第4話 オウデーンの街
あれから10日以上、同じような野営と移動の日々が続いていた。
3日目に小さな宿場町で水や食料、セシルの服などの必要な物を買い足した以外は、これといって代わり映えのしない旅程だ。
しかし旅が退屈だったかと言われれば、決してそうではない。
セシルは相変わらず慣れない手つきで火起こしに挑戦し、思いついたままの脈絡のない話題を振ってくる。
明るい声が常に響き、馬車には穏やかな時間が流れていた。そのおかげで、俺には旅の疲労や孤独を感じる暇など少しもない。
幾つかの補給地を経由して半月ほどが過ぎた頃、街道の先に目当ての街並みが見えてきた。
高い石造りの外壁と、並び立つ無数の屋根。
グレイウルフ領に隣接した大きな商業都市、オウデーンだ。
「セシル、やっと大きな街が見えて来たよ」
「本当だね! あ、でも私、ずっと旅続きだったからちょっと臭いかも……」
セシルが自分の袖をつまみ、恥ずかしそうに鼻を近づける。
そんなに気になるほどの匂いなどしない。むしろ、初めての旅でこれだけ元気にしていることの方が驚きだった。
「ははは、気にしなくても平気だけど、街についたら宿を取って湯に入ろうか。あそこは確か、温泉もあったはずだからね」
「温泉!? 私、温泉って初めてだよ!」
セシルの期待に満ちた声と共に、俺たちはオウデーンの街門をくぐった。
街の中は、人や馬車の行き交う熱気に満ちている。あちこちから商人の威勢のいい声や、鉄を打つ鍛冶屋の金属音が響いていた。
オウデーンには以前に訪れた経験があるため街の構造は把握していたが、今回は馬車とセシルを連れている状況だ。
トラブルを避けるためにも、厩舎が併設されている安全な宿を取るべきだろう。
そうなると、やはり宿泊費は高いものになる。だが、今の懐具合には充分すぎるほどの余裕があるのだ。
安全と快適さを考えれば、ここで奮発するのは正しい判断だろう。
しかし、宿で思いがけない問題が起きた。
「部屋が無いって?」
「ちょうど今の時期は、街に仕入れでやって来る商人が多くて繁忙期なんだよ。どこの宿も満室のはずだぜ。なんなら、街の外で野営をしている奴もいるくらいだしな」
宿の主人の言葉に、俺は思わず頭を抱えたくなった。
なんてことだ。商人の仕入れ時期だったとは。その事情をすっかり忘れていた。
俺が腕を組んでウームと悩んでいると、隣でセシルもセシルなりに腕を組んでウームと考えていた。……が、その直後にセシルのお腹から『ぐぅ〜』という間の抜けた音が鳴り響いた。
セシルの顔が、みるみるうちに赤く染まっていった。
「ひとまず、食事にしようか。ここはホロ鶏の串焼きが名物なんだ。店はたくさんあるから、腹ごしらえをしながら宿の事は考えるとしよう」
「う、うん……!」
セシルが小さく頷き、お腹を押さえて俯く。
恥ずかしがるその様子が微笑ましく、俺たちは足取りを早めて目についた大きめの酒場へと入った。
店内は焼けた肉の香ばしい匂いと、強いエール酒の香りで満ちている。
案内された席で、ホロ鶏の串焼きを始めとした温かい料理を食べ進めていた時のことだ。
「もしや、フェルレイド隊長ではないですかな!?」
酒場の騒音をかき消すような野太く豪快な大声が響き渡る。
周囲の客たちが一斉に声の主へと振り返った。
隣にいたセシルも、あまりの声の大きさに肩をビクッと震わせ、驚いた表情を浮かべている。
声のした方へ視線を向けると、見上げるほどの巨躯を誇るヒゲ面の大男が立っていた。
「オルドじゃないか!」
「いやはや、トラーグ砦ぶりですなぁ! ご壮健でなにより!」
この大男はトラーグ砦を5年間、共に守りぬいた傭兵の一人、オルド。
俺の事を『フェルレイド隊長』と呼ぶ人間は、あの砦にいた者たちしかいないため、すぐに正体が分かった。
「これはこれは、お嬢さんとご同伴でしたか。ご無礼つかまつった。フェルレイド隊長とお会いした事があまりに嬉しかったもので、つい! がっはっは!」
オルドが豪快に笑い声を上げる。
一度は驚いて振り返った酒場の客たちも、今度は慣れた様子で各自の食事や歓談に戻っていった。
「い、いえ、大丈夫です。こちらこそ、失礼いたしました」
最初は慌てていたセシルだが、深く頭を下げて挨拶を返す。
突然の出来事に驚きつつも、すでに冷静さを取り戻しているようだった。
「セシル、こっちの大きな男はオルド。以前、一緒に傭兵をしていたんだ。オルド、こちらはセシル。俺と旅をしているんだよ」
「はじめまして、セシルです。オルドさん」
「これはご丁寧に。拙者はオルドと申す。しがない冒険者をやっております! ……あの、良ければ一緒のテーブルに座ってもよろしいですかな?」
辺りを見渡せば、酒場はすでに満席の状態だ。
今座っている4人掛けのテーブルには、ちょうど2席の余りがある。
「あっ、どうぞ!」
セシルが素早く席を立ち、俺の隣へ移動した。
「いやいや、誠にありがたい。お礼にここのお代は拙者が持ちましょう! 何せ、フェルレイド隊長のおかげで懐具合が温かいものでしてな!」
オルドがパチンとウィンクした。オルドも俺と同様、トラーグ砦の金貨数万枚分の資産を持っているのだ。
追加の料理と強い酒を注文したオルドは、届いたジョッキを俺たちのものと力強く合わせ、乾杯の音頭を取った。
そのままジョッキを傾け、勢いよく酒を流し込むオルド。
大きなジョッキを一口で空にし、空になった器をドンと力強くテーブルへ置いた。
「ぷはーっ! やはり、これですなぁ!」
「相変わらず、豪快だな。オルド」
「いやいや、あのトラーグ砦を生き抜いたのです。これくらいの褒美はお許しつかーさい! がっはっは!」
そのやり取りを聞いていたセシルが、俺の袖を指先でツンツンと引っ張る。
「ねえねえ、フェル。トラーグ砦って何の事?」
興味津々な表情で見上げてくるセシル。
しかし、その疑問に口を開いたのは、俺ではなく対面に座るオルドの方だった。
「おや、セシルお嬢さん。トラーグ砦の事を知らないのですか!? あれは帝国軍の猛攻に、フェルレイド隊長を筆頭とした我ら10人の兵だけで、5年ほども立ち向かって常勝したのですぞ! それはもう、激しい戦いでしたな! 拙者の命があるのも、フェルレイド隊長のおかげですからなぁ!」
「オルド、さすがにそれは俺を買い被りすぎだろ。セシルが信じてしまうから、そういう誇張は止めてくれ」
「何を言いますか! 実際にフェルレイド隊長が居なければ、拙者どころか10人の兵……いや、近隣の村だけでなく、このオルドフィール国の一部も侵略されておったことでしょうに!」
オルドは、些細な出来事を何倍にも大きく語る癖がある。
セシルはというと、オルドが語る大袈裟な英雄譚に瞳を輝かせ、夢中になって聞き入っていた。
これ以上この話に水を差すのは無粋か。
セシルも目を輝かせて楽しんでいるし、語っているオルドも嬉しそうだ。
特にセシルはいつもの脈絡のないお喋りとは違う、屈託のない笑顔だ。こんな顔もするのか。
事実と異なる部分に関しては、後でセシルへ正確に説明しておけば問題ないだろう。
「しかしフェルレイド隊長。よく宿が取れましたな。この時期のオウデーンは商人や農家たちの仕入れで、一ヵ月前から宿が埋まりますのに」
「いやぁ、それがな……実は今日来たばかりで宿が取れていないんだ。正直、まいっていたところだよ」
「おお、なんと! では拙者の家に泊っていきませぬか! 部屋が余っておりますので、お嬢さんもぜひ!」
「えっ、いいのか!?」
「当たり前でございましょう! 命の恩人に今報いず、いつ報いるというのでしょうか!」
まさに渡りに船という状況だった。
何よりも、セシルを街の外で野宿させずに済むという安堵の気持ちが一番大きい。
だが、向かったオルドの家でも、予想外の出来事が待ち受けていた。
酒場での食事を終えた後、俺たちは馬車でオルドの家へと向かった。
向かったのは市街地から少し離れた区画で、道のあちこちに武装した警備兵が配置されていた。
「この時期は、街に人が溢れますからな。問題が起きぬよう、24時間体制で警備をしているのです。冒険者たちも、今ばかりは警備要員として雇われておるのです」
オルドの説明に、なるほどと納得した。
人が集まれば、それだけ揉め事の種も増えるからだ。
「ここです!」
オルドが指を差した場所を見て、俺は言葉を失った。
「……ここがオルドの家なのか?」
「ええ、そうです。といっても、拙者の実家と言った方が正確かもしれませんな」
そこにあったのは、周囲の建物とは比べ物にならないほど巨大な石造りの立派な屋敷だったからだ。
オルド、お前はいったい何者なんだ……?




