第3話 小さな巾着袋
不敵に笑うセシルが差し出した、小さな巾着袋。
「お金が少しと、あとこれ!」
セシルが巾着から取り出したのは、小さな『飴玉』がふたつ。
丸くて赤い、子どもが好きそうなやつだ。
「……逃げるのに、飴玉を持ってきたのか?」
「うん、そう。非常食だね」
「飴玉が、非常食?」
「だって、甘いものを食べると元気が出るじゃない?」
それはそうかもしれないけど……と思ったが、口には出さなかった。
理屈としては間違っていないが、あまりの計画性のなさに俺の表情は無意識のうちに引きつっていたらしい。
呆れた表情を隠しきれなかった俺に対し、セシルがむっと唇を尖らせる。
「なによ、その顔」
「いや、別に……何も思ってないけど……」
「絶対なんか思ってたでしょ!?」
「いや、何も思ってナイヨ……」
「ふ~ん……? じゃあ、これ。一個あげる」
セシルはそう言って、赤い飴玉をひとつ俺の手のひらに乗せた。
そして残りのひとつを自分の口に放り込み、幸せそうにほっぺたを膨らませる。
満足そうな表情からは、逃避行への悲壮感など少しも感じられない。
「……貴重な非常食を貰っていいのか?」
「うん。だって一緒なら、非常事態にならないでしょ? だから食べても大丈夫!」
随分と楽観的な信頼だ。
だが、そんな言葉を真っ直ぐにぶつけられると、困ったことに悪い気はしない。
俺は手の中の飴玉を見てから、口に入れた。
甘味料と果物の香りが、やけに美味しく感じられる。
「ねえ、フェル。美味しい?」
「うん、美味い」
「でしょ! 非常食だから最高級なわけで!」
得意げに鼻をフフンと鳴らすセシルの姿に、俺は思わず吹き出しそうになった。
どうやらセシルの価値観は、生粋の王族とはかけ離れた、とても庶民的で親しみやすいものらしい。
その後もセシルは喋り続けた。
城での生活の話、孤児院での話、好きな食べ物の話。話題は脈絡なく飛び回って、俺はひたすら相槌をうち続けた。
さらには、俺への質問まで飛んできた。
「フェルってさ、冒険者ってことは色んな場所に行った事があるの?」
「まあ、そこそこにな。必要に応じて、色んな場所に行かされるんだ」
「いいなあ! 私、城の周りからほとんど出たことなかったんだよね。今日みたいに街道をこんなにずっと走るの、初めてだよ」
「へえ……じゃあ、知らない場所に行くのは怖くないか? それに荷馬車の旅は大変だし、今日だっておそらく野営になるんだよ」
「全然! むしろ楽しいよ!」
外の世界への憧れを無邪気に語るセシルは、心の底からこの旅を楽しんでいる様だった。
木製の頑丈な車輪が土を蹴る音と、頬を撫でる街道の風。
流れる景色に目を輝かせ、空を飛ぶ鳥の姿にいちいち歓声を上げている。
「ねえ、あの赤い鳥は何ていう鳥なの?」
「アルルバードだな。あの赤い羽が特徴で、夕方になると巣に戻る習性がある。2羽で飛んでるだろ? 生涯をずっと、番で過ごすんだ」
「へえ! フェルって物知りだね!」
「冒険者は野外の知識がないと命取りだからな」
「あ、そっか。そうだよね。なるほどね~……」
一瞬だけ神妙な顔つきになったものの、セシルはすぐにまた別の目新しいものを見つけてはしゃぎ始める。
好奇心で満ち溢れたその瞳は、見るものすべてを新鮮に捉えているようだ。
「かっこいいね、冒険者って。私も冒険者になれるかな?」
「冒険者になりたいのか? 誰でもなれるとは思うが……向き不向きはあると思うよ」
「私、向いてると思う!」
「随分と自信があるんだな。……何か根拠はあるのか?」
「なんか、そんな気がする!」
この子は、根拠より直感で生きているのだろうか。
俺は苦笑しながら、前に視線を戻した。
そうして街道をしばらく進むうちに、日が少しずつ傾いてきた。
馬車の揺れに身を任せながら、俺は先ほどのセシルの言葉を思い出していた。
——自分がいなくなっても困る人はいない、という言葉。
あの時見せた絶望の表情と、今の弾けるような笑顔には、あまりにも大きな落差がある。
今のセシルは、他愛もない話をしながら本当に楽しそうに笑っていた。
窮屈な城の生活から抜け出せたのが嬉しいのか、それとも対等に話せる相手ができた喜びなのか。
理由は分からないが、どちらにしても、俺はこの子を連れてきて良かったと確信していた。
「フェル、あのさ。グレイウルフ領って、本当に何もないの?」
「らしいな。草も生えない、人もいない、魔獣だけはいる、って話だ」
「ふーん……」
セシルはそれを聞いて、少しだけ考えるように視線を落とす。それから、ぽつりと呟いた。
「なんか、私みたいだね」
「……何もない、って意味か?」
「そう! でもフェルも一緒だから大丈夫だね、きっと!」
自分と呪われた不毛の地を重ね合わせるような悲しい発言を、セシルはすぐさま明るい笑顔で塗り潰した。
何が「だから大丈夫」なのかは、よく分からない。だが、目の前で力強く微笑むセシルを見ていると、なぜかそれを否定する気にはなれなかった。
「ああ……そうだな。大丈夫だ」
俺はそれだけ答えて、前を向いた。手綱を握り直して、馬車を進める。
隣でセシルがまた喋り始めたので、俺はまた「うんうん」と相槌を打つことになった。
馬車に揺られながら簡素な昼食を取り、気がつけば日暮れの頃。
「もう暗くなるな。近くに宿も無いし野営になるけど、大丈夫か?」
「うん、全然平気! お城の生活だって、野営みたいなものだし」
城での生活が野営? それは、王族としての暮らしが常に命の危険と隣り合わせだったという意味だろうか。
セシルが実際に暗殺されかけた事を思い出し、あえてそれ以上は聞かないでおくことに決めた。
不用意に深入りして、せっかくの笑顔を曇らせたくはなかった。
川の近くに馬車を止め焚火の準備を始めると、セシルが「私もやる!」と言って慣れない手つきで小枝を拾い始めた。
セシルが張り切っている気持ちはよく分かるのだが……
「セシル、その枝は湿ってるから燃えないよ。もっと乾いた枝じゃないと燃えないんだ」
「えっ!? あ……そ、そうなの? じゃあ、こっちは?」
「その枝は太すぎて、まず火がつきにくいね」
「…………」
セシルは、しーんと黙っていた。
それから手の中の太い枝と、俺の顔を交互に見つめ、また枝に視線を落とす。
役に立ちたいという意欲が空回りして、少し恥ずかしそうだ。
「…………じゃあ私、料理するね!」
気を取り直したらしい。
だが今度は調理道具を広げながら、鍋の蓋を勢いよく開けようとして、中に入っていた木べらを掴みそこねてしまった。
「あっ」
ぼとりと、木べらが土の地面に落ちる音が響く。
セシルは木べらをすぐに拾い上げると、素早く袖でぬぐって、何事もなかったような顔で鍋に戻した。
そして、じっと俺の顔を見上げてくる。
「見なかったことにしといてもらえると助かる……」
「……見てなかったよ」
「よし!」
セシルはそう言って、パンと手を叩いた。
さっきの失敗など、すでに記憶の彼方へ押し込んだ表情だ。落ち込まずにすぐ前を向く、その元気さだけは本物らしい。
結局、料理はふたりで進めた。
セシルは慣れないながらも、あれこれと手を出してくる。
作業の効率で言えば邪魔と言えなくもないが、一生懸命に手伝うその姿を、なんとなく止める気にはなれない。
まもなく、温かいスープの香ばしい匂いが野営地に広がった。
食後、セシルはパチパチと爆ぜる焚火の前で、ご機嫌な様子で歌を歌ったりしていた。
火の温もりが、夜の冷え込みを和らげてくれる。
「よし、明日は早いしもう寝ようか」
「は~い!」
馬車の荷台は木製の小屋のようになっていて中から鍵も掛けられるので、安心して野営が出来る。
幾つかの木箱を降ろし寝るスペースを確保して、布やら毛布を引いて寝床の完成だ。
「おぉ! すごいね、ゆっくり寝れそう!」
喜ぶセシルは、我先にと荷台へ駆け上がっていく。俺も荷台に上がり、カチャリと鍵をかけた。
「よし、じゃあ寝ようか」
「は~い、おやすみ~!」
寝る直前まで、セシルのテンションは高いままだった。
俺も疲れをとるため、毛布に横たわって静かに目を瞑る。
目を閉じると、今日あった様々な出来事が頭に浮かんできた。
突然の領主としての辞令。
そしてまさか、命を狙われる王女様と一緒に行動することになるとは。
これから、俺はどうなるのだろうか。
だが、そもそも長年の冒険者生活や傭兵暮らしにおいて、明日の保証などあった試しがない。今さら先の事を深く考えても仕方が無いだろう。
それによく考えれば、俺は凄く幸運なのかもしれない。
一人で呪われた土地へ向かう旅路になるはずだったのに、こんなに明るく元気な子と一緒にいるおかげで旅は随分と楽しくなっているじゃないか。
俺はゆっくりと目を開けた。そして、セシルの寝顔を見ようとしたら……
セシルは目を開けて、起きていた。
だが、その表情は暗い。
昼間の元気にはしゃいでいた姿はどこにもなく、沈みきった顔を見せている。
「セシル、どうした? 寝れないのか?」
「……ううん。フェル、あのさ」
セシルが、不安を滲ませた瞳で俺を見つめた。
「その……本当にごめんなさい。私のせいで巻き込んじゃって。フェルの生活もあるのに、私を助けた事でひどい領地の領主にさせちゃったし。それに、私なんかを一緒に連れて行ってもらって……」
……そんな事を思っていたのか。
ただの天真爛漫な少女だと思っていた。
だが今、俺の前にいるのは、自分の存在が俺に迷惑をかけているのではないかと怯え、罪悪感で押しつぶされそうになっている普通の少女だ。
「大丈夫だ、セシル。俺も冒険者や傭兵の生活にも飽きていたし、領主になれてちょうど良かったかもしれない。それにセシルと一緒に過ごせるのは、本当に良かったよ。だって、一人だとさみしいからね」
俺がそう語りかけると、セシルが驚いたように目を丸くしていた。
実際のところ、俺にはラーグ砦で得た金貨数万枚分の資産がある。金を有ればどうとでもなりそうな領主の生活なんて命懸けの傭兵や冒険者と比べたら天国でしかない。
だがセシルは、俺の人生が自分のせいで終わってしまったのだと、本気で心配しているのだ。
しかしセシルが気にしているのは、金の話ではない。『自分という厄介者を押し付けてしまった』という、その負い目そのものだろう。
セシルは毛布を握りしめ、しばらく考えこんだ後、口を開いた。
「……それって、本当?」
「本当だよ。逆にさ、セシルはどう? こんな俺と一緒で、むさっくるしいとか、野営が不潔とか、食事が不味いとか、何か不満はないか?」
俺の言葉に、セシルは焦ったようにガバっと上半身を起き上がらせた。
「ない! ないよ! 全然ない! 私、凄く楽しいよ!」
「ああ、なら良かった。じゃあ、お互いに不満は無いってことだな。だからセシルも気にする必要はない。いいね?」
「う、うん! 分かった!」
そう言うと、セシルはほっとしたように、にっこりと笑う。
その晴れやかな笑顔を見ながら、俺はこの子はやっぱり笑っている顔が一番似合うのだなと思った。
するとセシルは、突然バターンと横に倒れ込み、俺の胴体に自分の頭を乗せて枕代わりにしてきた。
いきなりの衝撃と重みに、俺の口からつい「ぐえっ」と情けない声が漏れる。
「ふ~、良かったぁ……」
俺の腹の上で、セシルが安心しきった声を出す。
さっきまでの深刻な雰囲気はどこへやら。やっぱり、この子は天真爛漫だ。
「セシル、もう寝ようか。明日も早いからね」
「……あのさ、フェル」
「ん? なんだ?」
セシルは俺の胴体を枕にしたまま、荷台の暗い天井を見上げていた。
「私の事を助けてくれて、本当にありがとう」
いつもより小さな、けれど誠実な声。
改まってそんな感謝を口にされ、俺は少しだけ照れくさい気持ちになった。
「ああ。俺もセシルを助けられて良かったよ」
俺がそう返事をしても……セシルから返事は返ってこなかった。
見ると、セシルはすでに目を閉じ、スースーと穏やかな寝息を立てている。
安心したことで、張り詰めていた糸が切れて一気に眠気がやってきたのだろう。
俺はセシルの頭を優しく持ち上げ、敷かれていた毛布の枕へとゆっくり元の位置に戻す。
「よし、じゃあ外のやつを片付けておくか」
気持ちよく眠るセシルを起こさぬように、俺は音を立てず、そっと荷台を抜け出した。
焚火の残り火に誘われたのか、川辺の茂みに男が数人ほど息を潜めている。
装備はバラバラで、統率もまるで取れていない。どこかの野盗崩れといったところだろう。
こちらの気配にすら、男たちは全く気づいていない有様だ。
戦闘は、ものの数秒で片が付いた。
峰打ちで叩きのめし、まとめて縄で縛り上げる。身ぐるみを確認してみたが、金目の物はろくに持っていない。
近くの木に括りつけ、目立つように放置しておくことにした。
朝になれば、街道を通る誰かが気づくだろう。
——この事はセシルには、黙っておくか。
こんな些細な事で、起こすほどでもない。
あんなに気持ちよさそうに眠っているのだから。




