第32話 おひさしぶり!
森の奥深くから、足音を隠さぬ大軍の行軍がこちらへと迫ってくる。
橋を爆破してから数時間後、ついに帝国軍がやってきたのだ。
「大量の足音……こりゃまた凄い人数だな。帝国は本当に戦争をおっぱじめるつもりか」
俺はただ足音を聞きつつ、帝国軍がその姿を現すのを待っていた。
目の前には爆破した橋が掛けられていた大きな川がある。
この状態では、すぐに帝国軍がこちらに渡って来る事は無いだろう。
「おい、お前! 縄を解け! この足音が聞こえているだろうが!」
俺の後ろでは、国を裏切った防衛隊長が吠えていた。
まだ元気らしい。お仲間である帝国軍の足音が聞こえているから、そりゃ気力も沸いて出るのか。
俺は縄で縛られて身動きが取れない防衛隊長の方へと向き直った。
「まあ待てよ。帝国軍でも、この川はさすがに超えられないだろう? それとも帝国軍に何か秘策でもあるのか?」
「ふん! 秘策など無くても、帝国軍であれば川など簡単に超えてくるだろう。そうなれば、お前の命もすぐに尽きるだろうよ」
「そうかい、そりゃ楽しみだな」
俺はくるりと前に向き直り、再び川の向こう岸に視線を戻した。
「あっ! おい、早く縄を解……け……」
威勢の良い防衛隊長の言葉の最後が、驚きとともに小さくなっていく。
俺たちの眼前、大量の帝国軍たちが川の向こう岸に姿を現したのだ。
防衛隊長は、あまりのその数に気圧されていた。
「う~ん、森で全体の数は見えないが……見えるだけで、ざっと数百人はいるなぁ。後続がいるとしたら、だいたい数千ってところか」
帝国は巨大な国だ。だからこそ動員できる兵士の数も尋常じゃない。
だが、俺はトラーグ砦で5年間も帝国軍と毎日顔を突き合わせて戦っていたのだ。
帝国軍の姿を見ると、緊張感よりもむしろ当時の懐かしさが胸に込み上げてくる。
だが目の前の帝国軍は、明らかに様子がおかしい。
先頭には、地図と思わしき大きな羊皮紙を握った兵士がキョロキョロと辺りを見渡していた。
奴らは思っているのだろう。『架かっているはずの橋が無い』と。
そして、あろうことか目の前には橋の残骸が少しばかり残っている。
「ほらほら、防衛隊長さんよ。見ろよ、橋が無くなってて帝国軍が焦ってるぜ? お、帝国軍がこっちを見てるぞ。ほらほら、立ってくれ」
俺は縄で縛られた防衛隊長を強引に立ち上がらせた。
そして次に、防衛隊長の肩に腕を乗せて親しげなふりをしながら、帝国軍へと大きく手を振ってみせる。
「おーい、こっちだ帝国軍! 見えるかー! 俺たちが橋をぶっ壊したんだぞ、ざまあねえな!」
「や、やめろ! 仲間だと思われるだろうが!」
肩を組まれた防衛隊長が、逃れようとジタバタと暴れる。
へへ、そう見せてるんだよ。
これで防衛隊長は、王国からも帝国からも『裏切者』だ。もはや、逃げられる術はない。
しかも、この時点で帝国軍は厄介な二者択一を強いられた。
橋が壊されている上に、対岸にはオルドフィール王国の兵士が陽気に手を振っているのだ。
これから察するに、オルドフィール王国はすでに迎撃態勢を取っており、帝国軍を待ち構えているかもしれない。
無理に川に進軍すれば、大損害になるのは明白だ。
だが、帝国軍には食糧などの兵站が少ない。
中継地点を経由して最低限の補給を連続で行ない、進軍していたのがここで裏目に出た。
このまま川の向こう側で、まごまごとしていれば食糧が尽き、それこそ絶体絶命に陥る。
何せ帝国軍の兵士の数は膨大なのだから。
帝国軍は、今すぐ危険を承知で川を渡って攻めるか。それとも退却するか。
今ここで決断を下さなければならない。
だが俺は、帝国軍がどちらを選ぶかは分かりきっていた。
帝国軍の動向を観察していると、一人の派手な男が目につく。
偉そうな豪華な黒い鎧を着飾った兵士が、他の兵士達に激しく命令を下している。
あの鎧の質感からして、あいつが今回の部隊の隊長に違いない。
帝国の隊長は、こちらの対岸を指さしている。
そう、奴の命令は『川を渡れ』だ。
プライドの高い帝国軍が退却するはずもない。
腰の上ほどの水量もあり、流れの早い川を渡るだけで危険なのに、その対岸には『俺』が待っているのだ。
一網打尽にする絶好の機会。
だが、帝国軍の兵士達の様子がおかしい。
兵士達が「本当にこんな危険な川を渡るのか?」という風に、お互いの顔を見合わせてモジモジとしていた。
「……お? まさか、あの隊長が先陣を切るのか?」
なかなか川に入らない兵士達にイラだったのか、あの偉そうな鎧を着た男が重そうな鎧をその場で脱ぎ捨てた。
そして、剣を持ったままズブズブと川へと侵入してくる。
後ろの兵士達が、隊長に続けと言わんばかりに川へと入ってきた。
すると帝国の隊長が、剣を掲げて何か叫んでいた。
「帝国の意地を見せろ! こんな川など、簡単に渡って見せるわ!」
「「「 おーーー!!! 」」」
兵士達も気合を入れて渡ってきている。
だが、俺というと、その隊長の聞き覚えのある声に首を傾げた。
「あいつは……?」
帝国軍の隊長の顔をジッと観察してみた。俺はそいつを知っている。見覚えがある、どころではない。
それはトラーグ砦で、俺たちと数年間も戦っていた帝国の司令官だった。
戦っていたといっても、こちらは一切の損害無し。
むしろグリンドルフを何度も捕虜にして、その度に身代金を奪っていたのだが……まさかあいつが攻めて来たのか。
あいつは捕虜にするたび、恐怖でいつもガタガタ震えていたんだよな……
確か名前は……グリンドルフだったかな?
俺はつい、懐かしさから帝国の司令官グリンドルフに手を振っていた。
「おーい、グリンドルフー! ひさしぶりだな! お前が来たのか!」
俺の声が聞こえたのか、グリンドルフがびくりと動きを止め、こちらを凝視する。
「へ……? げぇええ、フェルレイド!? なんで貴様がここに居るんだ!?」
顔面を蒼白にして、グリンドルフが震え声で応える。
「なんでって……お前らをやっつけにだよ」
「ひっ!? ……ひいぃぃぃぃ!! た、たたたたた退却だー!!!」
「え、退却すんのか?! ちょっと待て!」
グリンドルフは俺たちに捕虜になっていた時を思い出したのか、恐怖で顔を引きつらせて我先にと逃げ出してた。
司令官が必死に逃げるものだから、周りの兵士達もパニックを起こして慌てて逃げ出していく。
そうして帝国軍が、凄まじい速さで川の対岸まで戻っていってしまった。
俺の作戦では、ここで帝国の兵士の3割くらいは減らしたかったんだけどな……
結局のところ、帝国軍は対岸に武器やら兵器やら、物資を全て放置した状態で森の奥まで逃げ出してしまっていた。
俺と、縄で縛られた裏切者の兵士達は、その間抜けな様子をただポカンと眺めていた。




