「にゃ~」と鳴く仕様だ。ただ、実際にそれを聴いてみると、ちょっとリアルな感じで「なぁーう」と聞こえる気がする。
もしかして、この電車のことを言っているのだろうか。しかし、仮にそうだったとしてもコミュニケーションが苦手な清正には、適当に相槌を打ってやり過ごすということさえ難しいのであった。
「そうだ。はい、どうぞ」
しかし、ぐるぐると考え込んでいる清正をよそに、当のお年寄りは自身の手提げ袋から何やらガサゴソしながら取り出したのは、小袋に入った「いりこ」だった。
突然、目の前に差し出された「いりこ」に、清正はさらに困惑する。いくらネコ電車とは言え、さすがに本物の猫は乗っていない……はず。となると、これは自分に? カルシウム不足とでも思われているのだろうか……。確かに、清正はここ1ヶ月くらい健康的とは言い難い生活を送っていた自覚はあったけれど、今日は特に身だしなみには気を使っているのだが。
もしくは、お年寄り自身の認知的な問題なのかもしれないけれど、
「あ……どうも」
何にせよ散々迷ったところで断れるような性格でもない清正は、結局その「いりこ」を受け取ると、か細い声でそう言うのがやっとだった。
『なぁーう、なぁーう』
その時、降車を報せる鳴き声がした。
「あら、もう降りなきゃ。じゃあね」
「あ、はぁ……」
相変わらずニコニコしたままゆっくり立ち上がると、彼女は電車を降りて行った。
ぽかんとしながらその後ろ姿を見送っていた清正だったが再び電車が動き出すとハッと我に返り、貰った「いりこ」を膝の上に乗せていたリュックの外ポケットに無造作に押し込むと、本来の不安を思い出しまた深いため息をつくのだった。
コミュニケーションが苦手な性格のため、これまでのアルバイト先でも上手く馴染めず居心地が悪くなって辞めては生活が厳しくなると、次のアルバイトを探すという生活を送っていた。
そして、今日がその新たなアルバイトの初日だった。
「お、おはようございます……」
いくら初日で緊張しているとは言え、何とも力の入っていない声で挨拶をする清正。
「おはよう。岡田清正くんだったね。今日からよろしくね」
しかし、ゲームセンターの店長は特に気にした様子もなく、普通に迎えてくれた。
「仕事の内容は、おいおい覚えていってくれたらいいから」
「は、はい……」
「うちは御覧の通り、そんなに忙しくないからゆっくりで大丈夫だよ」
そう言われて、店内を軽く見渡す。平日ということもあるかもしれないが、それにしても客の姿が本当にぽつりぽつりとしかなく、ガランとしているといっても過言ではない状態だった。
経営的には全然大丈夫じゃないような気がするのだが、店長はいたって明るく笑いながらそう言ってくれた。
「じゃあ、とりあえず今から岡田くんには、ラジオ体操係をお願いするね」
「は、はい」
「……」
「……え? ラジオ体操……ですか?」
さっそく業務を言い渡されたのでとりあえず反射的に「はい」と返事をしたものの、よくよく考えるとおよそゲームセンターとは関係のなさそうな係に、清正は思わず聞き返してしまった。
「そう。小学校とかでやってたでしょ? あ、覚えてる?」
「た、たぶん……。でも、どうしてゲームセンターでラジオ体操なんですか?」
「ああ、うちのお客さんお年寄りが多くてね。ゲームしてると同じ姿勢で体が固くなって腰が痛くなったり肩凝りとかしちゃうでしょ、それで体をほぐすためにラジオ体操をするようになったんだよ」
このゲームセンターは昔ながらのお店で、古いながらも子どもを中心にまずまずの賑わいがあった。しかし数年前、駅前に大きなショッピングモールが出来たことで客足がごっそりと減り、御覧の有り様となっているらしい。
ところが、若年層の客が減ったかわりに、今度は暇を持て余しているかのようなお年寄りたちの姿がぽつりぽつりと増え、いつの間に平日のゲームセンターに集うようになっていったらしい。
そこで、店長は客層に合わせたサービスを始めることにしたそうだ。
「前にテレビでね、そういう取り組みをしてるのを見てうちの客層にもピッタリ合ってそうだなと思って。わざわざこの店に通って来てくれる有り難い常連さんたちだからね〜。ということで、よろしくね」
「は、はぁ……」
「はーい、皆さん体操の時間ですよ。今日から新しくアルバイトに入ってくれた岡田くんが担当してくれることになったので、よろしくお願いしますね」
店長がやや大きな声で呼び掛けると、ゲーム機の間からわらわらと集まってくるお年寄りたちの姿に清正は一瞬たじろいでしまった。
これは清正の勝手なイメージなのだが、建物自体も古くなっておりどことなく薄暗く感じるゲームセンターに、暇を持て余し他に行く所もないようなお年寄りたちが集まる光景は、より一層寂れた感を醸し出していた。
「あら、そうなの? 若い子が入ってくれてよかったわねぇ、店長さん」
すると、その中に先ほど電車内で出会ったあのお年寄りがいた。しかし、もう清正のことなど覚えていないのか、それに気づいた様子もなく店長と談笑している。
「おう、兄ちゃん。よろしくな」
「よろしくね~」
そして、他のお年寄りたちからも口々に声を掛けられて、あたふたしながら「あ、はぁ。あ……」と言葉にすらなっていない返事しか出来ない清正をよそに、店長がスイッチを押すとラジオ体操の音楽が流れ始めた。
曲に促され、とりあえず小学校の記憶を掘り起こしながら体を動かしていくものの、お年寄りたちに囲まれ体操をしている状況にまだ追い付いていない清正。
思っていたのとは、だいぶ違ったアルバイト初日。
正直、こんな自分でもまだ若いからなのか人手不足なのかは分からないけれど、今のところ採用してくれるところがあるのだが、先のことを考えると不安でたまらない。
果たして今度の職場はどれくらい続けられそうか、ちっとも予想がつかない清正であった。
お読みくださった皆さまに感謝です。
今回から新しいエピソードになります。
引き続き、最後まで見届けてもらえたら嬉しいです。




