星空の下で
こうしてサイルア行きは確実となり、俺たちは出発の日を迎えた。
道中の護衛は何も起こらず、チュルカ様とティフォルナ様がいる乗合馬車からはご学友たちと楽しそうに笑う声が聞こえる。
休憩地点で馬車を降りると気にして振り返ってくれるから、その時だけこっそり手を振る。倍以上にして振り返してくれるのが愛らしい。
道中は三交代制で、俺は朝から夕方にかけての担当だ。夕方から夜はワイアット、夜間は暗視が出来る妖精兵が見てくれる。
護衛は護衛で集まって過ごし、打ち合わせや情報共有などを行なって、数日かけて港に着いた。
船にも無事乗船となったが……実は船室に関して、陛下からのご提案があった。
「エリクセル殿下の言う通り、娘がいる船内に刺客など乗せるはずがない。
内部で入れ替えなどもしなくていい。修学旅行を目一杯遊んでおいで」
チュルカ様とティフォルナ様は許可もあったことで、お友達と同室になって賑わいでいる。
近衛は部屋の前で待機しているが室内に異変はなく、やはり学生にとって旅行はかけがえのないものだと、まだまだ元気いっぱいな声を聞いた。見えていないからと恋の話をされると、チュルカ様のお相手は俺だから、話題がくすぐったいのだけが難点だ。
夜は男子で枕投げが始まり、船内は大騒ぎになる。女子も一部混ざりに行っているらしい。
時間外の近衛は制服を着た待機状態で大部屋に集まっているが、訪問者があった。
呼ばれたから向かったが、扉の外にいたのはチュルカ様だった。長い黒髪をおろして涼しげなワンピース姿になっている。
「あ、あのね、えっちゃん。甲板がね、星がすっごく綺麗なんだって。
母様も昔、船からの星を見たことがあって。絶景だったって言ってたから、一緒に行きたいな」
後ろにいるワイアットは頷いている。行って良いということだろう。
「ぜひ行きましょう。しかし……ご友人たちはお誘いにならなくて良いのですか? せっかくの修学旅行ですから、皆様で星の鑑賞会も良いかと思いますが」
「修学旅行だから好きな人を誘って一緒に過ごすのも花だって言われて……えっちゃんと、一緒にいたかったから……今日は二人きり、が、いい……です……」
理由を聞いて、それ以上は語らせずに手を繋いだ。全身で飛び上がるような姿に、思わず笑みが溢れる。
「ではご一緒させてください。……言い損ねましたが、今日のチュルカ様もお可愛いらしいですよ。
髪を下ろしていると大人びて見えますし、青のワンピースも清楚さが内側から滲み出ている気がします」
「本当!? このワンピースね、お店に買いに行った時にティーちゃんが『似合うよ』って勧めてくれた物なんだよ。……えへへ、褒めてもらえて嬉しい……っ」
笑顔になってくれたチュルカ様の手を引いて、甲板へと上がる。
多くの先生や学生を乗せて進む船の甲板は広大で、後ろから進み出た彼女が思わず感嘆の声を上げたくらい、空には星が一面に広がっていた。
「……わぁ、すごい……水平線までお星様が続いてる……っ」
「降るような星空とは、まさにこのことですね……確かに絶景です」
天を覆う星が、遮るものもない場所だからよく見える。
海には月明かりと星だけが映し出され、波打つたびに表情が変わる。
潮の香りを聞きながら空を見上げていると、チュルカ様が一際輝く星を示した。輝きと位置が変わらないから、旅人を導くと言われる星だ。
「よくお空を見上げてね、あの一番綺麗なお星様に『えっちゃんが元気で過ごせますように』ってお祈りしてたんだよ」
エルタニアとパルムクルは気候などが違っても同じ星が見える。
今と同じく、俺は彼女と同じものを見上げていたのだろう。
……旅の中では、必ずあの星を見つければ良い。
心の支えにしていた星にチュルカ様も想いを込めていたのを聞いて、胸の内に暖かな熱が灯る。
「最初は、何も知らずにお願いしてたんだ。
一番綺麗だから、一番お願いが届きそう、なんて子供っぽい理由だったかなぁ」
彼女は五歳で婚約者ができた。
異国の嫌われ者の王子だったのに喜んでくれた、優しく小さな姫だった。
共にいるという約束を交わしながら国に戻ったことで、彼女を泣かせて傷つけた。
……きっと小さな姫がまた会いたい気持ちも、無事を願う心も、全部あの星は知っていたのだろう。
「野営でもお祈りしてたんだ。
そうしたら父様がね、パルムクルでも同じ星があるって教えてくれたんだよ。
旅をするときはあの星を見ながら方角を知るって聞いて……えっちゃんも私と同じ星を見つけてくれてるといいな、って思ってたよ」
「……ちゃんと、見つけていましたよ。一番綺麗で、必ず帰るつもりで見上げていた星です」
俺は彼女の愛情から目を背け、一度は見失った。
それでも暖かな心を向けながら、チュルカ様は星と一緒に帰りを待ってくれていた。
幼いからこそ、ひた向きで……彼女らしい、まっすぐな愛情のままで。
いつか再会できる日を願った姫君は、漆黒の瞳にキラキラと輝く星を宿して笑った。
「じゃあやっぱり私、えっちゃんとおんなじ星を見られてたんだね。
嬉しいな、離れてても同じものを見て、同じように感じられてたなんて奇跡みたい……わっ!?」
波が高かったのだろう、足元が揺れて転びそうになったチュルカ様を抱き止めた。
驚きに声も出なかった俺を見上げて、チュルカ様は目を瞬かせている。
まるで恋人を抱き締めるように腕の中に入れて、彼女と正面から見つめあった。
「……っ……」
腕に抱かれた婚約者は、照れても離れるわけではない。
見つめあって、恥ずかしそうに吐息を飲んでいる。
揺らぐ黒の瞳は俺だけを映して……抱き止めた時に俺の胸に触れた手で押し返してくれればいいのに、星空の下で震えたまま、近衛の制服を握られた。
……月あかりに照らされた表情は、大人びて艶やかだ。
……このまま顔を近づけてしまってもいいのかと、迷うくらいに。
(男としても年上としても守るようシャグマ様に言われていなかったら、踏みとどまれている気がしないな……)
大人びて見えてもまだ十二歳の婚約者が、不思議そうに首を傾げる。
以前も『えっちゃんはそんなことしないよ』と信頼されていたのを思い出せば、腕の中にいる彼女に何かする気になれない。
今度は俺が待つ番だ。
純粋なチュルカ様が自然と受け入れられるようになるまで。
……頬を上気させた少女が愛おしいからこそ、溢れそうな気持ちとも戦った。
「……チュルカ様」
「はっ、はいっ」
「俺にとっての星に、ひとつだけお願い事をしても良いですか」
「? 星にお願い事?」
「ええ。……あなたが俺を待ってくれていた時間と同じくらい、俺もあなたの成長を待ちますから。
どうかこれからも、俺のそばにいてください」
チュルカ様は目を瞬いている。
でも唇を結んで、俺を正面から見つめた。
「お願いしなくても、そばにいるよ?」
ずっとずっと、まっすぐな愛情で包んでくれる、黒髪の姫が笑う。
「えっちゃんのことが大好きだから。
ずっと、ずっと、いつまでも一緒にいるっ」
愛おしさに負けそうになる。
そんな気持ちを込めて、彼女を抱きしめた。
二人だけの温もりを感じて、温かい。
腕の中にいる少女が胸に顔を擦り付けて、瞳を閉じながら二人の間に漂う空気を吸った。
「へくちっ」
チュルカ様が小さなくしゃみをしたのが聞こえた。
浴びせかけないよう慌てて横を向いていた彼女は、温かい観光地に行くワンピース姿で腕をさすっている。
「ごごごごめんね、えっちゃんっ。温かくなったり寒くなったりすると、私、体が反応してくしゃみが出ちゃうのっ」
「あ……いえ、俺こそチュルカ様の格好に配慮出来ずにすみません。
夜になって気温も下がりましたし、風のある船の上なのに薄着でしたね」
「待って待って、寒くないから大丈夫っ、だからお願い、もうちょっとだけ……っ!?」
俺が着ていた近衛の制服ではあるけれど、脱ぐと彼女に羽織らせる。
中にはシャツを別に着ているから、制服の内側が温かいうちに前ボタンを止めた。
「俺ももう少し、チュルカ様と一緒にいたいです。……その服を着て、そばにいてくれますか?」
言葉もなく必死に頷くチュルカ様に心のままに笑うと、彼女と再び星空を見上げた。
身長差があるから外套くらい大きく見える制服に、チュルカ様が何度も黒の瞳を瞬いている。
風が吹くと襟元に顔を埋めて、嬉しそうな声が聞こえる。
「あったかい……えっちゃんの制服着てるなんて、夢みたい……」
「お気に召したのでしたらよかった。
無理をさせてしまってすみません、もっと早く気づくべきでしたね」
「ううん、大丈夫。おかげでえっちゃんの服に包まれてるんだもん。……えへへ、すっごく嬉しい……っ」
小さな手を温めたくて、包みながら星座の話を続けた。
チュルカ様も知っている星座の話や、国によって違う星の逸話を話してくれた。エルタニアは妖精の国だけあって星の妖精もいるらしく、話題が豊かだ。
……もっとそばにいたい。
なのに、海に渡る月明かりを道に例えるのは失敗だった。月の位置で時間がわかってしまった。
「流石に夜遅くなってきましたから、部屋に戻りましょうか。同室の皆様にも心配されてしまいますし、消灯時間も近そうです」
「……むう……消灯時間なんて、どうしてあるんだろう」
「明日もチュルカ様が元気でお過ごしになるため、ですかね。……なんて、先生みたいな答えですね。
でもチュルカ様がご友人たちと賑やかにされているのを聞くと、俺も嬉しいです。だから今日はゆっくり休んで、また明日も元気いっぱいのあなたでいてください」
近衛の制服に包まれた少女にそう伝えて見つめると、襟元に顔を埋めながら素直に頷いてくれる。
お部屋の前までお送りしたけれど、彼女が名残惜しそうに制服のボタンに手をかけた。
その手を取って包むと、驚いて目を瞬いている。
「予備は持っていますので、その制服はお貸しします。明日の夜にでも返してください」
「え、でも……いいの? 旅先だし、えっちゃんも予備なんてそんなに持ってきてないんじゃ……」
「お貸しするということは、チュルカ様にまた明日もお会いする約束が出来る、ということですよ。
もちろん構いません。……あなたが制服を返すために時間をとってくださるのなら、ね」
意味に気づいたらしい彼女が必死になって頷いてくれた。
また明日も会いたい。
修学旅行は学校の行事だからなかなか話せなかったけれど、彼女とこうして時間をとって話せるのは、やはり楽しかった。
チュルカ様も同じ気持ちでいてくれたのか制服に目を向けて、俺を見上げて、嬉しそうにはにかんでくれた。
「じゃあ制服、お借りします。また明日ね、えっちゃん。おやすみなさい」
「はい、おやすみなさい」
包んでいた手を離すと笑顔を交わして、彼女が部屋に入った姿を見送る。
「おいおい見ろよ、チューが彼シャツ着て帰ってきたぞ!?」
「本当だわ、えっちゃんの制服借りてきてるじゃない! 何があったの!?」
「すごぉい近衛の制服の本物だぁ」
「甲板が寒かったから、えっちゃんが貸してくれたんだ。……えへへ、この中ね、すっごくあったかいんだよ」
部屋が一気に賑やかになったのを聞きながら、護衛中のワイアットと笑い合ってしまった。
こうして、船はサイルアへと進む。
エルタニア最高の楽園と称される、父上も認めている行楽地。
その港へと無事に停泊した船から降りると、近衛も生徒も、共にホテルへと向かった。




