第2話 二つの目の正体
木箱の隙間からこちらを見つめている、二つの目。
俺は息を殺し、そっと腰にある剣の柄へ手を伸ばした。だが、木箱の中に潜む二つの目はピクリとも動かない。
馬車に張り詰めた空気が漂う。
木箱の隙間から覗く視線と俺の目が合ったまま、数秒という長い時間が過ぎ去った。
やがて、ゴトリと音を立てて木箱の蓋が開く。
木箱の中からひょっこりと出てきたのは——地味な布の服を着た金髪の少女だった。
整った顔立ちと、ぱっちりとした青い目が、俺をまっすぐに見上げている。
間違いない。俺は、この少女を知っている。
数日前、街道で盗賊から助け出した、あの王女様だ。
少女、いや、王女様は木箱の縁に手をかけ「よっこらしょ」と可愛らしい声を上げて木箱から出てきた。
そしてスカートの埃を手でポンポンと軽く払うと、なんの躊躇いもなく御者席に移動してきて、俺の御者席の隣にちょこんと座ったのだ。
その態度は、俺の隣に座るのが当たり前だと言わんばかりに堂々としていた。
「じゃあ、出発しましょうか!」
明るく無邪気な王女様の言葉に、俺の頭の中が一瞬まっ白になった。
状況が理解できず、何度か高速で瞬きを繰り返す。それから少しずつ現状の認識が戻ってきた。
一国の王女殿下が、なぜか俺の目の前にいる。それも馬車の荷台の木箱に、こっそり隠れていたのだ。
今から呪われた地へ向かおうという俺の隣で、まるでピクニックにでも行くような笑顔を浮かべている。
俺は混乱を抑えきれないまま、慌てて口を開いた。
「ええと……すぐに城にお送りします。王女殿下がこんなところにいたら、大変な事になりますので……」
「戻ったら殺されるわ。私も、あなたも。それでもいいって言うなら止めないけれど」
王女様は可憐な笑顔を浮かべたまま、平然ととんでもない言葉を口にした。
一向に状況を把握できないが、何かがマズい状況なのだという事だけは理解できる。
「殺される、とは? いったい、どういう意味でしょうか?」
「まぁ、そりゃ意味分からないよね。ちゃんと説明するわ。私ね、第六王女なんだけど、偽物なの」
「……偽物?」
目の前の王女は、突拍子もない告白を静かに語り始めた。
「偽物、というと……本物の第六王女様が、別にどこかにいらっしゃると?」
「それが、もういないんだよね」
「……亡くなられた、という事ですか?」
「うん。病気で。私はその後任みたいなものかな」
王女様の後任?
王女という役職において、後任という言葉を使うには違和感を感じる。
「後任というのは、どういう意味でしょうか?」
「私、元は孤児院育ちなんだけどね。顔立ちが似てるって理由で、小さい頃に城に引き取られたの。最初は本当に『影武者』、つまり本物の代わりに人前に出るだけの、ただの人形だったんだよ」
王女は、どこか他人事とも思えるような淡々とした口調で語り続けた。
「本物の第六王女フランソワ様が病気で亡くなったのが、二年くらい前かな。そしたら、フランソワ様の後ろ盾だった貴族たちが『第六王女が居なくなっては派閥がま弱体化してしまう。なので、影武者をそのまま本物にすればいい』って言い出してさ。気づいたら、私が正式に『第六王女フランソワ』ってことになってた。でも、その後ろ盾の中心人物に問題が起きちゃってさ」
「その、後ろ盾の中心人物というのは……?」
果たして、聞いていいのかさえ分からない。
しかし現に目の前に王女様が居て、とんでもない状況に陥っているため、気がつけば俺は本能的に情報を搔き集めていた。
「フランソワ様のお母様の事だよ。でも、そのお母様も去年、病気で亡くなっちゃってね」
王女は、そこで苦笑しつつ説明を続けた。
「後ろ盾がいなくなったら、派閥の解散なんてあっという間だったよ。味方のいない『偽物の王女』なんて、ただの邪魔者だもの」
「……それで、命を狙われる立場に?」
「そういうこと! この間の襲撃もそれだったみたい」
俺が助けた時の事だろう。
しかし、道理で盗賊にしては小奇麗で装備が整っていたわけだ。
だが、あれ程度で暗殺者だったというのか。動きは素人同然、剣の振りも遅く、俺が軽く一振りする程度の力で倒せてしまった連中だ。
あれで暗殺者を名乗れるなら、トラーグ砦の魔獣たちは全員が破壊神だろう。
「あなたに爵位が与えられたのも、私のせいなわけで。平民が王女を救ったなんて、王国のメンツが潰れるでしょ? 護衛の騎士が何をしてたんだーってさ。だから、あなたを無理やり貴族にして『王女を護衛していた貴族の騎士が問題なく守った』という形に書き換えたのよ」
「……なるほど。合点がいきました」
あの不自然極まりない辞令は、王家の体裁を保つための工作だったのか。
しかし、本当にくだらない理由だ。俺の人生が、王家の体裁を守るためだけに決められてしまうなんて。
だが、今は俺の事より隣にいる王女のことだ。
「しかし、王女様が行方不明になったとしたら、みんな心配しているんじゃないですか?」
俺がそう問いかけると、王女様は俺の事をチラリと見てから、すぐに視線を足元へ落とした。
さっきまで元気だった表情が、目に見えて暗く沈み込んでいる。
「……そうだったら、嬉しいんだけどね」
王女はそう言って、小さく苦笑した。
「城に戻ったところで、また命を狙われるだけで……それに城の中で私がいなくなって困る人なんて……いないし。むしろ居なくなって都合がいいって思う人の方が多いくらいで。私の侍女なんて、私の担当になったのを露骨に嫌がってたし。弱小派閥の王女の世話なんて、誰もやりたがらないんだよね」
おどけて肩をすくめてみせていたが、それが無理をして明るく振る舞っているのが痛いほど伝わってくる。
王女の瞳には、隠しきれない孤独と悲哀が揺らいでいた。
「それにさ、ここまで知っちゃったんだから、もう連帯責任なわけで! 私が偽物なんて秘密、知っている人は数少ないんだからね!」
連帯責任。強引な理屈を押し付けられても、俺の中に怒る気持ちは少しも湧いてこなかった。
自分がいなくなっても困る人なんて居ない——そんな悲しい事実を当たり前みたいに語る少女を、見捨てる事なんて到底できない。
どうせ俺が向かうのは、人の住まわない土地だ。それに俺は今さら引き返せば王命への反逆罪となり、どのみち王都に留まることなど許されない身なのだから。
だったら——
「俺が向かうグレイウルフ領ってのは、酷い土地らしいです。草も生えていない、人もいない。無事に生活できるかも分からない、と」
「うわぁ……それはまた随分と厄介な領地を押し付けられたんだね」
「ええ。でも、そんな場所でよければ、一緒に行きますか?」
気がつけば、そんな提案を口にしていた。
俺自身、困っている相手を放っておけない性格なのは自覚している。でも今回ばかりは、断れないとかそういう単純な話じゃなかった。
幸い、俺にはトラーグ砦で稼いだ充分な資金がある。この少女一人くらいなら、暮らすのに困ることはないだろう。
俺の言葉を聞いた瞬間、少女の瞳が明るく輝いた。
「うん! 行く!! 絶対に行く!!」
満面の笑みで、即答だった。先ほどの寂しげな陰りなど嘘のように、彼女の顔には明るい光が満ちていた。
「じゃあ、ちゃんと掴まっていてくださいね」
「やったぁ! じゃあ、出発進行だね!」
俺は頷き、前を向いて手綱を握り直した。
どうしてこんな厄介事に巻き込まれたのか、という気持ちは正直ある。
酷い土地の領主になったうえ、命を狙われている偽物の王女様まで連れていくことになるとは思ってもみなかった。
溜息のひとつも吐きたい気分だ。
だが、隣でうきうきと景色を眺めている少女を見ていると、なんとなく吐きそびれてしまった。
すると、隣に座る王女様が俺の肩をちょんちょんと指先でつついた。
王女様の方を向くと、これ以上ないほどの笑顔で俺に語りかけてくる。
「私、セシル! よろしくね!」
「宜しくおねがいします。フェルレイドと申します。フェルと呼んでください」
「フェルね。うん、分かった! あとさ、ひとつ『お願い』があるんだけど……いいかな?」
セシル、つまり王女様のお願い。それを聞いて、俺はつい肩の力を入れ身構えてしまった。
いくら偽物とはいえ、彼女は少し前まで王族として扱われていた高貴な身分なのだ。
平民上がりの俺とは、生きている世界が根本的に違う。
いったい、どんな『お願い』をされるのだろうか?
まさか『わたし、お茶の時間ですの。クッキーとお紅茶を所望するわ』とか『日差しが暑いわね。天気を曇りにしてくださる?』とか言い出すんじゃないだろうな……?
これから王女様と一緒に行動するとなると、俺は従者としてあれこれとお世話をしないといけないのだろうか。
「その『お願い』とは、どのような事でしょうか?」
俺は恐る恐る、セシルへお願いの内容を問い返した。
「あのさ、私はもう王女じゃないんだし、普通の喋り方にしてもらってもいい? 私、本当は平民なんだし名前も気軽にセシルって呼んでよ!」
……どんな『お願い』が来るのか身構えてた分、呆気にとられた。
だが、言われてみれば彼女の言う通りでもある。
俺は普通に話すべきなのだ。
要人の護衛において、無駄に目立つ振る舞いは命取りとなる。派手な馬車に乗らせず、派手な恰好もさせない。
そうすることで周囲の標的とならないための配慮でもある。命を狙われている王女なら、尚更そうするべきだ。
「確かにそうだね。そうさせてもらうよ、セシル」
緊張を解き、あえて砕けた口調で彼女の名を呼んでみると、セシルの顔がまたもパアッ明るくなった。
「うん! ありがとう! フェル!」
セシルは再び上機嫌に前を向くと、届かない両足をパタパタと楽しげに揺らしていた。
それからの道中、セシルは休むことなくお喋りを続けた。
「本物の第六王女がさ、全然私に似てないんだよね。顔も体系も全然違うの! でもさ、身代わりの私が可愛くないと本物が不機嫌になるんだよね。でもそれって影武者の意味なくない? 全然見た目が違う影武者って一体何なんだろうね?」
「そもそもさ、第六王女が亡くなったのって、いつもお菓子とお肉しか食べなかったのが原因なんだよね。体重も全然ちがうから、側近から私にも太るように命じられたから頑張って太ったんだよ。そしたら本物の第六王女がさ、私はこんなに太くない!とか言い出して、また痩せるはめになったんだ」
それは理不尽極まりない王城での生活の愚痴だった。
俺が苦笑いしていると、セシルがさらに話題を切り替える。
「第二王女のビクトリア様が、すっごい良い人でね! 優しくて知的で。ああいう人が女王様になってほしいな~って! 私に今回の件を色々教えてくれて、逃がしてくれたのもビクトリア様なんだよ」
とめどなく溢れるセシルのおしゃべりに、俺はひたすら相槌を打ち続けた。
俺は「うんうん」とか「ほー」とか、おそらく世界一多くの種類の相槌をうっていたに違いない。
ふと気になった事があったので、会話の途切れた隙を突いてセシルに問いかけてみた。
「なぁ、セシル。城を出てきたのは分かったんだけど……荷物とか、持ってきてないのか?」
「そうだった! あるよ!」
セシルは元気よく答えると、着ていた上着の内側をまさぐり始めた。
布の擦れる音がしばらく続き、やがてセシルの小さな手から出てきたのは、手のひらに収まるほどの小さな巾着袋がひとつ。
「これだよ!」
「これって……これだけ?」
「うん、これだけ!」
セシルが自信満々に胸を張って答える。
どうやら、セシルは身の回りのものをほとんど何も持ってきていないらしい。
いや、待てよ。もしかしたら、その袋の中身は目が飛び出るほど貴重なものなのかもしれない。
超高価な『宝石』だとか。
最悪の場合、『王家の秘宝』といった国宝クラスの物だったら、どうするべきか……
「その袋の中身って、何が入ってるんだい?」
「それはね……凄いものだよ」
セシルが、不敵にニヤリと笑った。




