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猫はふみふみする 2




 詩織は目的の電停で路面電車から降りると、緩やかな坂道を登っていく。

 そのまま行くと川に突き当り、川沿いを右に行けば観光地であるお城と橋を渡れば庭園がある。

 詩織は川沿いを左に曲がってすぐのところにあるカフェに到着した。


 待ち合わせ場所のカフェには、すでに柊一の姿があった。

 店員に案内され詩織が彼の待つテラス席に着くと、柊一は彼女の表情を見てすぐに察したのだろう。


「……僕は、諦めませんから」


 開口一番にそう言った彼に、詩織は困ったように小さく笑った。


「結婚となると、私たちだけの問題じゃなくなってくるのよ」


「両親には詩織さんの事は、ちゃんと話しています……」


 けれど、そのあとに続く言葉が彼から出てこない。当たり前だ。


「うん。でも、柊一は大事な一人息子で、あなたのご両親からしたらもっと歳が近い相手と普通の幸せを願っていると思う」


 優しく諭すようにそう言ってみたが、柊一はグッと感情を堪えるような表情で言葉を絞り出す。


「……反対はされていません。もっとよく話せば両親もきっと納得してくれると思います。もし認めてもらえなくても……」


 さすが彼のご両親だと詩織は思った。反対すれば反対するほど意思を固くしてしまう息子の性格など分かり切っているのだろう。だからこそ、頭ごなしに強く反対はせずひとまず話を聞く姿勢をとっているのだと思った。


「私も柊一には、心から幸せになって欲しいと願っている」


 本当は何度告白をされても、歳上である自分が一線を引くべきだった。

 でも、それが出来ないほど彼は素敵な人だった。その人柄に触れるたびに、柊一が両親や周りからどれだけ愛されて育ってきたのかがよく分かった。彼の屈託のない大きな優しさは、幼くして両親を亡くした詩織の孤独にそのぬくもりを与えてくれた。

 彼のためと言いながら、ただ自分の思う幸せの形を彼に押し付けているだけなのかもしれない。

 それでも、柊一にはその大きな愛情を自身の子どもに与えてあげて欲しいと思った。


 それが詩織の願いだった。


 テラス席に吹き込んできた爽やかな新緑の匂いに誘われ、詩織はふと川辺の景色に目を向けた。

 ここにも柊一とよくデートに来たなと、この2年間を振り返る。最初は柊一と並んで出掛けることに躊躇いのあった詩織だったが、彼はそんな彼女をいつも連れ出してくれた。

 近くには美術館があり、その反対側の通りには昔ながらの商店街が続いている。川沿いをもう少し上流の方へ歩けば月に1度の朝市が開催されていて、詩織は柊一と色んな場所に出掛けた。何年も暮らしてきてもう散々見飽きたはずの街並みなのに、彼と一緒だと新鮮な気持ちで溢れていた。

 詩織とて過去に恋愛経験はあったが、どこか自分と似たような孤独を抱えていて、互いの寂しさを埋め合うような付き合いだった気がする。

 けれど、柊一は違った。特別なことなんて何もないただ普通のカップルのように過ごしているだけなのに、何でもないことが何でかすごく楽しいって思えて、自分の日常をこれほど彩ってくれたのは彼が初めてだったかもしれないと詩織は思った。


 きっと自分なら大丈夫だ。一人になってもまた頑張れる。

 この歳になって、誰かに心から愛される喜びと切なさに胸が締め付けられるとは思ってもみなかった。でも、きっとこの胸の痛みさえも全部、自分の支えとなって生きていける。

 そう思えるような、恋だった。


「柊一の大切な2年間を私にくれてありがとう。私を愛してくれて本当にありがとう」


 瞳の奥がじんと熱くなって、目尻に涙が溜まっていくのが分かる。けれど詩織は化粧が崩れるのも構わず目を細め、万感の思いを込めて屈託のない笑顔を柊一に贈る。


「……嫌だ。僕は……諦めない」


 本気の笑顔を見せられて、自分への深い愛情とそのための決断を思い知らされる柊一。

 確かに彼は彼女と付き合える事の方の喜びが勝り、詩織からの「この交際は2年間で終了させる」という条件を受け入れた。

 柊一とてそれが自分との年齢差や将来を思ってのことだということは理解していた。それでも、まずは付き合うことが大事で、それがなければ何も始まらない。それから先の事は一緒に過ごしていく中でお互いに信頼関係を深めていけば、きっと彼女の気持ちも変わってくれるだろうとそう思っていた。

 けれど、まだ若い柊一には頭では分かっていても、その深さまでは掴めていなかったのかもしれない。

 何を言ったとしても彼女を引き止めることは出来ないのだろう。そう分かっていても、まだ詩織との別れを受け入れられない柊一は、まるで駄々をこねるようにそう言うしかなかった。


 これまで態度では表していたと思うが、あえて言葉に出して来なかった彼への思いの丈を最期に伝えることが出来た詩織。

 そのまま静かに席を立とうとした時だった。

 立ち上がった瞬間、目の前がザッと砂嵐が起こったように暗くなり、詩織は咄嗟にテーブルに手をついてしまった。


「……大丈夫、ですか?」


 それに気づいた柊一がすぐさま立ち上がり、詩織の体を支える。


「ごめん。ちょっと立ち眩みしただけ。最後くらい綺麗に立ち去りたかったのにな……」


 この2ヶ月ずっと彼との事を考え、あまり深く眠れない日々が続いていた。それがいま話し終えたことで緊張の糸が途切れ、その疲れが押し寄せてきたのかもしれない。

 心配そうな顔で覗き込む柊一に、詩織は誤魔化すように冗談っぽくそう言った。


「一旦、座りますか?」


「ううん……」


 柊一の申し出を、詩織は小さく首を横に振って断った。さすがにここで彼に迷惑をかけるわけにはいかない。

 その場で少し目をつむり、何度か深呼吸をして立ち眩みが治まるのを待った。


「もう、だいじょう……」


 少し落ち着いてきたような気がして柊一に大丈夫だと言いかけた瞬間、今度は強い眩暈に襲われ思わず彼の体にしがみつくと、そのまま倒れ込んでしまった。


「詩織さんっ!? 大丈夫ですか? すみません、誰か!」


 柊一は力の抜けた詩織の体をしっかり抱き止めながら、助けを呼ぶのだった。




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― 新着の感想 ―
なるほど、詩織さんの悩みはかなりリアルなものですね。 ふたりの乗り越えるハードルは、結構高そうです。 詩織さんが心配です。
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