赤狼と眠れぬ夜
大浴場で汗と疲れを流し、湯上がりの火照った身体に宿舎備え付けの寝巻きを通した俺たちは、再び宿舎の廊下に集まっていた。
「――さて、問題は今夜の寝床ね」
カリンがルームキーを指先で回しながら、困ったように眉を下げた。
「ここは女性士官用の宿舎だから、急遽連れてきたミアちゃんの分の空き部屋が手配できなくて……。私の部屋に予備の毛布を持ち込んで、一緒に寝る?」
「わたくしの部屋でも構いませんわ。客用の簡易ベッドくらいなら用意させられますし」
セシリアが腕を組んで提案する。
だが、カリンから借りた予備のパジャマを着たミアは、ブンブンと激しく頭を横に振った。
「嫌っす! ウチはレオナ様のお部屋がいいっす!」
「えっ、俺!?」
「当たり前っす! ウチはレオナ様の従者になったんすから、夜の間もレオナ様をお守りするのが役目っす! ベッドの下の床に毛布一枚敷いてくれれば、丸まって寝ますから!」
ミアはピンと三角耳を立て、赤茶色の尻尾を床でバタバタと振って訴えかける。その瞳は完全に「ご主人様から離れたくない大型犬」そのものだった。
「ちょ、ちょっとミア!? あなた、いくら命の恩人だからといって、年頃の乙女が同じ部屋で寝起きするなど――」
「まあまあセシリアさん。女の子同士だし、ベッドを並べるくらい大丈夫よ。ね、レオナちゃん?」
「え、いや……俺の部屋、シングルベッド一つしかないんだけど……」
「問題ないっす! ウチ、床で寝るの慣れてますから!」
ミアのあまりの頑なさに、結局セシリアも「はぁ……好きになさい。ただし、明日の朝寝坊したら承知しませんわよ」と諦め顔で自分の部屋へと戻っていった。
「……というわけで、狭い部屋だけど我慢してくれよな」
レオナにあてがわれた個室。
ランプの灯りが優しく照らす室内で、俺はクローゼットから予備の毛布を引っ張り出し、床に敷こうとした。
だが――
「レオナ様、何してるんすか?」
「何って……お前に床で寝かせるわけにはいかねえから、俺が床で寝て、お前がベッドを――」
「ダメっすダメっす! ウチを助けてくれたご主人様に床で寝かせるなんて、赤狼の誇りが許さないっす!」
ガシッと両腕を掴まれ、そのままベッドの上へ押し戻される。
小柄な俺の体は、長身で力のあるミアにあっさりとベッドへ転がされてしまった。
「うわっ……! じゃあどうすんだよ!?」
「一緒に寝ればいいじゃないっすか!」
「はぁぁぁぁっ!?」
ミアは屈託のない笑顔を浮かべると、身軽な動きでベッドの隙間へ潜り込んできた。
スプリングがギシッと軋み、狭いシングルベッドの上に二つの身体がぴったりと密着する。
「ちょ、おい! 狭い! 近い! 離れろって!」
「えへへ〜、レオナ様、ちっちゃいから二人でも全然余裕っすよ。ほら、毛布かけますね」
バサリと掛け布団が被せられ、一気に逃げ場が塞がれた。
(し、心臓止まるわ……!!)
石鹸の清潔な香りと、湯上がりの少女特有の甘い匂い。
そして何より、ミアのしなやかで温かい体温が、薄い寝巻き越しにダイレクトに伝わってくる。
さらに、ミアのふさふさとした赤茶色の尻尾が、無意識に俺の足に巻きついてきて、耳元からは「すー、すー」と規則正しい吐息が吹きかかってくるのだ。
(落ち着け……落ち着け……! お風呂に比べたらこんな状況大したことは……!)
必死に理性を総動員して天井を見上げる俺。
だが、横を向けば、すぐ目の前にミアの健康的な寝顔と、ほんのり桜色に染まった頬がある。
「……レオナ様」
ふいに、ミアがぽつりと呟いた。
その声は、昼間の元気な様子とは違って、どこか震えていた。
「集落が焼かれた夜から……ずっと、一人で怖かったんす。いつ帝国兵に見つかるか、いつ捕まるかって……毎晩、物音に怯えて眠れなくて……」
ぎゅっ、とミアの長い腕が、俺の細い腰を抱きしめてきた。
まるで、暗闇の中で見つけた唯一の光にすがるように。
「でも、レオナ様の隣にいると……すっごくあったかくて、安心するっす……」
「……ミア」
抱きしめてくる腕の震えを感じて、俺の胸の奥がキュッと締め付けられた。
家族を奪われ、故郷を追われ、一人で王都の裏路地を生き延びてきた少女。
その境遇は、母親を奪われた今の俺と何一つ変わらない。
(……やれやれ。格好つけるつもりはないけどよ)
俺は心の中で小さくため息をつくと、ぎこちなく右手を伸ばし、ミアの頭――ぴこぴこと動く赤褐色の三角耳の付け根を、優しく撫でてやった。
「もう大丈夫だ。俺がいる限り、帝国の奴らにも、人攫いにも好き勝手はさせないさ」
「……んぅ……レオナ様ぁ……」
耳を撫でられたミアは、猫のように喉をごろごろと鳴らし、さらに胸元へ顔を埋めてきた。
その表情は、先ほどまでの怯えが嘘のように穏やかで、幸せそうに緩んでいる。
「ふふ……レオナ様、いい匂い……大好きっす……」
完全に甘えきった寝息を立て始めるミア。
「……ったく。調子のいい奴め」
苦笑しつつも、温かな温もりに包まれるうちに、張り詰めていた俺の意識も次第にまどろみの中へと沈んでいった。
――そして、翌朝。
「レオナ、朝ですわよ! そろそろ起きて査問会の準備を――」
ガチャリとドアが開き、セシリアとカリンが部屋に入ってきた瞬間。
二人の動きがピタリと止まった。
ベッドの上では、レオナの小さな身体を、ミアがまるで大事な宝物のように抱き枕にして幸せそうに眠りこけており――レオナもまた、ミアの腕の中で安らかに寝息を立てていた。
「「…………っ!!」」
セシリアの顔が一瞬で真っ赤に染まり、カリンは両手を頬に当てて「あらあらまあまあ……!」と目を輝かせた。
「な、な、な……っ! 何を朝から睦まじく抱き合って眠っていますのーっっ!?」
セシリアの絶叫が宿舎の朝の静寂を吹き飛ばし、レオナの波乱に満ちた『査問会当日』の幕が上がったのだった。
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