心配しても、し過ぎないで
陛下は結局、三日は食堂に姿を見せることはなかった。
チュルカ様たちが作って届ける食事だけ、執務室での仕事の合間に口にしているらしい。
空になった器に添えられる手紙には『作ってくれてありがとう、いちごの酸味もはちみつの甘みも引き立っていて美味しかったよ』などの感想が書かれるから、チュルカ様が喜んで見せてくれた。
エイル様の行方不明から、四日目。
日が経つごとに料理は大規模になり、学校がお休みの今日は姉妹が揃って調理している。
俺もようやく野菜を洗う係をもらえたから、水仕事に勤しんでいる。どうやら妹君たちが賑やかだから、お手伝いしても紛れられているらしい。
「姉様ー、このお野菜が一番生き生きしてるよ。早く食べて食べて、って言ってる!」
「反対にこのいちごは下の方から生気が失せてきているの。
ふふふ、安心するがいいの。ニアが美味しく食べてあげるの……」
大好きな兄が出ていって落ち込んでいたエルテ様も、二日目には立ち直れた。
誰もに状況を説明されることで、心の整理もついたらしい。まだ八歳の双子姉妹は、今はいちごの良し悪しを話している。
エイル様が出ていって泣き続けていたクラエッタ様も「エイルのばか、いつも自分勝手」という怒りに感情が変わったらしく、普通に過ごすようになっている。
白髪に褐色肌の美姫は、味見に差し出された緑色の液体を飲んで、美味しそうに息を吐いた。
「姉様のスムージー、今日もおいしいね。体がスッキリする……」
「老廃物も押し流すように混ぜてあるから、妖精本体にも効くのかな。
母様も執務室に篭りきりだけど、体が思ったほど弱ってないんだって。いつもより美味しいから、量が増えても飲んでくれてるみたい」
「あら、そういえば『海を探しすぎて目が痛い』なんて言っていたわよ。
目にいいと言われているブルーベリーでも混ぜてあげましょうか、症状が落ち着くかもしれないわ」
「えっ、母様ったら海なんて探してるの!? デアの砂漠に落ちている宝石を探すくらい無謀なんじゃない……?」
「……仕方ないの、そろそろニアが止めてやるの。
エイルはもう海にはいないの。探しても無駄なの」
「「えっ」」
「これはエイルの冒険だから、居場所につながる情報は教えてやらないの。
でも残念なお知らせよりはいいの。海の捜索なんて無駄なことはやめさせるの」
「大変、私が母様に伝えてくるわ、チューたちはお料理を続けていて!」
賑やかな食堂から、すぐさまティフォルナ様が伝令に走った。
……こうして、エイル様がいないことは少しずつ受け入れられていく。
陛下にも伝えられて、城内は一気に慌ただしくなった。
――大きな異変が起きたのは、行方不明から五日目の朝のことだった。
「……あの、アルバ様。怪我を、されていませんか」
二人きりになった朝の訓練で、俺はアルバ様に鍛えてもらっていた。
けれど今日の近衛兵長は、腕に包帯を巻いている。
利き腕の右手に巻かれているから、近衛の黒の制服から出た白い布が目立っている。
「一体誰に襲われたんですか。アルバ様に傷を負わせるなんて……城内に侵入者ですか!?」
「……大したことではない。ボクが望んだ傷だ」
「望んで戦ったとしても、傷は傷です。俺も旅先の傷を軽んじて痛い目を見ました。
すぐにチュルカ様に治してもらいませんか。アルバ様は王城警護の要なのに、利き手が負傷していては剣も握るのが難しいはずです」
「……そう、だな……ならボクがこの状態でまともに動けるのか試してみるか、エリクセル。
傷を負ったボクが負けたのなら、素直に治療を受け入れよう。
ボクが勝てたのなら、これ以上は何も言うな」
「……っわかりました、行きます!」
迷ったけれどアルバ様に思い切って勝負を挑んだ。
……勝つなんて無理だった。
何度やっても怪我しているはずの右手が自由に動き、鮮やかに倒される。
アルバ様にとって怪我なんて大したこともないのだと思い知った。剣聖は俺を何度も倒し、治さなくて良い権利を得て、なぜか安心した様子でため息を吐いている。
「きゃーっ!!!」
しかしアルバ様が食堂に現れると、陛下用の朝食作りを終えて席についていたチュルカ様とティフォルナ様たちから悲鳴が上がった。
チュルカ様は椅子に座ったまま口を押さえて目を丸くしているし、白髪を二つ括りにした名探偵は驚いて立ち上がり、席に向かうアルバ様を示した。
「父様どうしたの、その傷っ。夜のうちに暴漢でも出たの?!」
「待って父様、すぐに治すから……っあれ、どうして距離取るの!?」
「治さなくていい。ボクはこのまま生活する」
「だめだよ、それって噛み跡と引っ掻き傷じゃないの!?
父様は人間なのに、跡が残ったらどうするの……っ。一体誰と戦ったの!?」
「「噛み跡と引っ掻き傷?」」
チュルカ様が口にした傷の内訳を聞いて、鋭い名探偵と俺は、誰と戦った傷かを察してしまった。
しかしチュルカ様は近づこうとしてアルバ様に距離を取られている。
「あの、チュルカ様」
「えっちゃんお願い、父様を取り押さえて。
じゃないと羽を出すよ父様、私の能力の範囲くらいわかってるでしょ!?」
「城ごと治癒するつもりか。……いいんだ、この怪我は。ボクがとっておきたい傷なんだ。放っておいてくれ」
扉が開いて、今度はシャグマ様が食堂に足を踏み入れた。短い白髪に褐色肌の美丈夫は立ち止まって、緑の瞳を瞬いている。
「おっはよー……あれ? めちゃくちゃ揉めてるんだけど、何かあった?」
「シャーちゃんも父様になんとか言ってよっ。
傷だらけなのに治さないのは駄目だって、お医者様として忠告してぇっ」
「ああ、アルバの傷? 俺が治療と経過観察を続けてるし、傷自体も自分から望んで受けたものだから気にしなくていいよ。
わかる子には伝えておくけど、猫が『離さないと噛みつくぞ』って暴れながら忠告してるのに、『やれるものならやってみろ』って言い返すから噛まれたし、引っ掻かれてるの。仲良しな証拠なんだよね」
俺とティフォルナ様は静かに椅子に座った。猫と誤魔化されているが、もはや誰にやられたのかも確定した気がした。
名探偵は俺に説明すべきだと思ったらしく、こっそり袖をひいている。
「母様、エイルを探すためにずっと執務室にこもっていたのよ。でもニアが昨日『エイルは海を超えた先にいる、もうどこにいるのかは伝えない』って言ったから……父様が諦めさせようと、執務室から引き摺り出そうとしたんだわ。
母様、普段の仕事もあるからずっと徹夜してたんですって。眠らず五日目になるから父様は寝かせようとしたのよ、きっと」
「眠らずに五日ですか!? どれだけ良い食生活をしていても、体を壊してしまいますよ……」
しかし純粋なチュルカ様は『猫』の暗語がわからないため、アルバ様と距離を詰めるのに苦心している。
「噛み傷なんて膿んで熱が出たらどうするの。
猫にやられたなら余計に治さなきゃ、傷がどんどん腫れちゃうよっ」
「あの、チュルカ様。俺は先ほどアルバ様と戦いましたが、動きは一切落ちていませんでした。
傷を残したい気持ちも、チュルカ様にならお分かりいただけるかと……」
「だから戦えるとか、そういうことじゃないの……っ父様はもう五十代なんだよ、抵抗力も落ちてくるし……」
カプ。
理解してもらうためにも、振り返った彼女の腕を取り、感触だけ残すようにして甘噛みした。
シャグマ様が口笛を吹き、ティフォルナ様が机にずっこけたような音がしたけれど、腕に唇を付けた俺と、飛び上がって跳ねたチュルカ様は見つめ合っている。
「先日、手を繋いだときにチュルカ様は『手を繋いだ感触を残しておきたい』と言ってくれましたね。
……今日つけた、この跡はいかがでしょうか」
「……えっちゃん、が、腕に」
「甘噛みしました。……もし残しておきたい気持ちになってくださったのなら、アルバ様のお怪我は似たようなものです。
チュルカ様も治療は諦めましょう。アルバ様が心配なのはわかりますが、押し付けてもいいことはないですからね」
そう、この傷に関わってはいけない。関わるほどアルバ様は恥ずかしい目に遭う。今も片手で顔を覆ってため息を吐いている近衛兵長は、きっと陛下との絆として傷あとを望んでいるのだから。
口を離すと彼女の腕をハンカチで拭ったけれど、慌ててその手を押さえられた。黒髪をお団子頭にした姫は首を横に振っていた。
「喧嘩どころか仲が良すぎて起きた事故ってことよね、父様。
チューもほら、座りなさい。父様も傷は隠す。シャーちゃんはフォローして。
その傷は何の傷って説明するか、責任を持って父様が考えてちょうだい。クラエッタとエルテも気にすると思うわよ、ニアはお見通しでしょうけど」
「……傷の理由か……利き手だからな……薔薇の棘でも刺さったことにするか」
「朝練中に邪魔だと思って引っ張った蔓が、薔薇だった。だから腕に刺さったり、傷ついたりした。
いいんじゃない、それで決定。みんなも口裏合わせよろしくね」
頷いたが、もはやアルバ様の傷に突っ込む者はなく、チュルカ様も大人しく椅子に座った。
彼女は俺が甘噛みした場所を見て、何もついていない肌の近くを触って、ティフォルナ様の袖をひいている。
「ねえティーちゃん」
「何かしら」
「どうしよう……この位置だと手を洗ってもえっちゃんの甘噛み跡、消えちゃうかなぁ……」
「……じゃあ私が拭いて、先に消してあげましょうか?」
お手拭きを持ったティフォルナ様と抵抗するチュルカ様で賑やかな食堂はやがて、朝に弱いため休日は寝ているクラエッタ様と、エルテ様とニア様がやってくる。
心配されていたラフィネル陛下は、夕方頃にはお部屋を出てこられるようになったそうだ。
夕日が赤く染める練兵場にも訪れた姿を目撃したが、陛下がアルバ様の包帯に触れたことに衆目が集まる。
「今日は大丈夫だったのか。……こうして触れても、痛くないのか」
「この程度の傷なら、何度も負ったから慣れている。
……しかし、君を見て気が抜けたのかもしれないな……どうにも痛くなってきた……」
「なんだと!? シャグマにすぐ診てもらおう。それか練兵場勤務の癒しの妖精に頼んで……」
「冗談だ。昼にも診てもらったが、傷はほとんど塞がっている。もう痛くもない」
心配したのに揶揄われたため、踵を返した陛下をアルバ様が抱き止めるなど、ご夫妻が仲睦まじい様を誰もが見ることになった。
アルバ様に何か言われて頬を染めた陛下が王城に戻られた後は「アルバ様が治さないのはどんな傷ですか」と興味が湧いた妖精兵たちが言い寄ったため、全員走らされていた。関わってはいけないと朝のうちに知っておいてよかった。
こうしてエイル様の行方不明騒動は、少しずつ落ち着いていく。
必ず戻ってくるはずだから、旅に出た彼が望んだように『心配しても、しすぎないで』。
言葉通りご家族は日々を過ごして、日常を取り戻した。
五年後。何食わぬ顔でエイル様がエルタニアに戻ってきて、誰もに叱られる日がくるのは……また別のお話。




