第19話 第二王子の使い
昨日、土を掘り返して種を蒔いたばかりの畑。
朝起きて外に出てみると、そこにはみずみずしい立派な野菜が実っていた。
土の匂いを嗅ぎながら葉に触れてみるが、幻でもなんでもない。
俺はそんな驚愕の事実を前に立ち尽くしていた。
「フェル、どうしたの? そんなに驚いちゃって」
「いや、そりゃそうだろ。だって昨日植えたばかりの種が、もうこんなに実っているんだぞ?」
「それって……驚く事なの?」
俺の驚きに対し、セシル、グルル、ルーアの三人は不思議そうに首を傾げた。
そうか……そもそもこの三人は、これまで野菜を育てている過程を見た経験がないから、この異常な成長速度を見ても驚かないのか。
だが俺が頭を抱えつつ、農業の常識をどう説明しようか悩んでいた時だ。
微かな風に乗って、随分と遠くから『嫌な気配』が漂ってきた。
「フェル、誰か来るぞ」
ルーアも反応し、こちらを向いた。
方向的には、オウデーンの街から続く街道からだ。殺気とまではいかないが、明確な『敵意』が肌をチリチリと刺激する。どうやら、友好的な客人ではないらしい。
「皆は、家に入って朝食を食べていてくれ。誰か来るようだから、俺が対応しよう。ルーア、皆を見ていてくれ」
「分かった。任されよう」
『見ていてくれ』というのは、いざという時に皆を警護してくれという意味だ。ルーアも理解している。
ルーアも真剣な顔で頷き、セシルたちを促して家の中へと戻っていく。
しばらく待っていると、オウデーンの街の方向から一台の馬車がやってきた。
荷馬車ではない。平民の乗り物よりは上等だが、貴族が乗るほどの豪奢な装飾もない中途半端な造りの馬車だ。
あの馬車の中から、ひどく嫌な気配を感じる。
まっすぐこちらへ向かってきた馬車が俺の目の前で停車した。
御者席に座っている男は綺麗な身なりをしているものの、帯びているのは護身用の剣に過ぎないようだ。
襲い掛かってくる気配は一切ない。
俺が腕を組み様子をうかがっていると、馬車の扉が乱暴に開いた。
降りてきたのは……おそらくどこかの役人だろうか。
神経質そうに釣り上がった目つきをした中年の男だ。
平民よりは綺麗な服を着ているが、やはり貴族ほどの気品は全く感じられない。
そいつは無遠慮に辺りをジロジロと観察しながら、ツカツカと俺の前まで歩いてきた。
そして俺を値踏みするように見据え、口を開く。
「おい、ここがグレイウルフ領か?」
「……そうだ」
簡単に、必要な事だけを答えた。
すると男は、大袈裟に肩をすくめて長いため息を吐き出した。
「まったく、こんな何も無い辺境だとはな。せっかく吾輩が直々に足を運んでやったというのに。……おい、お前! このあたりに領主のフェルレイドという奴はいるか?」
俺の名前を知っているということは、やはりどこかから遣わされた役人なのだろう。
ひどく横柄で失礼な態度だが、ここで嘘をついて揉めるのも面倒だ。
「俺がフェルレイドだ。俺に何か用か?」
「お前がだと!?」
男はなぜか大声を出して驚き、俺の全身を見下ろしてくる。
「なぜそんなに薄汚い格好をしているのだ? 曲がりなりにも、お前は一応領主なんだろう?」
「恰好は関係ないだろ。周りを見てみろよ。見ての通り、土と草しかないんだ。ここで綺麗な格好をする必要性がどこにあるんだ?」
「はぁ? まったく、これだから田舎の領主というものは礼儀を知らんのだ! 吾輩がわざわざ来てやったのだぞ!?」
男は勝手に顔を真っ赤にして怒り出した。こっちの方が呆れてため息が出そうになる。
いったいこいつは何なんだ。
「それより、あんたは誰なんだ? なぜ俺の名前を知っている」
「ふん! 吾輩は第二王子であらせられるシドニス様の使いだ! 分かったなら、今すぐそこに膝をつけ!」
第二王子シドニス……? 誰だったかな。
そういえば、前に聞いた気がする……
確か、このグレイウルフ領は第一王子の……ルーファウスの管理している土地だ。
だが俺が王都で渡された辞令には、なぜか管轄外である第二王子シドニスからの統治命令が記されていた。
で、その第二王子の使いが直接ここまでやってきたというわけか。
「お前は王子本人じゃないんだから、なぜ俺が膝をつく必要があるんだ?」
「ぬう!? 平民上がりの分際で生意気な奴め!」
俺としては至極まっとうな事実を指摘したつもりだが、男はさらに激昂した。
こいつ、ずっと怒ってるな?
「だから、あんたは何の用でここに来たんだ?」
「ふん! 貴様にはシドニス殿下より、ありがたい命令が下っている! それを伝えに来たのだ!」
「命令だと……?」
嫌な予感しかしない。
男は懐から勿体ぶるように、丸められた羊皮紙の書状を取り出した。
それを広げて眺めながら、男が声を張り上げる。
「えー……グレイウルフ領の領主。課税を処す。毎月、北方のゲイラ領に金貨10000枚の納めるとともに、近隣の領地を摂取し、領土を増やし、その領地を納めよ」
金貨10000枚? それに領土を接収して増やせ、だと?
さすがに耳を疑った。
法外すぎる税金に加え、もうひとつの命令はあまりにも現実離れしている。
『近隣の領土を接収する』というのは、隣接するオウデーンの街があるモノネリ領を、俺が攻め込んで奪い取れという意味に他ならない。
王子たちは王位継承で派閥争いをしていると聞いていたが、俺が第二王子の手駒として第一王子の領地へ戦争を仕掛けろという命令だ。これは。
「おいおい、随分とめちゃくちゃな命令だな」
「まだ話しの途中だ! 黙って最後まで聞け! えー……それが納められない場合、代わりに領内の若者、子ども、女を50人、『最前線の斥候』として差し出せ。……ということだ。分かったな?」
その言葉を聞いた瞬間、俺の中に冷たい怒りが満ちていくのを感じた。
無意識に動きそうになった右手を、強く握りしめて動きを止める。
……深呼吸だ。
落ち着け、俺。ここで感情に任せてはだめだ。
『最前線の斥候』という言葉が戦場において何を意味するのか。俺は嫌というほど知っている。
それは斥候などではない。敵の攻撃を引きつけるための『死ぬのが前提の囮』だ。
それを俺に差し出せと命じているのだ。
沸き上がる怒りに、俺は返答の言葉すら見つけられなかった。
現在、このグレイウルフ領にいる人間は俺たちだけだ。
つまりこの命令は、税金や領地を奪えないなら、セシル、グルル、ルーアの命を差し出せと言っているのと同じこと。
横暴を通り越して、狂っている。そんな命令、絶対に聞けるわけがない。
俺は感情を押し殺し、極めて冷静に男へ問いかけた。
「……あんた、随分と少人数で来たんだな。護衛は、その御者席にいる男だけのようだが」
「はあ? それが今の話と何の関係があるんだ?」
こいつは分かっていない。
誰も見ていない、法も秩序も届かないこの平原で、俺に喧嘩を売っているという事を。
さて、この愚か者をどうしてやろうか。
俺がそう考えていた、ちょうどその矢先。
遠くから、新たな馬車が猛烈な勢いでこちらへ近づいてくるのが見えた。
土埃を高く巻き上げ、車輪を激しく軋ませながら疾走してくる。
その御者台に座っているガタイの大きな男の姿は、遠目でもわかる。
俺の傭兵仲間であり、オウデーンの領主であるベルグラン卿の弟、オルドだ。
「フェルレイド隊長~! お待ちを~!」
オルドの大声が、風に乗って響く。
馬車が俺たちの前に急停車すると、土埃が収まるより早く、バタンと馬車の扉が勢いよく開かれた。
中から降りてきたのは、モノネリ領の領主であるベルグラン卿だった。
ベルグラン卿は地面に足を下ろすや否や、第二王子の使いと俺の間に割って入り、男の目の前に立ちはだかる。
そしてベルグラン卿は男を見据え、低い声で言い放つ。
「随分と勝手な事をしているようだな」
穏やかなベルグラン卿からは想像もつかないほどの、明確な殺意が混じった声だった。




