エイルの相談
学校に着いて一限目が始まると、見取り図で記憶したエイル様の教室に向かった。
リンデルが廊下で待機していたため、エルタニア流の胸に手を当てる挨拶を見せる。
「パルムクル王国のエリクセルです。アルバ様より、共にエイル様の護衛にあたれと伺いました」
「ああ、チュルカ様の『えっちゃん』か……なるほど、そりゃエイル様も拒めない。
助かるよ……俺はエイル様付きの近衛、リンデルだ。よろしく」
小声で会話し、握手を交わすと二人で教室を見守る。
……エイル様はクラエッタ様と同じ教室で授業を受けるはずだが、クラエッタ様もその近衛も今日は見当たらない。
廊下側の席が一つ空いているし、顔を合わせたくなくて離れた場所にいるのだろうか。
考えていると、リンデルがこっそり声を上げた。
「姫君は多分、今日はお休み。
昔から体調がすぐれないときがあるんだ。だから今日はエイル様だけに集中していよう」
「承知しました」
エイル様は意外にも、授業は真面目に受けている。
朝練後のはずだが居眠りすることもなく、休み時間もご友人と話して息抜きすると、次の授業を受けた。
特に動きもないまま昼休みとなったが、エイル様はご友人と給食を楽しんでいる。
……食べる量だけ、ものすごい。そういえば普段も食堂で一番食べている気がする。しかし運動量も多いからか、鍛えられた全身は緩むことなく、細く引き締まっている。
「エリクセルも今のうちにお昼に行っておいで。俺一人で大丈夫だからね」
リンデルは物腰柔らかくそう言ってくれたから、休憩に向かった。
交代している間にも何も起こらずにいてくれた様子で、エイル様は真面目に授業を受けているだけだ。
全ての学習が終わって生徒が帰宅に向かう中、空になり始めた教室で……彼が初めてこちらを向いた。
「エリクセル、ちょっと話そうぜ」
どうやら放課後まで待っていたらしい。
立ち上がったエイル様が外を示したから、リンデルと目を合わせた。頷いてくれたので、教室を出てきた彼と廊下を歩いた。
「エイル様はもっと天真爛漫に周囲を振り回すのかと思っていましたが、ご兄姉同様、真面目に授業を受けられていましたね」
「新しく俺についた近衛にも『粗野で粗暴に見えるのに意外』ってよく言われる。
でも学校は勉強するための場所だ。暴れる必要ないだろ?
俺の振る舞いは母様にも繋がる。変に目立ってもいいことなんて一つもないことくらい、ちゃんとわかってるって」
印象の強い事柄ばかりに目を向けてしまうけれど、彼はエルテ様とニア様にも慕われる『お兄ちゃん』だ。
自分の役割などを弁えている様子が好ましく、警戒も解ける。
俺の肩の力が抜けたことがわかったらしく、エイル様は歩きながら無邪気な笑顔を浮かべた。
「実はさ、旅の話がもっと聞きたかったんだ。エリクセルみたいに俺も世界中を歩くのが夢なんだ」
「世界中は言い過ぎかな。パルムクル国内だけだから、俺もそこまでの経験はないよ」
「少なくとも十一歳でデアの大砂漠の途中、馬車から放り出されて歩いてる。
その後も傾斜のきつい山を登ったり、無人島に放り出されれば筏と泳ぎを合わせて帰ったり、原生生物のいる森や川を超えて方位すらわからない王城を探したり……他にも姉様から話だけは聞いてるけど?」
「あはは……そう聞くと色々やってるね」
どれも無我夢中だから、終わると普通な気がしてしまう。でも改めてエイル様の口から聞くと、父上が俺を鍛えるのに随分と無茶している気がする。
エイル様は廊下に差し込む光の中で、姉姫から聞いた話を空色の瞳を輝かせながら口にした。
「俺もエルタニア国内に一度だけ放り出してもらえたけど、旅が楽しくてさ。
全部自分で決めて、自由な中にも目標だけはあって……ああ、こんな旅がまたやりたいって、ずっと思いながら過ごしてたんだ」
「俺も最初の旅は忘れられないな……デアの大砂漠をなんとか王宮まで歩けたけど、ベルビュート陛下が父上をとても怒っていたよ。とても、とてもね」
「あはは、ビューおじちゃん優しいからなぁ。
……俺もわかってるんだ。父様も母様も優しくて、エルタニアが優しい国だから……俺の旅はうまく終わったって」
エルタニア国内は、デアのように追い剥ぎが多いわけではない。
パルムクルのように巨大生物に追い回される危険もない。
それでも一度見せてもらえた夢への憧れは潰えないんだろう。エイル様は階段を登りながら、目を輝かせて旅の思い出を話してくれた。
大きな鉄の扉を開けて学校の屋上に入る。
屋上にはまばらに人がいた。広いからお互いの距離は遠く、話し声はかすかにしか聞こえない。
柵に背中をもたれさせて運動場を見るエイル様は、アルバ様そっくりの黒髪を屋上の風に弄ばれている。
「……クラエッタと喧嘩するたび、自分の小ささが嫌になるんだ」
彼が話し出したのは、旅に出たい理由だった。
「昔から体が弱くて、ようやく学校にもまともに通えるようになったのに、俺と顔を合わせたくないからって今日もズル休み。
そういうのにも腹が立ってさ。お互いに言いたいこと言い合って、また気まずくなって……ってそんなことばかり繰り返してる」
エイル様は賑やかな運動場に瞳を向けたまま、力なく笑った。
「ヨア兄様とシェレイア姉様は、性別違いの双子だけどずっと仲良しなんだ。
もちろん喧嘩もするけど、兄様がうまく飲み込んで姉様と歩調を合わせてる。
俺もクラエッタとそうなれたらって、ずっと思ってた。……けど、うまくいかないんだよなぁ……」
まだ十歳だが、彼には状況を理解する力がある。
だからこそクラエッタ様とうまくいかないことに悩み、もがく苦しみが喧嘩として現れるのだろう。
「……本当は兄として守ってやりたいのにな。……俺じゃ、クラエッタを傷つけるしか出来ないんだ」
ため息を吐いたエイル様は、再び顔を上げた時には笑顔を浮かべていた。
「辛気臭いからやっぱりこの話、やーめた。
ってことでエリクセルの旅の話聞かせてくれよ。今日は楽しい気分で帰りたいんだ。なっ」
俺には思い入れるほど仲の良い兄弟姉妹がいなかったから、彼の気持ちをうまく理解してあげられない。
――だからエイル様に望まれるまま、旅の話をした。
便利だった道具や、必需品だと感じたもの。
細かなところまで聞きたがるエイル様に、思いつくままに話した。
旅への憧れは本物だから、彼もかなり詳しい。
古今東西の旅の話を集めた本も読んでいて、試したことがあるか聞かれたり、俺も彼と話すのをいつしか面白いと感じていた。
やがて訪れた夕暮れ空を、二人で見上げる。
……エイル様がなるべくクラエッタ様と顔を合わせないように、時間を使おうとしているのも感じていた。
近衛として常に控えているリンデルは何も言わず、静かに見守っている。
帰路を示すのは、空に夜の青が差し込み始めたのを見た俺からにした。
「旅をするなら夜の移動は避けた方がいいね。そろそろ帰ろうか」
「え。旅慣れてたら気候の安定する夜にこそ移動するんじゃないの?」
「エルタニアやムルカナは夜に襲ってくる生物が少ないし、デアの砂漠も日が落ちても温度が極端に下がらないから夜の移動を勧める人はいる。
でもパルムクルは昼の生物より夜の生物の方が怖いから、俺は明るいうちに移動することを覚えたよ。
夜行の生物が、暗闇から獲物を狙うんだ。でも俺たちの目は光がないと見えない。火を焚いて明るくしていなかったから、すぐに敵を見つけられなくて襲われた経験もあるよ」
「あ。父様も野営で夜になったら必ず火の番をするんだ。
妖精兵が周囲を守ってて安全だってわかっていても、こればかりは習慣なんだって言ってた。
あれは……そっか、ずっとデアと戦ってたからか……へへ、すごいな、父様もいろんな経験してるんだよな」
「アルバ様は歴史書にも残る英雄だからね。
狂王の時代に山脈を挟んで『ムルカナに踏み入った侵略者』として狂王の軍隊と戦った話は、俺も読んだことがあるよ。
パルムクル国内で旅に出ても危なげなかったなんて、父上も一目置いていた」
「じゃあ帰ったら父様にも旅の話、聞いてみようかな。本人から歴史を聞けるって、改めて考えてもすごいことだもんなぁ。
……あ、帰るって言っても、俺なりに帰っていい? エリクセルはここ、飛べる?」
「……ここは……無理だから、走るくらいにしてほしいかな……」
学校の屋上なんて随分高い場所だが、エイル様は余裕で飛べるらしい。妖精の強靭な足腰が成せる業だろう。
素直に俺のできる範囲を伝えると、エイル様は階段を使って、俺に合わせて走ってくれた。
それでもかなりの速さだったが置いていかれることもなく、朝練の代わりくらいの感覚で王城まで到着した。
夜の練兵場で、明るく笑う黒髪に空色の瞳の王子を見送る。
「話聞かせてくれてありがとうな、エリクセル。じゃーまたなー」
彼は今朝よりもずっと気楽に城の中に入っていった。
俺もリンデルも夜勤の副兵長に日報を書いて渡して、確認して貰えば勤務終了だ。
「遅くまでご苦労だった。チュルカ様が心配していたぞ。
何度も詰所に来て、お前の戻りを確かめられた。明日にでも礼に伺うといい」
「チュルカ様が……はい、またお声がけします」
戻りが遅いことで、今朝のように寂しがらせてしまったのだろう。
胸に手を当てる礼をして近衛の詰め所を出たけれど、彼女のことを考えるだけで心が弾む。
(チュルカ様が心配して、何度も練兵場に来てくれたのか。それだけで嬉しいな……)
練兵場に様子見に来てまで、帰りを待ってくれていた。
そんな婚約者の姿を思うだけで、疲れも吹き飛ぶ気分で食堂に向かった。
ご家族もすでに夕食が終わられていると思ったが、……なんと食堂では、チュルカ様とティフォルナ様が待っていた。
「えっちゃん、おかえりっ」
「ただいま戻りました。まさか……待ってくださっていたのですか!?」
「そうよ、おかえりなさい。
チューったら今日のえっちゃんの話を聞きたくて仕方ないのよ。エイルもご飯が終わったことで解放されて、ちょうどお部屋に戻ったところよ」
「だってエイルが迷惑かけてないか、心配だったもん……。
えっちゃんもご飯食べながら話そう? すぐに運んでもらえるように言ってくるねっ」
チュルカ様が食堂の料理人たちに指示を出して戻ると、食事が運ばれてくる。
椅子に腰掛けるティフォルナ様が両手の指を組み、その上に顎を乗せた。名探偵らしいと昔から気に入られていた仕草だ。
「エイルが随分と長く拘束してしまったみたいね。近衛のお仕事、遅くまでお疲れ様」
「いえ、エイル様はご自分でも戦えますし、俺はただお話をしていただけですから。
常に警戒してくれていたリンデルほどの苦労ではなかったですよ」
「えっちゃんから旅のお話をいーっぱい聞かせてもらえたってエイル、晴々した顔してたよ。話を聞いてたら私の方が羨ましくなっちゃった。
あっ、勝手に話してるからえっちゃんは気にせずご飯食べてね。明日からまた父様の朝練だったら、朝早いもん……ちゃんと疲れ取らなきゃだからねっ」
食事を勧められたので始めたが、賑やかな姫君たちも弟君の復調を喜んでいる。姉弟間の仲のよさが見ていて心地よく、自然と笑顔も浮かぶ。
「明日はエイルが自分から、えっちゃんの護衛対象をチューに戻してもらえるように言うんですって。
自分も強いのに護衛は二人もいらないなんて、あの子生意気なこと言ってたわ」
「えへへ、でもね、しばらく離れ離れかなって思ってたけど、えっちゃんが早く戻れそうでよかった……っ」
「俺にとっても良い経験でしたよ。
……今日は少し離れただけでも、チュルカ様が俺のことをたくさん考えてくれていることが分かりました。
こうして少し会えただけでも幸せな気分になりましたし、離れている間に愛情は育つ、離れたからこそ愛情がわかる……そんな言葉が身に沁みた気がします」
口笛を吹いたティフォルナ様を、真っ赤になったチュルカ様が掴んで揺らしている。
そんな賑やかで楽しい食事を終えると、俺たちも夜遅くなったことから部屋に戻った。
翌朝の食堂には全員が揃い、食事をした。
エイル様とクラエッタ様も無事に仲直りできたらしく、普段通りの日常が始まった。
そんな、数日後だった。
エイル様は姿を消した。
十歳の王子殿下が行方不明となって王城が騒然となったのは、何もない、本当に穏やかな日だった。




