空色硝子の指輪
賑やかにお店を見ながら歩いていると、目的地もあっという間だ。
観光案内にも『島内の店舗は営業時間が早い』とある通り、まだ朝のうちではあるが営業中の看板が扉にはかけられている。
木製の階段を登った先では観光客が次々と商品を購入して出ていく。賑わう店内の棚に並べられた小物はビーズから、大物はランプまで様々な硝子製品が置かれていた。
「ここが伝説の始まりの店か……意外に普通だな。もっと観光客でごった返してるのかと思ってたぜ」
「島全体の硝子産業が盛り上がることが一番だから、他のお店にも配慮して店名は公開していないらしいわ。
でも父様とシャーちゃんに教えてもらえたお店の雰囲気通りだから、ここで合っているはずよ」
「高級店をわざわざ選ぶんじゃなくて、街中で選んで贈られた指輪が後世にまで語り継がれるなんて、夢があるよねぇ……わぁ、素敵な硝子ペンが並んでる……っ」
皆様が話しながらお買い物を楽しむ硝子店には、さまざまな製品が置かれている。
中でも一番人気だと目立つ棚に置かれていたのは、サイルアでは新たな特産にも押し上げられた、アルバ様の逸話を冠した指輪だ。
『空色硝子の指輪。
ラフィネル陛下がお忍びで旅行をされた際に、サイルア島でお買い求めになられてアルバ様に贈られた逸品。
武闘大会で魅了の妖精と戦う際に身につけられたが、アルバ様は陛下の瞳と同色の指輪を見て魅了の能力にも打ち勝ち、陛下ただ一人への愛を示した。
心の底から相手を想う、純粋な愛の証として人気を博している』
手を繋いで隣にいるチュルカ様も、書かれた文字を追っている。
ご友人たちは今回は指輪は見送るため、別の商品を探して離れている。やはり相手ができてから買いたいと言っていた。
逸話を読み終えたチュルカ様が俺に目を向けたから、微笑む。
現実に引き戻されたのか頬に熱を帯びた少女が、繋ぐ手を持ち上げた俺を黒の瞳に映している。
「チュルカ様の右手の指になりますが、俺からお送りしてもよろしいでしょうか」
「……っ……う、うん、お願いします……っ。
ずっと、ずっと憧れてたから……えっちゃんから欲しいです……!」
頷いてくれたチュルカ様を連れて、店員さんに声をかける。
測ってもらえた大きさの指輪を購入するだけなのに、二人で緊張してしまう。
会計が終わって包んでもらううちに、チュルカ様が思い切った様子で俺の手を取った。
「あっ、あのね、えっちゃん。今更なんだけど、わがまま言ってもいい?」
「もちろん。何かありましたか」
「私ね、先生のお手伝いをするとお小遣いがもらえるんだ。
論文の資料や文献をまとめたり、簡単なことしかまだ出来ないけど……王立学校の生徒に支払ってるものと同額だって、いつも渡してくれるから貯金してるの」
彼女が俺の指を見つめる。
手を引き寄せると、柔らかな感触が薬指に触れた。
「だから……私も、私が働いたお給料で……えっちゃんに空色硝子の指輪、贈ってもいいかな?」
きっと幼い頃から、少しずつ貯めてきたお小遣いだろう。
真面目で、だからこそ恥ずかしがり屋なチュルカ様が、瞳を潤ませながら懸命に語りかけてくれる。
「えっちゃんが近衛のお給料で指輪、贈ってくれるって聞いてたから……私もしたいけど、足りるか分からなくて言えなかったんだ。
でもこれなら買えそうだから……お揃いにするのは、恥ずかしい、かな……?」
彼女も俺のことを考えて、同じにしたいと思ってくれていた。
その気持ちが嬉しくて、首を横に振った。震えているチュルカ様の指を握る。
「チュルカ様とお揃いのものがいただけるなんて、思ってもいませんでした。
ぜひ。お揃いにしましょう」
全身に湧き立つ喜びのまま彼女に伝えると、安心したように笑ってくれた。
改めてチュルカ様も俺の分の指輪を購入したが、ラフィネル陛下たちのように外でつけようと相談していたから、店の横のテラスにつながる扉を開けた。
外に出ると、お互いに袋を開ける。
大切に取り出すと、目の前に広がるエルタニアの空色と同じ、サイルアの硝子の指輪が手のひらの上で光った。
チュルカ様も自分の購入した指輪を見つめると、波の音が聞こえる海へと目を向けた。
「母様もこの景色を見ながら、父様とシャーちゃんに贈ったんだよね……」
抜けるような青空に暑い日差し。
白砂の海を抜ける心地よい風に、サイルア特有の木々が揺れる。
陛下が旅先で愛するアルバ様とシャグマ様に指輪を贈られた光景は、きっと三人だけの大切な思い出になったことだろう。……俺たちが二人で、今、この瞬間の景色を胸に焼き付けているように。
「チュルカ様」
彼女を呼ぶと、景色ではなく俺に黒の瞳が移った。
母上の形見の指輪を胸に下げ、右手の薬指を今日は空けているチュルカ様に、空色硝子の指輪を嵌めた。
なめらかな指輪の肌が、太陽の光を浴びて輝いている。
「今までも、これからも。チュルカ様だけに一途な愛情を捧げることを誓います」
言葉が出ずに頷いてくれる、それだけでも気持ちは伝わるものだ。
チュルカ様も購入した指輪を震える手でつまみ、俺の指に滑らせていく。
「私も……エリクセル殿下、あなたのことだけを、これからも永遠に愛し続けることを誓います」
やがて訪れる結婚式を、二人だけで挙げた気分だ。
麦わら帽子の姫君を見つめて……ガタンっという音がしたから、思わず振り返る。
「ばっ、やばいぞティー、こっち見てんぞ」
「何を言っているの、もっと見たいなんてアルビオが体重かけたからでしょう!?」
店の扉の隙間から、ティフォルナ様とご友人たちが揃って顔を出していた。
三人が寄り集まっていたから、体勢を崩したらしい。ティフォルナ様が扉の枠を掴み、足が外に出たアルビオさんが慌てて店内に戻っていく。
「これは潜入調査失敗であります。退散ですぅ」
何事もなかったかのようにルグリッチさんによって扉が閉じられたが、チュルカ様が慌てて道に目を向けると、近くで護衛しているワイアットとラージャーンも、もちろんいる。二人は景色を見て知らんぷりはしてくれた様子だ。
お店に出入りするお客様にも見られていることに気づいたチュルカ様の全身が、どんどん赤くなっていく。私服にも見える水着だから、薄着な彼女は変化がわかりやすい。
「店先ですから、さすがに二人きりとはいきませんね」
「まっままま待って待って、恥ずかしいよぉっ……母様は堂々としてたかもしれないけど、これってみんなに見聞きされてたってことだよね……!?
どうしよう、えっちゃんのことしか見えてなかったぁ……っ」
うぶな彼女が慌てている様子が愛らしくて、笑ってしまう。
しかしチュルカ様は両手で麦わら帽子を深く下げて、肩も丸めてしまった。心から恥じている様子で、小さくて長いため息が漏れている。
(これは弱った。先ほどまで結婚式のようだったのに、このままでは恥ずかしかった思い出として残りそうだぞ。
しかし……そうか、結婚式……!)
思いついたこともあり、彼女がつけている麦わら帽子を外した。
驚いて顔を上げたチュルカ様の腰を抱き、引き寄せた彼女のひたいに近づくと、軽く……艶やかな黒髪の上から唇を触れさせる。
「っ!?」
ひたいに残ったわずかな感触だけでも、姫君は黒曜石の瞳を丸くして揺らしている。
音も出ないまま唇を開閉する彼女に微笑むと、顔を近づけた。
「……っ……」
目を閉じた彼女に鼻先を触れさせただけで、少女の呼吸も何もかもが止まる。
腕の中で緊張に震える彼女はしかし、嫌がって押し除けたりしない。
受け入れるように待ってくれている婚約者を近くで見て、離れがたい気持ちを味わいながら顔を離した。
チュルカ様は自分の唇に触れて、しかし感触がないから戸惑って俺を見上げている。
「本物の結婚式では国同士の婚姻になりますから、もっと大勢に見られます。
その時は、こうして予行演習したことを思い出して懐かしみませんか?」
「予行……演習?」
「ええ。指輪の交換をして、誓いの口づけを交わした。
……今のは麦わら帽子で顔を隠す、そんなチュルカ様のヴェールを上げたつもりですよ」
取り上げた麦わら帽子を、彼女の頭に被せ直す。
俺の言葉の意味に気づいたチュルカ様は、再び白い素肌が真っ赤になっていた。
熱い頬に指輪をつけた手で触れると、跳ね上がるような姫君が再び目を閉じる。
「旅の恥は掻き捨てとも言います。こうして恋人同士で過ごすことも、指輪を贈り合う間柄では普通のことです。
だから……誰に見られたっていい。俺と過ごしたことだけを覚えておいてください、チュルカ様。
他の誰でもなく、俺はあなたのことだけを見ていますよ?」
彼女を見つめながら願いを伝えると、チュルカ様が麦わら帽子を何度も上下させて頷く。
頬に触れた手を離すと、姫君は自分の唇に触れた。
「でっ、でもえっちゃん、キス、してないよね……?
感触、わからなかったけど……もしかして緊張しすぎて唇、痺れてたのかな……!?」
「唇を奪うのは十八になった時に、結婚式にしようと決めました。
……そう驚かないでください。あなたのことが好きだからこそ、誓いを立てたんです。
少なくとも学生のうちに唇を奪うのは、不純異性交遊になってしまいますから、自重します。……時折、奪ってしまいたくなりますけどね」
手を繋ぐだけでも気にしていた少女に伝えると、麦わら帽子が上下する。
俺の唇に視線が向いて、彼女は自分のおでこに触らないよう指差している。
「夢を見てるわけじゃなく、おでこにはキス……してくれたんだよね……?」
「しました。唇以外なら、あなたとの別れが惜しくて頬にしたこともありますから。
……もしかして、覚えていませんか?」
「そっ、そんなのもちろん、覚えてるよっ。
ほっぺの時もね、ドキドキして、みんなの前だったけど嬉しくて、馬車の中で母様にもいっぱいお話し聞いてもらったんだ。
……そっか、今度はおでこにも、してもらったんだ……」
自分の額を見上げようとしては人体の構造上出来ずに唸るチュルカ様を見て、俺も満足して笑っていた。
束ねた黒髪を風に揺らす婚約者はようやく緊張が解けた様子で、笑みが溢れている。
「……すごいなぁ……。私ね。ずっとえっちゃんと『こうしていたい』って思ってたことが、一つずつ叶っていくんだ」
風に飛ばされそうな麦わら帽子のつばを彼女が押さえると、空色の硝子が光る。
「やっぱり私、えっちゃんのことが大好き。
こうしてドキドキする時間も、全部、全部毎日が宝ものみたいなんだよ。
……落ち込んでいたら、いつも慰めてくれる、優しいえっちゃん。
そんなエリクセル殿下のことが……ずっとずっと、大好きです」
明るい日差しの中で、婚約者は幸福そうにはにかんだ。
……いつの日か彼女と結婚式を挙げたときには、今日のように綺麗な青空が広がっているのだろう。
俺に贈ってくれた『一途な愛情』を示す指輪と同じ、彼女を育んでくれたエルタニアの空の下で、今のように二人で笑いながら。
そんな光景が簡単に想像できるくらい、チュルカ様と過ごす時間は自然に過ぎて……「次は海のほうに行くぞー」と声をかけられて飛び跳ねる姿も、何もかもを愛らしく感じていた。




