放課後デート
お昼休みに放課後デートの話題になったらしく、チュルカ様はご友人たちと大騒ぎしている。
彼女を一緒に担当しているワイアットもアルバ様から予定を聞いているから、気になった様子で「エリクセルに放課後デートの経験はあるのか」そう隣り合いながら口にした。聞かれた俺も気恥ずかしくて苦笑いしてしまう。
「放課後もデートも、どちらも未経験です。
勉強は家庭教師で済ませた上、誰かと遊びに行く経験はチュルカ様が初めてですから」
「初めて? 勉学は理解できるが、エリクセルほど物腰が柔らかいなら友人の一人や二人いただろう。
男友達でも遊びにくらい行ったんじゃないのか」
ワイアットと肩が軽く触れ合ったが、友人と言われてすぐに思いつくのは一人だけだ。
チュルカ様を揶揄って楽しそうに笑っている名探偵とは、しかし義妹としてしか遊びに行かないつもりでいる。
「友人はティフォルナ様だけです。
口調は直したから丁寧なだけですね。昔は傲慢と誰にも言われるような子供でしたよ」
「……そういえば幼いエリクセルは昔の陛下に似ていたはずだと、パルムクルに同伴した妖精兵から聞いていたな……道理で聞いていた印象と違うと思った」
「旅を繰り返すうちに、初めて会う方に接する経験をしたことで『一番良い言葉』を考えるようになりました。
……この通り旅は学びが多かったですが、新しい友人は出来ませんでしたし……女性へのマナーだけ父上から学ぶといった具合でしたから。今日は初体験に緊張しています」
何も言葉が出なくなったワイアットが、教室に目を向けた。お化粧の話題に移った姫君たちを見て笑っている。
「なら楽しんでこい。仕事終わりにデートに行くのもいいものだ。何事も経験だな」
「はい、頑張ります」
教室の中では黒髪のお団子頭を巻き直してもらっている少女がいる。
やがて授業が始まり、午後の勤務を終えれば、放課後は必ずやってくる。
「ほらチュー。女は度胸だ、行け!」
俺とデートを約束したチュルカ様は、ご友人たちに背中を押し出された。
しかし隣にティフォルナ様はいない。「あら大変、至急の用件があって呼び出されてしまったわ」なんて言いながら、彼女は授業後すぐに妖精らしい脚力で走って帰ってしまった。
チュルカ様は俺を見上げると後ろを振り返り、拳を上げたご友人に「いけー」と応援されてから、再び俺を見上げた。薄い学生鞄の持ち手を両手で握り締める少女は、泣きそうに表情が歪んでいく。
「……っ、ひっ、ひどいよ、ティーちゃん。本当に置いて帰っちゃうなんてぇ……っ」
「どうやらティフォルナ様にしか出来ないお仕事があったそうですね」
「あんなの嘘だよ。もし本当だとしたって、放課後を狙って呼び出すように伝えてあるもん……っ」
両頬を膨らませた愛らしい少女を前に、俺もどうしたものかと迷う。
(……買い物に行きたいのか、俺と二人では本気で嫌なのか、この様子では判断がつかないな)
だから思い切って、彼女の頬に指先で触れた。
騒ぐご友人たちを背景に、驚愕に口を開けた彼女と見つめあって、笑うしかない。
「もしデートが嫌で仕方がないようでしたら、俺たちも帰りましょうか。
チュルカ様のお気持ちが一番大切ですから。困らせるつもりはありません」
「えっ、ちちち違うよえっちゃんっ、嫌じゃなくてっ、行きたいけどっ」
「行きたいと思ってくださっていたんですね。
安心しました。それでは失礼します」
彼女が鞄を持つ両手のうち、右手だけを拝借した。
手を握った途端、様子見していた学生たちから黄色い悲鳴が上がった。チュルカ様は声も出ずに真っ赤になっていく。
自分の掌に包んだ彼女の綺麗な指を見て、その滑らかな甲に唇をつけると、潤んだ黒の瞳を見つめながら微笑んだ。
「デートで女性の手を引くのは男の役目だと、父上から耳が痛いくらいに言われています。
俺もチュルカ様とお出かけするのを楽しみにしていました。行きましょう」
声もなく頷くチュルカ様の手を引く。
賑やかな教室を後にして歩き始めたけれど、右手を繋がれたチュルカ様は大人しくついてきてくれた。
彼女が鞄を持ったままなのにも気づいているから、それは今後の課題だと苦笑いしてしまう。
「女性の鞄はすぐに持てと父上に叱られそうですが、二人きりで行くには剣を振れなくてはならないので、今日はこのままで行きますね。すみません」
チュルカ様が左手に提げた鞄を見て、首を必死に横に振る。
再び目線を落として、繋いだ手にしか意識が向かない無垢な少女を見て、自然と表情が和らいでしまう。
「お買い物は何を買いに行きますか」
「お買い物……おかい、もの……あ、そ、そっか、ご飯の材料まだ言ってないよね、惚けてる場合じゃなかった……っ。
学校の近くにね、商店街があるんだよ。
お友達ともたまに行くから場所は知ってるんだけど、まずは果物屋さんに行きたいな。母様が好きなイチゴとか、他にも色々買いたいと思ってるんだ」
ようやく意識を取り戻したチュルカ様が、鞄を持つ手で東の方角を指さしている。
念のため王都の地図は頭に入れたから、学生向けの文房具店などが並んでいる場所だと理解しながら廊下を進む。
「もちろん王城にも同じ食材が納められてるし、母様のための最高級の品を使った方が絶対に美味しいと思うよ。
でも母様は『誰かが自分のために一生懸命してくれたこと』を、ちゃんと気持ちごと受け取ってくれる人なんだ。
食材選びもレシピを考えたのも私で、お料理は私とティーちゃんが担当。
娘の愛情がたっぷり入った特製のご飯だよって伝えたら、お腹が空いてなくたって絶対に食べなきゃって思ってくれるはず!」
計画を話す笑顔が眩しく感じて、つい目を細めてしまう。
チュルカ様を改めて愛おしく思いながら、繋いだ手を握り直した。
「俺も飲んでみたくなりました。きっと美味しいでしょうね」
「うっ、うんっ。いっぱい作るから、あとでえっちゃんも飲んでみて。
疲労回復と滋養強壮効果が出るはずだから、お仕事の疲れもすぐに取れちゃうよ」
陛下のことを話すチュルカ様は誇らしそうで、優しい表情になる。
やがて学校を出て石畳の道を歩いていると、俺たちは彼女の話していた商店街に入った。
学校帰りの学生たちもよく利用すると聞いていた通り、チュルカ様たちと同じブレザー姿の男女も多い。
「あっ、ここだよ、農園直売の苺を置いてあるお店……!」
チュルカ様が真っ直ぐに向かった果物屋さんは、屋台がいくつか並べられたような作りをしていた。
しかし簡素であっても店頭に並べられたいちごは四種類もあって、どれも艶やかな赤色だ。
品種ごとに味が違うらしく、特徴は札に書かれているけれど甘味も酸味もバラバラで、どれがいいのかわからない。
チュルカ様もレシピを考えながら悩んでいる様子でいると、店主がやってきた。
「いらっしゃい。そこにあるのは全部品種が違うよ。よければ味見していくかい」
「いいんですか? ぜひお願いします。……あ」
店主が一粒を半分にしてくれたが、しかし彼女の両手は塞がっている。
右手は俺に取られ、左手はカバンを持っている。
床は土などで少々煤けているから、俺が代わりに試食を受け取った。
「はいチュルカ様、どうぞ」
「へっ!?」
「口を開けてください。今日はチュルカ様が料理長ですからね。ちゃんと味見しないと」
唇にイチゴを近づけると、彼女の白い肌がイチゴと同じくらい赤くなっていく。
それでも口を開けたチュルカ様に食べさせると、味見している間に次の品種を受け取って、再び差し出す。
「はい、あーん」
「あ、あーん……」
恥ずかしくても口を開けてくれる表情が愛らしい。
四つとも味見したけれど、彼女は飲み込んで、悩んで、諦めた様子でこういった。
「すみません、全部ください……」
「ははは、毎度。初々しくて可愛いお嬢ちゃんだねぇ。
お城の近衛が彼氏かい? これからも大切にしてもらいなよ」
黒髪のお団子頭を必死に上下させるチュルカ様が愛らしくて、店主と一緒に和んでしまった。
他にも野菜屋さんでケールなどを購入し、持ち運ぶ品物が増えていく。
紙袋や布袋が食い込んだ左手が流石に痛そうに思えて、彼女に空いている手を差し出した。
「チュルカ様、俺も持ちます。……二人きりだと思っていましたが、どうやらワイアットがついてきているみたいです。
俺が右手を空けている意味はなさそうですから、荷物を持たせてください」
「えっ、ダメっ。えっちゃんが荷物持ったら、ワイアットは護衛のためにもっと近くに来ちゃうよ。
重くないし、私ならこのまま持てるから大丈夫。気にしないで」
「しかし……肌が擦れて赤くなっていますよ。
チュルカ様が痛いのを我慢するくらいなら……」
「やだやだ、大丈夫だもん。
えっちゃんと手、繋いでいたいから……私、このままがいい……」
恥じらう彼女の表情が胸を打つ。
繋いだ手を握り返す指にも心臓を鷲掴みにされるような感覚を味わいながら、頷いた。
……弱々しくでも漏らしてくれた本音で息が詰まっていたから、自分の心音まで聞こえている気がする。
(二人きりでなくても、チュルカ様とただ歩いているだけで楽しいなんて、言えそうもないな……)
彼女は緊張して口数が少ないけれど、それでも隣にいるだけで幸福な気持ちが湧き上がってくる。
バタンッ。
二人で次のお店に向かっていると、どこかで派手に転んだような音がした。
続く泣き声に目を向けると、子供が勢いよく転んだらしく親に声をかけられている。
少女は膝を擦りむいてしまったらしく、泣きながら膝を押さえている。手を差し伸べられても嫌がって、立ち上がれそうにない。
「ごめんえっちゃん、ついてきてっ」
そう言いながらチュルカ様は、繋いでいた手を離してでもすぐに駆け寄った。
「転んじゃったの、大丈夫? 痛かったね。手当しようか」
親子に声をかけているけれど、転んだ少女は自分でも膝を見られないほど痛いらしく、押さえて泣くしか出来ない。
学生服姿のチュルカ様は、膝の上の手にも触らないように両手をかざし、優しく歌を歌った。
「だいじょうぶー、癒しの妖精、やってきた。あなたが痛いのどこかしら。
探して探して痛いとこ、あーれれ、どこだっけー……」
「……? あれ? もう痛くない……」
「よかった、癒しの妖精が飛んできて治してくれたのかもしれないね。
じゃあ今度は転んじゃわないように、気をつけて帰ってね」
親子が不思議そうに傷があった場所を見ているけれど、チュルカ様が俺の手を取ってその隙に歩き出した。
鮮やかな去り際に、彼女が俺にしてくれたことが蘇るような気がして胸が疼く。
「今歌っていたのはエルタニアの童謡ですか」
「ううん、ビューおじちゃんが作ってくれた歌だよ。子供向けの演劇の曲なんだ。
『癒しの妖精だから治療しますよ』ってわざわざ名乗って治しちゃうと、恐縮されたり、治療中にどこの誰か質問されて困ったりすることも多かったんだよ。
だからデアに行った時にビューおじちゃんに困ってるってお話ししたら『歌いながらだと声をかけられづらいだろう』って、曲を作って教えてくれたの」
俺の右腕を治した時に、内緒で直したことで予想外の痛みを感じ、驚いた俺を見て彼女が泣いてしまったことを思い出す。
……きっと声をかけてから治療するにしても、その分だけ困り事があったから相談したのだろう。俺が父上に砂漠で放り出された時も、我が子のことくらいベルビュート陛下には父上を叱ってもらえたものだ。
「ベルビュート陛下はお優しいですね。演劇仕立てなら歌も自然に普及して、聞いたことがある方も出てくるかもしれません」
「うん、たまに「知ってる」って言ってくれる人もいるんだ。エルタニアでも公演があるんだよ。
ビューおじちゃんの演劇はいっぱい種類があってね、デアに行くたびに違うから会いに行くのが楽しみになっちゃうんだ。
どうしても続きが見たいから『私もデアに行きたい』って母様にみんなでお願いして『会談に行くんだぞ』って言われても、みんな遊びに行くと思ってるからね、……」
共通の話題も出てきて、歩きながら話すことも自然になっていく。
やがて買い物を繰り返して夕方を過ぎた頃には、王城の門が見えてきた。
(……あっという間だったな)
王城から学校への道のりよりも、ずっと早く着いてしまった。
しかし今だからこそ出来ることもあるのだと、隣を歩く婚約者を振り返った。
「ではチュルカ様、ここから先は護衛も多いので荷物を持たせてください。
近衛が姫君に苦労をさせている姿なんて、見せるわけには参りませんからね」
「ふふ、はーい。ではこの荷物はエリクセル殿下にお渡ししますね。どうぞお願いいたします」
姫君らしく微笑んだ彼女の荷物を受け取ったけれど、終わりが見えてくるのが惜しい。
……二人きりで商店街を歩いたことも楽しかったし、この時間がずっと続けばいいのにと願ってしまう。
門を超えて城内に入ったが、チュルカ様が廊下を歩く速度も、いつもより遅くなった。
(学校終わりで街を歩いて、疲れているのか。
それとも……俺と同じく、終わりを惜しんでくれているのか)
隣を歩く婚約者に少しだけ目を向けると、繋いでいた手を俺から繋ぎ直した。
離したくない意思表示だ。
チュルカ様は気づいたのか息を呑んだ後、黒曜石にも似た瞳を潤ませて笑っている。
「えっちゃんとのお買い物、あっという間だったね。すっごく楽しかった……っ。
そうだ、その荷物は食堂に運んでもらってもいい?
お料理はティーちゃんと二人でしようと思うんだ。だから食堂に置いてもらったあとは、呼びに行きたいからお部屋に送ってほしいな」
「承知しました。……旅で食材の下拵えなどには慣れていますから、よければ俺も手伝いますよ。
洗ったり、皮剥きするのもこれだけ食材が多いと大変でしょうから」
「うっううん、何をどれだけ入れるかは味見しながら悩もうと思ってるから、えっちゃんはだめ」
「おや、駄目ですか」
「だって……だってね。えっちゃんが一緒にお料理してると思ったら、味見してもわからなくなっちゃうもん……」
「はは、確かに。イチゴは全種類買ってしまいましたね」
「えっちゃんが『あーん』なんてするからだよ?
ドキドキしてたら、味なんて、何もわからなくなっちゃった……」
(……俺も味がわからなかったから、同じなんだよな……)
好意を持つ女性が照れている表情が愛らしくて、細かな差異なんて感じていられなかった。
チュルカ様は思い出し笑いして、俺の右手に提げられたイチゴを見ている。
「いっぱいあるし、母様の好きな果物だからそのまま出してもいいかなーって思ってるよ。
色々考えながら作るから、えっちゃんはその間にお仕事終わらせて、楽しみに食事にきてねっ」
「承知しました。では出来上がりを楽しみにしていますね」
チュルカ様に望まれた通り食堂に荷物を届けると、彼女を部屋の前にも送り届けた。
繋いでいた手が、ついに離れる。
学生鞄を返すと少しだけ見つめ合ってから、お互いに笑い合った。
「じゃあまた晩御飯でね、えっちゃん」
「はい、チュルカ様。また後で。
……あ、デートも終わりなので、最後に一つだけよろしいでしょうか」
「えっ、何? 私、何か粗相した!?」
驚いて身をすくめた彼女の左手をとる。
手のひらは傷や腫れひとつなく綺麗になっているから、きっと自分の能力で直したのだろう。
戻ったらこうすると決めていたから、布袋などのさまざまな持ち手が食い込んでいたはずの指……その付け根に口付けた。
「っ!?」
柔らかい場所へのキスに、チュルカ様の体が跳ねる。
赤くなって擦れていたはずの指を見つめると、軽くもう一度だけ唇を押し付けた。
「俺は癒しの妖精ではありませんが、痛かった感覚を早く忘れられますように。おまじないです」
硬直してしまった彼女の手を包んで下ろすと、チュルカ様は言葉もなく何度も頷いたあと、部屋に逃げ込んでしまった。
同時に、扉の向こうからは声が響いてくる。
「どどどどうしようティーちゃん、もう手を洗えないよぉっ。
右手はえっちゃんと繋いでね、左手はえっちゃんに今、ちゅって、ちゅってされちゃったぁっ。
やだやだお料理するけど洗いたくないよぉっ、両手からえっちゃんの感触消えちゃうぅ」
「あーはいはい。帰ってきて早々、惚気るじゃない……」
(……賑やかだけれど、喜んでくれているみたいだからよかった、のかな?)
部屋の中でバタバタ騒ぐ音がするのが可愛らしく思いながら、俺も練兵場に戻って日誌を書くことにした。
楽しいデートをどう書くか悩んだけれど、近衛兵長として勤務中のアルバ様に正直に記入したものを提出する。
チュルカ様にそっくりの黒の瞳が日誌と俺の顔を往復しつつも、受理してもらえたから今日は勤務終了となった。




