第7話 誰の認可印?
「その第一王子の認可印というのは、いったい何なのでしょうか?」
平民上がりの俺にはさっぱり理解できないので、俺は疑問をそのまま口にした。
ベルグラン卿は顎に手を当てて思案すると、やがて口を開いた。
「そうですね……まず、このオルドフィール王国には4人の王子殿下がいらっしゃいます。国王であるアルモード陛下は、その4人の王子に国土を東西南北に分けて治めさせているのですが、ここモノネリ領を含め王都より西の区域を統治なさっているのは第一王子であらせられる、ルーファウス殿下です。しかしフェルレイド殿がお持ちの辞令にある印は、ルーファウス殿下のものではありません」
「兄者。じゃあ、この認可印は誰のものなので?」
俺の疑問と全く同じことを、オルドが横から声を挟んだ。
「これは第二王子、シドニス殿下の印です。シドニス殿下の統治区域は北ですが、このモノネリ領や隣のグレイウルフ領からは距離が近い。とはいえ、本来の区域とは異なるので……いや、宰相府を通した正式な辞令ではあるのですが」
ベルグラン卿は、羊皮紙を見つめたまま困った顔をしている。
そんなにややこしい事なのだろうか。
「それはその第二王子のシドニス殿下が、第一王子のルーファウス殿下に断りもなく、勝手に俺をグレイウルフ領の領主に任命した、ということなのでしょうか?」
「それについても、なんとも言えないのが実情です。そもそも王子殿下方の間では、王位継承を巡る派閥争いが続いております。話し合いで穏便に決めたという可能性は低いでしょうな……」
なるほど。これがベルグラン卿が気にしている事なのか。
ふと、セシルの顔を見ると、眉が八の字になって不安そうな顔をしていた。
城の内部事情を知るセシルだからこそ、王子たちの権力争いがどれほど危険か理解しているのだろうか。
あまりこの話題を長引かせ、セシルの不安を煽るのは良くないな。
気になる事だけ、確認しておこう。
「であれば、その辞令自体は正式なもので、俺がグレイウルフ領を治めることに問題はない。そう判断して間違いないのでしょうか?」
「それは間違いありません。しかも、この辞令には納税の義務や領地運営の細かな制約が一切記載されておりません。破格の優遇措置と言えます。……もっとも、あの土地を無事に治めることができれば、の話ですが」
よし、それさえ明確になれば充分だ。
誰の派閥だろうと、俺たちが静かに暮らせる権利が手に入るなら関係ない。
「では近々、そのグレイウルフ領を視察して参ります。どちらにせよ、王命であれば行かねばなりませんから」
俺が迷いなく断言すると、ベルグラン卿は目を丸くして驚きの表情を浮かべた。
しかし、次の瞬間には豪快に顔をほころばせる。
「はっはっは! さすがは『トラーグの英雄』殿だ! 私の方も、オルドの命を何度も救って頂いた恩があります。隣接する領地の主として、惜しみなく協力をさせていただきたい!」
「おお! 良いですなぁ、兄者! 拙者もぜひ、フェルレイド隊長の手伝いをさせてくだされ!」
「うむ、オルドよ! 我ら兄弟で、フェルレイド卿の新たな門出を支えようではないか!」
なぜか、先ほどの重い空気を吹き飛ばす形で、無骨な兄弟が嬉しそうに声を張り上げて笑い合っている。
その明るく頼もしい二人の反応は、セシルの不安を和らげたようだ。
セシルの表情から先ほどの暗い表情が消え、安心したような笑顔が戻っている。
しかし、その『トラーグの英雄』って何だ? 初めて聞いたが……
俺が続きを尋ねようとした、その時だった。
「失礼いたします、旦那様」
食堂の扉が静かに開き、使用人がそっとベルグラン卿に耳打ちをする。
報告を聞くにつれ、上機嫌だったベルグラン卿の顔つきが険しいものになっていった。
「……また広場で揉め事か」
ベルグラン卿が、苦々しくふうとため息をついた。
オルドも険しい顔つきで椅子から立ち上がる。
「兄者。もしや、いつものベマスダ商会の連中ですな?」
「ああ、そうだ。毎度毎度、本当に手を焼かせる」
頭を抱えるベルグラン卿の様子に、俺は思わず尋ねた。
「何かあったんですか?」
「お恥ずかしい話ですが、このオウデーンの街には質の悪い商会が居座っておりましてな。表向きは合法的な商売を装っているのですが、裏では商人や住民を脅して回っているのです。決定的な証拠を掴もうにも、いつも巧妙にすり抜けていく厄介な輩なのです」
どこにでもそういった悪党はいるものだ。
王都の裏通りにも、命懸けの戦場にさえ、弱者を食い物にしようとする連中は沸いてくる。
「せっかくの食事の最中に、不快な話を聞かせてしまい申し訳ない。私が少し広場へ向かい、様子を見て参ります」
「フェルレイド殿、セシル殿は引き続き食事を楽しんでくだされ。拙者も兄者に同行致しますので!」
席を立つベルグラン卿とオルド。セシルも、心配そうな視線を二人へ向けている。
俺は少し考え、すぐに自身の席を立った。
「すみません。今後の後学として俺も同行させていただいてよろしいでしょうか? これから領主になる身として、そういった輩のやり口を直接見ておきたいのです」
「いえ、そのような……貴殿は大切な客人ですし」
ベルグラン卿は困惑の表情を浮かべたが、隣に立つオルドがパッと顔を輝かせた。
「兄者、ぜひフェルレイド隊長の同行を願いましょう! 隊長がおられれば、確実に面白いものが見れますぞ!」
「いや、しかしだなオルド……」
「いいのです! フェルレイド隊長ご自身が行きたいとおっしゃっているのですから。さあさあ隊長、参りましょう!」
オルドの強引な勢いに押し切られる形で、俺たちも街の広場へ向かえる事になった。
しかし、その『面白いものが見れる』ってどういう意味だ。俺は見世物小屋の芸人ではないぞ。
俺たちは急ぎ外出用の衣服を羽織り、屋敷の外へと足早に向かった。
街の中心にある広場へ到着すると、大勢の人々のざわめきと熱気が立ち込めている。
人だかりの中心では、恰幅が良く派手な装飾品をまとった男が、露店の店主に対して何やら激しい口調で詰め寄っている。
「貴様、誰のおかげでここで商売できると思ってるんだ! ショバ代が滞納してるじゃねえか!」
「そんな……ショバ代だなんて、さすがに売り上げの半分なんて払っていたら生活できないですし……」
「なんだと、貴様!」
「ひいっ!」
周囲には人だかりができているが、誰も割って入ろうとはしない。
皆、見て見ぬふりを決め込んでいるようだった。
俺たちが人混みをかき分けて進み出ると、派手な身なりの男がベルグラン卿の存在に気がついた。
「おや? これはこれは、ベルグラン卿。街の広場でお騒がせしてしまい、誠に申し訳ございませんな」
男と、周囲にいるゴロツキたちは白々しい笑みを浮かべ、大袈裟に頭を下げた。
しかしその目は全く笑っておらず、反省の色など微塵も伺えない。
「ベマスダ商会よ、またこのような揉め事を起こして。貴殿には何度注意をすれば済むのだ」
「いえいえ、誤解なさらないでいただきたい。これは双方合意の上での、正当な取引の話し合いでございますよ。な、そうだろう?」
男から露店の店主は、青ざめた顔を伏せ恐怖で唇を噛み締めたまま反論すらできずにいる。
『表向きは何ら違法な事はしていない』と先ほどベルグラン卿が言っていたな。
法という盾を悪用し、堂々と弱者を追い詰めるやり口か。
……だとすると、反吐が出るやり口だ。
力で真っ向から挑んでくる魔獣や帝国兵よりも質が悪い。
俺が一歩前に出ようとしたその時、派手な男の視線が、ふと俺の隣へと逸れた。
「おや……! そちらのお嬢さんは、これまた随分とお美しい! この街では見かけない顔ですなぁ!」
男の下劣で無躾な視線が、セシルの頭から足元へと舐めるように向けられる。
セシルは「ひっ」と小さな悲鳴を漏らし、恐怖で肩を強く強張らせた。
俺の背後へと身を隠す形で、セシルの手が俺の上着の裾をしっかりと掴んでくる。
「そこの美しいお嬢さん、よろしければ私と少しお茶でもいかがかな? この街で一番高級なカッフェを経営しておりますので、特別に優遇いたしますよぉ?」
男が下品な笑みを浮かべ、ずかずかと無防備に近づいてくる。
そして、セシルへその汚い手を伸ばしてきた。
「——どうも、初めまして」
俺は男の腕を素早く掴み、伸ばされたその手を力の限り握り返していた。
「な、なんですかな、あなたは! 急に人の手を——」
「取引の話し合いなんでしょう? なら、まずは互いの握手から始めるべきかと思いましてね」
俺はにっこりと笑いながら、俺は握った手に、ゆっくりと力を込めていく。
……ぎりぎりと骨が軋む鈍い感触が手に伝わってくる。
「ぐ……ぐぎぃっ!? い、痛っ! 何をする、貴様!?」
激痛に男の顔がみるみる赤黒く染まり、額から大量の脂汗が噴き出した。
男は悲鳴を上げながら必死に腕を振りほどこうと暴れるが、俺の誠実で力強い握手から逃れることなど到底できない。
男の周りに居たゴロツキたちが俺を止めようとして、拳を振り上げてくる。
俺は右手が使えないとはいえ、このくらいの相手に後れを取る事は無い。
左手と足さえ使えれば充分だ。
一瞬の内にゴロツキたちが、バタリとその場に倒れた。
「ひ、ひえ!? くっ、離せ貴様! せ、先生ぇぇっ!! 私に逆らうこの馬鹿者に、痛い目を見せてやってくれっ!」
耐えかねた男が、声を張り上げて用心棒を呼んだ。
その声に呼応するように、群衆の後ろから、ドスンドスンという足音が近づいてくる。
人混みをかき分けて現れたのは、見上げるほどの巨躯を持つスキンヘッドの大男だった。
丸太のような両腕を組み、のっしのっしと歩を進めてくる姿は、並の人間なら視線を向けられただけで腰を抜かすほどの凄みがある。
しかし。
その大男は、俺の顔を見た瞬間——ピタリと、足を止めた。
「……あ」
大男の強面から、一瞬にして血の気が引いていく。
威圧的な態度は消え失せ、全身がガタガタと目に見えて震え始めた。
「フェ、フェルレイドさん……? な、なんでこんなところに……?」
その反応に、俺の方が驚いた。
誰だ、こいつは? 俺の事を知っているのか?
しばらく記憶を辿って、ようやく思い出した。
俺がトラーグ砦の防衛任務に行く前の話だ。
こいつは王都近くの街道で、通行人を脅して金をせびっていたゴロツキだ。
周囲から被害の相談を聞いた俺は、こいつを見つけて叩きのめし、二度と悪事を働かないようその場で正座させ、数時間にわたって説教をしてやったことがあったのだ。
「ああ! あの時の街道のゴロツキか! ……まだ反省が足りていなかったようだな?」
俺が低い声で問いかけると、大男はその巨大な体に似合わず驚きでピョンと飛び上がった。
「い、いえいえいえっ! もう毎日、反省しきりでございますよ! あの日以来、二度とあくどい真似はしないと心に誓っておりまして……! あ、そうだ。教会に入信して僧侶になろうかなぁ~? じゃ、じゃあそういう事で、あっしはこれにて失礼いたします!!」
大男は脱兎の如く踵を返すと、あっという間に人混みの向こうへと消えていった。
あまりの逃げ足の速さに、俺だけでなく、周りの野次馬たちまでもがポカンと口を開けている。
シーンと静まり返った広場。
俺は改めて、まだ手を握られたままの男へと視線を戻した。
涙目で脂汗まみれのその顔は、先ほどまでの余裕など跡形もない。
「で、まだやるか?」
「ひ、ひぃっ! しません! もう絶対に、何もしませんのでお許しをっ!」
俺が握手を解くと同時に、男はその場に崩れ落ち、石畳に額をこすりつけた。
そして青ざめた露店の店主に向き直り、これまで犯した非礼を何度も深々と頭を下げて謝罪し始める。
一通りの謝罪を終えた男は、震える身体を縮こまらせながら俺の顔色をうかがっていた。
「あの……これで、よろしかったでしょうか……?」
「あんた、さっき喫茶店を経営しているって言ってたよな?」
「へっ!? あ、えっと、その……はい、間違いございません……」
「よし、ちょうど俺も喉が渇いていたところだ。二人で茶でも飲みながら、今後の話でもしようか」
俺が男の肩に手を回して引き寄せると、男はビクッと身体を跳ねさせた。
オルドへ視線で『帰っててくれ』と合図を送る。
商会の男の抵抗を許さず、二人で仲良く男が経営しているという喫茶店へと足を進めた。
そこで小一時間ほど、商会の男に対し一対一で説教を行なう事になった。
まずは、俺が隣のグレイウルフ領の新たな領主であると身分を明かす。
この街とは距離も近く、今後も頻繁に訪れることになるだろうから、もし再び住民や商人を脅すような真似をすれば決して許さないと伝えた。
さらに、法や規則の網の目をくぐり抜ける汚いやり方は、お前たちの専売特許ではないと指導する。
苛烈な戦場や、冒険者同士のいがみ合いの中で生き抜いてきた俺は、法が通用しない世界の解決策をいくらでも知っているのだと話した。
例えば、街の住民から嫌われている悪徳商人が、ある日突然不自然に失踪したとしても、誰も心配せず捜索願いすら出さないという事。
……俺が手を下すとは言っていない。人の恨みを買うというのは、そういう事なのだと現実の厳しさを丁寧に教え込む。
それと、これからは街の皆と健全な関係を築くこと。
正当で真っ当な商売を行なうのであれば、隣地の領主として俺も応援するということ。
俺の説得に、男は終始涙目になりながら首を縦に振り続けていた。
ちなみに、喫茶店に入った途端に襲ってきた男の手下たちは、今俺たちの周りの床で気絶している。
話がまとまり、今度は互いに対等で友好的な握手を交わした。
俺は改心した男に見送られながら、ベルグラン卿たちが待つ屋敷へと戻った。
屋敷で俺を待っていたベルグラン卿たちに、先ほどの顛末と男との間でまとまった約束の件を説明する。
「いやはや、実にお見事ですな、フェルレイド隊長! あの厄介なベマスダ商会を、たった一時間で手なずけてしまうとは! がっはっは!」
オルドが自身の膝を叩きながら、愉快そうに豪快な笑い声を上げた。
ひとしきり笑い終わったオルドが、今回は真剣な顔つきになって再び口を開く。
「しかし、さすがはフェルレイド隊長ですなぁ。あの巨漢まで名前を聞いただけで震え上がらせるとは、いったい過去にどんな恐ろしい説教をなさったので?」
「別に、大した事はしてないよ」
実際、大した事はしていないし、嘘も言っていない。
あの時も相手の将来を思い、心を込めて正座をさせて説教しただけなのだから。
すると、ベルグラン卿が俺の前に歩み出た。
「この街の騒動に巻き込んだ上に、あの商会と話しをつけくださり何と感謝して良いのか言葉も見つかりません。……本当にありがとう、フェルレイド殿」
「いいえ、素晴らしい食事と温泉、そして快適な宿を提供していただいた恩がありますから。これから隣の領地を治める隣人として、また何か困ったことがあればいつでも手伝わせてください」
ふと隣を見ると、セシルが胸を撫で下ろしながら、こちらをじっと見つめていた。
俺の視線に気がついたセシルが、トテトテと俺の側まで駆け寄ってくる。
「フェル……あのね、守ってくれて……ありがとう」
「俺の方こそ怖い思いをさせてすまなかった。セシルは、もう大丈夫か?」
「うん! ……フェルが一緒にいてくれて、本当に良かったよ!」
セシルは、はにかむようにそう言って笑った。
その笑顔を見て、俺はようやく肩の力が抜けた。
ひとまずオウデーンの街での厄介な騒動は、これにて無事に片付いたようだ。




