第6話 まるで、お姫様
お姫様へと姿を変えたセシルが、さささっと駆け寄ってきて、俺の隣にちょこんと腰を下ろした。
ふわりと、柑橘系の香りが漂ってくる。
しかし、こうも印象が大きく変わるものなのか。
あまりの美しさに、思わず息を呑んだ。
冒険者や傭兵稼業をやっていると、予期せぬ事態や驚かされる場面には慣れているつもりだった。
だが、これは今まで味わったことのない驚きだ。
うまく言葉にできないが、要するに俺が不慣れな種類の戸惑いだった。
隣に座ったセシルが、そわそわとした様子で、チラリチラリと何度もこちらの様子を窺ってくる。
「……?」
どうしたんだ? 何か言いたいことでもあるのだろうか。
ふと視線を感じて顔を上げると、オルドが俺に向かって声を出さずに口だけをパクパクと動かしていた。
……何をやっているんだ、あいつは?
目を凝らして、オルドの口の動きを追う。
三文字。
同じ口の動きを、何度も繰り返しているように見える。
『ホ』、『メ』、『テ』。
褒めて、という意味か?
……あっ!?
俺は慌ててセシルの方へと向き直った。
「セシル、ずいぶん似合ってるな。凄く綺麗だ」
俺が率直にそう告げると、セシルはパッと表情を輝かせ、こちらに視線を向ける。
「へへっ、そうかな?」
先ほどまでの優雅で気品あふれる空気が嘘のように消え、いつもの人懐っこい笑顔で照れている。
どうやら俺の言葉をずっと待っていたらしい。
……危なかった。オルドの助け船がなければ、うっかり機嫌を損ねさせるところだった。後で礼を言っておかないとな。
「オルド。俺たちの服まで用意してくれて、本当にありがとう」
「オルドさん、私からも感謝申し上げます」
「いえいえ、お気になさらずに! それより、一度部屋までご案内しましょう。夕食まで、ごゆるりとお過ごしくだされ。長旅でお疲れでしょうからな」
オルドがそう言うと、また別の使用人が音もなく歩み寄ってきた。
「お部屋までご案内いたします」
床に敷かれた厚い絨毯が足音を柔らかく吸い込む静かな廊下を、使用人の先導に従って進む。
二階へと上がり、長い廊下を歩いて二回ほど角を曲がった。
案内された部屋は、ベッドがふたつ並んだ、ひとつの客室だ。
「あれ、一緒の部屋なのか。……セシル、別の部屋にしてもらおうか?」
「ううん、一緒がいい」
俺の申し出に、セシルは間を置かずそう答えた。
「本当にいいのか? ここはオルドの家だし、頼めば何とでもなるはずだと思うけど」
「うん。……なんていうか、知らない場所でひとりにされる方が落ち着かないの。フェルが隣にいてくれた方が安心して眠れるから」
セシルはそう言って、少し照れくさそうに笑った。
その『安心して眠れる』という言葉が、俺に重く圧し掛かってきた。
盗賊に襲われていた馬車からセシルを助け出した時、セシルは馬車の中でガタガタと肩を震わせていた。
顔面が蒼白になり、恐怖に滲んでいたセシルの表情を、俺は今でもはっきりと覚えている。
思えば、馬車での旅の間もずっと隣にいたのだ。
安全な屋敷にやって来たとはいえ、今さら急に離されても、セシルの方はまだ心の底から落ち着けないのかもしれない。
「わかった。それなら、このままで」
それから俺たちは、柔らかく清潔なベッドに横たわった。
少しの休憩のつもりが、いつの間にか眠りに落ちていた。
ふかふかの寝床というのは、これほどまでに人を油断させるものなのか。
コンコンというノックの音で、俺は目を覚ました。
「夕食の支度が整いました」
扉の向こうから届いたのは、使用人の落ち着いた声だった。
俺は身体を起こし、用意されていた上等なコートに袖を通した。
念のため王都で貰った辞令の羊皮紙をコートの内ポケットに忍ばせておく。
何かの拍子に必要になるかもしれない、それにオルドに聞きたい事もあったのだ。
夕食の会場へ向かうと、オルドの隣に見覚えのない長身の男が立っていた。
「おお、あなたがフェルレイド殿ですね。ようこそ、オウデーンへ。私はオルドの兄、ベルグランと申します」
物腰は柔らかいが、纏う空気にはどこか隙のない貫禄のようなものが滲んでいる。
おそらく、この人がオウデーンの街やモノネリ領を治める領主なのだろう。
「フェルレイドと申します。本日はお世話になります。こちらは、一緒に旅をしているセシルです」
「セシルと申します。本日はお招きいただき、誠にありがとうございます」
セシルはスカートの裾をそっとつまみ、静かに膝を折った。
その流れるほど自然で美しい所作は、見惚れるほどに洗練されていた。
「ベルグランです。本日はぜひ、共に夕食を囲ませていただければ幸いです。どうぞ、こちらへ」
夕食の席は、木製の大きな四角いテーブルに用意されていた。
俺の左にベルグラン卿、正面にセシル、右にオルドという並びだ。
貴族の座り順というものがあるのかもしれないが、礼法に疎い俺は案内されるままに腰を下ろした。
……領主になるなら、こういう作法もいずれ覚えねばならないのだろうか。
正直、こういうのは礼儀作法は苦手だ。考えるだけで頭が痛くなってくるな。
着席するなり、香ばしい肉や香草の匂いを漂わせた料理が次々と並べられていく。
どう手をつけたものかと思案していると、ベルグラン卿の方から声を掛けてくれた。
「フェルレイド殿、セシル殿。本日は無礼講とさせていただきたい。どうぞ、お気楽に」
その言葉と同時に、オルドが大きな鳥の骨付き肉を両手で掴み、豪快にワシッとかぶりついた。
ベルグラン卿もまた、オルドに続いて遠慮なく肉に食らいつく。
どうやら、貴族の席に不慣れなこちらへ気を遣ってくれているらしい。
その心遣いに感謝し、ならばと俺も同様に肉へかぶりついた。
一方のセシルは、銀のナイフとフォークで丁寧に肉を切り分けている。
カチャカチャと音を立てることもない、その所作の滑らかさに俺は心の中で感心していた。
食事が進むにつれ、話題はまたも俺とオルドが共闘していたトラーグ砦のことになった。
基本的にはオルドがあれこれと熱弁しているが、今度は酒場で話していたものより具体的な内容だ。
だが戦いそのものの話が主ではなく、俺たち10人の傭兵が送っていた日常や、近隣の村人たちとの交流についての話が中心だった。
昼間の温泉で昔を思い出し、オルドは感傷的になっていたのかもしれない。
オルドの口は、いつも以上に滑らかに動いていた。
それを興味深そうに聞き入るセシルとベルグラン卿。
和やかな談笑が一段落したところで、ベルグラン卿がふと俺に尋ねてきた。
「いやはや、噂に聞く英雄殿と、こうしてお会いできるとは光栄ですな。して、フェルレイド殿はどのような御用向きで、このオウデーンまで?」
「がっはっは! 兄者、それはもう温泉に決まっておりますとも! オウデーンの湯は天下一品ですからな!」
軽口を叩くオルドに、ベルグラン卿が呆れたような、それでいてどこか楽しそうな視線を送る。
どうやら、この兄弟は外見も性格もまるで違うようでいて、存外仲が良いらしい。
「実は領地を任されまして。その道中なんです」
「領地を、ですか?」
「フェルレイド隊長が、領主に!?」
ベルグラン卿とオルドが、そろって目を見開いた。
「しかし、この辺りはモノネリ領以外に、これといった領地はないはずですが……強いて挙げるなら、隣に『呪われた地』と云われるグレイウルフ領があるくらいで」
「ええと……その、グレイウルフ領です」
ポトン、ポトンと、続けざまに二つの音が響く。
ベルグラン卿とオルドが、手にしていたフォークをそれぞれ手から落としたのだ。
「……いや、ははは! フェルレイド殿は、なかなか手の込んだ冗談をおっしゃる!」
「がっはっは! こんな恐ろしい冗談を仕込むとは、フェルレイド隊長も人が悪い!」
なぜか、揃って笑い出す二人。
……全然、冗談ではないんだが。
「いえ、本当なんです。……こちらを、ご覧いただけますか?」
俺はコートの内ポケットから、例の荷物を取り出した。
グレイウルフ領の統治権を与えるという、あの辞令の羊皮紙だ。
差し出された羊皮紙を、ベルグラン卿とオルドが二人がかりで覗き込む。
次の瞬間、両者の眉間に、これまで見たこともないほどの深い皺が寄った。
「兄者。さすがに、これは悪い冗談では……?」
「いや……正式な様式だ。まさか、本当にグレイウルフ領を人に治めさせるとは……」
二人の目から、みるみる笑みの色が消えていく。
だが、俺は逆に安堵していた。どうやら、噂に聞いていた通りの土地らしい。
誰も居ない領地であれば、俺も気兼ねなく好きに暮らせる。
セシルだって、余計な詮索をされずに安心して過ごせるはずだ。
どれほど酷い土地かは、実際にこの目で見てみないと分からない。
だが、あのトラーグ砦での地獄の五年間を耐え抜いたのだ。
今さら、どうにかならない道理もないだろう。
「む……これは……?」
辞令に目を落としていたベルグラン卿が、不意に怪訝な顔をした。
ゆっくりと顔を上げ、俺に鋭い視線を向ける。
「フェルレイド殿。こちらの辞令、どなたから下賜されたものでしょうか? 一部、見慣れぬ点がございます」
言われて、俺は思わず羊皮紙に目を落とした。
だが素人目にはどこがおかしいのか、まるで見当がつかない。
「……見慣れぬ点、というのは?」
「この印章です。宰相府の紋様には違いないのですが……本来あるべき、この辺り一帯を治める第一王子の認可印ではないのです」




