裏切られた希望
「……ちっ」
俺は舌打ちし、握り潰しかけていた私兵の鞭を放り投げた。
ここでこいつらを叩きのめすのは造作もない。だが、足元で震えながら泣き叫ぶリリィの姿を見れば、力づくの解決が弟の命を危険に晒すことくらいは嫌でも理解できた。
「へっ、話の分かるガキで助かるぜ」
私兵はひしゃげた鞭を拾い上げ、嘲笑を浮かべながらリリィの背中を蹴りつけた。
「ほら見ろ、余所者も手出しできねえよ。さっさとその鉱石箱を精錬所へ運べ! 日没の鐘が鳴り終わるまでにな!」
「は、はい……! すぐ運びます、運びますから……!」
リリィは泥まみれの手で重い木箱を必死に背負い直し、ふらつく足取りで路地裏を歩き出した。
紫に変色した指先から血を滴らせ、一歩進むごとに苦痛の喘ぎを漏らしながら。
「……セシリア、カリンさん、ミア。あいつを追うぞ」
「ええ、無論ですわ」
「あんな小さな子を……許せません」
俺たちはトラックを物資集積所に預け、気配を消してリリィの後を追った。
街の最奥、黒煙を吹き上げる巨大な精錬所の搬入口。
西の空が赤黒く染まり、ゴォォン……と日没を告げる重い鐘の音が響き渡るのとほぼ同時に、リリィは最後の鉱石箱を台車の上へと運び終えた。
「はぁ……はぁっ……ぜぇっ……!」
全身汗と泥と血にまみれ、膝から崩れ落ちるリリィ。
その目の前に、私兵隊長らしき恰幅のいい男が、上等な革外套を揺らしながら歩み寄ってきた。
「たいちょ、隊長さん……! 運びました……日没までに、全部……! 約束の……弟の、解毒薬を……っ!」
リリィはすがるように手を伸ばす。
私兵隊長は懐から青い液体が入った小さなガラス瓶を取り出し、ニヤリと下卑た笑みを浮かべた。
「ああ、確かにな。よく頑張ったよ、リリィ」
「あ、ありがとうございます……! これで、弟が……」
安堵の涙をこぼした瞬間だった。
――パリンッ!
隊長は指先を緩め、ガラス瓶をわざと石畳の上へと落とした。
砕け散るガラス。青い薬液が泥水の中へと混ざり、虚しく広がっていく。
「…………え?」
リリィの時間が止まった。
「おっと、手が滑っちまったなァ」
隊長はわざとらしく肩をすくめると、軍靴の踵で割れた破片と薬液を泥ごとすり潰した。
「ま、どのみち最初からやる気なんてなかったがな。お前らのような使い捨ての奴隷風情に、高価な解毒薬を恵んでやる義理がどこにある?」
「う、そ……そんな……嘘ですよね……? 約束、したのに……っ!」
「領主ベルク子爵閣下の寛大さに感謝するんだな。鉱石の毒で死ぬはずだったお前の弟は、明日、閣下の『新型機甲』の動力実験用生体パーツとして引き取られることになった。名誉なことだろ?」
「あ……あぁ……っ、嫌ぁぁぁぁっ!!」
リリィの絶叫が路地裏に木霊する。
絶望の底に突き落とされ、泥水の中に散らばった薬液の混ざる泥を、両手ですくおうとする少女。
「ぎゃはは! 泥でも啜ってろ!」
隊長が嘲笑いながら、リリィの頭を踏みつけようと足を振り上げた――その瞬間。
ドゴォッ!!
「ぐばぁっ!?」
横合いから飛来した強烈な回し蹴りが、隊長の分厚い顔面を捉えた。
鼻骨が砕ける鈍い音とともに、大男の身体が真横へと吹き飛び、精錬所の鉄柵をへし折って沈黙する。
「……てめえら、底抜けのクズだな」
着地した俺の銀髪が、夜風に冷たく揺れていた。
サファイアブルーの瞳の奥で、静かで凄まじい怒りの火が青白く燃え上がっている。
「れ、レオナ様……!」
「カリンさん、ミア、あの子を連れてトラックへ戻るぞ。……話を聞かせてもらう」
駆けつけたセシリアが抜刀し、騒ぎを聞きつけて集まりかけた私兵たちを鋭い殺気で一喝して足止めする。
俺は泥まみれのリリィを抱き上げ、闇夜の中へと駆け出した。




