第8話 セシルの武器
ベマスダ商会の一件を片付けてから俺は屋敷に戻り、中断していた夕食を再開した。
街の広場での騒動が騒動だっただけに、食卓の空気はまだどこか落ち着かない。
ベルグラン卿は先ほどより口数が少なく、ワインが注がれたグラスを傾けるペースもやけにゆっくりだった。
ふとした瞬間に眉間へしわを寄せており、領主としての責任感を募らせている事が伝わってくる。
セシルも、肉料理をフォークで切り分ける手が時折止まっていた。
騒動の余韻がまだ残っているのか、少し緊張が解けていない様子だ。
そんな中、終始興奮していたのはオルドだけだった。
「ほら、兄者! フェルレイド隊長がいると面白い事がおきるでしょう!?」
いや、面白い事ってなんだよ。
俺はただ、説教をしただけだぞ。
「オルド、少しは落ち着きなさい。フェルレイド殿も困ってらっしゃる」
ベルグラン卿が呆れた表情でたしなめるものの、このままではオルドがずっと俺の事を喋り続けそうだ。
俺は、別の話題へ切り替えることにした。
「そういえば、グレイウルフ領の事をお聞きしたいのですが、現在はどういう状況なのでしょうか?」
「グレイウルフ領ですか。そうですね……」
ベルグラン卿が、顎に手を当てて考え込む。
「まず、ここ数年……いえ、十年以上は誰もグレイウルフ領に立ち入っていない状況です。時折、魔獣が姿を見せる程度でして」
「誰も? 一人もですか?」
「領民も決して立ち入りたがりませんし、そもそもあの土地へ足を踏み入れる理由がないのです。以前、盗賊団が拠点として利用しようとしたという噂もありますが、真偽のほどは定かではありません」
ああ、あの噂か。
所帯の大きな盗賊団がグレイウルフ領を根城にしようとしたが、環境があまりにも過酷すぎて逃げ出した。そんな有名な噂だ。
人が住まうにはそれほど酷い場所だという例え話なのかもしれないが、やはり実際の状況はこの目で確かめてみないと分からないだろう。
「やはり直接見てみるのが一番早そうですね。明日準備を整えて、あさってに現地を視察してみたいと思います」
俺が方針を口にすると、オルドが待ってましたと言わんばかりに大きな声を張り上げた。
「おお、やはりグレイウルフに行かれるのですな! であれば、拙者も同行させて頂きたい! モノネリ領からの正式な視察という名目であれば問題ないでしょう? ね、兄者よ!」
「うーむ……フェルレイド殿がご迷惑でなければ、我が愚弟も同行させていただいてもよいでしょうか」
「ええ、もちろんです。オルドが来てくれるなら、これ以上なく頼もしいですよ」
快諾した直後、食卓の視線が自然とセシルへと集まった。
目的地は未知の危険が潜む土地だ。皆がセシルの身を気にするのも当然だった。
「セシル殿は、この屋敷にてお守りいたしましょう」
ベルグラン卿が、気遣うようにセシルへ告げた。
「いえ、私も参ります」
セシルは背筋を伸ばし、毅然とした態度で言い放った。
その真っ直ぐな瞳には、微塵も迷いがない。
予想外の即答に、オルドとベルグラン卿は揃ってポカンと口を開けていた。
俺はというと、セシルなら絶対にそう言うだろうと最初から分かっていた。
周囲の懸念通り、グレイウルフ領は未知の危険が待つ場所だ。普通であれば、セシルを連れて行く選択肢はない。
それに、この安全で快適な屋敷で待機できる条件は、破格の待遇と言える。
だが俺は、あらかじめセシルの言葉への返答を用意していた。
「ああ、セシル。もちろん連れて行くよ。ただし、俺と同じ馬に乗ること。それでいいね?」
「うん! 分かった!」
セシルはパッと表情を輝かせ、満面の笑みで大きく頷いた。
隣にいることで安心できると語っていたセシルを、ここに置いていく理由など俺にはなかった。
「フェルレイド殿。本当に大丈夫でしょうか?」
「危険そうであれば、すぐに引き返します。そもそも無理をして奥地まで進むつもりはありませんので。それに、オルドも一緒にいますから」
「お、おお……! 拙者にお任せくだされ! 先兵は、この拙者が務めましょうぞ!」
オルドが満足げに大きな胸をドンと叩く。
それでもベルグラン卿は最後まで、心配そうな顔を崩さなかった。
本当に、心根の優しい人なのだろう。
そうして夕食を終えた俺たちは、再び屋敷の自慢である温泉へと浸からせてもらい、汚れを落としてから自室へと向かった。
「ふう……」
清潔なシーツが敷かれたベッドに腰を下ろす。
今日は本当に色々な事があった。
オルドとの偶然の再会に始まり、街の広場での商会との騒動まで非常に濃密な一日だ。
隣のベッドへ目を向けると、セシルもすっかり疲労が溜まっている様子だった。
うつむき加減で、小さくあくびを噛み殺している。
「セシル。明日は準備で忙しくなるから、今日は早めに休もうか」
「うん、そうだねぇ……」
返事の声に、いつもの張りと元気がない。
まぶたがくっつきそうになっており、今にもそのまま眠りに落ちそうだった。
「ははは、もう限界みたいだね。よし、今日はもう寝ようか。おやすみ、セシル」
「おやすみぃ……」
セシルは、ぱたりとベッドに横たわると、あっという間にスヤスヤと寝息を立て始めた。
冷えないように掛布団をセシルへ掛けて、俺も自分のベッドへと入った。
身体の芯まで温めてくれる温泉に、ふかふかで心地よいベッド。
さらには長旅の疲労が重なり、俺の意識が深い睡眠へと落ちるのに時間はかからなかった。
そうして夜が更け、新しい朝が訪れる。
「おはよう! フェル!」
「おはよう、セシル」
目覚めると、昨夜の疲労を完全に吹き飛ばしたセシルが、朝から元気いっぱいの笑顔を向けてきた。
お互いに着替えを済ませたちょうどその時、コンコンとノックの音が扉から響く。
「ご朝食の準備ができました」
使用人に案内されて向かったのは、昨日の食堂とは違う二階の広いバルコニーだった。
石造りの手すりの向こうには、朝の日差しを浴びるオウデーンの街並みが広がっている。
心地よい朝の風と、焼きたてのパンの香ばしい匂い。
テーブルの上には、すでに朝食が並んでいる。
オルドは先に席についていたが、ベルグラン卿の姿はなかった。
「おお、フェルレイド隊長! セシル殿おはようございます!」
「おはよう、オルド」
「オルドさん、おはようございます」
オルドと三人でテーブルを囲み、朝食をとる。
ベルグラン卿は、朝早くから領地の執務に追われているらしく、本日は終日不在とのことだった。
「フェルレイド隊長、本日はどのような予定で動かれますかな?」
「明日のグレイウルフ行きに向けて、街で準備を整えたいんだ。俺の予備の武器や、セシルの服と防具なんかをね」
「なるほど! であれば、拙者がこの街をご案内しましょう! 良い店がいくつもありますのでな! セシル殿も、きっとお気に召しますぞ!」
温かいスープとパンで腹を満たし、外出の支度を整えた俺たちはオルドの先導で街中へと繰り出した。
「よし、まずはセシルの服と防具の調達からだな」
「防具? 私も騎士みたいな鎧を着るの?」
「いや、あんな重い甲冑じゃないよ。まずは動きやすくてしっかりとした布地の服と、足元を守る頑丈な靴。それから、急所を守る軽い革の鎧だ。危険な場所へ行く以上、とても大事なものだからね」
大通りの服屋でセシルに適した服と靴をいくつか買い揃え、続けてオルドが推薦する老舗の防具屋へと向かう。
店内には革のなめし油の独特な匂いが漂っていた。
店主の協力もあって運良くセシルの体格に合う上質な革の軽鎧が見つかり、胸部、背中、腕、膝といった要所を覆う防具一式を用意することができた。
試着を終えたセシルは、自身の身体に吸いつく感覚と想像以上の動きやすさに目を丸くして驚いている。
「では、次は武器屋ですな! このオウデーンで一番大きな武器屋がありますのでな! ぜひ楽しみにしてくだされ!」
大通りを歩きながら、オルドが意気揚々と叫ぶ。
その言葉の自信は、目的地へ到着してすぐに裏付けのある事実だと分かった。
案内された武器屋は、類を見ないほど広い店構えだった。
ずらりと並んだ様々な武具。これなら、必要な装備は一通り揃えられそうだ。
「ふわぁ……色んな武器があるんだね。見た事ないものばっかりだよ」
「戦う相手や用途に合わせて、細かく使い分けが必要になるからね。セシルは何か気になるものはあるかい?」
「えっ、私も選んでいいの!?」
「ああ。もし気に入ったものがあったら教えてくれ」
自分の武器を持てるかもしれない喜びに、セシルはピョンピョンと嬉しそうに跳ねている。
そういえば、セシルはこれまで買い物をするという経験があったのだろうか。
王城で育ったのなら、気軽に街へ出ることもできなかったはずだ。
この喜びようは、そうした初めての経験に対する好奇心から来ているのかもしれない。
一方のオルドはというと、槍に斧の刃がついた武器をいくつか手に取り、真剣な顔で品定めをしている。
馬の背にまたがりながら広範囲の敵をなぎ払うのであれば、ああいった間合いの長い得物の方が圧倒的に扱いやすい。
目的地のグレイウルフ領では、どのような危険が飛び出してくるか予測がつかない。
状況が分からない以上、迂闊に馬から降りるのは避けるべきだ。
だからこそ、馬上でも自由自在に扱える武器が必要になる。
俺は陳列棚をいくつか巡り、程なくして目当ての品を見つけた。
投擲用に作られた投げナイフと、それを携帯するために特化した特殊なベルトだ。
棚には様々な形状の投げナイフを収納できる革ベルトが並んでいる。
俺はその中から、上半身にたすき掛けにできるベルトと、太ももに装着できるベルトをふたつ選んだ。
投げナイフは、重量のある型を12本。
今回の視察において、セシルは俺と同じ馬の前方に乗ることになる。
つまり、両手による操作を必要とする槍や弓は物理的に使用できない。
片手剣を背負うにしても、俺の腕の間にセシルがいる状況では、剣の軌道が制限されてまともに振るう事すら不可能だ。
だからこそ片手で手綱を握りながら、もう片方の手で投擲できる武器が必要になるのだ。
「オルド、目当てのものは見つかったか?」
「ええ! 拙者はこれにいたします!」
オルドは先ほど手にしていた、斧刃がついた槍を満足げに掲げてみせた。
そしてセシルの方に目をやると……その瞳は、まるでお気に入りの玩具を見つけた子供のようにキラキラと眩しく輝いていた。
店の壁に掛けられた武器に、すっかり魅入られている様子だ。
だが、セシルの視線の先にあるその武器を見て、俺は思わず言葉に詰まった。
壁に掛けられていたのは、巨大な剣だった。それは剣と言うにはあまりにも大きすぎた。
大きく、分厚く、重く、そして大雑把すぎた。それはまさに鉄塊だった。
俺よりも、いや、オルドよりも大きい。到底、常人が扱えるような代物ではなかった。
おそらくは実戦用の武器としてではなく、店の象徴として鍛冶屋が遊び心で打ったものだろう。
「……セシル? もしかして、その剣が気に入ったのか?」
「うん! 私、これがいいかも!」
いやいや、そもそも地面から持ち上げることすらできないだろう、それは。
セシルは、これからドラゴンでも狩りに行くつもりなのだろうか?




