本当の気持ち
夜間の見周りをしていた近衛の隙をついて、エイル様は部屋を抜け出したらしい。
机上に残されていた手紙には彼の筆跡で『旅に出るから探さないで欲しい』といういなくなった理由や『心配してもいいけどし過ぎないで、特に母様』などの彼らしくも家族を案じる言葉が書かれていたそうだ。
捜索もすぐに行われたけれど、事件ではないと断定する決め手になったのはニア様の一言だった。
「エイルはもういないの。海を超えて、はるか遠くへ旅に出たの」
彼は元々、海を越えるために自分の能力を何度も試していたという。雷の妖精の能力を使って、空を飛ぶ仕組みまで作っていたそうだ。
俺たちは朝になって、その話を食堂で聞いた。
状況を説明するアルバ様は動揺する俺たちに「ニアが無事だと言う限り何もない」と声をかけた。ニア様は死の妖精だから、どこにいてもエイル様の無事がわかるらしい。
シャグマ様も、いつも通り幼い我が子を膝に乗せて食事を与えている。
「エイルはいつかやるんだろうなーって思ってたからね。
むしろ体が大きくなってきた八歳からじゃなく十歳になってから旅に出るなんて、我慢出来た方なんじゃない?」
嫌いな食べ物を避ける幼子を抱えて食事をさせ始めたアルバ様も、異論はない様子だ。
それでも気になって立ち上がると、近衛兵長の鋭くも見える黒の瞳が俺を向いた。
「アルバ様、俺は探しに行かなくて良いのでしょうか。
エルタニアの地理にはまだ疎くとも、俺はエイル様の顔も声も知っています。探し手の一人にはなれると思います」
「行かなくていい。……申し出はありがたいが、エイルは海辺で目撃されたのを最後に情報が途絶えた。
隣に女性がいたけれど忽然と消えたという情報もあったから、それがニアだ。
俺たちでは海の向こうへ追う手立てはないのをわかっていて、エイルは旅に出た。
嘘の証言で混乱させ、その間に大陸内を回っている可能性も検証したが、可能性は極めて低い。
ラフィネルも海の上を探している。……これ以上ボクたちにできることはない」
「まあしばらくは騒がしいだろうけど、エイルは外交に出たと思って、俺たちは普通に過ごそう。変に騒ぐと余計に大きな話になるからね」
「……でも……エイル、北の海に消えたんでしょ?
船で行ける範囲には、島なんてほとんどないって言われてる。行って帰ってきた人は誰もいないって聞いたよ。
休める場所があるかもわからないし……エイル、本当に大丈夫かな……」
チュルカ様も弟君が突然いなくなったことで落ち込んで、朝食を食べる手が止まっている。
白髪を二つ括りにしたティフォルナ様は、その隣で普段通りトーストを口にした。
「エイルも妖精なんだから、何かあれば夢枕にくらい立ってくれるわよ。でも私は見ていない。つまり無事よ、無事。
粗雑に見えて実は気遣い屋のエイルらしく、出かける時期も選んだんじゃないかしら。
今よりも遅すぎたら、私たちの修学旅行なんて中止になっていたかもしれないわよ」
「……それは……自粛要請されると思うけど……」
「でも今なら火種が落ち着いた頃に行けるわ。
ねえチュー、素直な気持ちで教えて? もしエイルのせいでサイルア旅行が台無しになったら、チューはどうする?」
「……え。行けなくなったら……?」
「そうよ、想像してみて。
エイルはあなたが修学旅行を楽しみにしていることを知っているわ。それも今年しかない行事だって、学校に通っているからわかっている。
どう? エイルが帰ってきたら、あなたはどうするかしら」
チュルカ様が、朝食の果実を掬うスプーンを置いて考えている。
黒髪をお団子頭にした少女は、黒の瞳から光が消えて……呟いている。
「そんなの、エイルのこと、一生恨むに決まってる……」
姉姫の喉から漏れ出た本気の答えを聞いて、シャグマ様が思わずといった風情で吹き出した。ティフォルナ様も隣で見て笑っている。
チュルカ様はいつもよりずっと厳しい表情でスプーンを握りしめた。
「だって自分は楽しい旅に出て、私たちに心配ばかりさせて、えっちゃんと約束した修学旅行まで中止にさせるんでしょ?
だったら絶対、許せない。
帰りなんて待たないよ、海の向こうでも探して捕まえる。反省するまで何があったのか言い聞かせてやるんだから」
「ほらね、この通り怖ぁいチュー姉様が家で待つことになるんだから、少しでも怒らせないようにしてから出て行っているわよ。
……つまりエイルも、戻ってくる気はあるのよ。それでも今、どうしても旅に出たかった。
言っておくけれど、えっちゃんが旅の話をしたせいでもないわよ。エイルは満足するまで準備が整ったから城を出た。全部あの子の予定通りってこと。
じゃないと北には本当に何もないかもしれない。危険だってわかっているのに、エイルは思いつきだけで旅になんて出ないわ」
名探偵は感情の機微にも聡いから、俺が責任を感じていることにも気づいていたんだろう。……俺は旅の話を楽しくしたことで、彼の背中を押してしまったと感じていた。
果実入りのヨーグルトを掬い上げたティフォルナ様は口にして、頷いている。
「クラエッタとエルテは、しばらく立ち直るのに時間がかかるでしょうけれどね。
後で私たちも、また話をしに行くわ。だからえっちゃんは普段通り、近衛としてうちの家族を守ってちょうだい」
クラエッタ様はラフィネル陛下と話している最中らしく、食堂には訪れない。
ニア様は同じ部屋にいて状況を知らされたエルテ様が泣いているから、付き添っているそうだ。
家族が突然いなくなった以上、誰もがすぐには立ち直れない。……けれど気丈にも慰めようとしてくれる名探偵がいるから、俺も頷く。
チュルカ様も思い切った様子で果実を口にして、一生懸命噛んでから飲み込んだ。
「そうだよ、エイルは誰かに攫われちゃって、どこかで困って助けを求めてるわけじゃない。
行方不明って言うからすっごく大ごとに感じるけど『行き先を言うのを忘れて朝から遊びに出かけてるだけ』なんだよね。
つまり私にとってはなんともない、今日は普通の一日……家族が旅行に出たら帰りを待つのなんていつものことなのに、変に落ち込んじゃったっ」
言い聞かせるような言葉は、彼女も心配で悲しいからだ。
水を飲み切ったチュルカ様は器を置いて、頬を膨らませながら天井を睨んだ。
「エイルは帰る場所があるってわかってて『旅』に出たんだもん。
ちゃんと相談しなさいって叱るのは、帰ってからにする。
……よし、私もやりたいことやらなきゃ。
ねええっちゃん、今日の放課後、一緒にお買い物に行こう?」
「お買い物、ですか。もちろんお供します。何を買いに行きますか」
「あのね、これから先、母様がご飯を食べなくなると思うんだ」
え。
表沙汰にしてはならない『女王陛下の不調の話題』に度肝を抜かれている俺の前では、アルバ様が難しい顔をしてチュルカ様に目配せをし、シャグマ様もティフォルナ様も聞かないふりをしている。おそらく事実なのだろう。
言い出したチュルカ様は、当然のことのように頷いている。
「もう家族になったんだから、えっちゃんもどうせすぐに分かっちゃうよ。母様に怒られたって、私が言ったって言う。
母様ってね、お仕事が忙しいとご飯の時間を抜いちゃうの。頭は一番栄養を使うのに、食べないからすぐに体が痩せちゃうんだ。
だからいつもは臭くてまずい流動食を飲んでるんだけど、今回は医師見習いの私が、特製の美味しい流動食を作ろうと思うの」
チュルカ様はやる気に満ちているから、俺も頷く。
パッと表情が明るくなった彼女は、隣で頬杖をついて聞かないふりをしているティフォルナ様の手を掴んで引いた。
「じゃあ今日の放課後、約束だよっ。ティーちゃんも一緒に行こうねっ」
「私は大人しく帰るわよ。自分でお誘いできたんだから、放課後デートくらい二人きりで行きなさいな」
「放課後デート!?」
「それ以外の何物でもないでしょう?
学校が終わったら、制服のまま街に繰り出してお買い物をする。立派な放課後デートよ」
「だっだめだよ、そんなこと言われたら、えっちゃんと二人きりなんて緊張しちゃう……っ。
ねえお願いティーちゃん、一緒に来てよぉっ」
「いーやーよー。惚気はもうお腹いっぱい。
だからチューとえっちゃんの二人だけで行ってきてちょうだーい」
賑やかな姉妹に、食堂の雰囲気も明るくなる。
アルバ様も話題が変わったことに安心したらしく、自分が抱えている幼子の食事が終わると、シャグマ様が膝に乗せていた子供を受け取った。
「学校に行くなら今日はエイルとクラエッタ、エルテとニアは妖精風邪で休みの扱いになる。
話を合わせるように。頼んだぞ」
了承の返事をすると、アルバ様は両腕にお子達を抱えたままお部屋に戻っていく。
残されたシャグマ様も立ち上がると、俺たちに手を振った。
「じゃあラフィネルの食事は、うちの可愛い医師見習いに任せようかな。
この調子なら君たちの心の健康状態は大丈夫そうだけど、何か少しでも気になることがあったら俺のところにおいで。話くらい聞けるからね」
食事をしながらご家族の様子を見ていたのだろう、緑の瞳を片方だけ瞑って合図したシャグマ様に俺たちが「はい」と返事をすると、国一番の医師は笑顔で食堂を出て行った。
復調した姫君たちを見ていると、俺も先ほどまででは出そうにもなかった笑みが溢れた。
(エイル様のことは心配だけれど、チュルカ様たちは状況を理解しながらも明るく振る舞っている。
俺よりも、よほどエイル様を心配しているチュルカ様の方が元気にしているんだ。俺が暗い顔をしてどうする)
いつもの日常に戻るためにも、俺は学校に行く姉妹の護衛として近衛の仕事に向かった。
学校に行くのはお二人だけだったけれど、それでもチュルカ様とティフォルナ様は授業を真面目に受け、ご友人たちと明るく過ごしてくれた。




