何か楽しい話
馬車着き場で朝礼を行い、指導役のワイアットと話していると、不意に近衛が制止する声が聞こえた。
何があったのかと注視するため、振り返る。
すると高く聳えるエルタニア王城の城壁も一息に飛び越えた、制服姿の人影が走り去っていった。
「エイル様、お待ちください!」
担当の近衛が共に城壁を越えて、あっという間に見えなくなる。
渋い顔の近衛兵長は溜め息を吐くと、驚いて目を離せない俺を振り返ったが、気まずそうな顔をしている。
「……クラエッタと喧嘩すると、エイルは最近、ああして飛び出すんだ。
今朝も『同じ馬車に乗りたくない』と言っていたから、また顔を合わせると喧嘩になるのを嫌がって、一人で行くことにしたんだろう」
今朝のクラエッタ様も、ラフィネル陛下相手に喧嘩したことを伝えていた。
アルバ様と二人で朝練していた彼もきっと、父親に同じく悩みを伝えていたのだろう。
腕組みしたアルバ様が、わずかに思考する。
少し吊り上がって鋭くも見える黒曜石の瞳が、再び俺に向いた。
「エリクセル。急で悪いが、お前には今日エイルについてもらう。
チュルカと共に学校まで向かったあと、一限目が始まってからエイルの教室へと向かえ。
校内ではエイル付きのリンデルの指示に従うように。ボクの指示であることも伝えろ」
え。
突然の指示に息も出来ずにいると、アルバ様が俺の肩にポンポンと軽く触れた。
「エイルはチュルカを尊敬している。
いつも自分を叱ったり、傷を隠しても治療してくれる姉だから、信頼して大切にしているんだ。
あれで優しい子だから、自分が抵抗すればエリクセルが近衛としての仕事を果たせないと分かって、大人しくするだろう。……帰城までエイルを頼めるか」
そういえば昨日も、エイル様はチュルカ様が泣き出したことに動揺していた。
俺が右腕の不調を見抜いた彼女に治療してもらえたように、弟君のエイル様も日頃チュルカ様を頼りにしていたのだろう。
……近衛隊に入ったのに、婚約者以外の担当を知らないのでは、本当に役に立てているわけではない。
配置転換も出来るとアルバ様も言っていた通り、他の王族の担当になることも、柔軟に動くことも必要なはずだ。
「わかりました、行かせてください」
自ら背筋を正して志願すると、近衛兵長がワイアットにも指示を出して離れた。
状況を把握しているワイアットは俺を見て、肩を軽くすくめた。
「そう気負わなくても良い。俺もエイル様と練兵場でよく一緒になるが、妖精兵とは仲良くしている。クラエッタ様とは少し馬が合わないご様子だが、気さくな方だ。
……むしろ今から、アルバ様が一番ご苦労されるだろうな……説得が一番困難な仕事だ」
なるほど、チュルカ様も突然言われては心の準備も出来ていない。
近衛兵長が王城に入って行く姿に目をやっていると、ワイアットが「そうだ」と思い出したように声を上げた。
「エリクセル、今のうちに伝えておくが、来月は近衛隊の給与が入る。
もし銀行口座を持っていなければ開設して、経理部門に口座情報を伝えて欲しいと伝達するよう聞いていた」
「近衛隊の、給与?」
「勤めているのだから当然出る。
昔のエルタニアは違ったかもしれないが……ラフィネル陛下に王が変わってからは、正当な働きには正当な対価が支払われるよう定められている。
アルバ様もムルカナの王弟でありながらエルタニアのために働いている。なのに自分の王配だからと、こき使うような真似を陛下はされない。
エリクセルも額はまだ見習い妖精兵と同じかもしれないが、振り込まれるから楽しみにしていてくれ」
国によっては王族の国益への寄与は当然としてみなされる。
俺の近衛入りも志願したものだから給与まで出るとは思ってもみなかったが、陛下は気配りされている様子だ。
他にもワイアットから配置変更時の職務内容について話を聞いていると、やがて身支度を整えたチュルカ様が王城から出てきた。
しかし今朝の元気はなく、俯きがちにしている。
ティフォルナ様が手を繋いで一緒に馬車に乗ったため出立となり、俺も護衛として共に歩いた。
しばらくして、馬車の窓が開いた。
枠に腕をかけてもたれかかり、黒髪をお団子頭にした姿で俺を見つめる憂鬱そうな姫君は、わずかに目を潤ませている。
「ねえ、えっちゃん」
「はい、なんでしょうかチュルカ様」
「……修学旅行の楽しみなお話、何かして欲しいな……」
馬車の音に紛れて消え入りそうな声だったが、そう聞こえた。
ティフォルナ様も顔を出すと、チュルカ様の頭のてっぺんに顎を置いた。
白髪を二つ括りにしている名探偵は、反対に呆れ顔で溜息を吐いている。
「チューったらね、えっちゃんが一旦担当を外れるだけで落ち込んでいるのよ。
エイルとクラエッタの喧嘩がおさまるまでは、多分えっちゃんがエイルにつけられるわ。
だから必死に楽しいことを考えて、寂しさを紛らわせようとしているの」
反論すら出来ないくらい落ち込んでいるらしく、チュルカ様の目線がしょんぼりと下がる。
十二歳の少女にとって、弟のためとはいえ、ようやく戻ってきた婚約者を手放すのは身を切られるほどの痛みを伴ったのだろう。
しかし、修学旅行か。
考えたが、旅行先がサイルアと聞いて思い浮かんでいたことがあったから、チュルカ様に笑いかけた。
「そうですね、でしたら……サイルアでは休みの間に、空色硝子の指輪を買おうと思っています」
「……空色硝子の、指輪?」
「はい。次は薬指に結婚指輪を贈るつもりでいましたが、エルタニアで最も愛情を示すのがサイルア産の指輪だと父上にも聞いています。
父上は当時ほぼ国交のないエルタニアに赴き、闘技大会の見学をしたそうで……アルバ様が魅了の妖精と戦う際に空色硝子の指輪を身につけて『ラフィネル陛下以外に魅了されることはない、これが愛情の証だ』と見せつけたのを目の当たりにしたのだと、英雄譚としても聞きました。
ですから少し、憧れもあって……歓迎会の日に言ったこととは少し違ってしまいますが、人差し指や小指など、チュルカ様が身につけて邪魔にならない場所に贈らせていただきたいです」
落ち込んでいた黒の瞳が丸くなって、何度も瞬く。
でも俺が修学旅行の話を聞いて、サイルアと聞いて、真っ先に浮かんだのが空色硝子だ。
「ワイアットにも聞きましたが、来月には近衛の給与も出るそうです。
今まで父上に全て頼りきりでしたし、エルタニアでもラフィネル陛下の庇護下にありますが……こうして自分が働いた分だけチュルカ様に何かお贈り出来ると思うと、誇らしい気持ちです」
王子王女に授けられる支給金、つまりお小遣いなどではなく、近衛の一人として国のために働いて得られる給与だ。
国を出て自立したのだと認められた気がするし、チュルカ様に稼ぎで贈れる方が、より愛情がこもる気がする。
「チュルカ様の担当から離れて、寂しい気持ちになられるのは辛いですが……俺ならエイル様を護衛出来ると、アルバ様が任せてくださったのです。
離れている間にもしっかり働きますから、その分だけサイルアでの旅行を楽しみましょう」
朝日の降り注ぐ中、婚約者の頬に朱が差し、瞳が明るく輝く。
嬉しそうに笑った彼女が頷いて、小さく「うん」と聞こえた。
「えっちゃんに指輪もらえるの、楽しみにしてるね。
……えへへ、嬉しいな……っ。約束だよ?」
「もちろんです。……さあ、危ないのでもう中にお入りください。
いつもなら、移動の合間にお勉強もされているのではありませんか」
「うん。……ありがとう、えっちゃん。
エイルのこと、お願いね」
安心したらしくチュルカ様がそう言うと、見守っていたティフォルナ様が溜息と共に窓から顔を下げて、チュルカ様も中に入った。
馬車は穏やかに進む。
道中何もないよう近衛として見守っているのだから、学校にはあっという間についてしまった。




